06/03/2026

Dia: 26 de abril de 2012

ふるさと巡り2日目の4月1日は、午前8時にバウルーのホテルをチェックアウト。一行はバウルーから約20キロ離れたピラチニンガ温泉へと向かった。同地への訪問を楽しみにしている参加者も多く、「朝から温泉なんて幸せ」と笑い合っていた。 温泉は自然に囲まれた大きな施設の中央部分にあり、青空の下で寝そべって湯につかったり、同施設のインストラクターに合わせてプール中でエアロビクスをしたりするなど、各自リラックスしていた。 温泉を楽しんだ人々は昼前には湯から上がり、わらぶき屋根の食堂で昼食を楽しんだが、入浴した温泉以外にもう一つプールがあることが分かると、「聞いていなかった。そっちにも行きたかった」と残念がっていた。 しかし、もう一つのプールが冷水だったことを知ると、「なんでこの時期に冷水のプールで泳げるんだ。それなら行かなくても良かった」と寒中水泳もいとわないコロニアの壮年猛者に驚いていた。 満腹になった一同は、バスに備え付けられたテレビから流れる日本の歌謡曲を聞きながら心地良い眠りに就いたが、一行が知らない間にバスは約200キロの道を西へひた走り、午後5時過ぎに、文化植民地で知られるパラグアス・パウリスタ市へと到着した。 同市の人口は約4万2000人。海抜は506メートルで、ソロカバナ線のパラグアス・パウリスタ駅から北東約20キロ地点に文化植民地ができたのは1920年代半ば。 同植民地がほかの植民地と大きく違うのは、当時アメリカで排日運動による人種差別に苦しみ、土地の所有を禁じられた約100人の日系アメリカ人が開拓した植民地である点だ。 アメリカの日系人を率いたのは、カリフォルニア州サンフランシスコ市にあるリフォームド教会の森惇吉牧師と、同市輸入商だった山田登幸(とうこう)氏で、アメリカで苦しむ日系人をブラジルへ再移住させようとした。 両氏は賛同者から資金を募り、25年に約5000ヘクタールの原始林を買い、区画割りして希望者に分譲した。翌年、開拓が始まったが、27年10月にその後3年にわたって植民地を苦しめることとなる地権騒ぎが起きる。山田氏は地権を確保するために土地の代金を二重払いをするなどして体力を消耗。さらに問題を解決するため、土地を担保に借金し資金を工面したため内紛が起きた。 40年頃には綿景気で入植者は200家族に膨れ上がったこともあったが、肥沃だった土地はやせ、65年には入植者は10家族程度に減り、やがて移住地は消えて行った。 1日に開かれた交流会では現在同地に生存する唯一の再移住者、西沢ミドリさん(89)に「文化植民地」について、話を聞くことができた。(つづく、植木修平記者) ※参考文献「消えた移住地を求めて」小笠原公衛著、サンパウロ人文科学研究所 2012年4月26日付
ニッケイ新聞 2012年4月26日付け ベレンの日系団体とサンパウロとの連携はほぼないといっていいだろう。様々な理由はあるが、つまりは遠いのだ。約3千キロ。日本・東京からいえばフィリピン・マニラに相当する。同郷というだけで交流が生まれるはずもない▼ベレンには、20の県人会がある。サンパウロの支部ももちろんあるが、前述の理由もあり「北伯」のついた独立組織が多い。しかし会館や事務所を持つ県人会は少なく、連絡先は個人宅。高齢化は進む。自然、日本側との連絡もままならない。これを一本化しようと「「北伯県人会協会」が発足した(本日付け7面詳細)▼窓口を汎アマゾニア日伯協会内に置き、非常勤ながら事務員を配置するという。双方に所属する会員も多いというから、違和感はさほど生まれないだろう。同協会主催のイベントと歩調をあわせれば、さらなる盛り上がりに繋がり、県人会の若い世代がもっと参加する可能性も生まれる。相乗効果も図れるわけで両者にメリットがでてきそうだ▼ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲会長も「県連の持つノウハウを伝えたい」と全面協力の意向を示している。「北伯―」の山本陽三会長が7月の「日本祭り」にあわせ来聖することから、南北を繋ぐ関係のスタートにも期待したいところ。具体的に何をするかは、両会長の腕のみせどころだろう▼距離的には遠いが、こうしたアマゾンの県人会の状況は、サンパウロの近い将来のような気がする。実際、活動停止状態の県人会もあると聞く。県連は支援の一方で、今後の対応策を練るための何かを学ぶ機会にしてもいいのではないか。 (剛)
ニッケイ新聞 2012年4月26日付け 土曜日(28日) 四国遍路道と巡礼の道―講演・展示会、午後3時、香川県人会(Rua Itaipu, 422, Mirandopolis)◎ミュージカル『アルゼンチンの四季』、午後8時、文協大講堂(Sao Joaquim, 381)、日曜日も(午後6時)◎竜馬会定例会、午後2時、同事務所(Largo da Polvora, 96, sala 4) 日曜日(29日) 第77回家族慰安運動会、午前9時、イタペセリカ・ダ・セーラ文協運動場(Rua Hikari Kurachi,...
