地元日系団体が協力団結 「日本移民の日」も制定へ 約5000人の日系人が住むリオ・グランデ・ド・スル(南大河)州で18、19日の両日、同地で初めてとなる「日本祭り」がポルト・アレグレ市内の州警察学校敷地内で行われ、州内外から日本文化に興味を持つ約1万3000人(地元警察発表)が集った。同祭は同地の日系組織であるポルト・アレグレ文化協会(ACJ、菅野和久会長)と南日伯援護協会(森口幸雄会長)が共催したもので、同援協の「第53回家族慰安敬老会および演芸会」も併せて行われた。会場では折り紙や生け花、茶道、各種武道、書道などの日本文化が紹介されたほか、パラナ州ポンタ・グロッサから招かれた太鼓グループ「風林火山」が勇壮な演奏を行った。加えて、県連(園田昭憲会長)が国内交流基金によって招へいした聖州サント・アンドレー市の具志堅洋子琉舞研究所メンバー7人が琉球舞踊「四つ竹」を南大河州で初披露し、観客からの万雷の拍手を浴びていた。(植木修平記者) 聖州やパラナ州などと比較すると南伯の日系コロニアは小さい。しかし、南大河州議会は2011年8月に戦後日本移民55周年を記念し、初めてリオ・グランデ港に降り立った日本移民23人のうち州内に住む9人に対し、その功労を認めメダルを贈呈している。南伯の日系社会が大きな節目を迎えたことはポルト・アレグレ市でも認知され、現在、公式に「日本移民の日(8月20日)」が制定されつつあり、まもなく市議会本会議で議決される予定だ。 18日午前に行われた開会式には、在ポルト・アレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事、文協の菅野会長、援協の森口会長、白井安弘南伯日本商工会議所会頭、ポルト・アレグレ市のジョゼ・フォルトナ市長などが出席。日伯両国国歌斉唱後にあいさつに立ったフォルトナ市長は「日本移民の日を承認できる日が来ることをうれしく思う」と話した。 また、今回の日本祭りは州警から管野会長に対し、州警学校の敷地を開催地として無料貸与するとの申し出が11年3月にあったことがきっかけとなっている。 同祭はブラジル側の厚意によって支えられ、南伯の日系社会として初めての「日本祭り」が開催されたが、開催期間中は約30度の暖かな気温に恵まれたことや、現地の情報紙やテレビ報道などによって紹介されたことで多くの来客があった。 コスプレ姿で日本祭りを訪れた伯人男性は「テレビでは見たことはあるけれど、茶道を初めて見た。所作に対するこだわりを感じた」と興奮していた。 また、「四つ竹」を踊った具志堅洋子さんは「サンパウロでは琉球舞踊はいつでも見れるが、こちらの人たちは真剣なまなざしで私たちを見ていた。こちらもしっかりやらなければという気にさせられた」と気持ちを引き締めていた。 今回、琉球舞踊を招へいした県連の園田会長は「国内交流基金を使い、サンパウロから地方へ日本の本物の文化を伝えることができた。次回は(パラー州)ベレンに連れて行ければ」と意気込んだ。 同祭にはペロッタス、イボチ、カシアス、サンタ・マリアなど周辺の移住地からも集客があったことに加え、関係者らは「日本祭りをみんなで成功させたことで、長年ポルト・アレグレの日系団体が抱えていたわだかまりが解決された」と喜んだ。 約20万人を呼びこむサンパウロの日本祭りと比べるとささやかだが、ポルト・アレグレ婦人会(和田恵子会長)など女性陣が中心となって会場設営がなされ、手作りの飾りで彩られた会場は来場者の笑顔で満たされた。 同祭関係者らは「日本移民の日が制定されるとなると、日本祭りは毎年行われることになるかも」と表情を引き締め、同地日系社会に新たな絆が生まれていた。 2012年8月22日付
Mês: agosto 2012
O grupo japonês de Teatro Delivery Mari Mari realiza várias apresentaçõesem São Paulo.Hoje (22) e amanhã no...
