ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)の創立99周年記念式典及び敬老慰安会が14日午前中、聖市パカエンブー区にある同県人会館で行われた。 同式典は来年100周年を迎える同県人会の前年祭とも言える催しで、会場には75歳以上の高齢会員約20人を含む会員約80人が出席した。 敬老会では、同県人会最高齢でイビウーナ在住の寺前スミさん(101)をはじめとする75歳以上の81人の名前が読み上げられた。また、出席した高齢者らは花と紅白まんじゅうを記念品として受け取り、満足そうな様子だった。 園田会長は先人の偉業をたたえ、出席した高齢者に「これからも楽しんで長生きして下さい」と言葉を掛けた。また小森広相談役は「鹿児島精神を持って『チェスト(気合を入れる時に使う鹿児島の方言)行け』で頑張ってもらいたい」と激励していた。 杉尾コトさん(93、姶良市)は「来年の100周年記念式典が楽しみなので頑張って生きたい」と意気込み、貞純吉さん(82、鹿児島)も「100周年も元気で来ます」とはつらつと話した。 その後、祝賀会が開かれ、同県人会元会長の岡元要一さんの音頭で乾杯し、食後には99周年のケーキ入刀も行われた。 なお、同県人会の100周年記念式典は来年10月に開催される予定。 2012年10月30日付
Mês: outubro 2012
マラニョン州サンルイス市から約4時間、一行はバスに揺られバレリーニャス(レンソイス・マラニェンセス)に到着した。ふるさと巡りも4日目。これまで晴天に恵まれている。しかし、今年は同地は晴天に恵まれすぎて、大砂丘に神秘的な湖ができていないという。 残念で仕方ないが、なかなか個人では行くことができない大自然のツアーに、参加者のテンションは高まる。平均年齢70歳を超える一団が、四輪駆動 のTOYOTAの荷台に乗り込み、悪路にお尻を上下左右に揺らし、頭を天井に打ちつけながら13キロの砂漠を走り抜けた。今までのふるさと巡りにはない活 動的な体験だ。参加者は「今回の旅で一番の思い出は間違いなくこの凸凹だね」と笑いあっていた。 約1時間後、たどり着いた先には巨大な砂漠が広がり、参加者らはその美しさに息をのんだ。 水がないとはいえ、一面砂だらけという異様な環境に興奮したのか、走り回ったり、転げ落ちたりと皆一様にはしゃいでいる。砂漠という苛酷な環境な がら、シーツのように滑らかで美しい。水があったであろうと思われる谷の窪みには、うっすらと湿気を感じることができた。また、よく見ると小さな草が生え ている。砂漠の下には水が流れており、4日間雨が降り続くと、地下から水が現れるという。さらに、どこからか魚まで一緒に現れるというからなんとも不思議 な砂漠だ。 ただし、地球温暖化でジャングルが砂漠になっており、それが観光名所になっているのは何とも言いようがない。また、ブラジルで最も貧しい州がここ 20年で、バレリーニャスが世界的に有名な新たな観光地となり人々の生活を豊かにしているが、まだまだサンパウロと比べると極めて質素な生活をしている人 も見受けられた。 さて、ほとんどの参加者は水を見ないまでも、転げ回ったり、記念写真を撮影したりして満足していたが、はるか先に湖があるといううわさを耳にした 一部の参加者は極秘に湖まで向かったようで、後から、こっぴどく添乗員から説教されていたようだ。しかし、説教されてでも幻想的な湖を見られたことはうら やましい限り。この日は、耳や口の中まで砂だらけ。全員が疲れ果ててぐっすりと眠れたことだろう。 ところが、どんな砂漠の行軍だろうと、コロニアの高齢者の朝は早い。翌10月3日はレンソイス・マラニェンセスに続いて川下りだ。午前6時半に集 合と聞かされると、同6時にはほとんどの人が集まる。プレギッサの川下りを控えた朝、ホテルのロビーに集まった人たちからは「昨日は陸軍。今日は海軍」と...
