06/03/2026

Mês: novembro 2012

ニッケイ新聞 2012年11月24日付け 慶祝 ブラジル鳥取県人会創立60周年記念式典 【鳥取県】副知事 藤井 喜臣教育次長 生田 文子交流推進課課長補佐 山下 大治同課主事 堀本 将也 【県議会】議長 伊藤美都夫議員 横山 隆義議員 砂場 隆浩議会事務局係長 溝内  博 【鳥取市】副市長 深澤 義彦議会議長 中西 照典議会事務局長 中村 英夫企画調整課長 國森  洋同課主任...
ニッケイ新聞 2012年11月23日付け 二つの移住地がうまくいかなかった後、日本政府は土地を買い上げて、ロザリオ移住地から出た数家族などを入植させた。西脇家、上田家、細江家(パラー州から)、田坂家、四元家(よつもと)、土居原家(どいはら)、大塚家などが今も残っているという。交流夕食会に招待された地元日系人4人の一人、細江ハミルさん(62、二世)はその細江家のメンバーだ。彼は「祖父は1929年にトメアスーに入った」というので、由緒ある初期アマゾン移民だ。ハミルさんはそこで生れ、74年に父が養鶏をしにマラニョン州に南下したことから、ハミルさんもこちらでエンブラテルに就職した。『トメアスー開拓50周年史』(1985年)をひも解くと、第1回移民(29年9月着)には「細江」姓はいない。だが、第2回(同年12月着)には「細江喜一郎」(宮崎)の名があり、「マラニョン州」と付記されている。喜一郎がハミルさんの父だろう。地図で見ると、サンルイスからサンパウロまでは2970キロもあるのに対し、パラー州都ベレンとマラニョン州都サンルイスは805キロしか離れていない。近くはないがブラジル的にはりっぱな隣州だ。どちらも法定アマゾン地域であり、風土的にも〃近い〃関係ようだ。同地の山田さんは日大農獣医学部拓殖科卒、学生時代に少林寺拳法で全国学生3位に輝いた武術の達人だ。「トランスアマゾニア沿いの開拓をしたくて移住した」という初志を持ってきた。全拓連がやっていた農高生移住制度で74年に渡伯し、聖州の全寮制農業学校で3年間学んだ最後発の戦後移民だ。「学校で学んでいる間にトランスアマゾニアの開拓事業がうまく行かなくなり、連邦政府が放棄してしまった」と述懐する。初志貫徹は難しくなったが、そんなことで挫ける山田さんではなかった。「おめおめ帰れるか!」と思いとどまり、ゴイアス州のフランス系鉱山会社の灌漑設備計画を依頼され4年間従事し、その後、トゥクルイー発電所建設現場で野菜作りをした後、86年にサンルイスに出た。「山の中にいるのが嫌になった。海の魚が食べたい。カラジャス鉱山ができて、日系企業がでてくるかも」という期待もあった。翌87年に自ら発起人になって同地の日伯文化協会を作り、初代副会長に就任した。それ以前から日本人だけの「日系自治会」は存在したという。現在の会員数は65家族で、大学教授、技師などが多い。「私もふくめ配偶者はほとんどブラジル人。だから家庭内で日本語を話さない」。日伯協会では年に一度、運動会を催す。主にブラジル人対象の日本語教室を開いている。そこから日本留学生もでている。「この10年で、この町は大きなビルが林立するようになり、滅茶苦茶変わりました」。中島信之さん(61、山口)は1957年に家族でベレンに入植した戦後の子供移民(当時6歳)だ。ベレンから20キロのところで養鶏をしていたが、大学で電気科を専攻し、マラニョン州電気公社に就職したことから同地で33年間働いている。アマゾンからの南下組だ。「08年の移民百年はあまりここではやってないね」とポツリ。聖州ツッパン生まれの二世、川岡ミリアンさん(56)は、夫の仕事の関係で85年から同地在住だ。合計8年間ほど同協会の日本語講座を手伝っている。「漫画やアニメ好きなブラジル人ばっかり。この町でアニメ祭りもあるんです。コスプレやったりとか」。一行の及川君雄さん(75、岩手)=アチバイア在住=は「こんなに日系人が少ないのに日本語学校をやってることが素晴らしいと思った。