日本文化楽しむ人々でにぎわい 各国からの移民で形成されている人口約10万人の聖州サルト市で、18、19日の両日、サルト日伯協会(=アニブラス、寺坂クラウジオ雅延会長)と同市役所(ジョゼ・ジェラルド・ガルシア市長)の共催で、第5回サルト日伯祭りが開催された。両日とも天候に恵まれ、昼夜を通して多くの市民が来場。日系人の少ない同地で日本文化が紹介される数少ない機会とあって、日本食の出店には長蛇の列ができ、近隣都市の日系団体が出演した舞台では、演目が終わる度に歓声や拍手が起こった。 今回、舞台を囲む椅子や食事コーナーが満席になる程の人出でにぎわった同祭も、天気が崩れた3年前の第2回は来場者数約3000人に終わっている。今年は開催期間中、終日快晴となり、途切れることなく来場者が訪れ、日本食や伝統芸能などの日本文化を楽しむ人の姿が多く見られた。 アニブラスの坂上拓生評議員は「冬場でこんなに暑いのは珍しい」と晴れ渡った青空を見上げた。寺坂会長も「皆でてるてる坊主を作ったので、晴れて良かった」と笑顔で話した。 初日の18日午後8時からは開会式が行われ、日の丸が掲げられた舞台に小林雅彦在聖日本国総領事館首席領事、寺坂会長、坂上オスカル大吉副会長、ガルシア市長、ベニア・バルセーラ同市文化局長が登壇。そのほか、市外からも多数の来賓が参列した。 あいさつに立った寺坂会長は同祭の歩みを紹介し、遠方から駆け付けた来賓や後援企業に謝意を述べた。 式では、昨年に引き続き来場した小林首席領事に対して、アニブラスから記念プレートが贈られた。式の最後は赤い法被を着た小林首席領事とガルシア市長が「いち、に、さん」の掛け声で鏡割りを行い、晴れやかに幕を開けた。 坂上評議員によると、同市には日本文化を継承している団体がない。そのため同祭には、これまでイツーやインダイアツーバなど近隣の日系コロニアで活動する日系団体が協力してきた。今回は聖市やソロカバ、カンピーナス、ジュンジアイなどの団体が出演して会場を沸かせた。 18日に登場した心響太鼓(サンカエターノ・ド・スル)と気炎(きえん)太鼓(サンベルナルド・ド・カンポ)は、以前にも共演したことがあるという息の合った演奏を披露。来場者は迫力の太鼓の音色に聴き入り、演奏終了後の会場は喝采(かっさい)の拍手と歓声に包まれた。 今回、アニブラスは焼きそばと饅頭の店を出店。食事時は焼きそばの店の前に長蛇の列ができ、買い求めた来場者は具だくさんの焼きそばに舌鼓を打っていた。 アニブラスは、来年以降の同祭の開催場所を同市内チエテ川沿いにある野外劇場(Complexo turístico de Cachoeira)に移すことを検討している。同市民によると、同会場では独立記念日の9月7日から4日間、毎年フェスタを行っている。日伯祭りを開催 しているキンゼ・デ・ノベンブロ広場と比較すると、約2倍の広さだそうだ。 会場を移転することについて坂上評議員は、「店を出したいという人がもっと居るが断っている」と現状を説明し、「交通の便が良くなる上、下が公園になっているのでゆったりできる」と利点を述べた。 また、今年初めて行われたコスプレコンテストにはアニメや漫画、ゲームの愛好家が出場し、同祭を盛り上げた。入賞者は次の通り(敬称略)。...
姉妹都市提携40周年を記念して 【既報関連】サントス市は昨年、長崎県人会(川添博会長)と長崎市を通じて、同市内を走る路面電車の軌道事業者である(株)長崎電気軌道(松本容治社長)に対して、使われなくなった電車車両を寄贈してもらうことはできないかと打診していた。長崎市によると、同社の事業計画では2014年に現役を退く車両が出ることから、その車両をサントス市へ寄贈することがこのほど決定されたという。 長崎市は今年、サントス市と姉妹都市締結40周年を迎えるため、田上富久長崎市長をはじめ、同市の選抜少年サッカーチームなどが28日からサントスを訪れ、サントスFCのジュニアユースチームと交流試合を実施。28日に行われる記念式典で田上市長が、サントス市に対し電車車両の目録を手渡す。 両市を取り持った川添長崎県人会長は「うれしいの一言。交流が形となって現れた。サントス市民に長崎との交流をより知ってもらえ、両市の距離が縮まると良い」と喜んでいる。 サントス市では1950年代に庶民の足として活躍した路面電車が09年に観光電車(ボンデ・ツーリスチコ)として運行を再開しており、アメリカ、イタリアなどから寄贈された車両が市内を走っている。 発案者でサントス市議の中井貞夫氏は「輸送費や修理費などを含めて、長崎側の経費負担は一切ない」としている。 サントスの観光電車は、同市の文化遺産センターが2年かけて路線延伸工事を行い、観光用に運行再開したもの。電車は市役所前のマウアー広場周辺から30分ごとに運行されており、コーヒー取引所や旧サントス駅舎などを巡回。約5キロの距離を45分かけて回り、観光局のガイドが市内の観光名所を説明する。 ヨーロッパの雰囲気漂う古い街並みを見学する観光ツアーは、別名「生きた博物館(ムゼウ・ビーボ・ド・ボンデ)」とも呼ばれており、運転時間は毎日午前11時から午後5時まで(月曜運休)。 日曜の午前11時、正午、午後1時、同2時発の電車にはアコーディオンとギターの演奏サービスがあり、音楽を聴きながら街の周遊を楽しめる。運賃は大人5レアル(高齢者、学生、教師は半額)。 2012年8月18日付
Se, no sábado, a banda Gaijin Sentai “roubou a cena” no primeiro dia do Tosa Matsuri, no...