昨年のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)にブースを出した「大創産業」が、ついにサンパウロに店舗を構える。日本祭りに出店して以降、「いつどこ に1号店が開店するのか」「こんな商品を取り扱ってほしい」などといったうわさ話を各所で耳にしてきた。同社のウェブサイトによると29日現在、南米には 出店していないようだ。安さと豊富な品ぞろえが受けて日本で人気の「100円ショップ」だが、現地の貨幣価値で考えると決して安価ではない国もある。それ でも諸外国で受け入れられているのには、何かしら理由があるのだろう。さて、ブラジルではどんな反応が見られるのだろうか。 2012年10月30日付
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け 渦中のロードレース、あえなく中止に――。25日にあったブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)の定例代表者会議で、今年7月に初開催され、 17万レ以上の赤字を計上していた『日伯ロードレース』の第2回以降の継続実施が、反対多数で否決された。およそ1時間の議論のほとんどが反対の声で占め られ、肯定的な意見は執行部役員側からの1件のみに留まった。これを受けて園田会長は、「県人会の役割とは何か、という原点に立ち返って考え、今後も一生 懸命頑張りたい」と締めくくった。 ロードレース開催の是非に関する議論は前回、うやむやのまま先送りにされていた。注目された今会議では、日本祭りの一環事業として開催し、経費 を25万レ、収益を30万レと見積もった予算案が提示された。執行部のあやふやな説明と肯定意見の弱さに、諸会長からは否定的な声が続出した。 口火を切ったのは押切フラビオ氏(山形)。「先月あった『日本祭の関連とするのにふさわしいだけの意義を持ったイベントなのか』という議論はどうなったのか」と疑問の声を上げた。 執行部の市川利雄氏(富山)は「日本移民の原点であり、多くの日系商店や施設が立地するリベルダーデをコースの中心とすることで、日系社会の歴史を訪ねる意義が出来る。それだけでも関連イベントとするだけの根拠となる」と反論したが、むしろ反対意見の呼び水となった。 大西博巳氏(広島)は「文化の紹介をするわけでもなく、大きなお金が入るわけでもない。県人会の役に立つことをするのが県連の役割。市川さん 言っていることは、はっきり言って何の関係もない」とばっさり。大幅な損失を出したにも関わらず、具体的な補填案や役員の入れ替えなどの対策を講じない執 行部に対しても、「普通の企業であれば裁判沙汰になってもおかしくない。現実的に考えてスポンサーが集まるとも思えない」と苦言を呈した。 谷広海氏(宮崎)も「身の程を弁えた事業規模とは思えない」、矢野敬崇氏(大分)は組織のあり方を衣類の繊維に喩え、「縦の糸(母県、日本との つながり)と横の糸(県人会同士のつながり)を強めるイベントこそ価値がある。どちらにも該当しないことをやる必要はない」と難色を示した。 挙手により取られた決では、賛成票0の圧倒的反対多数で否決された。園田会長は「原点に立ち返って考え、役員一同頑張っていく」と話すととも に、「事業の失敗の責任は私にあると感じているが、辞めるつもりは全くない。しっかりと責任を果たす」と続投の意思を明確に示し、議論の幕を閉じた。
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け 県連会議後の懇親会で聞いたある役員の話によると、フェスティバルの入場者数や出展規模は毎年大きくなっているが、2010年度が約40万レ、 11年度が30万レと収益は反比例して少なくなっているのだとか。追加してかかる経費が、入場料収入や出展料の増加分を大きく上回ってしまうという。ちな みに今会議で発表された12年度の黒字額は何と4万レ強。「想定外の」ロードレース赤字分がなかったとしても約20万。毎年10万レ単位で目減りしている ことになるが、来年は果たして…。
