06/03/2026

Mês: outubro 2012

二日市副知事ら約20人が来伯 基調講演で「県政の概要」紹介  ブラジル大分県人会(矢野敬崇会長)は21日午前9時から、聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で同県人会創立60周年記念式典を開催した。式典 には、母県から二日市具正(ふつかいち・ともまさ)副知事、志村学県議会議長ほか5人の公式訪問団に加え、村上健一立命館アジア太平洋大学事務局長や日本 各地からの一般慶祝団10人が来伯して出席。伯国側からは、福嶌教輝在聖総領事、羽藤ジョージ聖州議、安部順二連邦下議、園田昭憲県連会長、菊地義治援協 会長、山下譲二文協副会長らも出席し、総勢約200人が節目を祝った。 開式に先立ち、同県出身の浄念信行導師による先亡者追悼供養が行われ、二日市副知事や矢野会長も追悼文を読み上げた。 式典は福本真澄副会長の開会の辞で始まった。日伯両国歌斉唱、先没者への黙とう、来賓紹介と続き、矢野会長が式辞を披露。矢野会長は、「ひと口に 60周年と言っても、いかに大変なことだろうか。企業は一般に10年たつと100社に数社、20年たつと1000社に数社しか残らないと言われるが、これ を考えると、大分県人会の事業の大切さが分かると思う」と、同県人会の役割を強調した。また、県人会を支える関係者らへの感謝と、今後若い世代が担ってい く日伯両国の平和への期待を述べた。 次に、今年7月に発生した九州北部豪雨への対応などで出席できなかった広瀬勝貞県知事に代わり、二日市副知事が祝辞を読み上げた。二日市副知事 は、大分県出身のブラジル日本移民及び同県人会のこれまでの真摯(しんし)な取り組みや功績をたたえ、敬意を表明。また、豪雨や昨年3月の東日本大震災の 際に多くの義援金と支援を送った県人会への礼を述べ、大分県政の今後の展望を語った。 志村県議長、福嶌総領事、羽藤聖州議員、安部連邦議員や園田県連会長らがそれぞれ祝辞を贈り、祝電披露に続いて二日市副知事より、県連、文協、援協、日本語センターの日系4団体へ記念奨励金が手渡され、菊地援協会長が謝辞を述べた。 伯国議会は広瀬県知事、志村県議長、矢野会長に対して顕彰を行い、記念品が手渡された。 二日市副知事は永松通一同県人会元会長、柿坂公正同県人会前会長を表彰したほか、同県人会の会員ら9人に感謝状を贈呈。また、米寿を迎えた赤嶺保...
21日に行われた大分県人会創立60周年記念式典。とてもめでたい行事だったのだが、幾つか残念な点があった。まずは、式典に先立って行われた先亡者追 悼供養でのこと。午前9時からの開始であったにもかかわらず、席は当初半分程度しか埋まっていなかった。供養が始まってからも、会場入口からは話し声が絶 えず、途中入場者も多かったことから、とても先人を追悼する雰囲気ではなかった。式典の内容が良かっただけに、後味の悪い印象となってしまった。 ◎ もう一つ気に掛かったのが、安部順二下議の祝辞。わざわざ母県から来た二日市副知事や志村県議長らも10分程度にまとめてきた来賓祝辞を、同氏は 約30分にわたり日本からの人たちが理解できないポルトガル語で延々としゃべり続けた。日系社会へのアピールチャンスととらえたのかは分からないが、まる で選挙演説でも聞かされているような気分になった。主役が誰だか履き違えていたのでは。 ◎ 聖市リベルダーデ区で知人と立ち話をしていた時、ガルボン・ブエノ街とバロン・デ・イグアペ街の交差点で「ドスン」と鈍い音がしたと思ったら、 60~70代とみられる日系男性が車に当てられ道端にうずくまっていた。すかさず、周りのブラジル人が助け起こし、同氏にぶつけた非日系女性も車から降り て安否を気遣っていたが、謝罪の言葉は無かった様子。高齢になると視界が狭くなりがち。横断歩道を渡る時でも、車には十分気を付けていただきたい。 2012年10月23日付