ニッケイ新聞 2012年8月17日付け マルコABC長官が就任 在東京ブラジル総領事館総領事に就任することが決まった外務省国際協力機関(ABC)のマルコ・ファラニ長官(57)が10日、西森ルイス・パラナ州議、平崎靖之・サンスイ社長補佐と共に挨拶のため来社した。1982年、リオ・ブランコ学校を卒業し、外交官としての道を歩む。連邦政府大統領、副大統領に仕えたほか、ニューヨーク国連本部や在北京ブラジル大使館など海外でも活躍。91年から3年間は在東京ブラジル大使館で書記官を務めた。2008年から現職。マルコ長官は「観光、商用、学生ビザ発行の日数を短縮し、手続きを出来るだけ簡素化したい」と意気込みを語った。西森議員らは「親日家で、JICAと一緒にプロサバンナ計画を行なうABCの長官経験者が総領事になるのは、我々にとってもありがたいこと」と就任を喜んだ。
若者も積極的に参加 ブラジル山口県人会(要田武会長)創立85周年記念祝典が、12日午前10時から聖市リベルダーデ区のハッカ・プラザで開かれた。当日は「父の日」と重なったため来場者数が心配されていたが、心配をよそに約200人が参加して満席となった。母県からは県庁観光交流局の山本隆士局長、同局国際課の時乗勇人主幹、篠原透浩主任が慶祝団として来伯。さらに県連、文協、援協の各代表も出席した。式典後に行われた祝賀会とアトラクションは、日本食に舌鼓を打ちながら同県人会のこれからの発展を願った。また式典の受け付けや進行は同県人会の青年部が行い、アトラクションの最後には部員約20人による合唱で祝典を終え、若い世代の活躍が随所に見受けられた。 壇上には要田会長と園田昭憲県連会長、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、同県知事代理として出席した山本局長、在聖総領事館から成田強領事部長、同県ブラジル親善協会から田村伊生氏が並んだ。 開会の辞を同祝典副委員長の井上ロベルト氏が行い祝典が挙行され、日伯両国の国歌斉唱、先没者への黙とうが行われた。 要田会長は式典あいさつで同県人移民の始まりについて触れ、「先輩移民の絆、友情により発展し今日に至った」と初期移民に敬意を表した。 その後、来賓祝辞が行われ、山本局長、成田領事部長、同県ブラジル親善協会の田村氏、日系団体を代表して県連の園田会長がそれぞれ祝辞を述べた。 終盤には祝電披露、80歳から85歳までの同県人と功労者の表彰が行われた後に、山口県人子弟留学生制度とブラジル親善協会を通じ2009年に母県に留学、研修をした八波玲日さん(26、3世)、勝野アドリアーナさん(28、3世)、関田ジエゴさん(28、3世)が帰国の報告と母県への謝辞が行われ、同県県民歌の合唱、万歳三唱で祝典を終え祝賀会、アトラクションへと進行した。 式典では、県人会発展に貢献した人に敬意を払い、若い世代の同県人会への積極的な参加に重点を置いている姿勢を伺うことができた。本紙のインタビューで要田会長は「後を継ぐ者が居なければ山口の移民の魂が途絶えてしまう。今式典が世代交代のいいきっかけになった」と述べ、若い世代との協力、次世代の育成に力を注ぐ考えを示した。 その意向は若い世代に届いているようで、03年に同研修生として母県の会社に勤務した脇山マリナさん(36、2世)は、同県人会の活動に積極的に参加し、若い世代へ県連の日本祭や今回の祝典への参加を呼びかけた。 脇山さんは「県人会のお陰で母県へ行くことができた。何か恩返しがしたい」と語り、同じ制度で母県へ留学、研修した母県に愛着のある人たちと共に同県人会を盛り上げたい考えを述べた。 祝賀会とアトラクションは終始和やかな雰囲気が会場を包み、母県出身の北原民江さん(正派ブラジル琴の会代表)による琴の演奏や上田演劇舞踊団の舞踊などが行われた。 アトラクションの最後は、青年部が約1カ月かけて練習した「イパネマの娘」「ショラ・メ・リーガ」の合唱が行われ、約20人が参加。踊りも交え披露し、この日一番の盛り上がりを見せて祝典は閉幕した。 なお母県では7月29日、知事選挙が行われ、元国土交通審議官の山本繁太郎氏(63)が初当選したばかり。同県人会は同県人会館の改修工事などの補助金の面などからも今後の行政の動きに注目している。 2012年8月17日付