マラニョン日伯文化連盟の山田清顧問は日本大学農学部を卒業後、1974年に全国拓植農業協同組合連合会によってブラジルへ移住し、ゴイアスにあった全寮制の農業高校に入学。語学と農業について学んだ。その後、フランス系の鉱山会社に就職。野菜を生産するための潅水設備の計画を依頼され、50町歩の潅水設備を4年かけて完成させた。 山田氏が日本を飛び出し、ブラジルに抱いた夢は「トランスアマゾン計画」に携わりたいというものだった。世界の食糧危機を救うであろう、アマゾンを開拓していく仕事にあこがれていた。結局、同計画に携わることはできなかったが、「このまま帰るわけにはいかない」と思いサンルイスで日系社会の手伝いを始めた。 山田氏は早速、文協設立の発起人となり、同地の日系社会をまとめていった。日本人が少ない分、「日本人だということを強く意識させられる」という。また、サンパウロで日本人だらけの町には住みたくないという気持ちも少なからずある。同地で日本語と少林寺拳法を教え続け、日本の精神をブラジル人にも伝えているそうだ。 夕食後、山田氏は一行を歓迎し、マラニョンの伝統芸能「ブンバ・メウ・ボイ」を行う地元のメンバーを呼び寄せ、ホテルの中庭で踊らせた。団員は色とりどりの衣装やカーニバルとはまた違うリズムに魅了され、露出の高い女性のダンスをカメラに収めていた。 「ブンバ・メウ・ボイ」は北部及び北東部ブラジルで行われる祭りで、大がかりな音楽パントマイムの形で行われている。 大きな音が鳴り響いている中でインタビューに答えてくれたのは、山田氏と一緒に日本語を日本語会館で教えている川岡ミリアさん(56)。川岡さんは聖州ツッパン市生まれの2世。85年の結婚をきっかけにサンルイスにやってきた。 昔は北部を日本人が歩くと珍しがられたという。10年ほど前からビルが増え、車も人も増えた。「だんだんとサンパウロと同じになってきている。私は昔の自転車だらけの町が好き」。そういうと川岡さんは少し寂しそうに笑った。管楽器と海からの風の音が強く鳴っていた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月27日付
本日付社会面に報じたようにブラジル日本都道府県人会連合会の10月度代表者会議で来年行われる第16回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の関連事業として企画されたロードレースが否決された。審議の過程を聞き、大多数の県人会が良識を持っていることに安堵(あんど)した。だが、席上で今年行われたロードレースの収支が明らかにされなかった。これは、次回必ず開示し、今後の反省材料とすべきだ。役員会が責任を持ってほしい▼ ロードレースが否決された直後、園田昭憲会長は、県連会長就任時に述べた自らが会長の任期中は拡張路線を採らないことを改めて強調した。これは何を意味するのか。県連が日本祭りの規模拡大を続けてきたことに対する警鐘だ。年々費用がかさむ中で利益を追求するあまり、県連本来の目的を見失っていることに対する反省でもある。規模を拡大すれば出費が多くなるが、それに見合った収入が確保されるとは限らない。谷広海宮崎県人会会長が「身の丈にあった活動をすべきだ」と席上で述べたが、園田会長も同じ考えだろう▼ 県連は利益を追求するための営利団体ではない。公益法人としては他にやることはいくらでもある。県連は、150万レアルあまりの手持ち金がある。これは、日本祭りで蓄えたものだが、そのほとんどは基金として留保している。日系主要団体の歴史を振り返ると、基金を取り崩したケースが多い。これを繰り返してはならない。県連はこの基金を有効に使うよう執行部だけではなく委員会の強化を図る必要に迫られている。アリが砂糖に群がるように金のあるところにはおかしな人たちが集まってくる。会員である県人会はその監視も強めなければならないだろう▼ 日本祭りのマンネリ化を打破するには規模を拡大するのではなく、内容の見直しをするべきだ。来年は戦後移住60周年なのだが、記念行事の話は聞かない。ぜひ、県連が中心となり、日本祭りで記念式典を実施してほしい。来年は周年事業を計画している県人会が多いが、戦後移住50周年の時のように日本祭りに併せて来伯してもらうことは、県連しかできないことだ。日本とのパイプが最も強い県連ならではの企画を立案することを期待する。(鈴) 2012年10月27日
日本祭りは約4万レアルの黒字か 県連(園田昭憲会長)は25日、懸案となっていたロードレース赤字問題について10月度代表者会議で話し合い、多数決の末、圧倒的多数で来年度の開催を中止した。なお、今年のロードレースの事業会計報告書の開示はなかった。また、併せて今年7月に開催された第15回日本祭りの収支報告書(仮)が明かされ、2012年度の同祭は4万1202レアルの黒字になるという。今後、若干の収支が見込まれており、山田康夫第2会計は「誤差はプラスマイナス5%未満。11月には正式発表ができる」と明かした。 ロードレース赤字問題については8月度代表者会議から継続して話し合いが持たれてきたが、来年度の開催については意見がまとまらず、もし来年度も開催するのであればスポンサー確保の問題もあるため、今月度の会議で決議することが迫られていた。 