 ふるさと巡り2日目も、初日に続いて晴天に恵まれた。一行は午前8時にブラジリアを出発。約155キロ離れたゴイアス州のアナポリスへ向かい、同地の日本人会(松原ジョルジ会長)と交流会を開いた。 県連職員の伊東信比古氏は「これまでふるさと巡りでは、アナポリスに行ったことがなかった。今回、ブラジリアに行くからにはぜひとも行きたかった。このツアーの魅力はなんといっても現地の人との交流にある。それでみんな病みつきになるんだ」と同ツアーの魅力を語った。 アナポリスは標高1000メートルのセラード地帯で、人口は約33万人。18世紀末にバンデイランテス(奥地探検隊)が開いた街だ。同会の創立者 の一人、平子圭造さん(86)によると「街ができたのは105年前。初めて日本人がやって来たのは1929年だと聞いている」という。平子さんは三重県出 身。カフェやミーリョを育てており、バール・ジャポネーザ「旭」も経営していた。アナポリスに来てからは野菜の仲買いで生計を立てた。 平子さんら27人によって文協が設立されたのは63年。設立時は97家族の日本人会員がおり、現在は250家族が住んでいる。最初の会館ができた のが88年。それまで様々な会合は平子さんの家で行われていた。いわば日系の長老だ。「ここはサンパウロやパラナから来た人が多い。仕事はいろいろあっ た。野菜や大豆やバタタも作れたさ」と笑った。 来年は同会設立50周年に当たるため、松原会長は会館の増築、コジーニャ(台所)の改修やサッカー場の建設などを計画しており、会員から寄付を集 める予定だ。「母の日や運動会になると、この会館がいっぱいになって入りきれない」と、うれしい悲鳴だ。年に3回の焼きそば祭りを開いており、毎回 200~300人の来場があるという。だが、青年部の活動が興隆しているわけではなく、日本語学校も盛況というわけではない。タグアチンガとは事情が違う ようだ。 93年には30周年を記念して記念誌を製作。日本語版を製作した村松仁志さん(71)は、妻と共に非公式の日本語学校を開いていたが、6年前から 自然消滅している。妻の幸子さん(73)は「一時は青年部120人が全員入っていた」というが、結婚やデカセギなどで青年部の活動規模が縮小していくと同 時に、日本語学校の生徒数も激減。デカセギ帰りの若者も「せっかく覚えて帰ってきたのだから、『もったいないから日本語で話しなさい』といっても日本語を 全く話さない」と嘆く。 「マンガやアニメが好きなブラジル人以外からしてみれば、日本語は役に立たない言葉のよう」。幸子さんは寂しそうにつぶやいた。(つづく、植木修平記者)...
 葉隠館創立30周年記念祝典が9月16日、聖市アクリマソン区にある佐賀県人会館で開催された。 1982年に設立された葉隠館は同県出身の剣士が指導にあたり、これまで多くの剣士を輩出している。同祝典には、来賓としてブラジル剣道連盟の玉置正顧問、吉村幸之会長同県人会長らが出席した。 2012年10月23日付
 聖州水道会社(SABESP)の吉本マサト理事は、25日午後7時から聖市リベルダーデ区の広島県人会館(Rua Tamandaré, 800)で講演会を行う。主催は広島県人会(大西博巳会長)。 吉本理事は日系2世で、2004年よりSABESPの理事となっている。講演テーマは「SABESPについて」で、当日はJICAとの関係についても講演する予定。 本紙を訪れた平崎靖之同県人会理事は、「日系人がSABESPで理事をされていることはあまり知られていないが、ぜひ皆さんに吉本理事の活動を知ってほしい」と来場を呼び掛けた。入場無料。 問い合わせは、同県人会(電話11・3207・5476)まで。 2012年10月20日付
 ふるさと巡りでは、どこに行っても会うのがコチア青年だが、ブラジリア文協でも55年に渡伯し、60年に同地へ入ったというコチア青年1期生の高柳治郎 さん(82)と会うことができた。高柳さんは埼玉県出身。聖州アルバレス・マッシャード、ピラール・ド・スールを経て、この地に入った。「いつの間にかブ ラジリアも大きくなった。人口は300万人だよ。衛星都市の中ではタグアチンガが一番大きいねえ」と街と一緒に歩んできた日々を振り返った。 隣に座っていた9期生の平沢淳さんも「ブラジリアに入って良かった。満足しているし、感謝している」としみじみ。コチア青年はいつまでも「青年」のままだ。 「ここは、ブラジル中を転々としていた輩が集っただけよ。みんな百姓だったから、たまたま首都建設に立ち会い、国の役にも立った」と笑い飛ばすの は、長崎県出身で元文協会長の吉田繁治さん(72)だ。