ブラジル琉球舞踊協会(知花千恵子会長)は5日、聖市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館で同会創立20周年記念祝賀芸能祭を開催した。 午後1時からは記念式典が挙行され、知花会長や与那嶺真次沖縄県人会長、同県人会役員、琉球舞踊の指導者らが壇上に並んだ。 同県人会役員が代読した祝辞の中で仲井眞弘多沖縄県知事は、「ブラジルの県系人の皆様は、結束を強めてますます盛んに活動されている。沖縄の伝統芸能が遠く離れたブラジルの地においても着実に根を張り、実を結んでいることは沖縄県民にとって大きな誇り」と述べた。 続いて、同協会の設立に尽力した故浦崎直秀氏、金城節子氏、具志堅シゲ子氏、具志堅洋子氏、古我知ゆり子氏、知花会長に創立功労賞が贈られた。また、城間和枝氏、故石川スエ氏、栄野川ミヨ子氏、島袋順子氏、神谷春美氏、登川美恵子氏、吉本尊雄氏、小波津清氏が功労賞や感謝状を受け取った。 受賞者を代表して玉城流「てだの会」の具志堅シゲ子師範が謝辞を述べた。シゲ子師範は「子どもや若者も参加した沖縄やハワイ、ボリビア、アルゼンチンでの公演も忘れ難い思い出」と20年間の活動を振り返り、「今は亡き初代会長の浦崎氏をはじめ、琉球伝統芸能に携わる諸団体とともに歩んできた日々が思い出されて、感無量で胸がいっぱいです」とあいさつした。 式典後に行われた祝賀芸能祭は、総勢31人による開幕合同演奏で幕を開けた。その後、約300人が45演目を披露した。 2012年8月16日付
ニッケイ新聞 2012年8月16日付け 現在各地で公演をしている俳優集団「まりまり」訪伯の企画監修をする池上重弘・静岡文化芸術大学教授(49、北海道)が、11日午後2時から聖市のブラジル日本語センターで行われた同公演にさきだって、ここ4年ほどで特に顕著になった在日ブラジル人の定住化傾向の高まりについて講演した。 外国人登録者数はこの20年間で100万人から200万人と倍増した。ただし08年末の世界金融危機以来、14万人の外国人が減少し、うち大半を占める10万人がブラジル人だった。その結果、最盛期に31万人を数えた伯人は現在20万人ていどとなった。静岡県内で在日伯人に意識調査したところ、危機前の07年には「日本に永住」と答えた人が12・9%だったが、危機後の09年には23・5%と倍増していることが分かった。同様に「3年以内に帰国」が20・1%から13・0%に、「10年以内に帰国」が9・1%から5・4%に減少しており、短中期的な滞日希望者が激減し、その分「永住」希望の長期的展望を持つ者の比率が高まっている。と同時に、「県内の公立高校でも外国人の進学が増えている」と発表した。06年から07年の外国人進学者はほぼ横ばいの300人(うち半分が夜間の定時制)だったが、11年には640人と2倍以上に増え、うち350人程度が伯人だった。全日制への進学者の比率も増えている。3・11大震災の前後を比較するために、10年末と11年末の外国人登録者数をみると、総数自体は5・5万人も減っているのに、永住資格を取得した外国人は3・3万人(56万5089人から59万8436人へ)も増えており、池上教授は「今後も永住ビザを取るひとは増えていくだろう」と見ている。このような変化の結果、永住者、日本人の配偶者、定住者の資格を持つ外国人が増えており、「65%が実質的な移民」と定住化傾向を総括した。最後に、そのような時代ゆえに交流の必要性を感じ、日本最大の在日ブラジル人集住地の一つである浜松市の公立大学が、地域に貢献するために「まりまり」公演の企画に関わったと説明した。来場者約50人の一人、日本語教師の中田みちよさん(70代、青森)は「日本移民にとっては大戦が永住を決意させたが、在日ブラジル人にとっては金融危機、大震災がそのきっかけとなっている様子が良くわかって興味深い講演だった。日本移民の裏返しの現象が今日本で起きている」としみじみ頷いていた。
ニッケイ新聞 2012年8月16日付け 土曜日(18日) 平和灯ろう流し(午後4時)、盆踊り大会(午後7時半)、レジストロ市のベイラ・リオ公園◎青葉祭り、午前7時、宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)◎北川朗久来伯50周年記念コンサート、午後8時、客家会館(Rua Sao Joaquim, 460)◎1960年8月12日着伯「ぶらじる丸」同船者会、正午、レストラン・チーフー(Praca Carlos Gomes, 200, Liberdade)◎島崎藤村を偲ぶ会、午後2時、サンタクルス病院(Rua Santa Cruz, 398, Vila...