会議では、先月までの会議と同様に「開催意義を感じない」「日本祭りとは別に単独会計で行うべきだ」「県連は県人会のための行事を行うべきだ」などといった反対意見が多くを占め、多数決の結果でもほとんどの県人会長らが反対に挙手した。これによって来年度の開催中止が決定された。 中止の決定を受けて園田会長は「失敗の原因はすべて私にある。執行部はよくやってくれた。県連は拡張主義ではいけないと思う」との考えを述べた。 また、同会議では第15回日本祭りの会計報告書(仮)の発表も行われ、収入は228万8332レアル、支出は224万7130レアル。現在の段階で、収益は4万1202レアルが発表された。今後は若干の収支が見込まれ、最終報告金額との誤差は5%以内を見込んでいる。 加えて、2013年度の同祭は273万2800レアルの予算を計上する予定。支出は258万5000レアルで、予想収益は14万7800レアルを見込んでいる。 来年度は会場費の値上がりが予想されるため、県連では各県が負担する郷土食のスタンド代を2500レアルにし、ガス代の値上げも行う計画だ。 なお、ロードレース赤字問題についての事業会計報告書の開示はこの日の会議では行われず、第15回日本祭りの会計報告書の中で収入が7万4723レアル、支出25万レアル(差し引き17万5277レアルの赤字)であることがわずかに触れられただけだった。 2012年10月27日付
27日(土曜日)◎「日本文化月間行事」文化展示会は、午前9時からクリチバ市セントロ区ビスコンデ・デ・ナカール大通りとビスコンデ・デ・リオブランコ大通りの間(Rua 24 horas)で。28日も。◎名画友の会は、午後0時15分から聖市リベルダーデ区の老ク連会館(Rua Dr. Siqueira Campos, 134)で。◎シャドウ・ボックス展覧会は、午後1時から聖市パライゾ区の三和学院サンパウロ校(Rua Teixeira da Silva, 539)で。◎筑波大学日本語・日本文化学類の砂川有里子学類長のセミナー「日本語の学習や教育に役に立つインターネット情報」は、午後2時から聖市ベラ・ビスタ区の国際交流基金サンパウロ日本文化センター(Av. Paulista, 37)で。◎ブラジル龍馬会の10月度例会は、午後2時から聖市リベルダーデ区の同事務所(Largo da Pólvora, 96 Quarto...
サンルイスの市内観光では、サンパウロでは珍しい北伯料理を食べることができた。その一つがアフリカに起源を持つ「アロース・デ・クシャー」だ。乾燥した小エビ、キャッサバ(マンジョカ)の粉、ほうれん草、タマネギ、ニンニクを使ったリゾットのような米料理で、予想したほど癖はない。昼食を取った市内のレストランで出された際、団員は怖々ながらも勇気を出して皿に盛っていたが、人気が出てしまい、「あっ」という間になくなっていた。日本人の魚好きは、案外ノルデステ(東北伯)の料理と合うのかもしれない。 観光後、一行がチェックインした海岸沿いのホテル「HOTEL BRISMAR」では午後8時から、グローバル旅行社の粋な計らいによって同地の日系団体であるマラニョン日伯文化協会との夕食会が行われた。マラニョン州には日本人や日系人が少ないため、同地の日系社会や生活について聞ける貴重な機会となった。 会の冒頭、山田清顧問(61、大阪)があいさつするも、団員たちは長旅で疲れているのか隣同士での私語が多く、その声が大きくなる度に周囲から「静かに」「シーッ」と注意する声が聞こえた。 山田顧問によると、マラニョン州に直接移住した日本人は1960年に45家族いたという。彼らが入ったのがホザリオ移住地などだが、土地に水が出ないという理由で失敗し、わずか2年で入植した日本人は離散したそうだ。 また、61年に養鶏移民で入った約25家族の日本人は最初の1年は州政府の補助を受けてうまくいったが、アルミの精錬工場の敷地となってしまい、立ち退きに関して賛成か反対かの決を採ったところ、賛成が上回ったため工場に土地を売り、パラー州やブラジリア、サンパウロなどに別れていったという。 それ以降、マラニョン州には北伯トメアスーなどから6家族ほどが流れてきたが、現在、同地で農業を営んでいる日本人は5家族ほどだという。2010年には移民50周年を記念する式典が行われたそうだ。 マラニョン日伯文化協会が設立されたのは86年で、会員は65家族150人。それまでは日系自治会という団体で、公的な団体ではなかった。 サンパウロで生活していると、同じ日本移民とはいえ東北部移住者の情報は少なく、全く別の道を歩んできたことを痛感させられる。しかし近年、県連のふるさと巡りなどを通じて北伯との交流も増えており、北伯県人会協会(山本陽三会長)も今年誕生している。 話は少しずれるが、今月11日には山本会長が香川県庁に浜田恵造香川県知事を表敬訪問し、一層の交流促進に協力を求めている。ふるさと巡りのような交流こそがブラジルに移住した日本移民を一つにする行事だと実感できた瞬間だった。(つづく、植木修平記者) 2012年10月26日付
