ボツカツ文協を後にしたふるさと巡りの一行が、次に目指したのは、同地から約95キロ離れたバウルー市。同市の人口は34万5000人で、平均海抜は526メートル。天理教のブラジル伝道庁があることでも有名だ。
1926年ごろ、バウルーはソロカバ、パウリスタ、ノロエステ3線の交差点となって開拓前線へ向かう人々が集う町として繁栄の途をたどっていたが、市の周辺は土地がやせており、日本移民の大植民地とまではならなかった。また、第二次世界大戦前は領事館が置かれていたこともあり、日系人の数も多いが、意外なことにふるさと巡りで訪れるのは初めてとなる。
同地に邦人が第一歩を印したのは、14年5月。郊外ブラジリア耕地に入植した高知県人の桑名正樹氏であるといわれている。翌15年にはペルーから来た滋賀県人、沢尾磯七氏と北山吾一氏が共同で駅前に旅館を開業した。17年には、福岡県人の柳実太郎氏が雑貨商を開店している。第1回移民の香山六郎氏が同市で「聖州新報」を創刊したのは21年だった。
このころ、在住日本人の数は5家族のみだったが、33年には116家族が同地に移り住んだ。25キロ離れたチビリッサ移住地にも17家族が入り、同市郊外にバタリア移住地などができ、しばらく綿花栽培が盛んになった。現在、同市には2400家族の日本人及び日系人が住んでいると言われている。
一行がバウルー日伯文化協会会館に着いたのは午後7時過ぎ。市内中心地に建つ同会館には約160人の会員が集い、ふるさと巡りの一行を出迎えた。
最初に、先没者追悼法要が行われ、南米東本願寺の伊藤功導師による読経がなされる中、全員が焼香を行った。伊藤氏は愛知県出身で、日本でブラジル人女性と結婚。数年前に妻の故郷であるバウルーに移住した。日本では家業を手伝うなどしており、バウルーに来てから住職の道を選んだ新移民。「まだまだポルトガル語は上手ではないが、バウルーの日系人の皆さんに助けられている」と話していた。
法要の後、あいさつに立った老人クラブ副会長の益山義則さんは「同じ県人ならば家族のような温もりがある。故郷の話をして楽しい夕べを過ごしましょう。できるだけ同県人同士で座ってください」と、臨時で「同県人の集い」を提案した。益山副会長によると、「バウルーで最も多い県人は福岡で、続いて北海道、新潟、和歌山」だという。
またボツカツに続いて、本橋幹久県連副会長が、バウルー文協会長の園田ネルソン会長に県連のフェスティバル・ド・ジャポンのDVDなどを渡し、同地でも県連の活動を伝えた。
この後、各県別に分かれて座った食事会では、ふるさと巡りの醍醐味(だいごみ)の一つで、本人が「まさに、デスティーノ(運命)。どきどきして午前2時まで眠れなかった」という奇跡の出会いが待っていた。
(つづく、植木修平記者)
2012年4月21日付