日本語教育も日系子弟ばかり当てにしていたら先細りになる。この発想に参考になるヒントがあるような気がする」とうなずいていた。(つづく、深沢正雪記者) 写真=中島信之さんと山田清さん/右手前から細江ハミルさん、川岡ミリアンさん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月23日付け 広島県人会の有志のボランティアが同センターで行う高齢者デイ・サービス「もみじの会」。2004年に始まった活動だが、年々少しずつ利用者が減っており、5年前の約半分の人数となっているのだとか。関係者も「あんまりが多すぎても困るけど、徐々に減ってしまい寂しい」とため息。イベントや会運営で若者不足が叫ばれるコロニアだが、元気な高齢者の減少も問題!?同会への参加希望、問い合わせは同県人会(11・3207・5476/杉山さん)まで。
ニッケイ新聞 2012年11月22日付け サンルイスに到着した10月1日昼、郷土食レストランでは名物「Arroz de Cuxa」が大人気だった。ビナグレイラの葉を刻んで、ゴマ、乾燥エビなどと炒めてご飯に混ぜた焼き飯の一種だ。海ノリのような独特のまったり感があり、日本人の口に合うようだ。現地ガイドは「この料理は黒人奴隷がアフリカから持ち込んだ」といい、植民地時代の〃味〃だと強調する。ただし、サンルイスに住む聖州出身の日系二世に言わせると「サンパウロでハナ梅に使う木と同じ種類」という。だとすれば意外に身近な素材だ。デザートのアイス類はバクリ、アサイ、クプアスーなどアマゾン流域と一緒だ。昼食後、セントロ観光に向かう。ガイドの説明では、欧州からサルバドールは船で60日かかるが、サンルイスなら35日と近く、たくさんの黒人奴隷が連れてこられ、1800年代まではサトウキビ、棉産業で栄えた。米国、欧州への綿輸出基地として、サルバドール以前からの植民地運営拠点として栄えた歴史を持つ。それゆえ1888年に奴隷解放令が出された途端、マラニョン州は没落を始めた。その直前までサンルイスは、リオ、サルバドールに次ぐ国内3番目の人口を誇る大都市で、富裕層子弟は欧州で教育を受けるような場所だった。海岸線から7メートル上の崖の上にたつ隣の市役所は1689年、となりの州政庁は18世紀末の建設で、「文明化地区はここの建設から始まった」とガイドはいう。その奥のサンルイス大聖堂は1629年建設だから、伯国史において最も古い場所のひとつであり、この地区全体がブラジリア同様にユネスコの世界遺産に指定されている。ガイドから「ポルトガル人が作った町は、必ず山の手(シダーデ・アウタ)に行政機関を集め、下町(シダーデ・バイシャ)を商業地区にする」との説明を聞き、なるほどサルバドールもそうだと一同納得する。メルカードへ下る坂道は狭く、石畳になっていて古き良き欧州の風情がある。一行の熊谷(くまがい)裕子さん(75、二世)は「3年前にポルトガルのコインブラに行ったけど、あそこに町並みにそっくりね」と驚いた様子だった。 ☆   ☆ サンルイスに住む日系人はどこから来たのか?――との疑問を抱き、さっそく現地の日系人4人を招待して行なわれたブリザマール・ホテルでの交流夕食会を取材した。戦後移民で同地在住の山田清さん(61、大阪)によれば、サンルイス近郊には戦後二つの日本人移住地が作られ、計45家族が入ったという。その一つは、サンルイスに野菜を供給する目的で、ジャミック(後のJICA)が1960年に60キロほど離れた所に作った「ロザリオ移住地」だ。つまり、一昨年の2010年が同地日本人入植50周年だった。ロザリオには20家族ほどが入植したが水がでないなどの問題が起こり、2年でバラバラになってしまい、当時問題になった。雨期に小川はできるが、乾季には完全に乾く状態だったという。もう一つは、州都に卵を供給するために養鶏中心の移住地をジャミックが1961年に計画した。