1959年9月28日サントス港着「あめりか丸」の同船者会が9月22日、サントス市で行われた。同日午前7時30分に聖市リベルダーデ広場に同船者と家族を合わせた13人が集合し、新潟県人会(南雲良治会長)会員を中心とした旅行好きの人たちと共に総勢28人で観光バスに乗り、サントス市に向けて出発した。 同船者会には、遠くレシフェから参加した久保洋深さん、クリチバから来た山内啓三さん夫妻の姿もあった。 サントス市ではモンテ・セーラをケーブルカーで上り、27年に建設された展望台からサントス市街を360度見渡した。その後、コーヒー博物館を見学、昼食をしながら和やかに歓談した。 午後は、世界一といわれる浜辺に建てられた「移民上陸記念碑」や大竹富江さん制作のブラジル日本移民100周年モニュメントを訪問。一行は遊覧船に乗り、サントス港を一周した。 サンパウロ在住の細樅良盛さん(91)は今回の旅で、53年前に下船した埠頭を見た時、「ああ感無量だ。ここが私たちのブラジルでの人生の出発点となったのだ」と、つぶやいていた。 午後6時、サンパウロに向け出発。一行はリベルダーデ広場で来年の再開を約束して別れた。(金子国栄) 2012年10月25日付
本日付社会面で報じているようにブラジル日本都道府県人会連合会は、来年のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)関連事業としてロードレースを開催するかどうかで揺れている。はっきり言えば、実施する必要はなく、議論する時間が無駄なだけだ。理由は、今回のロードレースを検証してみれば一目瞭然だ。県連執行部は同祭のサブテーマになった「健康」がロードレースと合致するとして開催することを決定した。目的は同祭の知名度アップ、広報宣伝だったと見るべきだろう▼ ところが、大会名にも出場者に配られたTシャツにも同祭の文字はなく、関連性がみじんも感じられない。Tシャツには同祭のキャラクターが印刷されているが、これが同祭のマスコットだとは誰も気付かないだろう。これで、広報宣伝になるのだろうか。「大会名もTシャツも最初は違うものだったのだが、いつの間にか変更になっていた」と県連執行部ですら首を傾げる。この一言をとっても県連主導ではなく、業者が独断で取り仕切っていたことが明らかだ▼ イベントの企画段階で重要視されるのは、費用対効果だ。イベントに必要とされる資金を費やしても宣伝効果が見込めるというのであれば、主催者は実施に踏み切るのだが、前述のように何ら効果はない。百歩譲って、どれだけ、新聞やテレビなどマスコミにロードレース関連のニュースが露出したのかの資料を県連で把握しているのか。通常、企画会社はこれらの資料をそろえて主催者やスポンサーに提示するのだが、県連の手元にこれらの資料は届いているのか。イベントを行う人間は、少なくともこうした費用対効果を念頭に置くのが常識だ。17万レアル以上の赤字を出したとしても、こうした資料を会員やスポンサーに提示し、「これだけの効果があったので、事業は成功した」と説明できる▼ 8月、9月の代表者会議で資料や企画会社とのやり取りの説明がないということは、同事業を推進した県連関係者はイベントに関して無知で、すべて企画会社に丸投げしたといわれても仕方がないだろう。にもかかわらず、来年も実施したいというなら、その根拠を明白にするべきだ。それができないのなら、撤退すべきだ。(鈴) 2012年10月24日付
ニッケイ新聞 2012年10月23日付け 21日に行われた大分県人会創立60周年記念式典にあわせ、元参議院議員で、NPO法人「大分日伯国際交流協会」理事長の後藤博子さん(64、大分市出身)が9年ぶりにブラジルを訪れた。同協会関係者やブラジルに移住経験のある人など、10人からなる一般訪問団を引き連れての来伯。式典では会場のあちこちで多くの参加者と笑顔で言葉を交わし、旧交を温めていた。「おかえり!と言ってもらったり、知っていてくださっている人もいて。とても懐かしかった」後藤さんは1981年から5年近く、マナウスに夫とともに工業移住した経験がある。帰国後は参議院議員に大分県選出で当選し、ブラジル移住経験のある唯一の議員として日伯間の問題解決に力を注いだ。2009年に設立された同協会はメンバーが40数人。ブラジルにとどまらない各国との国際交流や子供の教育などを活動主旨に、英会話塾や各種交流会を行う。「議員時代に引き続き、ブラジルとの友好を続けていきたいと思った」。日本語センターが主催する「ふれあい日本の旅」では、40人の日本語を学習する子供達が3日間、大分県を訪れたさい、受け入れのコーディネートを行った。「ようやく協会らしくなってきた」と語る後藤さんは、「60周年を機に交流をどう深め、ブラジルと大分の人をどうつなげるか。交流を深めながら人材の育成をしたい」と意欲を見せた。