競馬ファンら800人が来場 サンパウロ・ジョッキークラブと日本中央競馬会(JRA)が1995年以来開催している交換レース「ジャパン・カップ」が11日、聖市内のシダーデ・ジャルジン競馬場で開かれた。同カップは今回で第18回目を迎え、午後5時20分の第7レースで実施。気温26度の快晴の中、9頭の馬が優勝を目指し、勢いよくスタートを切った。2番のアタカマ号(ジョジアネ・グラール騎手)がレース前半からトップを独走し、ゴールまで見事逃げ切り、優勝を果たした。 「ジャパン・カップ」で優勝馬のオーナーのアレサンドロ・アルカンジェリオさん(49)は、「ジャパン・カップは、日系社会の方々を競馬場に連れてくる良い機会で、本当に素晴らしいカップです。このレースで優勝できて光栄です」と喜びを示した。 レース開始前には、鳥取シャンシャン傘踊り(京野マリ代表)25人の踊り手によって傘踊りが同日4回披露され、場内を盛り上げた。 来賓には、遠藤諭在聖総領事館副領事、尾西貞夫援協副会長、松尾治宮坂国人財団執行理事長、本橋幹久県連副会長、南アゴスチンニョ福岡県人会長、鈴木雅夫本紙社長などが招待され、酒を交わしながら日伯友好のカップを楽しんだ。 例年より暖かかった競技場では、約800人の来場者が食事をしながら競馬を楽しんだり、優勝馬と一緒に写真を撮ったりするなど、休日を楽しむ人々の姿が多く見受けられた。 また、競馬場には日伯国旗と聖州旗がなびき、今年も福岡県人会から貸し出された27匹のこいのぼりが雲一つない青空を気持ち良さそうに泳いでいた。 ブラジル競馬業界に詳しい尾西援協副会長は「昨年より来場者が減り、あまり活気がなかった。もっと活気が欲しかった」と嘆いていた。また、来場者数の動向について同副会長は、「約5年前からのブラジルの不景気の影響で来場者数は減少傾向にあり、さらに今年はオリンピックの影響もあるのでは」と話していた。 本橋県連副会長は、「ジャパン・カップは日系社会とブラジル社会の良い交流の機会なので、今後も続いてほしい」と期待していた。 同カップは毎年8月にサンパウロで開催されており、日本で毎年10月に「ブラジル・カップ」が開催されている。 2012年8月15日付
東京都品川区にある在日東京ブラジル総領事館総領事に就任するマルコ・ファラーニ氏(57)が、訪日を前に西森ルイス下議、平崎靖之サンスイ社長補佐の案内で来社し、約4年間の日本での勤務について抱負を述べた。 ファラーニ氏はこれまでブラジル外務省管轄のABC(ブラジル協力機関)代表を務め、2010年に発生したハイチ地震への協力を行ったほか、今年4月には日本、ブラジル、モザンビークの3カ国が相互協力して行うプロサバンナ計画(アフリカ熱帯サバンナ農業開発協力)視察のためモザンビークも訪れたという。 今回の外務省人事で在日東京ブラジル総領事として勤務する中でファラーニ氏は、特に日本からブラジルを訪問する人々のビザ発給緩和や日本に滞在する日系ブラジル人の保護に力を注ぐ考えだ。 「ビジネスビザの発給については、(在ブラジル日本大使館の)三輪(昭)大使からも遅れが指摘されている。今後はビジネスビザの発給を1日か2日で出せるようにしたい」(ファラーニ氏) 同氏は1991年から94年まで在京ブラジル大使館で書記官として勤務した経験もあり、日本での勤務は今回で2度目となる。 2年後に迫ったリオ市でのサッカー・ワールドカップ、16年のリオ五輪開催に向けて日本とのノービザ協定締結の可能性があるのかという本紙の質問について同氏は、「私の判断で観光ビザの発給を早めることはできる」と述べるにとどまった。 なお、西森下議は現在東京都品川区東五反田にある在日東京ブラジル総領事館が他所に移転する可能性を示唆している。 2012年8月15日付
No dia 16 de agosto, a Jica (Agência de Cooperação Internacional do Japão) e a Abjica (Associação...