州政府の補助を受けて25家族の予定だったが、全部入らず、しかもアルミ精錬工場が出来たために立ち退きさせられる羽目に陥った。賠償金を受け取ってパラー州、聖州、ブラジリアなどに散り散りになってしまったという。山田さんは「その2ヵ所以外ほとんど日本人は来ませんでした。あとパラー州から流れてきた家族が5、6家族いるぐらい」という。戦前の移住地は日本人が日本人のために作り、一攫千金を狙えるコーヒー、棉などの輸出作物が多かった。戦前に〃農業の神様〃の定評を得た日本移民は戦後、ブラジリアしかり、北伯の州都近郊しかり、悪い土地でも野菜を生産できる技術を期待され、地方政府からの要請で日本人移住地を作った例が多いようだ。(つづく、深沢正雪記者) 写真=サンルイスの州政庁前でガイドの説明を聞くみなさん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月22日付け 今年から当地への商品輸出を始めた秋田の健康食品会社「エムアンドエム」。佐々木正光社長は「今後は米、味噌、塩麹なども輸出したい」と意気込む。また、来年の日本祭りでは自社の商品に限らず、秋田の他社商品をはじめ日本全国、東日本大震災の被災県の「伝統的なうまいもの」を紹介予定。川合昭・秋田県人会長は「今まで来てくれなかった小町娘(美人コンテストの入賞者)も呼べそう」とウキウキ。
ニッケイ新聞 2012年11月22日付け 「人に良いと書いて『食』」をコンセプトに健康食品を製造・販売する株式会社「エムアンドエム」(1995年設立、本社秋田)から、当地におけるビジネス拡大を目指し佐々木正光代表取締役社長(59、静岡)が来伯、25日まで滞在し日本酒の試飲会などを行う。 佐々木さんは10代の頃、「いいもの」だと思っていた着色料・保存料に毒性の尺度LD(ネズミの致死量)が適用されているのを知り、食品への疑問を抱いた。法制度を知るため法学部に入学、卒業後東京都庁に入社し制度改革を目指したが断念し、「本物の食料を作ろう」と地元秋田に戻り農業を始めた。 以来、「舌ではなく体が喜ぶ食べ物を」と、同社で減農薬・有機栽培で育てたあきたこまち玄米「ギャバライス」、フリーズドライしたスナック納豆や海水を天日乾燥した塩などの健康食品を販売する。 自社商品の品質には確かな自信があるが、「価格が割高になるから、安ければいいという日本では売れない」と、海外28カ国に輸出。伯国には、今年6月から大和商事を通して日本酒、醤油を輸出しており、「ブラジルはライバルが少ないし、県人会がしっかりしているからタッグを組める。将来有望な市場」と見てビジネス拡大を目指す。 「日本は健康・自然食品の基準がない。高く売りたい人がやっていて中身が伴っていない」と佐々木さんは話し、「裏づけのある本物の食料を紹介したい」と意気込みを見せた。 試飲会は▼22日午後8時~居酒屋「一茶」(Rua Barao de Iguape, 89, Liberdade)▼24日午後8時~「アゼ寿司」(Rua Dr. Renato Paes de Barros,...
24日(土曜日)◎故榊原久雄さんの個展は、午前10時から聖市ジャルジン・パウリスタ区の間部ジョーギャラリー(Av. Brigadeiro Luiz Antonio, 4225)で。◎ウニベルソ・ダ・アクアレラ協会の水彩画展は、午前10時から聖市リベルダーデ区のサンパウロ商業協会中央地区(Rua Galvao Bueno, 83)で。25日も。◎工房恵(けい)のクリスマス慈善バザーは、午前10時から聖市プラッサ・ダ・アルボレ区の島根県人会館(Rua das Rosas, 86)で。25日も。◎「アートは最適な贈り物」展は、午前10時から、聖市ベラ・ビスタ区のデコ画廊(Rua dos Fran ceses, 153)で。25日も。◎中田東洋医学院の和柔整体法特許権取得記念治療講演会は、午前11時から聖市リベルダーデ区の文協貴賓室(Rua Sao Joaquim,...
