マラニョン日伯文化連盟の山田清顧問は日本大学農学部を卒業後、1974年に全国拓植農業協同組合連合会によってブラジルへ移住し、ゴイアスにあった全寮制の農業高校に入学。語学と農業について学んだ。その後、フランス系の鉱山会社に就職。野菜を生産するための潅水設備の計画を依頼され、50町歩の潅水設備を4年かけて完成させた。
山田氏が日本を飛び出し、ブラジルに抱いた夢は「トランスアマゾン計画」に携わりたいというものだった。世界の食糧危機を救うであろう、アマゾンを開拓していく仕事にあこがれていた。結局、同計画に携わることはできなかったが、「このまま帰るわけにはいかない」と思いサンルイスで日系社会の手伝いを始めた。
山田氏は早速、文協設立の発起人となり、同地の日系社会をまとめていった。日本人が少ない分、「日本人だということを強く意識させられる」という。また、サンパウロで日本人だらけの町には住みたくないという気持ちも少なからずある。同地で日本語と少林寺拳法を教え続け、日本の精神をブラジル人にも伝えているそうだ。
夕食後、山田氏は一行を歓迎し、マラニョンの伝統芸能「ブンバ・メウ・ボイ」を行う地元のメンバーを呼び寄せ、ホテルの中庭で踊らせた。団員は色とりどりの衣装やカーニバルとはまた違うリズムに魅了され、露出の高い女性のダンスをカメラに収めていた。
「ブンバ・メウ・ボイ」は北部及び北東部ブラジルで行われる祭りで、大がかりな音楽パントマイムの形で行われている。
大きな音が鳴り響いている中でインタビューに答えてくれたのは、山田氏と一緒に日本語を日本語会館で教えている川岡ミリアさん(56)。川岡さんは聖州ツッパン市生まれの2世。85年の結婚をきっかけにサンルイスにやってきた。
昔は北部を日本人が歩くと珍しがられたという。10年ほど前からビルが増え、車も人も増えた。「だんだんとサンパウロと同じになってきている。私は昔の自転車だらけの町が好き」。そういうと川岡さんは少し寂しそうに笑った。管楽器と海からの風の音が強く鳴っていた。(つづく、植木修平記者)
2012年10月27日付
