06/03/2026

Dia: 12 de novembro de 2012

ニッケイ新聞 2012年7月6日付け  伯日議員連盟(西森ルイス会長)と在ブラジル日本国大使館の共催で先月26日午前、ブラジリアの連邦下院議会で「移民104周年記念式典」が開 催され、約200人が出席した。式典には西森会長をはじめ高山ヒデカズ、大田慶子、安部順二下議、三輪昭在ブラジル日本国大使、JICAブラジル事務所の 室澤智史所長らが出席。日本文化の普及に貢献した6人が表彰され、今後もその普及に力を注いでいくことが宣言された。  上田雅三(まさみ)連邦高裁判事、下本八郎元聖州議員、日伯農業開発株式会社の秋本満敏副社長、パラナ日伯文化連合会の嶋田巧前会長、サンパウロ新聞社の水本エドアルド社主、三輪昭大使が表彰され、同連盟議員から記念プレートが手渡された。  表彰者を代表して上田判事は「伯国で貢献した我々の祖先に敬意を払うと共に、移民を受け入れてくれた伯国に感謝」とあいさつ。三輪大使は「苦労 を重ね、伯国で信頼を勝ち取った日本移民は我々の誇り」と強調した。日伯議員連盟事務局長の藤村修内閣官房長官から届いたメッセージも紹介された。  大田、高山、安部下議はそれぞれ、「日系社会は常に発展しているが、その経緯や歴史を忘れずに子孫へと伝え、将来の日系社会を作って行こう」と呼びかけた。  表彰を受けた嶋田さん(79、二世)はパラナ日伯文化連合会会長を長年務め、同地日系社会の結束に尽力した。「こんな素晴らしい賞を私になんて もったいない。パラナの日系人を代表して受け取りました」と感謝を示し、折笠力己知・現会長は「これまでと違った移民の表彰が行われて良かった。パラナで も西森下議と協力して文化継承に力を入れていきたい」と語った。  秋本さん(63、愛媛)はセラード開発など日系農業に30年携わり、近年は文協RURALの企画にも力を注ぐ。「このような機会で、今までの努力が認められて嬉しい」と喜んだ。  西森議員は「今回の表彰は数人に贈られたが、本来は日々の小さな活動に従事している数多くの日系人に贈られるべきもの」と語り、各個人の貢献を称えた。式典には南部からの出席者も多く、県連の園田昭憲会長のほか、パラナ州からは50人が参加した。  同記念式典は19~28日の日本文化週間の中で開催されたもので、会場では浮世絵や草月流による生け花の展示、東日本大震災後の復興の様子と東 北文化を伝える写真の展示会が行われていた。記念式典後には、文化週間の開会式も行われ、琉球國祭り太鼓の華やかな演奏が会場を盛り上げた。(長村裕佳子 通信員)
ニッケイ新聞 2012年11月9日付け 聖州・アリアンサ移住地の創設80周年を記念した移住史『創設八十年』が、長野県人会(Praca da Liberdade, 130, sala 910)で販売されている。一冊50レアル。本年度『にっけい文学賞』受賞作品。問い合わせは同県人会(11・3106・1268)まで。また同著の編纂委員会は内容に関する問い合わせも受付けている。嶋崎正男委員長(18・3707・1130)または今本マリアン委員(同・3708・1247)まで。
ニッケイ新聞 2012年11月9日付け リベルダーデ文化福祉協会(池崎博文会長)は6日、同会館で先月の全伯統一市議選で当選した日系議員を讃える祝賀会を開き、日系団体関係者ら約70人が訪れた。聖市の野村アウレリオ(PSDB)、羽藤ジェオルジ(PMDB)、大田正高(PSD)の各氏のほか、サンベルナルド・ド・カンポ市の南洋行(PSDB)、オザスコ市のファビオ・ヤマト(PSDC)の両氏が招かれた。来賓には、福嶌教輝在聖総領事や聖州議の羽藤ジョージ氏、県連、文協、援協の日系3団体の会長らが出席した。池崎会長から来賓らに向けた謝辞と当選議員らの紹介があった後、福嶌総領事から「当選議員の方々には、精力的な働きと日系コミュニティを支える柱となることを期待している。総領事館も可能な限り協力していきます」とのエールが送られた。続いて5人の議員が挨拶し、感謝の言葉や今後の目標を語った。再選を果たした野村氏は「再び選んで貰えた理由は、自分の中の日本的な精神が評価してもらえたから。真っ直ぐで誠実な日本人のやり方を反故にすることは市民を裏切ることになる。それを忘れずに突き進んでいきたい」と自らの姿勢について熱弁した。「教育分野の改革に力を注ぎたい」と話したのは初当選の大田氏。「小学校への入学前教育を行う施設を増やし、より充実させることが大きな目標。教育の充実が犯罪率の低減にもつながる」と抱負を語った。隣市のサンベルド・ド・カンポ市から参加した南氏も「政治家としてオメナージェンされることは滅多にないので、本当に嬉しい。選挙期間中も、池崎さんを始めとするサンパウロの方々からの応援は力になった」と謝意を示した。その後、それぞれに日本刀と兜をあしらった記念のプラッカを贈呈。会場は大きな拍手で包まれ、議員らを囲んだ食事会が賑やかに行われた。