「サンパウロ・鳥取友好の森」計画 【既報関連】ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は創立60周年記念事業の一環として、「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトの記念式典と植樹を17日午後から聖市の聖州環境局森林院森林公園内で行った。 同プロジェクトは「マタ・アトランチカ(ブラジル大西洋海岸林)」の代表的な樹木60品目318本を鳥取県と県人会が合同で公園内に植樹し、さらに県人会と森林院が共同で管理して将来、森林の状態で聖州政府に贈呈する計画。当初、植樹数は200本の予定だったが、同県民の協力が多く118本も増えたという。本数増加に伴い、植樹場所も別にもう1カ所設けられた。 夏の日差しが照りつける中、同院1号館本部前で行われた式典には、母県から藤井喜臣副知事、伊藤美都夫県議会議長、野坂康夫米子市長ら公式訪問団15人と鳥取ブラジル友好協会員を含む民間訪問団11人、本橋会長、山添源二副会長、ミゲル・フレイタス森林院総裁や県人会員ら約150人が出席した。 37年間、同院に勤務した元総裁の山添副会長は聖市の近くで安全な場所という条件の植樹場所を選定することに苦労したが、同院1号館本部の横という絶好の場所を貸してもらえることをうれしそうに報告した。 本橋会長は「私たちが予想していた以上に鳥取県民が協力してくださったことに感激している。きょう植える木と同じように県人会も年の歳月を迎えていきたい」と目を輝かせた。 鳥取緑化推進委員会長も兼務している伊藤県議会議長は「きょうの植樹を迎えるにあたり感謝と喜びを強く感じています」と語った。式典後、植樹に寄付した人の名前が書かれ同院1号館本部横の敷地に設置された記念石碑と、同県のシンボルである麒麟(きりん)獅子の頭の像が関係者らによって除幕された。植樹に寄付した人の中には石破茂、湯原俊二衆議院議員の名前も記載されていた。続いて、参加者がそれぞれの植樹を行った。 家族17人で17本の植樹をした千田初美さん(58、2世)は「兄弟4人が鳥取県に留学した経験があり、恩返ししたくて参加しました」と話した。 日本在住のいとこと伯国在住の家族の樹木を植えていた好重美甘さん(66、2世)は「ブラジルに少ない木を植えることは重要だと思います」と植樹の大切さを実感していた。 2012年11月22日付
山形県人会(押切フラビオ会長)主催の第9回山形民謡コンクールが、11日午前9時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催された。各カテゴリー別で歌声が競われた結果、高年の部に出場したサンミゲル・パウリスタ民謡部の小渕トミさん(67、群馬)がグランプリの栄冠に輝いた。 午前9時から開催されたコンクールでは、はじめに「のどならし」も含めて関係者約25人が登壇。「花笠音頭」を全員で熱唱した。開会の辞を述べた篠原俊巳副会長は、来年10月27日に開催される県人会創立60周年記念式典に合わせて、第10回コンクールに母県から民謡使節団が来伯する予定であることを発表。今大会開催実現にあたり、関係者への感謝の意を示した。 同コンクールは佐藤マリオ副会長の司会で進行し、審査員紹介後、「寿の部」を皮切りに約80人の出場者が自慢ののどを競った。昼食前にあいさつした押切会長は、子供のころに親から聴き伝えられた民謡を歌うことで健康増進につながりストレスの発散にもなるとし、「きょうは皆さんで楽しく過ごしましょう」と呼び掛けた。 昼過ぎには、特別出演としてロンドリーナ市在住の木村照子氏が浪曲を披露したほか、レジストロ大和民謡会及びジャパニーズ・ダンス・カンパニー優美と太鼓集団喜楽による芸能が、来場した参加者を感動させた。 同大会で「籾(もみ)すり唄」を歌い、初のグランプリに輝いた小渕さんは、「うそみたいで、信じられない」と喜びをあらわにしていた。 各カテゴリーの入賞者は次の通り(敬称略)。 【寿の部】1位=伊津野敬嗣。 【金寿の部A】1位=山本スギヨ、2位=田中千映子、3位=阿部秀富、4位=アサカ・レイコ、5位=谷口忠孝。 【金寿の部B】1位=市来輝子、2位=鈴木治郎、3位=吉田保子。 【銀寿の部A】1位=浜田良香、2位=宮島貞子、3位=武田くに子、4位=八木静代。 【銀寿の部B】1位=松田恵美子、2位=斉藤礼子。 【高年の部】1位=小渕トミ、2位=馬場アヤ子。 【青年の部】1位=海藤洋平、2位=長田ナンシー、3位=アリーネ・サーレス、4位=橋口ゆかり。 【優勝者の部】1位=海藤司、2位=太田信子、3位=木村照子、4位=海藤晶子、5位=小泉正雄。   写真=グランプリに輝き、押切会長からトロフィーを受け取る小渕さん(右) 2012年11月22日付