ニッケイ新聞 2012年10月23日付け ブラジル大分県人会(矢野敬崇会長)創立60周年記念式典が21日、聖市の宮城県人会会館で盛大に行われた。母県からは二日市具正副知事、志村学県議会議長など県関係者7人、ブラジルに移住経験のある後藤博子元参議率いる10人の慶祝団が来伯。福蔦教輝在サンパウロ総領事、安部順二下議、羽藤ジョージ州議らも来賓として訪れ、会員ら約300人が集まり60年の節目の年を祝った。 式典に先立ち午前9時から、県人会顧問の浄念信行さんによる県人先亡者追悼供養が行われた後、福本真澄副会長の開会挨拶で記念式典が始まった。日伯両国歌斉唱、先没者に対する黙祷の後、矢野会長は日本からの慶祝団来伯に感謝を表し、「一言で60周年というが、それだけの年月を団体として継続させるのは大変なことで、県人諸先輩の努力で日本との絆が守られてきた成果。その絆をさらに太くしていくのが若い世代の務め」とのべ、次世代の活躍へ期待を込めた。「ボンジーア!」と元気に挨拶した二日市副知事は、広瀬勝貞知事の挨拶を代読。100年前の明治45(1912)年に初めて大分県人が移住したことに触れ、「今後とも県との交流を重ねていただき、県を勇気づけてもらいたい」と締めくくった。続いて志村議長、福蔦総領事、園田昭憲県連会長、羽藤州議、祖父が戦前に大分から移住したという阿部下議が祝辞をのべ、在京大分県人会の前田晃伸会長からの祝電が読み上げられた。その後知事からの県連、文協、援協、日本語センターへ記念奨励金、連邦議会から知事、県議会、県人会へ顕彰が贈られ、知事からの永松通一、柿坂公正両元県人会会長に功労者表彰、10人に感謝状と記念品が贈られた。その他、米寿の二宮マキコさん、赤峰保憲さんの二人へ敬老顕彰が行われ、県知事から記念品として大分在住の屋根の木版画家、寺司勝次郎さん(85)の作品、議長からは県産の椎茸が贈られた。玉田イウダ同県人会副会長の閉会の辞で終了した後は、二日市副知事による「県政の概要」と題した講演が行われた。三期目の広瀬知事の政策を中心に母県大分の観光、食、水産物、林産物、文化・スポーツなどの話題に触れながら現在の状況が説明された。その後祝賀パーティーへと移り、鏡割り、乾杯を行い和やかに食事が進んだ。記念アトラクションとしてサンバショーが行われ、最後は参加者全員が入り乱れて楽しんだ。約35年間、理事として県人会運営に関わった岐部悦治さん(国東市出身)は、来賓や出席者に積極的に話しかけ、「賑やかにやってくれたので良かったですよ」と嬉しそうに話していた。初来伯した二日市副知事は本紙の取材に対し、「県人会の皆さんは誇り。県は皆さんに支えられている。遠い地で頑張っている姿を目の当たりにすると元気が出ました」と満足げに語った。
ふるさと巡り3日目。一向はブラジリアからマラニョン州サンルイスへと移動する。 ブラジリアの空港を午前10時37分に発つ予定のTAM3182便は予定時刻を過ぎてもなかなか離陸しない。分刻みで離陸と着陸が行われており滑 走路が渋滞していることもあるが、グローバル旅行社の添乗員の説明によると、車椅子用の搭乗タラップをTAMが空港に1台しか所有していないために、車椅 子の搭乗者を乗せるのが遅れているという。 それにしても、いくら高価な機械とはいえ、ワールドカップを控えた国の首都にナショナルキャリアが1台しか車椅子用の搭乗タラップを持っていないとは、何とも思いやられる。一行は結局、予定より1時間遅れてサンルイスの空港に到着した。 同地に降りた瞬間から、まとわりつくような熱気が体を包む。ブラジリアの乾燥した空気とは全く異質だ。早速、ソルベッテ(アイスクリーム)を買って暑さをまぎらわそうとするも、サンパウロと比べて溶けるスピードが倍以上。急いで食べたものだから、頭が痛くなってしまった。 サンルイスはマラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川に囲まれた三角州で、サンマルコス湾内の島だ。市の人口は約100万 人。ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都で、後にポルトガル人やオランダ人が入った。ブラジルにはこのほか、島にある州都が三つある。ビトリ アとフロリアノーポリスだ。3台の観光バスに分かれて乗り込んだ団員は添乗員からの説明を聞きながら、車窓から市街地を眺める。 