ニッケイ新聞 2012年11月8日付け 首都建設に参加した日本人=「伯国の底力を目の当たりに」 祈るために両手を合わせた様子をそのまま外観にしたメトロポリタン教会には、まるで産道のような薄暗い地下道を通った先に、ガラス張りで明るい陽光が差し込むドーム型の礼拝堂がある。これは「人間が暗闇から出発して光に向かっていくことを象徴している」(『ブ50年史』78頁)という。バスに同行したガイドによれば、メトロポリタン教会内の天井のガラス細工は、正面には子宮をイメージしたY字型で「世界が生れるところ」、その上に受精卵、左に妊婦、右に跪いて祈る女という具合に、生命の神秘を連想させる表象が散りばめられている。極めつけは、連邦議会ビルの裏からJK橋に向かう途中を見せられた原野だった。かなりの広い面積がセラードのまま残されていた。「なぜ、何も建っていないただの原野を見せるのか?」と訝しんでいると、「将来ブラジルが発展して、あの官庁街が狭くなった時、ここに建て増しするように予定された土地です。今は何もありませんが、ここにはブラジルの未来が構想されています」。最後に「それを確かめるために、みなさんぜひ150年後に、もういっぺん見に来てください」と冗談でガイドがアナウンスした時、一行の多くは爆笑した。でも記者は笑えなかった。08年1月の百周年開幕式の時、迷路のような大統領府の中を案内された時、「建て増ししているがもう限界。これ以上は空間がない。もっと大きい建物にしないと職員が収容しきれない」との声を聞いたのを思い出したからだ。今世紀に入ってからのペースで発展を続けるなら、遠くない将来、この原野には新しい官庁街が建設されるに違いない。半世紀前には何もなかった原野に、伯国第4番目の人口256万人を誇る連邦直轄区が生まれ、今では一人当たりの国内総生産は南米都市中で5位を誇る。JKは「50年の発展を5年で」をスローガンにした。伯国は永遠の「未来の大国」と自嘲して久しいが、意外にこの50年間は、他所の国の500年に匹敵する歴史だったのかも――と考えさせられた。イナウグラソンの翌年61年に意外な人物が新首都を訪れた。同年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたばかりの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンだ。彼はあまりに近代的な都市の景観に「私は他の星に到着したような印象を受けた」との有名な言葉を残した。こんな不思議空間ゆえに、わずか50年の歴史しかないこの都市がユネスコの「人類の文化遺産」に指定されたのかもしれない。こんな壮大な国家創造神話的な世界に、果敢に身を投じていった日本移民たちがいた――。☆   ☆故郷巡り一行のバス3台が9月29日午後に「ブラジリア日伯文化協会」(佐藤昇会長)に到着すると、予期しない盛大な歓迎を受けた。衛星都市タグアチンガに所在し、JK就任翌年の1957年に創立した。会館入り口右側の壁には、ずらりと記念プレートがならぶ。不思議なことに、歴代会長の苗字の多くがMatsunagaだ。この家族はいったい何者なのか。数ある連邦直轄区の日系集団地の中でも、ここは最も日系人が多いことで有名だ。同協会には210家族も会員がおり、日本語学校など若者向けの活動も盛んだ。一行が到着した時も会館入り口の両脇に、今年創立したばかりの金夢(きんむ)太鼓10人が並び、迫力の歓迎演奏をして一行を感激させた。会館にずらりとテーブルが並べられ、現地の人と混ざるように座るといっぱいになった。懇親会では現地の佐藤会長が歓迎の意をのべ、一行を代表して木原好規団長が「盛大に歓迎してもらい感無量。60年代に仕事でこっちに来たことあるが、当時は舗装道路などなくバラックのような家ばかり。見違えるように立派な町になったのを見てびっくりした。懐かしさと共にブラジルの底力を目の当たりにした思いだ」と挨拶した。(つづく、深沢正雪記者) 写真=様々なシンボルが散りばめられたメトロポリタン教会の内部 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月8日付け 2013年に県人ブラジル移住百周年を迎える岐阜県で、東海地方で育ったデカセギ子弟の若者が中心となって設立したNPO団体「Mixed Roots×ユース×ネット★こんぺいとう」がこのほど、岐阜県人ブラジル移住百年誌を制作することになった。