アリアンサ日伯文化体育協会のアリアンサ移住地創設80年史編纂委員会(嶋崎正男委員長)がまとめた記念史「アリアンサ移住地創設八十年」が、聖市リベルダーデ区の在伯長野県人会事務所(Praca da Liberdade, 130 sala 910)でも購入できるようになった。 同委員会の矢崎正勝副委員長(68、山梨)によると、同記念史の販売はこれまで郵送で行っていた。当初、日本移民100周年の2008年に出版を予定していたが、今年に入って完成し、8月に500部出版した。使用言語は日本語のみだが、来年ポルトガル語版の発刊を予定しているという。 なお、サンパウロでの購入が難しい地方の人に対しては、今後も郵送で対応するという。問い合わせは同県人会(電話11・3106・1268)まで。 2012年11月22日付
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け アナポリス日伯文化協会との懇親会には現地から約60人が参加し、婦人部が朝7時半から準備したという手作りの料理に加え、フェイジョン・トロペイロなど同地の名物料理も並ぶ中、県人別にテーブルに座って賑やかに話した。同文協の松原ジョルジ会長(57、二世)は実は聖市育ちで、仕事の関係で2000年から同地に住んでいる。現在の会員数は97家族で、運動会、ゲートボール、新年会、忘年会、母の日などの行事を行なう。資金集めのヤキソバ会は年に3、4回実施し、300人の来場者の半分はブラジル人だという。松原会長は「昨年の大震災の時、2万5千レアルの募金を集め、大使館を通して日本に送った」と胸を張る。3・11という日本の危機に対しては、日系社会が一丸となって支援に取り組んだことが、どこにいっても感じられた。 ☆   ☆ 3日目、翌10月1日、朝食の機会にマリンガーからツアーに参加する草川一郎さん(81)と一緒になり、戦後、聖州から大挙して首都建設に向かう前、多くの二世がまず北パラナの開拓に向かった話を聞いた。バウルー近くのドアルチーナに生まれた草川さんは、前年にできたばかりのマリンガーに48年に入植した草分けだ。「原始林のど真ん中だったけど、もう日本人は10家続ぐらいいた」と笑う。父の四郎が最初にロンドリーナに様子を聞きに行くと「一番の新開地はマリンガーだ」と紹介され、さらに「そこにカーザ・ペルナンブッカーナが出来た」と聞いた。「あんな大商店が投資を決断する町なら、間違いなくこれから発展する」と考え、入植を決断した。「そのあと、土地が痩せたノロエステ線とかパウリスタ線からたくさん入ってきたよ」。そのような流れの中で、首都にも二世や戦後移民が入り込んでいった。 ☆   ☆ 早々に朝食を終え、出発時間前には全員がロビーに揃っている。その様子を見て、グローバル旅行社のガイド、中西マリア惠子さん(56、二世)は「集合時間の15分前、30分前に集まっていることは、普通のブラジル人のツアーではありえない」と比べる。「普段は私たちがツアー客を急かす側なのに、故郷巡りでは『揃っちゃっているんだから、どうして時間前に出ないんだ』って逆に急かされるくらい」と笑う。 28回も故郷巡りに参加している常連の行徳志保子さん(77、二世)=モジ在住=は、「(モジで)お店を始めた時、知人の息子さんとかの大学の月謝を何人か手伝ってあげたのね。そしたら、故郷巡りで行った先々に社会人になった彼らがいて、歓迎してくれるのが嬉しい」と微笑む。父鍔本茂さん(つばもと・しげる)は戦前、18歳で船乗りになり、亜国に密入国して洗濯屋になったツワモノだ。4年後に日本に戻って、今度は米国ニューヨークに密入国、そこで出会った永田稠(しげし)からアリアンサ移住地入植を勧められ、力行会に入会して渡伯し、そこで志保子さんが生れた。スザノのセラミカ行徳は夫の兄の会社だ。 ☆   ☆ 一行はブラジリア空港から飛行機に乗って、マラニョン州都サンルイスに2時間半で到着。扉が開くと、法定アマゾンの湿気を含んだムッとした熱気が入ってくる。貸し切りバスに乗り換えると、地元のガイドが乗ってきた。伯国内では唯一フランス人に占領されて創立(1612年)した都市であり、「聖ルイス」は当時のフランス国王ルイ13世にちなんで命名された。