ふるさと巡り2日目も、初日に続いて晴天に恵まれた。一行は午前8時にブラジリアを出発。約155キロ離れたゴイアス州のアナポリスへ向かい、同地の日本人会(松原ジョルジ会長)と交流会を開いた。
県連職員の伊東信比古氏は「これまでふるさと巡りでは、アナポリスに行ったことがなかった。今回、ブラジリアに行くからにはぜひとも行きたかった。このツアーの魅力はなんといっても現地の人との交流にある。それでみんな病みつきになるんだ」と同ツアーの魅力を語った。
アナポリスは標高1000メートルのセラード地帯で、人口は約33万人。18世紀末にバンデイランテス(奥地探検隊)が開いた街だ。同会の創立者 の一人、平子圭造さん(86)によると「街ができたのは105年前。初めて日本人がやって来たのは1929年だと聞いている」という。平子さんは三重県出 身。カフェやミーリョを育てており、バール・ジャポネーザ「旭」も経営していた。アナポリスに来てからは野菜の仲買いで生計を立てた。
平子さんら27人によって文協が設立されたのは63年。設立時は97家族の日本人会員がおり、現在は250家族が住んでいる。最初の会館ができた のが88年。それまで様々な会合は平子さんの家で行われていた。いわば日系の長老だ。「ここはサンパウロやパラナから来た人が多い。仕事はいろいろあっ た。野菜や大豆やバタタも作れたさ」と笑った。
来年は同会設立50周年に当たるため、松原会長は会館の増築、コジーニャ(台所)の改修やサッカー場の建設などを計画しており、会員から寄付を集 める予定だ。「母の日や運動会になると、この会館がいっぱいになって入りきれない」と、うれしい悲鳴だ。年に3回の焼きそば祭りを開いており、毎回 200~300人の来場があるという。だが、青年部の活動が興隆しているわけではなく、日本語学校も盛況というわけではない。タグアチンガとは事情が違う ようだ。
93年には30周年を記念して記念誌を製作。日本語版を製作した村松仁志さん(71)は、妻と共に非公式の日本語学校を開いていたが、6年前から 自然消滅している。妻の幸子さん(73)は「一時は青年部120人が全員入っていた」というが、結婚やデカセギなどで青年部の活動規模が縮小していくと同 時に、日本語学校の生徒数も激減。デカセギ帰りの若者も「せっかく覚えて帰ってきたのだから、『もったいないから日本語で話しなさい』といっても日本語を 全く話さない」と嘆く。
「マンガやアニメが好きなブラジル人以外からしてみれば、日本語は役に立たない言葉のよう」。幸子さんは寂しそうにつぶやいた。(つづく、植木修平記者)
2012年10月23日付
