06/03/2026

Dia: 3 de dezembro de 2012

ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 「この辺はボクがブラジルに来た54年前のマット・グロッソと同じような感じですね。まるで時間が止まっているようだ。ブラジルの原点だね」。プレギッサ川の艀の近くには掘立小屋のような原住民の家が数軒建っているだけ。その様子を見ながら、一行の平谷勲さん(いさお、68、和歌山)はそう呟いた。1958年、南麻州南部のドウラードスからさらに180キロも奥の和歌山植民地に入植した。10月3日、最後の日程は川下りだ。ボートに分乗してプレギッサ川を38キロも下る。高速で飛ぶように走ると顔に細かい砂があたる。一行の中山保巳さん(やすみ、85、鹿児島)は「砂粒が当って顔が痛い。でも砂丘の風情が予想以上によかった。意外に風が涼しくて心地よいんだね」という。この辺の原住民家屋はブリチ椰子の材木で柱を作り、その葉で葺き、民芸細工も作る。パルメイラ・カルナウーバの幹は木材代わりで、葉っぱからは蝋が取れ、搾りかすは肥料に、根はお茶になるというから捨てるところがない。ブリチはもちろん、アサイ椰子(ここでは「ジュサーラ」と呼ぶ)の実を甘く、または塩辛くして食べる。いわば「椰子文化圏」といえそうな生活スタイルだ。そんなアサイ椰子などが群生している川岸を下って、海に近づくと急にマングローブ林に変わる。ガイドによれば、アサイは真水にしか生えず、潮の干満で喫水となる地域はマングローブ一色となるのだという。先行するボートを追い越しざまに横腹の表示を読むと「Anbulancha」と書いてあり、一堂大笑い。道路を走るのは救急車(アンブランシア)だが、ここでは船(Lancha)だから、アンブランシャとはシャレた名前だ。途中、笠戸丸の翌年1909年に建設された灯台に登った。35メートル(11階建てビルに相当)もあるにも関わらず、80歳以上でもどんどん登っていく一行の姿に、ハアハアと息を切らしている若いブラジル人観光客が目をむいて驚く。具志堅パウロ春男さん(69、二世)=聖市在住=は「初めて灯台に登った。見晴らしすごい。何にも使ってない土地が広大に広がっていて、改めてブラジルの広さ感じた」という。第6回故郷巡りから20数回も同行してビデオ撮影している畑勝喜さん(78、東京)は「最初の頃の映像とか見ると、亡くなった人がたくさん映っている。これは歴史的に貴重な映像記録。その意味をもっと広く分かってほしい」と強調した。今回の故郷巡りは片道3千キロ、往復で6千キロにもなると聞き、参加者の松尾仁(ひとし)さんは「日本は端から端まで2千キロぐらいだから、1往復半した勘定になるな」と笑った。翌10月4日早朝にバレイリンニャスを出発し、昼にはサンルイス空港で飛行機に乗り換え、夕方7時過ぎには、一気に東洋街リベルダーデ広場に到着した。最も遠い所からの参加者の一人、南麻州ノーバ・アンドラジーナの安斉喜高さん(あんざい・よしたか、75、福島、青年隊第2次)は、「この旅は日本人同士で気楽で良いし、交流も出来て楽しい」と喜んだ。遠くからの参加者はもう一泊して翌日帰る。そこまでしても参加する価値があるのが、この故郷巡りだ。(平谷さん作の川柳)大砂丘自然の神秘垣間見る移動する砂に魅入りてただ唖然(終わり、深沢正雪記者) 写真=三日月池に向かって散策する一行 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 健康食品を製造・販売する株式会社「エムアンドエム」(1995年設立、本社・秋田市)の佐々木正光代表取締役社長が22日、日本限定販売の日本酒の試飲会を、聖市リベルダーデ区の居酒屋「一茶」で開催した。当地における日本酒販売拡大を目的に、市場調査や県人会との連携強化を図るため来伯した。同社が製造する日本酒は、2002年モンドセレクション金賞を受賞した「おさげっこ」と、「おりがらみ」の2種。醸造アルコール、加水処理、加熱殺菌や成分調整を一切行わない「生酒・純米・原酒・無調整」で、特許取得した鮮度保持処理が施されている。半年前から大和商事を通し、リベルダーデの日本食店に置かれている。日本酒コンサルタント会社「春」の山根ゆきソニアさん、与那城ヤスミンさんがコーディネータを務め、佐々木社長が酒の種類や正しい飲み方、商品の特徴等を解説。参加者らは「こんな日本酒は飲んだことない」と口々に感動を語り、早速自宅用に注文していた。岡田ワンデルさん(40、四世)は「現地の日本酒は味が単純だけど、これは口全体に味が広がる」と驚きを見せ、栗原環さん(33、東京)は「奥が深い上品な味」と絶賛した。山根さんは「非日系人はワインやビールに飽きて、新しいものを求めている」と関心の高まりを示唆し、「移民百年以上経ってもあまり知られていない酒を広めたい」と語った。