ガイドによると同地は、「多くの作家・詩人を輩出したことから、『愛の島』や『ブラジルのアテネ』と言われる」という。しかし、同州は伯国で最も 貧しい州の一つでもある。街ができたのは約400年前で、街中に「400」という数字が並んでいる。この街はフランス人が作ったが、実際にはその後に入っ たポルトガル人が砂糖や綿花を輸出する港町として発展させた。その街並みは、植民地時代のポルトガル風建築がとても良い状態で保存されていることから、 1997年にユネスコの世界遺産に登録されている。 縦に細長く丸みのある入り口や、飾りの付いた出窓などがポルトガル様式の特徴で、中でも街のシンボルとなっているのが、建物の壁を美しく彩る装飾 タイル。ポルトガル人が本国から船で運んできたもので、街のあちらこちらに当時のままのタイルが残っている。一行は、旧市街地をそぞろ歩きし、残されてい るコロニアル風建築群を楽しんでいた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月25日付
高知県人会(片山アルナルド会長)は、28日午前10時から午後5時まで聖市ピニェイロス区の同県人会館(Rua dos Miranhas, 196)で第3回焼きそば祭りを開催する。 今回は焼きそばに加え餅つきも開催。石臼と杵も用意して、白餅、あんこ餅、きなこ餅、よもぎ餅などさまざまな種類の餅を作る。砂糖じょうゆやキムチなど各種トッピングもある。その他、高知名物の鰹(かつお)のタタキやうどんが販売され、ビンゴ大会も企画されている。 値段は、焼きそば・うどん・鰹のタタキが15レアル、白餅(8個入り)が8レアル、あんこ餅とよもぎ餅(各4個ずつ入り)が10レアルなど。入場無料。 問い合わせは、同県人会(電話11・3031・6799)まで。 2012年10月25日付
24/10/12 (14:15) O Parque Estadual Alberto Löfgren (Horto Florestal), que ocupa uma área de 174 hectares na...
各県人会代表に賛否意見聞く 【既報関連】県連(園田昭憲会長)主催第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の一環として今年初めて開催されたロードレースで、約 17万5000レアルに上る赤字問題が発生したことは既報の通り。9月代表者会議では、執行部による役員会で「10対4」と来年も開催する意見が多数を占 めたとしているが、同会議に出席した各代表からはロードレース独自の事業会計報告書の開示を求める意見が相次いだ。あす25日に行われる10月度会議が注 目されており、同イベント推進派からは詳細内容を発表しなくてよいとする意見もある。そうした中、本紙では改めてロードレース開催の経緯を振り返り、取材 で判明した新たな事柄とともに各県人会関係者の意見を紹介する。(編集部) ◆ロードレース開催経緯と現状 県連は今年3月29日、代表者会議の席で山田康夫会計(滋賀)が7月に開催するフェスティバル・ド・ジャポンの関連事業として、6月24日(後に7月29日に開催日変更)に「第1回日伯ロードレース&ジョギング大会」を開催すると発表した。 これは、今年の同祭のテーマ「共存する進歩と環境」に沿ったものをと、「MACPlan」社が県連に企画を持ち込んだもの。「日本祭りは代わり映 えがしない」と言われ続けた県連が打ち出した「苦肉の策」の一つだった。県連によると同企画は、移民100周年の際に同社から文協に持ち込まれたが、実現 には至ることはなかったという。しかし、本紙が文協及び移民100周年協会執行委員会に確認したところ、「(同企画が)持ち込まれたような話は無かった」 と説明している。 同企画は、日系コロニア団体が主催する初めての大規模ジョギング大会。県連はロードレースに期待を込め、当初は約3000人のランナーの参加を見 込んでいた。ところが、運営は「MACPlan」社に一任し、県連独自の告知や宣伝が不足していたため、申し込み数が当初から伸び悩んだ。また、申し込み はインターネットに限られていたため、パソコンをあまり利用しないコロニアの高齢者にとっては申し込みにくいイベントだったことも確かだ。本紙にも申し込 み方法について多数の問い合わせが相次ぎ、開催が1カ月後に迫った6月28日でも申し込み数は600人程度だった。 その後、大会は中止されることなく、延期された7月29日に行われた。大会は非日系の参加者も多く、日の丸の鉢巻きを締めて走るなど聖市民らはロードレースを楽しんでいたが、本紙記者が取材した際に主催者発表の1500人よりは「少ない」と感じていた。...