20歳の時、地元の島原市を開発青年隊として飛び出し、最初はイビウーナの養鶏所に入った。独身時 代はカミヨン(トラック)でベレンまで行ったりと、随分武勇伝をつくってきた。 「ブラジリアに入って50年だが、その前はガリンペイロ(採金夫)としてセーラ・ペラーダにも行ったよ。あそこでは泥棒を働くような悪いやつはみ んなから銃で殺された」と壮絶な環境を語ってくれた。ブラジリア入植後は、「掘っ立て小屋にみんな住んでいた。だけど、農家のために政府は鶏糞や石灰を軍 用機で運んでくれた」と話し、ガリンペイロらしく「ブラジリアに来た人はソルチ(幸運)さ」と付け加えた。 多くの人と話し込んでいたが、ステージに目を向けると老人会婦人部が本格的な日本舞踊を披露している。婦人部長の高橋房子さんは「同婦人部で踊りを踊るのは15人。毎週1回の練習は今も欠かさず行っている」という。 一体となっている同地の日系団体。DF日系協会の梅田寛ワルデマル会長は「今回サンパウロの団体と交流が持てて本当に良かった。我々は非常にまと まっているが、世代の変わり目には問題が起きやすい。これからはサンパウロともっとコンタクトを取っていき、勉強させてもらえれば」と力を込めて話した。 (つづく、植木修平記者) 2012年10月20日付
【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】今年9月に設立したばかりのブラジル福岡県人会県費留学生OB会から、福永ミルトン会長が来日。今月15日、福岡県庁で小川洋知事を表敬訪問した。 福永会長(49、3世)は1988年度の福岡県費留学生で、現在は同県人会副会長を務める。今年、福岡県人会では母県とのさらなる交流推進を図るため、同氏を会長に過去の福岡県費留学生211人でOB会を立ち上げた。 9月1日にサンパウロ市で開催された同OB会設立記念式典には小川知事も出席。OBらが小川知事を歓迎した。 15日、福岡県庁知事室を表敬訪問した福永会長に対し、小川知事は「この前はありがとうございました」と握手を求め、ブラジルでの思い出や来年福岡市で開催される海外福岡県人会世界大会について話した。 福永会長が「OB会が立ち上がったことで、これからは福岡にやって来る機会がたくさんできそうです」と述べると、小川知事は「県人会やOB会の皆様が『福岡に来てよかった』と言っていただけるよう私たちも工夫したい」と笑顔で答えた。 また、この日夜は福岡市内の料理屋で歓迎会が開かれ、新宮松比古福岡県国際交流センター理事長をはじめ福岡県海外移住家族会(武藤英治会長)ら20人が福永会長を囲んで歓談した。 2012年10月20日付
60周年向けて実態調査推進も  「戦後に若い青年隊がブラジルに来たことで、沖縄県人会の継続・活性化に寄与した」―。ブラジル沖縄青年協会(石川繁会長)主催の沖縄青年隊移 民55周年記念祝賀会が、14日午後3時から聖市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館で開催され、青年隊約30人をはじめその家族など約300人が一堂に 会した。同会ではこれまで10年ごとに節目の祭典を催してきたが、今回から5年ごとに行うとし、5年後の60周年に向けて会員の実態調査も行っていく考え だ。 沖縄青年隊は、戦後復興が遅れた沖縄で海外移民及び郷土の中堅として活躍しようとする青年たちに、共同生活、講義や実習を通して技術・精神力を身に付けさせることを目的に、1955年に設立された。 同協会が発行した「沖縄青年隊写真集―写真で見る50年の歩み―」によると青年隊は、沖縄産業開発青年協会(初代理事長=瑞慶覧長仁氏)の送り出 しにより1957年4月11日に第1次隊30人がサントス港に到着。同9月に第2次43人、同10月に第3次25人の計98人を起点に、64年の第14次 隊まで303人がブラジルの土を踏んでいるという。 この日の祝賀会では、先亡者への黙とうの後、石川会長があいさつ。青年協会及び沖縄県人会の世話で広大なブラジルに受け入れてもらったことに感謝 の意を示し、「20代でブラジルに来た我々も今は年を取ったが、青年隊の気持ちは失っていない」と強調。303人の青年隊のうち既に約70人が他界してい るとし、5年後の60周年に向けて会員の実態調査を行っていくことへの協力を呼び掛けた。 