ニッケイ新聞 2012年4月26日付け 【信濃毎日新聞】長野県上伊那郡箕輪町のブラジル人学校「アウゴドン・ドセ」が、今月下旬に閉校する。授業料で運営しているが、景気低迷の影響で帰国するブラジル人が相次ぎ、園児、児童数が減少。半年ほど赤字が続いていた。子どもたちは今後、公立の保育園や小学校、別のブラジル人学校に移る。アウゴドン・ドセは、校長の宮下・マルシア・トシエさん(40)が友人の子どもを預かったことがきっかけで2000年5月に開設。4年ほど前の最盛期は約60人が通っていたが、現在は2~9歳の15人。27日まで授業を続け、28日にお別れ会をする。授業料は給食代込みで月3万3千円。滞納したまま子どもを通わせなくなった家庭もあるという。宮下さんは「ブラジル人は減る一方。悔しいけれど、それ(閉校)しかない」と説明する。同校では、NPO法人「伊那国際交流協会」(伊那市)が今月、日本語教室を始めたばかり。小学4年のロドリゴ・サトシ・長野君(9)は、同協会が日本語教室を開いている箕輪町の長野日伯学園に転校する。「閉校は寂しいけれど、(学園でも)たくさん勉強したい」と話していた。県国際交流推進協会によると、上伊那地方のブラジル人学校は現在アウゴドンを含め3校。これとは別に、伊那市にあった学校は2月から塩尻市の学校で合同授業を始めた。県国際課によると、同地方のブラジル人は07年12月に4717人だったが、11年同月には2157人に減った。
ニッケイ新聞 2012年4月26日付け 会場では和やかに食事が進む中、「日本人がたくさんいるんですね」「あなたはここに住んでおられるの?」と同地在住の首藤ネウザさん(69、二世)に話しかけていたのは、一行の有坂艶子さん(76、二世)=サントス在住=。「色んな人と話ができて楽しい」と、ふるさと巡り参加は12回目になる。プ・プルデンテ出身の首藤さんはカラオケや集まりにはいつも参加するといい、「今日も朝から食事を作りましたよ」と笑顔。「ぜひ遊びに来てね」と、有坂さんは連絡先を渡していた。本橋幹久団長は南伯組合勤務時代、64、5年頃に同地を訪れ、養鶏家を指導していた。そのさいに知り合った同地入植者の娘、鈴木睦子さん(68、二世)と45年ぶりに再会した。「まさかこんなところでお会いできるとは。思いがけず嬉しい」という鈴木さんに、「あの頃のことを思い出します」と本橋団長。「父がお世話になった。組合の人のことは皆覚えています。父が生きていたら良かったんですが」と鈴木さんは嬉しそうに話していた。食事の後、カラオケなどやダンスでひとしきり楽しんだ一行は炭坑節を輪になって踊り、並んでふるさとを合唱した。「別れは再会の始まりです」と本橋団長が挨拶して、一行は文協会館をあとにした。 ◎ 3日目の4月2日。朝食を済ませ早々にロビーに集合した一行は、予定より30分も早い午前7時半に出発した。次の目的地は州が指定する29の観光都市のひとつ、パラナパネマ市にある「オランブラⅡ」。花の町として有名なカンピーナス近くの「オランブラ」(91年に市として独立)に入植したオランダ人の子孫が作った移住地だ。約250キロの道程を4時間半かけて到着。よく晴れた空の下、観光客向けの休憩所「レカント・シャングリラ」で、一行は同地で採れたゴイアバ、柿や各種ジュースを味わった。みずみずしく新鮮な果実が、長旅で疲れた一行の体を癒す。休憩した後は花園へ移動。ハウス内で苗から育てられているピンク、赤、白などのツツジの花が美しい。一行は写真を取ったりじっくり花を眺めるなどして満喫し、レストランで昼食をとった。