進学や就職で困難な状況に置かれている南米出身の若者を、職業教育や就職先の開拓などを通じて支援する目的で結成された同団体。制作する記念誌から先人の歴史、自分たちが日本にいる理由を知り、将来に迷い自己肯定感の低いデカセギ子弟に自信や希望を持たせるとともに、岐阜に関係する当地在住者と母県住民が繋がる新しいきっかけを作りたい考えだ。 団体設立は今年の5月。活動拠点は同県美濃加茂市に置き、創立者7人の大半が大学講師や医療通訳、自治体の外国人相談員として働くデカセギ子弟だ。同代表は、リオ出身で岐阜市在住の渡辺マルセーロさん(三世)。13歳で訪日して高校、岐阜大学を卒業し、病院で働きながら行政書士試験に合格し、事務所を開いている。「岐阜にはたくさんのブラジル子弟が暮らしているが、未だ不就学児もおり、地域からの理解も低い」と語るのは愛知淑徳大学准教授で、同団体の理事、アドバイザーを務める小島祥美さん。日本の報道によれば、中学校から高校に進学するデカセギ子弟の割合は、愛知や岐阜などの集住地で8割程度。なかには6割にとどまる自治体もある。日本語能力の乏しさに加え、不況で親が仕事を失い、経済的な問題で進学を諦める人もいるという。「支援をされる側でなくする者として、外国にルーツをもつ子どもが活躍できる社会をめざし、地域社会の活性化や住みよいまちづくりに寄与する活動を実現したいと思った」(小島さん)記念誌では、伯国と岐阜の架け橋となって活躍した歴史的人物の業績、県内でデカセギ子弟への支援活動を行う団体、伯国と岐阜をつなぐ人々、岐阜在住外国人の現状などを取材し、紹介する。県内に暮らす外国人住民に対する理解を深め、多文化共生社会作りへの貢献を目指していく。発刊予定は来年3月。子供も理解できるような平易な日本語とポ語で表記し、完成後、来年1年間を通して県内の学校で冊子と写真を用いた移民の歴史を考える参加型学習、移民の写真展実施なども計画している。そこで同団体では、当地在住の岐阜に縁のある移住者に対し、移住する前の母県での生活や景色、移住時や移住後のブラジルでの生活(移民収容所や船の中、仕事姿、学校、家族で集まっているところ、街や店の風景など)の写真や、ブラジルでの苦労話、岐阜での思い出などをつづった寄稿を呼びかけている。写真、寄稿文の提供は岐阜県人会で受付けており、山田彦次会長も「全面的に協力したい」と話している。 県人会事務所の連絡先は次の通り。住所=Rua da Gloria, 279, 2o. andar, sala 21, Liberdade、電話=11・3209・8073、FAX=同3208・4207、メール=gifukai@nethall.com.br)。受付は11月末まで。提供にあたっては提供者の名前や出身地、写真の時代と簡単な説明文が必要。問い合わせは同団体の渡辺さん、小島祥美さん(メール=youth.conpeitou@gmail.com、HP=www.youth-conpeitou.blogspot.jp)まで。
ニッケイ新聞 2012年11月7日付け ブラジリア空港に到着した故郷巡り一行はバス3台に分乗し、さっそく市内観光へ。チョビ髭のバスガイド、ジョアン・パリトーさんはボソボソと首都建設の歴史を説明し始めた。「やがて、国家の重要な決断を行なう頭脳に変貌する、この中央高原、この原野より、今一度わが国の未来に眼を注ぎ、その大いなる前途に、強固な信念と無限の信頼を抱いて、黎明を予見するものである」。1956年1月に就任したジュッセリーノ・クビチェッキ大統領(以下、JK)が、同年10月に遷都予定地を初めて訪れた時の有名な言葉を、滔々と暗誦しはじめた。さっそくガイドに近寄り、藤川さんから聞いた「首都がイナウグラソンされたのが1960年4月21日。その日に三権広場に立つと、朝日がH型にそびえ立つ連邦議会ビルの間から昇るように設計されている」という噂を確かめると、「その通りだ」と当然のように答えた。「やはり」と合点がいく。エジプトの有名なラムセスⅡ世により紀元前1250年頃に造られた「アブシンベル神殿」は、彼の誕生日(2月22日)には、一番の朝日が47メートルも奥にある彼の像を照らすように設計されているのに似ている。近代都市ブラジリアの設計は、古代エジプトを発想の源泉としているようだ。