引き続き、与那嶺真次同県人会長が祝辞を披露。戦後の沖縄県の厳しい状況の中で青年隊が渡伯し、県人会活動に活力を与えたことに触れ、「青年隊の応援がなければ、県人会は今のような発展はなかったと思う」とその貢献を褒めたたえた。 子弟を代表して日系3世の久場ミキさん(17)が、今や祖父の世代となった青年隊たちへの感謝の言葉を述べた後、この日集まった約30人の青年隊たちが当時の「青年隊綱領」を読み上げるとともに「青年隊隊歌」を熱唱した。 58年に第4次隊員として渡伯した山城勇さん(84)は改めて青年隊の歴史を振り返り、女子青年隊も含めると約330人が海を渡ってきたことを紹 介。今後も5年ごとに祝賀会を開き、継続していくことの大切さを強調し、「ビーバ、カリー、ビーバ青年隊」と乾杯の音頭を取った。 女子青年隊を代表して3人で一緒に記念のケーキカットを行った仲田光子さん(73、第1次)は、同青年隊として先にブラジルに来ていた夫の呼び寄...
一行がブラジリアに到着した9月29日は、日中の気温が35度まで上った。湿度が極端に低いため、乾いた空気でのどがヒリヒリと痛む。昼食後にチェック インしたのは、五つ星ホテル「マンハッタンプラザ」と「クビチェックホテル」でバスタブ付きだ。朝が早かったこともあり、シャワーを浴び、ひと寝入りした 人も多かったようだ。 初めてふるさと巡りに参加した聖州アラサツーバ市在住の藤木誠吾さん(78)と昌子さん(74)は「ブラジリアは街並みが奇麗。今回、キャンセル待ちでようやくふるさと巡りの定員に入れた。ブラジリアにはいとこが居るので、会えれば」と期待を寄せていた。 今回のツアーで最初に交流を行ったのは、ブラジリアからバスで1時間ほど離れたところにある近郊都市、タグアチンガ。ブラジリア文化協会(松永行 雄会長、会員100家族)の会館があり、一行が門ををくぐると青年部らが勇壮な太鼓で迎えてくれた。夕食を前に木原団長は「盛大に歓迎していただいてあり がとうございます。感無量でびっくりしました」とあいさつした。 ブラジリアには文協、老人会、DF文化体育協会などの日系組織があり、老人会会長の高橋実さん(88)は「各団体同士も団結している」と話す。老 人会は毎月第2日曜にカラオケやラジオ体操などを楽しむために120~130人が集う。会員数は250人で、1世が7割。近年は非日系の会員も増えてい る。吉田武弘さん(67)は「こんなに大きい老人会はブラジル中探してもないだろう。今度、日本政府に表彰されるんだ」と胸を張る。 また、田中淳雄さん(72)は「ブラジリアの日系社会はサンパウロよりも先に、一致団結して東日本大震災の際に義援金約8万レアルをブラジル日本大使館に送った」と教えてくれた。 青年の活動も活発で、日本語教育も熱を帯びている。タグアチンガ日本語学校の生徒数は現在100人。日系人は約半数。教師も16人いる。サンパウロ州と比べ日本語教師の給料が高い点が大きく異なる。 5歳から20歳まで富山県で過ごしたという日本語教師の西川カミラさん(26)は「明日はスピーチコンテストがあって10人が出場する。みんなのやる気はすごい」と話す。 宴も酣(たけなわ)にさしかかったころ、ブラジル大使館から荒木要参事官らが文協会館を訪れた。同地ではこのような交流がよく行われているそうだが、ツアー参加者らは一様に驚いていた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月19日付
20日(土曜日) ◎ 青葉祭りは、午前7時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館(Rua Fagundes, 152)で。 ◎ 「日本文化月間行事」華道池坊の生け花展示会は、午前9時からクリチバ市セントロ区ビスコンデ・デ・ナカール大通りとビスコンデ・デ・リオブラン コ大通りの間(Rua 24 horas)で。日本映画の上映は、午後3時45分からクリチバ市サンフランシスコ区のシネマテッカ(Rua Presidente Carlos Cavalcante, 1174)で。21日も。 ◎ 南大河州ガリバルジ市の日本文化祭りは、午前10時から同市にあるFaculdade Fisul(Av....