パラグアイのイグアス移住地は昨年、東日本大震災の被災地支援の「心はひとつ 豆腐100万丁支援プロジェクト」で、非遺伝子組み換え大豆100トンを岩手県、宮城県、福島県に寄付し、被災者からは感激の声が届いている。同プロジェクトは昨年4月14日にスタートし、今年2月22日に100万丁の豆腐を被災地に届け終えた。 その後、イグアス移住地には福島県知事をはじめ、被災した市町村から多くの感謝状が贈られている。今年1月には野田佳彦内閣総理大臣からも感謝状が届けられた。 同プロジェクトに携わったイグアス日本人会の福井一朗会長(48)は、野田総理の感謝状を指さしながら、「同移住地創設以来、最も大きいプロジェクト」と振り返り、「私たちがパラグアイで日本人として頑張っていることもアピールできた」と満足そうな笑みで話した。今後は、「今まで以上に日本と積極的に交流していきたい」と述べた。 2012年8月14日付
平成24年度外務大臣表彰を受賞したパラー州カスタニャール市在住の岡島博氏(71、群馬)とベレン市在住の堤剛太氏(64、東京)に対する授賞式が、8日午後6時半より在ベレン総領事館公邸で催された。 この日、岡島、堤両氏の家族や関係者など約20人と、日系社会を代表して生田勇治汎アマゾニア日伯協会会長、及川定一アマゾニア日伯援護協会会長、神園良生パラー日系商工会議所副会頭たちが出席した。 公邸サロンに飾られた金びょうぶと日伯両国旗が授賞式を彩り、大岩玲首席領事の司会で進行。はじめに両氏の功績が阪野真司領事より紹介され、沼田行雄総領事より賞状と記念品が両氏に手渡された。 沼田総領事の祝辞に次いで岡島氏、堤氏の順で謝辞が述べられた。式典を締めくくる乾杯の音頭は生田日伯協会会長が発声を行い、総領事館が用意した日本料理で和やかな懇親会へと移った。 岡島氏は現在、岡島農商事有限会社代表取締役を勤める傍ら、北伯群馬県人会会長として540ヘクタールの原生林「群馬の森」を運営管理。アマゾンの環境保護に民間団体が取り組んでいるケースとして、内外に広く知られている。 また、ベレンから300キロの地点にあるパラゴ・ミナスの農園では、モギノ(マホガニー)2万本の大規模な植林事業を行ったり、ピメンタ(胡椒)生産では常に意欲的な農業経営を行ってきている。 堤氏は、汎アマゾニア日伯協会事務局長を25年にわたり勤めており、この間、アマゾン日本人移民60周年祭から80周年祭まで各移民祭の裏方として祭典を成功裡に導いてきている。また、アマゾン移民60周年記念誌(日語)、70周年記念誌(ポ語)の編纂に携わり、その後もアマゾン移民の足跡をたどり、その調査を継続し記録作成に取り組んでいる。 このほか、サンパウロ新聞ベレン支局長として約30年間にわたり、アマゾン日系社会の情報を内外へ発信し続けている。 2012年8月14日付
ニッケイ新聞 2012年8月14日付け 山口県人会(要田武会長)の創立85周年を祝う記念式典が12日、聖市リベルダーデ区の客家会館で行われ、会員、日系団体関係者ら約300人が出席した。母県からは県観光局の山本隆士局長、県地域振興部観光交流局国際課の時乗勇人主幹、篠原透浩主任のほか、山口県ブラジル親善協会の田村伊正会長代理が駆けつけた。80歳以上の高齢者、県人会への功労者に向けた表彰などが行われた式典後には賑やかに祝賀会が開かれた。 式典は午前10時過ぎに井上ロベルト祭典副委員長の開会宣言から始まり、日伯両国国歌斉唱、先亡者に対する黙祷が行なわれた。祭典委員長である要田会長は挨拶の中で、関係者らに感謝の意を示し「今後さらなる会員相互の親睦を深め、母県との繋がりをより一層深化させ、人との出会いを大切に次世代につなげていきたい」と抱負を語った。山本局長によって代読された二井関成県知事からの祝辞では、85年の歴史とこれまでの活動に対し敬意が表されたほか、昨年日本で開催された第3回に続く『第4回在外山口県人会世界大会』が、2015年にロサンゼルスで開催を予定されていることが発表された。来賓祝辞に続いて行われた祝電披露の後には、80歳以上の高齢者と、これまで県人会に大きく貢献してきた功労者(対象者8人中5人が出席)が表彰された。記念品の交換、県民歌の合唱、万歳三唱が行われ、要田会長、山本局長らによる鏡開きにより祝賀会が始まった。アトラクションとして披露された北原民江さんによる筝曲民謡メドレー、上田舞踊団による日舞なども好況を博し、大きな盛り上がりを見せた。マット・グロッソから16時間かけて来たという秋村静子さん(75)=同州ドウラードス市在住=は「楽しい踊りも見ることができてとても良い会だった。同郷の岩国出身の人たちとも会えたし、本当に来た甲斐があった」と満足げな表情。県人会の呼び寄せ移民として1960年に来伯した有沢光康さん(78)=ピエダーデ市在住=も「県人会があったから今の自分がある。これからも活動が永く続いて欲しい」と感慨深げに話した。
O ministro Marco Farani já elegeu sua primeira missão em solo japonês, tão logo assuma o cargo...