アナポリス日伯文化協会での食事はサンパウロとは少し違う。ベーコン入りのフェジョンや、実の中に棘(とげ)のある珍しい果物「ペキ」がテーブルに並ん だ。今回のふるさと巡りではサンパウロに無い食べ物にも驚かされることが多く、一行はブラジルの広さを改めて感じさせられた。 この後、ブラジリアの市内観光では三権広場や国会議事堂、大統領官邸、カテドラル・メトロポリターナなど代表的な観光名所を駆け足で見て回った。 カテドラル・メトロポリターナではカメラを手に参加者たちは「教会らしくないねえ」「無神論者(オスカー・ニーマイヤー氏)が建てた教会はへんてこりん だ」などと言いながら記念写真を撮影していた。 ブラジリアのシンボルで、天才建設家と言われたオスカー・ニーマイヤー氏が設計した大聖堂。16の支柱をぐるりと壁面に巡らせた王冠のような斬新 なフォルムで、支柱間にはステンド・グラスがはめられている。16本の支柱は「空に向かって祈る手」を象徴しており、高さ36メートルの天井から3体の天 使像がつり下げられている。毎週末には青空市場が立ち、にぎやかである。手工業品、金属細工、衣類、サンダル、記念品や食べ物が売られている。 また、三権広場は飛行機型をしたブラジリアの機首に当たる部分にある広場で、三方を国会議事堂、裁判所、大統領府などに囲まれている。広場には幾 つかのモニュメントがあり、歴史博物館前にはクビチェック元大統領の顔の石像が立ち、行政を監視するように大統領府を向いて目を見開いている。大統領府の 前にはブラジリア建設に尽くした労働者たちを記念して、労働戦士の像が建っていた。一行は計画都市の美しさに魅了されていた。 首都ブラジリア最後の夜は、中華料理。いよいよ明日はノルデステ(東北部)。予想気温は35度だ。(つづく、植木修平記者) 2012年10月24日付
県連役員会で来年もロードレースを行う意見が多数を占めていることについて、同役員で2世会長の一人は、「(ロードレースを行うという)最初の話では、 県連はもうかることも損することもないということで話が進められたが、エンプレーザ(業者=MACPlan社)がどういう会社なのかは一部の人しか知ら ず、我々には知らされていなかった。どういう会社か分からないなら、来年はやらないほうがいい」と話す。 ある県人会の会長を経験したことのある1世は「日系社会の代表だった文協(木多喜八郎会長)が何もしてこなかったことでコロニアは停滞している が、県連は前に進んでいく若い世代の新しい人たちが引っ張ってきたからこそ、今の地位を築いてきた。これからの日系社会には危険を恐れずにブラジル社会で 進んでいく人材も必要。ただ、野放図なやり方を認めてはいけないとは思うが」と現在の執行部の動きを褒めながらも、役員会からのロードレースに関する詳細 報告の必要性を求めた。 ある県人会の婦人部長は「実行委員長たちは、赤字分を誰の金だと思っているのか。赤字を出してまでロードレースを開催する意味がない」と怒りを表 しており、同県人会長も「マラソンは日本文化とは関係が無い。マラソン発祥の国であるギリシャの団体に任せればよい」と来年の継続を反対している。 また、月例の県連代表者会議などでこれまで度々異論を唱えてきたある県人会会長は「来年の開催の賛否については考えていない」と明言を避けながら も、「県連は日本文化に関する活動を行う団体。ロードレースは運動には良いが、日本文化ではない」と催しの在り方に疑問を呈した。さらに、現時点で同催し の収支が報告されていないことに関しては「(日本祭りの収支と)一緒にしてはいけない」と話し、「ロードレースの赤字を日本祭りの売り上げで補う」と説明 した前田氏の意見に反対する姿勢を強調した。 その一方で2世役員からは「ロードレースが日本文化と関係無いというが、当初は日本移民に関係の深いリベルダーデを出発地点にして行う予定だっ た。将来のことを考えると、新しいイベントをやっていく必要があり、結果だけを見て無責任に反対意見を出してほしくない」と反論する。さらに、「日本祭り の一環のイベントであるため、ロードレースが赤字でも全体の日本祭りが黒字になれば、問題無いのでは」との見解を示した。 「執行部は皆、本当はロードレースに反対。赤字になるし、意義があまりない。だけど賛成しかできない。もし反対すれば(前田氏が)『じゃあ、辞め...