ニッケイ新聞 2012年10月17日付け  県連主催『東北応援ツアー』に臨む17人のうち、県別で最多の参加者数を誇るのが福島。全体の半分に迫る8人が名を連ね、さらに被災県の県人会 長として唯一小島友四郎さんも参加する。同県は地震や津波そのものの被害のほかに原発問題を抱えており、何かしたくても個人では訪れるのすら難しいのが現 実だ。そんなもどかしさを感じていたからこそ、福島県人が半数近くを占めたのか。彼らにとって、今回のツアーは背中を押される思いだったのでは。コロニア からの応援の気持ちを存分に伝えてきてほしいもの。
ニッケイ新聞 2012年10月17日付け  【既報関連】ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)が主催する『東北応援ツアー』の結団食事会が14日、聖市リベルダーデ区のレストラン「かあちゃん」で行われ、参加者に関係者を加えた約25人が出発に向け士気を高めた。  挨拶に立った園田会長は「日系社会の顔という意識と誇りを持って臨んで欲しい」と話し、団長を務める本橋幹久さん(県連副会長、鳥取県人会会長)も「単発で終わるイベントにするのではなく、今後の交流につながる取り組みとなるよう頑張りたい」と抱負を語った。  夫婦で参加する永山八郎(78)、てるさん(77)は共に福島県出身。八郎さんは「震災後すぐに親戚のもとに行こうと思っていたが、妻の体調不良もあって中々決心がつかなかった。このツアーは良いきっかけなりました」と話した。  ベレンから参加の山中正二さん(74、岩手)は「ただの観光だけで終わらせたくないからこそこのツアーを選んだ。被災地の皆さんの現状を体感した上で、自分に何ができるか改めて考えたい」と意気込む。  震災直前に地元を訪れている岩手県出身の田鎖満さん(75)は「自らの目で変わってしまった現地を見て、それをしっかりと心に刻んでコロニアに持って帰ってくることに意味がある」とその意義を語った。  今回ツアーに臨む参加者は17人。同日深夜の便で出発し、岩手、宮城、福島の各被災地を訪問し、来月4日に帰国する。
中部、北東部3団体と交流  県連(園田昭憲会長)主催の第38回ふるさと巡りが9月29日~10月4日にかけて行われ、124人が参加した。今回は首都のブラジリア、ゴイ アス州アナポリス、マラニョン州サンルイス市とレンソイス・マラニェンセス国立公園を巡り、タグアチンガ、アナポリス、サンルイスの3カ所で日系団体と交 流を深めた。一行は、サンパウロとは全く異なる計画都市ブラジリアの美しさを体験し、レンソイス・マラニェンセスの砂丘ツアーや川下りでは大自然のスケー ルに圧倒されていた。木原好規団長はバレリーニャス市内のレストランで今回のふるさと巡りを振り返り、「感動につぐ感動の旅だった」と総括。各地の日系団 体との交流と合わせ、これまで足を伸ばすことのできなかった景勝地を訪ねることで、改めて移住先のブラジルの魅力を発見できた旅になったといえる。(植木 修平記者) 今回のふるさと巡りは、今年2月の時点で既に定員に達するなど変わらぬ人気の高さを見せており、常連客の顔も多く見ることができた。参加者の中で 最高齢は聖州ボツカツ市在住の小原あやさん(91)で、旅行中も体調を保ち、笑顔を絶やすことがなかった。また、車椅子での参加者もおり、誰でも安心して 参加できるツアーであることがふるさと巡りの人気の理由なのかもしれない。 初めて参加した人は15人。リベイロン・ピーレス市在住の小林誠さん(71)は「仕事を少し譲ったので時間ができた。初めての参加で楽しみだ」とコンゴーニャス空港で飛行機に乗り込む前に話していた。 TAM航空3704便ブラジリア行きは1人の遅刻者も出すことなく、午前9時48分定刻通りに団員124人を乗せて大空へと飛び立った。同便の座席数は140人で、そのうち124人がふるさと巡り参加者が占め、ちょっとした「チャーター便」の気分となった。 ふるさと巡りでブラジリアを訪れるのは1995年の第8回、2003年の第17回に次いで3回目となる。同地に住む日系人は約8000人で、60 年にリオからブラジリアへ首都移転が行われた際に「ひと山当てようと」ブラジル各地からやってきた人とその子孫たちだ。入植当時、ほとんどが農業従事者や 仲買人などだったが、現在は公務員など職業は多岐にわたっている。 久しぶりに同地を訪れた人たちからは「昔は道も舗装されておらず何もない首都だったが、今は人も増えてビルも建ち並びびっくりしている」と、その発展に舌を巻いていた。 ブラジリアはブラジル高原の荒涼とした未開の大地(セラード)に建設された計画都市で、ブラジル人建築家ルシオ・コスタの設計により建設された。...
