ニッケイ新聞 2012年11月28日付け 大阪なにわ会(下平尾哲男会長)が『第73回慈善バザー』を、12月2日午前9時から同会館(Rua Domingos de Moraes, 1581, Vila Mariana)で開催する。 婦人部の手芸品のほか寿司、なにわうどん、天ぷら、おしるこ、パステルなど食べ物も販売。協賛業者も多数出店する。 案内のため来社した久保美恵子・婦人部会長、役員の松原信子、桑原妙子さんらは「年末の限定用品もあるので、お誘いあわせの上お越しください」と呼びかけている。 問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。
Dia: 30 de novembro de 2012
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の『東北被災地応援ツアー』が先月14日から今月4日まで行われ、訪問団17人が岩手、宮城、福島の被災3県を訪れるなど活動を行った。目玉企画として注目されていた各県から伯国に青年を招聘する特別事業に関しても、本橋幹久団長が「前向きな検討を期待できる」と語るなど、好意的な反応が得られたという。 「訪問した全てのところで、『わざわざ遠いところからありがとう』『こんなに嬉しいことはない』と歓迎してくれた」。参加者17人中のうち、約半数8人を出した福島県人会の小島友四郎会長は、そう振返る。一行は18~24日に、岩手県陸前高田市や宮城県石巻市、福島県いわき市など、東日本大震災で大きな被害を受けた被災地を訪問した。中でも福島第一原子力発電所の事故により設定された避難区域の境界線に隣接する、いわき市久之浜区に設けられた「浜風商店街」では、店舗を運営する地元民との交流も行われた。小島会長は「ただ行くだけで自分に何ができるだろう、と不安に思ったりしたけれど、訪れることの意味を感じることができた」と感慨深げに話した。被災地の現状も目の当たりにし、小島会長は「久之浜から20キロほど行った高台から避難区域を見渡したが、手入れする人も勿論居らず、繁殖力の強いアメリカなんかの植物が街中に広がって一面に黄色い世界が広がっていた。人が1年ちょっといないだけでこんな状態になってしまうとは…。故郷を思う人のことを考えると本当に胸が痛かった」と声を詰まらせた。各県庁の訪問では、県連、援協、文協の共催で計画が進められる被災青年の招聘事業についての説明が行われた。本橋団長は本紙の取材に対し「3県庁全てで大きな歓待を受け、我々の訪問を心から喜んでくれているようだった。提案した事業についても好意的に受け取ってもらい、良い感触が得られたと思う」と話し、コロニアからの応援の気持ちが通じたとの印象を持っているという。今後は、県側からの正式な参加表明の連絡を待った上で、招聘事業の具体的な内容を確定させていく予定になっている。被災地の復旧にはまだまだ時間がかかる。コロニアとしてできることは何か。大震災支援事業はまだ終わっていない。 写真=福島県の国際交流担当課長に義援金と招聘事業計画書を渡す本橋団長(中央)
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 県連の被災地応援ツアーで訪れた浜風商店街。本橋団長によれば、県連側から紹介する形で、ブラジルでも活躍する歌手・中平マリコさんのコンサートが計画されることになったとか。震災により元気を失った街を盛り上げるために様々なイベントを行っている同商店街と、被災各地で支援活動を行っている中平さんの「需要と供給」が合致したことで検討されるに至ったという。
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 一行の浜口洋さん(68、三重)も小山徳さん同様に工業移民で、最初はNEC、73年からはテレブラスに勤めていた。「軍事政権は電信電話による全伯のインテグラソン(統合)を目指していた。70年代にようやく電話が普及したが、それまではリオ・サンパウロですら電話をかけるのに半日待ったりした」と思い出す。軍事政権は電信電話公社にポルト・アレグレからマカパーまで一瞬にしてマイクロウェーブで飛ばす構想を立てさせ、60年代後半に入札を実施し、欧米の激しい売り込みを抑えて、ブラジルNEC(1968年創立)が入札した。カラーテレビ用の映像を飛ばすことも全伯マイクロウェーブ構想の重要な目的だった。