8年ぶりに一時帰国制度が実現 「ブラジル移住者里帰り訪日使節団事業」の実施と概要についての記者会見が、9日午後4時半から聖市リベルダーデ区文協ビル5階の県連会議室で行われた。主催はサンパウロ新聞社(鈴木雅夫代表取締役社長)と公益財団法人海外日系人協会(山田啓二会長)で、スポンサーは竹内運輸工業株式会社(竹内政司代表取締役社長)と株式会社タツミコーポレーション。同事業は2013年3月~4月の約2週間、約20人のブラジル日本移住者を一時帰国させる内容で、日本政府が2004年まで組織していた「海外日系人訪日団」以来、8年ぶりの里帰り計画となる。 サンパウロ新聞社は「海外日系人訪日団」制度を実施していた海外日系人協会の協力を得て、ブラジルに渡った戦後移住者を対象にした一時帰国制度を企画立案。竹内運輸工業株式会社と株式会社タツミコーポレーションの資金協力により今回、同事業が実現することになった。 記者会見には、本紙鈴木社長、海外日系人協会の岡野護事務局長(58、石川)、竹内運輸工業の竹内政司社長(57、東京)、ブラジル都道府県人会連合会の園田昭憲会長、ブラジル日本文化福祉協会の木多喜八郎会長と中島エドアルド事務局長の計6人が出席した。 会見で竹内社長は「日系社会に大変お世話になり、何か恩返しをしたかった」と協力に踏み切った理由を説明。岡野事務局長は「竹内社長の善意のお陰で里帰りが実現でき、海外日系人協会としてはぜひ成功してほしい」と述べ、本紙鈴木社長は「同事業が成功したら、継続させたい」と意気込みを語った。 発表された主な企画概要は次の通り。 【目的】ブラジルに移住した戦後移住者を日本に招待して長年の苦労をねぎらい、日本移民の開拓精神の高揚を図るとともに、日本とブラジルの友好親善に寄与すること。 【団員資格】ブラジルに移住して約50年以上経過した人。移住後、日本に1度も帰国したことがない人。渡航及び滞在中の健康に問題のない人。訪日するための経費負担能力に乏しい人。日本に受け入れ親族縁者のいる人。 【推薦と決定】選考委員会が実施する書類選考、面接または日系団体の推薦を決定基準とする。 【日程概要】サンパウロで集合し、結団式を行った後に訪日。東京に到着後、約3日間団体編成による歓迎事業を実施する。 【経費負担】サンパウロ~日本の往復チケット。日本での最初の3日間の宿泊、食事代と最後の1日の宿泊代。海外旅行保険代。 【団員の報告書の提出】団員は帰国後2カ月以内に報告書を主催者に提出すること。 今後の予定として9月1日から募集を開始し、10月末に募集締め切り。11月初旬に1次書類選考し、11月下旬に2次選考として本人及び日本側の受け入れ親族などの最終確認を行い、11月中に団員を決定する。 問い合わせは本紙同事業担当の古城(電話11・3347・2000)まで。Eメール(redacaojp@saopauloshimbun.com)。 2012年8月11日付
長崎に原爆が投下された日に合わせ、長崎県人会(川添博会長)はブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)と共に原爆慰霊追悼ミサを9日午前11時から聖市内のサンゴンサーロ教会で開催し、参列した50人は荘厳な雰囲気の中、原爆犠牲者に祈りを捧げた。 同教会の久次マリオ神父が「戦争は人の心を狂わせる。平和を築こうとするには心の中の平穏が大切になる。憎しみを愛に変えていくことが大切だ」と説いた。 また、この日は長崎市と姉妹都市関係にあるサントス市の日本人会(土井セルジオ会長)とサントス市役所が共催する毎年恒例の慰霊追悼ミサが、移民上陸記念像があるサントス市ロベルト・サンチーニ公園で行われ、人々が祈りを捧げた。