「オランブラⅡは、オランダ人子孫が独自で始めたコロニアです」と語るのは、ピーター・ワヘメルケルさん(69)。オランダ生まれで子供の頃に来伯した一世だ。バスに乗り込み、一行に移住地の概要を説明した。48年に「オランブラ」に入ったピーターさん。乳牛の飼育や畜産、大豆栽培などが行われていたが、今は花がメイン。「最初は15家族ほどいたと思う」その後、ピーターさんを含む独立を目指した子孫たちが同地に移り、60年代前半に「オランブラⅡ」ができた。乳牛の飼育が行われたが、政府が価格をコントロールして利益が出なかったため農業に移行したという。「時代とともに栽培には大きな機械や広い面積が必要になり、発展していった」。現在「オランブラⅡ」には102人の生産者からなる組合がある。そのほとんどがオランダ人子孫で、ブラジル人は2人だけだ。(つづく、田中詩穂記者) 写真=炭坑節を輪になって踊った一同/花園は参加者の目を楽しませた この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2012年4月26日付け パラー州内14の県人会(支部含む)が加盟する『北伯県人会協会』がこのほど誕生した。一世会員が高齢化で日本語での母県とのやりとりが困難になった会が多いことから窓口を一本化、事務局が新たに汎アマゾニア日伯協会事務所内に設置される。1日にあった初会合で正式発足した。活動資金は各会に分担金の負担を求める方針で25日の理事会で決定する。初代会長に選任された山本陽三氏(北伯香川県人会)は本紙の取材に「一世が少なくなっている今が設立最後のチャンス。日系社会の貴重な財産である県人会を二世に引き継ぐことが我々の役目。まとまることで県人会の活動も活性化できれば」と意気込んだ。 州内で実質的な活動をしている県人会は20あるが、ほとんどの連絡先は個人宅。一世の高齢化が進み、対応が困難になった県人会の増加を受け、統一組織の設立へとつながった。加盟を決めたのは、北海道、福島、秋田、岩手、山形、群馬、栃木、静岡、山口、広島、香川、熊本、福岡、宮崎の14県人会。協会顧問に就任した堤剛太氏(汎アマゾニア日伯協会事務局長)は「残る6県人会は、これから役員が直接訪問し、説得していく」と全会加盟を目標に置き、結束を強めていく考えだ。会の名称は、準備段階で使用されていた「東部アマゾン県人会連絡協議会」と「北伯県人会連合会」の候補があったが、意見交換の結果、折衷案としてあった「北伯県人会協会」が採用された。毎年、日伯協会が中心となって開催される七夕祭り(7月)や日本週間(9月)などイベントへの参加も積極的に進めていく考え。今年7月にサンパウロである『県連日本祭り』には、山本会長や越知恭子副会長(北伯広島県人会長)も視察のため来聖する。汎アマゾニア日伯協会、アマゾニア日伯援護協会、アマゾナス日系商工会議所を〃ベレン日系御三家〃に挙げる堤顧問は「違う組織であっても会員は同じなので連携はとりやすい。4つめの大事な団体になることを期待したい」と話した。 「全コロニア活性化に」=県連園田会長も歓迎の意 「よくやってくれたと言いたい」―。そう喜びのコメントを寄せたのは、ブラジル日本県人会連合会の園田昭憲会長。「広すぎるブラジルで北部の県人会をまとめる組織ができたことは非常に意味がある。サンパウロとの交流も含め、日系社会全体の活性化につながる」と歓迎の意を示し「県連の持つ46年の経験を伝え、国内だけでなく国際交流にも協力したい」と全面支援の姿勢を見せた。