「被災者の役に立てれば」  ブラジル都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の「東北被災地応援ツアー」が14日から始まり、出国直前の同日午後6時から同ツアー結団式が 聖市内の日本食レストランで開かれた。結団式には同ツアーの参加者のほか、県連の園田会長、援協の菊地義治会長、文協の山下譲二副会長らも出席し、ツアー 参加者にはなむけの言葉を送った。同ツアーは援協、文協、岩手、宮城、福島の3県人会の後援。 同ツアーは、被災地の実情を参加者に肌で感じてもらい、被災者の気持ちを共有することで心の絆もより強くなることを考慮して計画された22日間の 旅。参加者は引率の本橋幹久団長を含む17人で、福島県人会の小島友四郎会長をはじめ、8人の福島県人、2人の岩手県人を含めた被災地県出身者で構成され ている。 同ツアーでメーンとなる被災地3県(岩手、宮城、福島県)の訪問では、被災地視察のほか各県庁を訪ねて各県知事に日系団体の代表として義援金を届け、被災地在住の若者を伯国に招待する交流事業を提案するという。 また、9月23日に開催された「第6回弁論大会・第33回スピーチコンテスト」で東日本大震災の被災地について書いた5人の弁論を映した映像や、今年の「第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」のDVD、日本語学校で集めた寄せ書きなども県庁に贈与する予定。 さらに同ツアーでは、8日間の自由行動の後、今月30日から11月1日まで東京で行われる「第53回海外日系人大会」への参加(希望者のみ)、東京観光なども含まれている。一行は、11月4日ブラジルに帰国する予定。 ◎   ◎ この日の結団式にはツアー参加者をはじめ、約30人が足を運び会食を楽しんだ。後半に日系3団体代表者のあいさつ、ツアー参加者の自己紹介などが行われた。 園田県連会長は「日系社会の代表として行ってほしい」と激励。援協の菊地会長は「これからの被災地県との交流を大事にしてほしい」と話した。 福島県人会の小島会長(79、郡山市)は「僕らは移民としてブラジルに来て、言葉も分からなかったが何とかなった。被災地では言葉も分かるし親戚もいるので、被災者は何とかやらなきゃいけない」というメッセージを被災地で伝えたいと強調した。 震災後1カ月間、絶望に浸りながらNHKを見続けたという岩手県岩手郡出身の山中正二さん(74)は、今回自身が訪日することについて「実際に震災被害を目で見て、被災地について勉強して何か被災地の役に立てることができれば」と真剣な表情で話していた。 本橋団長は「ブラジルからわざわざ来てくれたということが伝われば、絆としてつながるのでは。また、被災地3県の各要望を聞いて、後に続くような交流事業をしていきたい」と抱負を語った。 2012年10月17日付
大分県人会(矢野敬崇会長)は21日午前9時より、聖市リベルダーデ区の宮城県人会館(Rua Fagundes,152)で、創立60周年記念式典を開催する。 同式典には大分県から小風茂副知事、志村学県議会議長、5人の県職員、10人の一般慶祝団のほか、塩田邦成立命館アジア太平洋大学事務局長も来賓として参加する。 当日は、同式典開催の前に県人の慰霊法要が行われ、最後には小風副知事による同県の現状に関する講演も予定されている。参加無料。 問い合わせは同県人会事務所(電話11・3209・8518)まで。 2012年10月17日付
本学は、日本の高等教育史上初の日英二言語教育を実施する大学としまして、2000年4月の開学以来、日本国内外からの多大な御協力のもと、21世紀に求められる人材の育成を目指し、多数の外国人留学生を受け入れて参りました。 この度、サンパウロ市にて、大学説明会を開催致します。本学へ進学に興味のある方は是非お越しください。   記 立命館アジア太平洋大学とは: 2言語教育システム: 英語・日本語の両方で授業開講。入学にはどちらかの言語のみ必要。 奨学金: 出願時の学力・言語成績などを考慮し、優秀な学生に対して30%~100%授業料減免として奨学金を支給。奨学金は4年間継続されます。 就職率95%以上: APUの国際学生の就職率は過去3年間で95%以上内定獲得。本学の独自の取り組みは日本経済新聞など、数々の全国メディアからも取り上げていただいております。 国際的環境: 学生の半数が留学生で構成されており、約80カ国・地域から約2,800名が正規学生として学んでおります。   <サンパウロ市説明会> 日程:10月25日(木) 時間:17:00~19:00...