今年、長崎市とサントス市は姉妹都市締結40周年に当たり、28日には長崎市から田上富久市長や少年サッカーチームなどが同市を訪問。サントスFCのジュニアユースと交流試合を行うなどして交流を深める。 そのため、サントスFCでは長崎に原爆が投下された時間に合わせた8日午後11時2分(ブラジル時間)、公式にフェイスブックを通じて長崎市に対するメッセージを日ポ両語で掲載。9日午後2時現在、1000人以上がコメントを寄せたり、賛同の意を示すなどしている。なお、同クラブが公式に原爆追悼のメッセージを出したのは今回が初めて。 掲載された日本語メッセージ全文は次の通り(原文ママ)。 「サントスFCは、本日8月9日が、我々の親愛なる人々にとって、そして全人類にとって特別な日であることを憶えます。すなわち67年前、サントス市の姉妹都市である長崎市に原子爆弾が投下された日です。6日の広島と併せてこの悲劇の犠牲となった全ての人々に謹んで哀悼の意を示すとともに、今もその影響下にある全ての人々へ心からの祈りを捧げます。平和の実現に向けて弛まぬ努力を続けてこられた長崎市の人々に倣って、我々もサッカーを通じて平和の喜びをより多くのファンと分かち合えるクラブを目指していきたいと思います。今月末に、長崎市中学生選抜をサントスに迎え、サントスFCジュニアユースとの交流戦が持たれます。サッカーファミリーとして、地球の反対側から訪れる平和の使者を全チームを挙げて歓迎いたします。祈りをこめて。サントスFC」。 2012年8月10日付
ニッケイ新聞 2012年8月10日付け 『ブラジル琉球舞踊協会創立20周年記念祝賀芸能祭』が5日午後、沖縄県人会館で開かれ、約800人の来場者で会場は熱気にあふれた。ブラジル琉球舞踊協会(知花千恵子会長、会員約400人)傘下の4流派、玉城流・玉扇会、小太郎会、てだの会、琉舞・華の会ほか、エイサーや太鼓グループも参加し、花を添えた。知花会長は「会員やその家族、実行委のご尽力で今日を迎えた。感謝の気持ちで胸が一杯」と満面の笑みを見せた。 1992年、故浦崎直秀、金城節子、具志堅シゲ子、具志堅洋子、古我知ゆり子、知花千恵子の6師範により、琉球舞踊研究会(後に改称)として発足した。創立目的にある琉舞の保存と研究、後継者の育成のほか、ハワイ公演、沖縄でもウチナーンチュ大会、本土復帰30周年記念公演で舞台を踏んできた。式典で城間和枝実行委員長は「遥か故郷を思う唄や三線にのせた舞踊に心を癒し伝統を守ってきた」と先人の苦労を振り返り「ブラジルに琉球舞踊の大輪の花を咲かせたい」と決意を語った。沖縄からは仲井眞弘多知事、「てだの会」の玉城千枝家元、「太圭華の会」の佐藤太圭子家元、沖縄ブラジル協会の西原篤一会長の祝辞もあった。創立功労者として、前述の6師範が表彰され、3代目会長(2005~10)の城間和枝さんに功労賞、石川スエ(故人)、栄野川ミヨ子、島袋順子さんに感謝状が送られた。琉球古典音楽の合奏で荘厳に開幕、会場を飽きさせない45演目が休憩を挟んで披露され、子供たちの可愛らしい舞台には温かい拍手が送られ、師範らの年季の入った貫禄の踊りにはため息が漏れていた。8歳で琉球舞踊を始めた玉城ルシアーナさん(23、三世)=サントス在住=は「同好の士が集まって嬉しい」と舞台の興奮が冷め遣らない様子で話す。「コロニアのイベントで沖縄はすごいと思っていた」と来場の理由を話す上村紀子さん(70、二世)も満足の笑顔。「若い時は仕事ばかり。踊りを初めたのは70歳から」と話す松堂初子さん(74、嘉手納町)=スザノ在住=は「若い世代が頑張っていてすごい。ウチナーグチも分からないのに…感心するし頼もしい」と目を細めた。