というのも『ブラジリア日系入植五十周年』(以下『ブ五十周年』と略、Feanbra、08年)の中で、同地在住で元日本国大使館顧問弁護士、今井眞治さん(コチア青年)が、こう要約しているのを読んだことがあるからだ。「ブラジリアでは、すべてのものがエジプトのタロットの哲学とヘブライのカラバの数理学を基礎としている」(77頁)。そもそもこの町の形が鳥形で、エジプト神話の鳥イビスを発想の源泉とするデザインだと今井さんは書く。あちこちの細部にもピラミッドが散りばめられており、その一例はJK記念館だ。上部を切り取ったピラミッド構造をしており、ガイドは「彼はエジプトやピラミッドに興味を持っていたから、この形になった。下には遺体が安置されている」と説明し、まるでエジプトの王族扱いだ。最もモダンで人工的な都市の核心には、実は人類最古の文明のカケラが秘められている。国会議事堂に関する今井さんの説明も興味深い。連邦議会ビルは2本のビルが中間でつながれたH型をしているが、これはHOMENの頭文字で、直立した人間の不死身性を表現しているのだという。さらに上向きのお椀は「下院」で、下からの民衆の力を示すと同時に、宇宙のエネルギーを吸収することを意味する。下向きのお椀は「上院」で力のコントロールを示すと同時に上から吸収した宇宙のエネルギーを開放する(『ブ五十周年』79頁)という。さらに陸軍総本部ビルの入り口へ。1822年にポルトガル軍とバイーアで戦って勝った独立の英雄〃陸軍の守護者〃ドッケ・デ・カシアスが使っていた楯を横にした形の巨大な門構えで、内壁はフクロウのように見える図柄がある。これはカシアスがフリーメイソン会員で、彼の属したそのグループのシンボルがフクロウだったことから図案が生れたという。フクロウの前で手を叩くと、木霊が響きわたるようにオスカー・ニーマイヤーが設計しており、独特な神秘空間になっている。(つづく、深沢正雪記者) 写真=故郷巡り参加者のみなさんの後ろにそびえ立つ2本のビルが連邦議会。中央が通路でつながってH型をしている この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月7日付け 在サンパウロ日本国総領事館(福嶌教輝総領事)は5日、総領事公邸で『平成24年度百歳高齢者表彰』を行った。32人の対象者(うち3人が死去)のうち本人が14、代理人が2の計16人が出席し、福嶌総領事から記念品と賞状が手渡された。来賓には県連、文協、援協の日系3団体の会長に加え、日系老人クラブ連合会の松平和也副会長が駆けつけ、会場を訪れた家族・親族ら約50人らによって受賞者が祝福された。 今年の表彰者は全世界9在外公館の計60人。サンパウロ管内だけでその半分以上を占めた。挨拶に立った福嶌総領事は「日本から遠く離れ、言語や習慣、文化の異なる環境のもと、波乱万丈な人生を歩まれた後に百歳を迎えられたことは本当に喜ばしく嬉しい」と受賞者を讃えるとともに、「こういったご長寿は、家族・友人らとの温かい交流があればこそ」と来場した親族らにも敬意を示した。「嬉しくて嬉しくて、言葉になりません」と話すのは丸山よし古さん(100、長野)。編み物と読書、新聞を読むことが日課で、70代で始めたゲートボールも20年以上続けた。健康の秘訣は「毎日漬物を食べること」だそう。同伴した長女の平尾要子さん(77、同)は「周りの皆さんのおかげ。立派に賞状を受け取る母の姿を見て涙が出ました」と感慨深げに語った。1935年に来伯し、第一アリアンサを中心に25年間日本語教師として働いた市脇あささん(脇の『力』三つが『刀』、100、愛知)は「51歳で亡くなった夫から引き継いで、83歳まで教師を続けた。当時は仕方なく引き受けたというのが本音だけど、今はやって良かったと思う」と振り返る。「もう流石に教師は出来ないけれど、まだまだ頑張って生きていきたい」と元気一杯に語った。新聞を読むことが何よりの楽しみだという藤田恭ヒサ(人偏に『久』、99、鹿児島)さんは、戦前戦後と二度に渡ってブラジルに移住した経歴を持つ。24年に家族とともに渡伯、30年代前半に、先に日本に戻った両親からの声を受け帰国した。大阪などで会社員として働くものの、「心はいつもブラジルにあった」という。父の死をきっかけに、58年に呼び寄せで再渡伯し、トマト栽培など農業を営んだ。「どうしてもブラジルが忘れられなくてこちらに来たのに、日本からこんなに立派な賞を貰えるなんて本当に光栄」と笑顔で話した。孫の文岡正樹さん(44、二世)は祖父の受賞に目を細め、「凄く嬉しい。この年になっても毎日元気に過ごすおじいちゃんを見ていると、自分ももっと頑張らなければ、と奮い立たされます」と話していた。