ふるさと巡りでは、どこに行っても会うのがコチア青年だが、ブラジリア文協でも55年に渡伯し、60年に同地へ入ったというコチア青年1期生の高柳治郎 さん(82)と会うことができた。高柳さんは埼玉県出身。聖州アルバレス・マッシャード、ピラール・ド・スールを経て、この地に入った。「いつの間にかブ ラジリアも大きくなった。人口は300万人だよ。衛星都市の中ではタグアチンガが一番大きいねえ」と街と一緒に歩んできた日々を振り返った。
隣に座っていた9期生の平沢淳さんも「ブラジリアに入って良かった。満足しているし、感謝している」としみじみ。コチア青年はいつまでも「青年」のままだ。
「ここは、ブラジル中を転々としていた輩が集っただけよ。みんな百姓だったから、たまたま首都建設に立ち会い、国の役にも立った」と笑い飛ばすの は、長崎県出身で元文協会長の吉田繁治さん(72)だ。20歳の時、地元の島原市を開発青年隊として飛び出し、最初はイビウーナの養鶏所に入った。独身時 代はカミヨン(トラック)でベレンまで行ったりと、随分武勇伝をつくってきた。
「ブラジリアに入って50年だが、その前はガリンペイロ(採金夫)としてセーラ・ペラーダにも行ったよ。あそこでは泥棒を働くような悪いやつはみ んなから銃で殺された」と壮絶な環境を語ってくれた。ブラジリア入植後は、「掘っ立て小屋にみんな住んでいた。だけど、農家のために政府は鶏糞や石灰を軍 用機で運んでくれた」と話し、ガリンペイロらしく「ブラジリアに来た人はソルチ(幸運)さ」と付け加えた。
多くの人と話し込んでいたが、ステージに目を向けると老人会婦人部が本格的な日本舞踊を披露している。婦人部長の高橋房子さんは「同婦人部で踊りを踊るのは15人。毎週1回の練習は今も欠かさず行っている」という。
一体となっている同地の日系団体。DF日系協会の梅田寛ワルデマル会長は「今回サンパウロの団体と交流が持てて本当に良かった。我々は非常にまと まっているが、世代の変わり目には問題が起きやすい。これからはサンパウロともっとコンタクトを取っていき、勉強させてもらえれば」と力を込めて話した。 (つづく、植木修平記者)
2012年10月20日付