3年後にはポルトガル人によって奪い返されたが、世界史上有名なブルボン王朝の絶対君主と同地のとの珍しい接点だ。そのフランス占領から数えて、この9月8日が「400周年」であり、それを記念する旗が市内各所に掲げられていた。(つづく、深沢正雪記者) 写真=草川さん/行徳さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)の創立60周年を記念した式典と祝賀会が、18日午前10時から鳥取交流センターで盛大に行われた。鳥取県からは伊藤美都夫県議会議長、藤井喜臣副知事、野坂康夫・米子市長など県、県議会、鳥取市、米子市の公式訪問団、民間訪問団を合わせて27人の慶祝団が来伯したほか、福嶌教輝在聖総領事、各県人会代表なども出席し、集まった約350人が節目の年を祝った。 県人会は1952年4月、鳥取市で市街の8割が焼失する大火災に見舞われた折、当地の県人が募金活動を始めたことがきっかけで発足した。 現在は約300家族の会員がおり、1995年11月に落成した鳥取交流センターでは、県の伝統芸能「鳥取しゃんしゃん傘踊り」「銭太鼓」や日本語学校など数多くのカルチャー教室が開かれるなど活発に活動が行われているほか、県費留学生や技術研修生の派遣、ミランドーポリスの第二アリアンサ鳥取村には県から日本語教諭が派遣されるなど母県との交流も続けられている。 本橋会長は式辞で、県人会活動における最重要事項を母県との交流と位置づけ「今後も県との絆を大切にしながら成長したい」と決意表明した。 続いて4年前に来伯し55周年式典に出席した平井伸治知事のビデオメッセージが流され、その中で知事は今後の県と県人会の交流活発化に期待するとともに、今日の日系社会のブラジルへの発信力を称えた。 また伊藤議長は、「県議会としても交流を深める努力をし、日本一人口が少ないが住みやすい、活力と魅力ある県にしていきたい」と挨拶し、藤井副知事は自身も県人会創立と同じ年に生まれたため感慨深いとのべ、県の伝統芸能や郷土食の一層の普及に期待した。野坂康夫・米子市長に続いて深澤義彦・鳥取市副市長も祝辞をのべ、鳥取・ブラジル交流団体連絡協議会会長の挨拶を、民間訪問団団長の石谷雅文さんが代読した。 その後、60周年記念事業の「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトが紹介された。元聖州環境局森林院総裁で第一副会長の山添源二氏の発案で行われたもので、式典に先立ち17日、記念セレモニーが行われている。 続いて県から加藤恵久前会長、佐々木陽明さんに特別功労賞、10人に功労賞、末永加藤八重子さん、江川加藤千賀子さんの2人に高齢者の表彰が行われた。代表して謝辞をのべた加藤さんは県からの訪問団来伯に「本当に嬉しい」と繰り返しのべ、「県人会が頑張っていることを伝えてほしい」と語った。 最後に鳥取県民歌「わきあがる力」を来場者一同で斉唱し、ケーキカットと鏡割りが行われ、賑やかな昼食、アトラクションへと移った。またその他、県からの支援金を受けセンターの防災設備も完成しており、そのお披露目も行われた。
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け 「原稿を読むだけでは面白くないので…」と、鳥取県人会の60周年式典で自分の言葉で挨拶した野坂康夫・米子市長。外務省出身でかつてカナダのバンクーバーで3年間総領事を務めたという。同地には日系人が約3万人おり、当地と同じく先没者の慰霊に参拝していたといい、「地域に根ざし、その地をよくしようとする姿には涙した」とか。福嶌総領事の12年先輩にあたるという野坂市長、「(福嶌総領事に)ブラジルと日本の関係強化に力を入れるよう重々伝えておきますので」といい、場を沸かせていた。
伯国社会との取り組みを「鳥取友好の森」植樹も実施 ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は18日、聖市ミランドポリス区のブラジル鳥取交流センターで「創立60周年記念式典」を開催した。式典には、母県から藤井喜臣副知事、伊藤美都夫県議会議長、野坂康夫米子市長ら公式訪問団15人のほか、鳥取ブラジル友好協会員を含む民間訪問団11人が出席。伯国側からは、福嶌教輝在聖総領事、園田昭憲県連会長、木多喜八郎文協会長、毛利連援協副会長らが足を運び、総勢約350人が節目の年を祝った。式典の前日には、記念事業として「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトの記念式典及び植樹が聖市の聖州環境局森林院で行われた。 