06/03/2026

Dia: 19 de abril de 2012

ブラジル京都会(杉山エレーナ会長)は29日、聖市パライゾ区の松原ホテル(Rua Coronel Oscar Porto, 836)で2012年度定期総会を開催する。第1次招集は午前10時。第2次招集は午前10時半から。 総会では11年度会計及び事業報告が行われ、12年度の予算案が事業計画と共に審議される。同会は今年、京都クラブ時代から数えて創立60周年に当たる。 2012年4月19日付
リベルダーデ広場から出発したバスは、1人の遅刻者により若干出発が遅れたが、約4時間をかけ聖市から約240キロ離れたボツカツ市に定刻通り到着した。朝早いこともあり、バスの中はしんと静まり返り、ほとんどの参加者が眠っていた。 ボツカツ市は人口約13万人の小さな街だが、最初に笠戸丸で渡伯した人が入った六つの配耕地の内の一つ。一行が同市で最初に訪れたのは、ボツカツ日伯学生寮。バスを降りると、ボツカツ文協の坂手実評議員長が参加者を出迎え、「1989年にサンパウロ州立総合大学(UNESP)に通う日系の子弟のために建設され、現在は男性20人、女性17人の合計37人が入居している」と学生寮について説明した。参加者らは熱心に聞き入り、「立派な寮ねえ」と建物を見上げていた。 同市はUNESPの農学部など4学部を抱えており、学生寮には非日系の学生も多く入居している。しかし、坂手評議員長は「最近は寮が増えてきて、この寮に入る学生はだんだんと減少している」と話した。 ボツカツ文協では、3年前から日本文化を紹介する日本祭り「友達」が行われており、今年も6月1~3日に実施される。県連との結びつきも強くなっており、今後は聖市の団体とさらなる交流の活性化が期待されている。今年の日本祭り「友達」では1万5000人の入場者を見込んでいる。 学生寮を後にし、一行を乗せたバスは、大人の背丈をはるかに越えるほど大きく成長したミーリョ(トウモロコシ)畑の中を進んでいく。畑の中に突然現れた木製の鳥居に参加者らは驚かされたが、その場所がボツカツ日本文化協会会館だった。バスの運転手が長年培った運転技術で車体ギリギリの鳥居をすり抜けると、そろいの法被を着た会員らが笑顔で迎えた。(つづく、植木修平記者) 2012年4月19日付
ニッケイ新聞 2012年4月19日付け 土曜日(21日) 第20回全伯虚子忌俳句大会、午前10時、リベイロン・ピーレス文協(Rua Primeiro de Maio, 56)◎青葉祭り、午前7時、宮城県人会館(Rua Fagundes, 152, Liberdade) 日曜日(22日) ペデレイラ文協家族慰安大運動会、午前9時、マウア市ジャルジン・マリンガ区の運動場(Av. Benedita Franco da Veiga)◎愛知、和歌山、滋賀、大分県人会共催「屋台祭り」、午前11時、愛知県人会館大サロン(Rua Santa...
ニッケイ新聞 2012年4月19日付け 『歩み』によれば、バウル―に領事館が設置されたのは1921年1月。28年には市内に22家族、30年には34家族が住み、31年頃から日本人植民者が棉栽培のため借地を始めた。33年にノロエステ、パウリスタ、ソロカバナ三線在住日本人の連絡機関として領事館内に連合日本人会が組織され、バウル―の日本人会の創立は36年2月。2年後は「バウル―中央日本人会」が発足した。そんな時代にバウル―に住んでいたのが参加者の草川一郎さん(79、二重国籍)=マリンガ在住=だ。聖州ドアルチーナ生まれで、1935年から5~6年同地で過ごしたことから、バウルー在住の市川千恵子さん(70、二世)と会話を弾ませていた。千恵子さんの父はバナナの行商をしており草川さんの父も店を経営しながら手伝った。バウルーから約50キロ離れたジャウー市で生産され、汽車で運ばれてきたものを売ったという。「バナナは早く熟れるから早く売らないといけないので、大きな声で二人して売り歩いていましたよ。あの頃はコーヒーも棉もよく取れた」(草川さん)戦後、草川さんは家族と共にマリンガーへ。41年にバウルーで生まれた千恵子さんを伴い、市川さん一家も同時期に移り顔見知りになった。「あの頃マリンガはセントロしかなく、まだまだ田舎。道はアスファルトじゃないから、赤土で洗濯物が真っ赤になった。道路も汽車もなくバスもない。バウルーに帰りたいと思っていましたね」と笑う千恵子さん。草川さんも「我々の親たちの時代は本当に苦労したはず」としみじみ。千恵子さん一家は1年半後に再びバウルーに戻ったが草川さん一家はマリンガーに留まり、野菜作りやバール、パダリアを経営するなどした。天理教の教会でたまに会うこともあったというが、千恵子さんの夫でバウルー生まれの哲夫さんとは初対面。二人は同地で結婚後、養鶏や不動産業などを営み、5年前に引退した。哲夫さんはかつて文協会長も務めたが「日本語ができず苦労しました」と3人は談笑していた。バウルー在住の小坪崧さん(74、福岡)と一行の川口春恵さん(愛媛、80)=モジ在住=は同船者で、半世紀ぶりの再会。59年2月「チチャレンガ号」で着伯。小坪さんは当時20歳で家族は10人だった。「お父さんの面影があるなって、見てすぐに分かった」と喜んだ川口さん。笑顔で写真に収まっていた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=和気藹々と会話を楽しんだ草川さん、市川さん夫妻(左から) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-tanaka4.html