リオ・グランデ・ド・スル(南大河)州ガリバルジ市で19、20日の2日間、日本文化祭りがファクダーデ・フィスル(Av. Presidente Vargas, 561)で開催される。同祭には県連(園田昭憲会長)の国内交流基金によって藤間流日本舞踊学校の藤間芳翁理事長(本名・龍川いく子)が同地を訪れ、同地で初めて本格的な日本舞踊を披露する。同祭の主催は国際交流基金。 同市にはイタリア系移民が多く、ワインやシャンパンの産地として知られており、日系人の市民はほとんど住んでいない。 しかし昨年、「ガリバルジ消防団救急車整備計画」に対して、日本から使われなくなった消防自動車(約1000万円相当)が贈られたことで日本との絆が芽生えている。 また、日本舞踊の他にも折り紙の専門家、鈴木アドリアーナ氏のオリエンテーションや日本酒についての講演会が19日午後7時半から開かれる。 コスプレやカラオケなどのイベントも行われ、焼きそばやすしなどの日本食の屋台も出店される。開場時間は19日が午後7時半から、20日は午前10時から午後6時半まで。 2012年10月12日付
ニッケイ新聞 2012年10月12日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の『東北応援ツアー』が14日から始まる。東日本大震災被災地(岩手、宮城、福島)を訪問 して支援を声明するほか、30日から東京で行われる『第53回海外日系人大会』にも参加する。また、被災3県の県庁に対し、若者を対象とした伯国への招聘 事業を提案することも決定。来年の日本祭り開催時期に合わせ、約2週間のプログラムを想定していることを説明する。  県連関係者の話によれば、応援ツアーが企画された背景には「顔の見えない義援金」の存在があった。日系社会を中心に昨年は伯国から総額6億円に 上る義援金が、日本赤十字社を通して被災地に送られた。ところが、それがどう使われたかといった報告もなく、日本国内で当地からの義捐金が広く周知される こともなかった。  過去最多といわれる義捐金が集められたのは「心情的にも日本に寄り添いたい」という気持ちが強かったからであり、送金後の音沙汰が皆無であるこ とに対し、義捐金を寄せた人々からある種の寂しさを伝える声が多くあった。そういったコロニアの心情を汲みとり、顔が見える形での当地からの応援の気持ち を伝えるツアーが企画され、6月から募集が行われてきた。  一行は岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県女川町、石巻市、名取市、福島県いわき市などの被災地を訪問し、視察を行うほか、希望者は30~11月1日に東京の憲政記念館などで開かれる『第53回海外日系人大会』にも参加する。  3県の県庁には義援金を持参するほか、先月23日に日語センターとの共催で開かれた『弁論・スピーチコンテスト』で被災した東北地方をテーマとした5人の作品の発表映像を届ける。  また、県連を中心とした日系3団体の幹部は、被災地に住む若者を伯国に招待する事業計画の立案に合意し、応援ツアーが各県庁を訪問する時に、その草案を投げかけることも決まった。  両者の間で合意がなされれば、来年の日本祭りの開催時期に合わせ、被災3県から一人ずつ計3人を招待し、約2週間の交流プログラムを実施する。対象者や負担費用などの詳細については、各県の要望を考慮しながら柔軟に対応するという。  訪問団の団長を務める本橋幹久さん(県連副会長、鳥取県人会会長)は「日系社会を代表する気持ちで臨みたい」と意気込み、招聘事業についても 「日本への恩返しの気持ちはもちろん、実際の体験を当地で直接話してもらうことに非常に大きな意味がある。積極的な投げかけができれば」とその意義を語っ た。...