70年のサッカーW杯メキシコ大会で伯国が3度目の優勝を飾ったのを契機に、当地では一気にカラーテレビへの欲求が高まり、軍事政権が実施した。ブラジル人としてのアイデンティティを醸成するには、広大な国土に同じ映像、ニュースを流し、国民に共時性を感じさせる必要があり、そのための国家的基幹設備だった。青年隊員らの奮闘により、72年2月19日、南大河州カシアス・ド・スル市のブドウ狩りの映像が北伯ベレンで初めて生中継の試験放送された時、小山さんは「これでブラジルの電信電話は世界的なレベルになった」と充実感をもってパラー州都で見ていたという。72年3月31日には正式な公開放送が始まった影には、日本企業と技術移民の血と汗と涙が隠れていた。小山さんは「今ではマイクロウェーブじゃあチャンネル数が足りなくなって、もう衛星放送とか光回線の時代だけど、まだ設備は残っているよ」と車窓を指差した。「それに、ボクがサンルイスにいた頃は、レンソイスなんて誰も知らなかったな」。サンルイスから南に車で4時間、次の目的地レンソイス・マラニェンセスの大砂丘が価値ある観光資源として〃再発見〃されたのは実に90年代初頭、最近のことだ。 ☆ ☆ 「なぜだ。この町はバンデイランテ(以下バンジ、トヨタ車)ばかりじゃないか!」一行を乗せたバスの中では、そんな声があちこちから聞こえた。変わり映えしない砂地の上に薄い養土層しかない潅木林を延々と4時間、サンルイスから東南に260キロ、レンソイス・マラニャンセス国立公園の中にある、バレイリンニャス(Barreirinhas)という小さな町でのことだ。ここが砂丘観光の出発点だ。日系人もまったくいない町で、なぜかバンジだけが闊歩している。同車はブラジル・トヨタ社(58年創立)がサンベルナルド工場を設置した1962年から生産を開始し、01年までジープや小型トラックとして生産され続けた。日系農業者はもちろん、広く、長く愛された実用車だ。聖州では街中で見ることは少なくなったが、この町では荷台を3列の客席に改造したバンジが、数え切れないほど現役で走っている。さっそく現地ガイドのレオナルド・ソウダ・サントスさんに理由を聞くと、「知らないのかい? ここはブラジルで一番トヨタ車の比率が高いが町として有名なんだ」と胸を張った。「どうして?」と畳み掛けると、「一番丈夫だから。トヨタは壊れない。他社の車も試したけど、砂丘を走らせたらすぐに壊れる。最後に残ったのはトヨタだった」と断言する。「新車はもうないでしょ?」と聞くと、「新古車や中古車の状態がいいのを探してきて使っているんだ」。カローラが生産開始された98年以前をよく知るトヨタ社員が訪れたら、感激すること間違いなしの場所だ。(つづく、深沢正雪記者) 写真=さっそうと艀を降りるバンジ、続くのもバンジ/バンジの荷台の客席のみなさん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 将来の農業リーダー育成を目的に実施される「兵庫県若手地域農業リーダー海外派遣団」が3日に来伯、兵庫県人会(尾西貞夫会長)が14日、聖市レストラン「誠」で歓迎会を実施した。県内の農業高校・大学校の学生や農業分野で活躍中の後継者を対象に毎年実施されている。今年で34回目。今回は5校から10人の大学・高校生らおよび、三好昭宏団長、伊林淳弥副団長が訪伯した。一行はバストスの養鶏場やマリンガのコカマール農協などを見学し当地の先進的農業を学び、クリチーバ日伯援護協会が運営する日本語学校の生徒との交流や、日系人宅へのホームステイなどを通し人々との親睦を図った。また、今年はアプカラナ市の農業学校への訪問を3日間に延長したことで、同校での実習・交流が更に充実したものとなった。三好団長(54、兵庫)は「皆さんに支えられていい研修が出来た」と県人会の支援に感謝を述べ、尾西会長も「経験を活かしてほしい」と生徒らを激励した。乾杯、食事の後、生徒一人ひとりが「毎日カルチャーショックだった」「ブラジルと日本の牛肉の違いに衝撃を受けた」など、自己紹介や感想を発表していた。本紙の取材に対し、兵庫県立農業大学校の眞矢未来さん(19、兵庫)は「言葉が通じない海外の人と接するには、もっと積極的にならないと駄目だと思った」、同校の山本明日美さん(19、兵庫)は「大規模だけど、細かい所まで機械で管理されていてびっくりした」などと話した。それぞれが農業分野に限らず、様々な側面における文化的差異を肌で感じた様子だった。一行は15日に聖市を出発、17日に帰国した。
