【一部既報】来年3月に出発するサンパウロ新聞創刊66周年、戦後移住60周年記念事業「ブラジル移住者里帰り訪日使節団」の募集が9月から始まった。同事業のスポンサーとなった竹内運輸工業株式会社(本社・東京都三鷹市)の竹内政司社長(57)の思いを聞いた。
「若い時にお世話になった日系コロニアに恩返しがしたい。祖国に戻ったことのない1世を日本に里帰りさせてあげて、古里を見てほしい」――。
今年4月、久しぶりに東京で会食した竹内社長が切り出した。
「ジャンボ機で移住者のお里帰りができないかなあ」と突拍子のないことを言う。大学を卒業直後の1977年から80年まで約3年間、サンパウロ新聞の社会部記者として働いた経験を持つ。記者時代、ブラジルと日本をJALのチャーター便が飛んでいた。里帰りツアーの移住者たちのうれしそうな笑顔を取材を通して見ていたのだ。だが、ジャンボ機をチャーターし、ブラジルと日本を往復するのに1億円近い費用がかかる。「それは無理。1000万円程度なら」と20人の団員募集が決まった。
「1世の里帰りより、次世代を担う若者たちの交流にしたらどうか」と水を向けたが、頑として首を縦に振らない。「僕がお世話になったのは1世。新聞社もそうでしょう。やりましょうよ」。この熱意には頭が下がった。
竹内社長が記者時代の日系コロニアは1世が中心で活気があり、聖市内だけでなく地方に行っても圧倒されるような人たちと出会い、薫陶を受けた。
「あの時、教えてもらったことが、今の自分の役に立っている」と当時を振り返る。78年6月、「1世最後の式典」と当時の文協会長の中沢源一郎氏が言ったブラジル日本移民70年祭。その会場となった聖市パカエンブー競技場に立ち、埋め尽くした日本人、日系人に鳥肌が立った。裸一貫でブラジルに渡った日本人移民の集大成を目の当たりにしたからだ。今もその光景がまぶたに焼き付いている。
帰国後、祖父が興した運送会社の3代目社長に就任して数年目、窮地に立たされた。だが、迷わず本社ビルを売却。新事業を構築し、数年後には新たに本社ビルを建設するほどの手腕を発揮した。
「移民の皆さんが歩んだ七転び八起きの不撓不屈(ふとうふくつ)の人生を教えてもらったことが役立ったんですよ」。
立て直した会社が今年60周年を迎えた。
「記念パーティーをやるより、もっと有効にお金を使いたい」と社員の理解も得て、帰国以来考え続けていたブラジル移住者の里帰り訪日団の実現にこぎつけた。
社業60周年と戦後60周年が奇妙に一致した。「団員の人たちと東京で会えるのを楽しみにしている。歓迎会で一人一人の歩んだ人生を聞いてみたい」と心待 ちにしている。そして、「これが呼び水になって、日系コロニアや企業がこの事業を継続してくれるきっかけになればいいなあ」。
竹内社長が20年間思い続けた恩返しが始まる。
2012年9月13日付