式典は千田初美同県人会副会長による開式の辞で幕を開け、日伯両国歌斉唱、先没者への黙とう、来賓紹介と続いた。本橋会長はあいさつで「創立以来60年、年輪を1回りして還暦となりました。これから新しい輪、すなわちサイクルに入っていく節目でもあります。今後の県人会活動として会員は2世以後の世代となり、日系団体でありながらブラジル一般社会との取り組みを考えなければならないでしょう」と述べ、次世代に期待を込めた。 会場のスクリーンに映し出されたビデオメッセージで平井伸治知事(51、東京)は、「記念事業の植樹をされ、永遠の友情を誓い合うこととなりました。植えられた木が育つのと合わせて日本とブラジルの交流が一層盛んになることを願っています」とさらなる日伯関係の強化を望んだ。 伊藤県議長、藤井副知事、野坂米子市長に続いて、竹内功鳥取市長の祝辞を深沢義彦副市長が代読したほか、石谷雅文民間訪問団長、福嶌総領事、日系3団体を代表して園田県連会長もそれぞれあいさつした。 引き続き、同県人会から平井知事をはじめとする13人に感謝状が贈られ、代表で藤井副知事が本橋会長から賞状を受け取った。聖州環境局森林院の元総裁を務めた山添源二県人会副会長は、記念事業「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトについて来場者に説明。鳥取県からは同県東部に古くから伝わる獅子舞の麒麟(きりん)獅子の頭が同プロジェクトに贈与された。 鳥取県からは、県人会の特別功労者2人、功労者8人、80歳以上の高齢者2人を表彰。特別功労者として表彰された元県人会長の加藤恵久さん(72、2世)は「鳥取県人会が頑張っていることを日本で伝えてほしい」と代表であいさつした。 県人会と母県関係者との記念品交換では、民間訪問団から県人会にシャンシャン傘10本などが贈呈。締めくくりは鳥取県民歌「わきあがる力」を全員で斉唱し、会場が一体となって閉会した。その後、鳥取県からの激励金の一部で設置された防火設備の一部である消火栓の放水が訪日団らに公開された。 祝宴では来賓らによるケーキカット、鏡割りが行われ、木多文協会長が乾杯の音頭を取った。記念アトラクションではシャンシャン傘踊り、銭太鼓、淀江さんこ節などの同県伝統芸能をはじめとする約20演目が披露。藤井副知事や深沢副市長らも傘踊りを踊り、野坂市長と奥田晃巳米子市民自治振興課長補佐(50)は、淀江さんこ節を踊ったりと会場を沸かせた。淀江さんこ節暦20年で同節の指導者の奥田さんは「お客さんが喜ぶことが大事」と満足げな笑みを見せていた。 傘踊りを続けて約20年という会員の野村澄江さん(91)は「こんなに大勢の方が来てくれて感動しています」と話し、3人の子供が県費留学した西尾雅夫さん(72)は「鳥取県とすごく良い交流ができているのでとてもうれしい」と満足した様子だった。 来伯3回目となった鳥取ブラジル友好協会の角馬晃子監事(74)は日本で研修生の着付けなどを世話した人と会えた喜びを語り、「鳥取県人はお人よしで情に熱いからこんなにたくさんの人が集まったのでは」と話していた。 2012年11月20日付
鳥取県人会創立60周年記念式典の後に行われたアトラクションでは、米子市から訪れた奥田課長補佐がひときわ目立っていた。同県人会の青年らが披露した「銭太鼓」に飛び入り参加し、ばちを落とすなど、おどけた技を連発。大きな笑いを誘っていた。同氏によると、鳥取伝統芸能の中には酒の席で生まれたものもあるという。そんないわれのある芸で絶妙な笑いを取る奥田課長補佐の力量に感心させられた。忘・新年会が近付くこれからの季節、各県人会対抗で伝統芸能の隠し芸大会など行えば盛り上がりそう。 ◎ 鳥取県人会創立60周年記念式典の式辞の中で、野坂米子市長は慰霊碑について少し話をした。同氏によるとカナダのバンクーバーでは、第二次世界大戦中に日本人とかかわりのある神社や寺などは、すべて壊されたという。しかし、第一次世界大戦後に造られた日本人の慰霊碑だけは今もなお、残っているとか。カナダ人にとって慰霊碑が、寺や神社とは違う特別なものと感じたどうかは今となっては分からないが。 2012年11月20日付
ブラジル北海道協会青年部(田尻えりか会長)は、25日午前11時から午後3時まで毎年恒例の「2012年度餅つき祭り」を聖市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Joaquim Tavora, 605)で開催する。 同祭では、臼と杵でついた白餅(12レアル)のほか、雑煮(10レアル)、汁粉(7レアル)、さまざまな種類の味が楽しめる焼き餅(5レアル)を販売。また、今年は北海道名物のデザート・生チョコレートも販売される。 会場のアトラクションとして、イッシンよさこいソーラン・グループが踊りを披露するほか、各種賞品をそろえたビンゴ大会も開催される。 田尻会長は「ご家族そろって、お祭りにお越しください」と来場を呼び掛けている。問い合わせは北海道協会のウスイ氏(電話11・5084・6422)まで。 2012年11月20日付
 【既報関連】ブラジル国内で美容学校・化粧品店を展開する「グループ TAKEO」を創設した上原武夫さん(沖縄)の自叙伝「思い出の記 渡伯55年」出版祝賀会が、13日午後8時から聖市ビラ・カロン区の沖縄県人会ビラ・ カロン支部会館で開催され、会場には同書出版を祝して家族、友人ら約300人が集まった。 祝賀会では、上原さんの長男テリオさん(44、2世)が家族を代表してあいさつ。同書ができた経緯を説明し、完成した喜びを語った。また編集担当者の宮城あきらさんは、編集過程でのエピソードを紹介。「上原さんが受賞した外務大臣賞について書くかどうか」という場面があったことに触れ、上原さんの謙虚な人柄に敬意を表した。 あいさつに立った上原さんは、パソコンで文字を打ち込む作業の苦労話や協力した人たちに謝意を述べ、「本当は自分のこれまでの歩みを家族や親戚に残すために書いた本なので、大勢の方に読まれるのは恥ずかしいです」と率直な思いを語った。 上原さんの次男テルキさん(42、2世)によると、同書を初めて読んだ際には両親が出会ったころの話に感動し、涙が出たという。山城勇沖縄県人会名誉会長の音頭で行われた乾杯後、手巻きずしなどの日本食が振る舞われた。 舞台上には家族総勢16人が登壇し、上原さんは孫7人から花束を贈呈された。続いて、今月11日に78歳の誕生日を迎えた上原さんにケーキが用意され、家族 に囲まれながら孫のケンゾウ君(12、3世)と共にろうそくの火を吹き消した。 なお、来場者には約230冊用意された同書が配布された。 2012年11月20日付
ニッケイ新聞 2012年11月17日付け  公式の行事としては約20年ぶりとなる、福岡県人会の『支部交流会』が11日、聖州モジ市の観光農園「花の杜」を中心に行われ、聖市、カンピーナス、スザノ、サントアンドレー、バルゼン・グランデ、バウルーなど各地から集まった約130人が交流を行った。 長らく途絶えていた交流会復活のきっかけとなったのは、約10年前から毎年開催する忘年会に、聖市近郊の支部を招待するようになったバウルー支部の呼びかけだった。この〃ミニ交流会〃で出された案に本部側が応える形で実現に至った。伊藤支部長は「3、4年前から言い続けていた願いがやっと叶った」と笑顔を見せる。 午前中は会の世話役を務めた鶴我博文・本部国際交流担当理事のモジ市の自宅で、歓談をしながら朝食を楽しんだ。 「かっちゃん、久しぶりだな!」。地元モジ支部の支部長を務める大力隆文さん(68、浮羽郡=現・うきは市)は鶴我さん宅で、1961年に家族でバウルーに移住した際のパトロンの息子・小坪勝次さん(69、三井郡)との再会を果たした。「62年にバウルーを出て以来、ちゃんと話すのは50年ぶり。本当に懐かしい」と目を細め、小坪さんも「彼とはよく布を丸めて作ったボールで野球をしたもの。年も近かったし兄弟みたいな存在だった」と当時を振り返った。 午後からは「花の杜」に移動し、昼食会が開かれた。挨拶に立った南アゴスチーニョ県人会長は「鶴我さんが1カ月も前から頑張って準備をしてくれました。これだけの人が集まってくれて本当に嬉しい。今日は多いに楽しんでください」と話した。 施設内観光や買い物の時間の後にはビンゴ大会が行われ、大きな盛り上がりを見せた。最後には全員で「ふるさと」「夕焼け小焼け」を合唱し、会の幕が閉じられた。 スザノから参加した山川ミヨノさん(71、大宰府市)は「古い知人にも久しぶりに会うことが出来た」と笑顔。バウルーの梅村文子さん(73、二世)も「地元に来てもらうのとは違った楽しさがある。天気も凄く良いし、6時間かけて来た甲斐がありました」と満足げに語った。 「当初は6、70人を予想していた」という鶴我さんは「これだけの人が参加してくれたことに驚いたし、本当にありがたく思う。皆の笑顔が見られて大満足。来年以降も、担当を聖市近郊の支部の持ち回りにして続けていければ」と話していた。