県連の本橋幹久副会長は4月26日、代表者会議の席で「次回のふるさと巡りも既に定員の120人を超える応募がきている」と発表し、「今後は、地方の日系団体との交流をさらに充実したものにできれば」と付け加えた。 年を重ねるごとに充実する同ツアー。しかし県連は、これだけには留まらず新たなツアーを企画している。「県連東北応援ツアー」だ。県連は、昨年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第1原発の事故により、東北地方の農産物や水産物のみならず、観光業にも風評被害が起こっていることを憂慮。「これまで、多くのツアーがキャンセルされ観光客が激減した。そのため被災地の景気が浮揚せず、復興も思うように進まない。ブラジルから元気を与えるようなツアーを組もうではないか」という考えの下、現在急ピッチで企画が組まれている。 観光庁が今年3月から東北6県と協力して展開している「東北観光博」と連動するツアーにしたいと考えており、早期復興を支援する構えだ。観光博では東北全体を巨大な博覧会場に見立て、計28の観光ゾーンを設定。ツアー客には各種観光施設や飲食店などで割り引きが受けられる「東北パスポート」が配布されるなど受け入れ態勢も整っている。 本橋副会長は「単なる観光ではなく、東北の事情を身を持って知り、同じ思いを持つことが県連のツアーの意義だ」と念を押す。また、7月に行われるフェスティバル・ド・ジャポンには観光庁が日本への観光を誘致するために来伯することが決定している。東北応援ツアーは2~3週間程度の日程を予定しているが、実施日は未定。県連から正式な内容の発表が待たれるところだ。 (おわり、植木修平記者) 2012年5月1日付
Ano: 2012
古川元久国家戦略担当大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)が4月28日に着聖し、翌29日午前9時過ぎ、聖市イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑を参拝した。日系社会からは県連慰霊碑委員会の木原好規氏、本橋幹久氏、山田康夫氏が出迎え、日本移民の歴史などを説明。また、古川担当相と同郷で愛知県人会顧問の羽田宗義氏と豊田瑠美同県人会副会長らも参列した。 同相は両手を合わせて慰霊碑を拝んだ後、「移民の方々は大変なご苦労をされた。日伯友好の基礎は先人の言葉に表せない苦労にある」と初期移民の御霊(みたま)を慰めた。 同相の今回の訪問は、6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)を前に、同会議に向けた日本政府の方針やエネルギー、環境政策等についてブラジル政府関係者らに説明することが主な目的。30日の会合については「日本が環境分野で最も進んだ取り組みを行い、世界をリードしていくということをしっかり伝える予定」と話した。 同相は午後10時からブラジル日本移民史料館を視察し、その後は日系社会代表者らを招き昼食会を開いた。30日にはブラジリアでアントニオ・パトリオッタ外務相ら伯国政府要人と会談し、サンフランシスコ州のシリコンバレーを視察するため米国へ発った。 2012年5月1日付
琉球民謡協会ブラジル支部(仲村渠清徳支部長)は、6日午後2時から同8時半まで聖市ビラ・カロン区の沖縄県人会ビラ・カロン支部会館(Praca Haroldo Daltro, 297)で第36回民謡大会を開催する。 同大会は、ブラジル沖縄県人会など7団体の後援と琉球舞踊研究所の協力で、同支部発足時から続いている。当日は、同会員70人が民謡を披露するほか、同研究所も出演する。 仲村渠支部長、大城重範大会実行委員長、呉屋昌男会計、亀谷義武副実行委員長は「毎年約300人が来場する。日曜のひとときを楽しく過ごしましょう」と来場を呼びかけた。入場無料。 問い合わせは仲村渠支部長(電話11・2295・7652)まで。 2012年5月1日付
今回で37回目の開催となった県連のふるさと巡り。これまでほとんどの同ツアーを引率したという県連事務員の伊東信比古さんによると、今回バウルー文協会館で本格的な追悼法要が行われ驚く人もいたという。また法要といえば、以前訪れたある移住地では、キリスト教のしきたりに沿ってミサが執り行われたが、終盤に線香が配られたそうだ。伊東さんは「牧師さんが『お焼香をお願いします』と言うからびっくりしたよ」と当時を回想し、笑顔を見せた。 ◎ 県連執行部は古川大臣に対し、移民の歴史以外に現在成長著しいフェスティバル・ド・ジャポンについても案内。大臣は「すごいですねえ」と感心し、「おいしい日本酒をブラジルで飲めるように、ちょっと日本酒のやつでもやろうか」とリップサービス。すると本橋県連副会長がすかさず「これぞ国家戦略ですね」と見事に返していた。「日本酒のやつ」とはブラジルに日本酒を輸入する際の税金などをどうにかして抑えることなのか、具体的に何を意味しているのかは不明だが、モザイク子も「日本酒のやつ」を期待している。 2012年5月1日付
ニッケイ新聞 2012年5月1日付け 松尾芭蕉の故郷である三重県が「俳句のくにづくり」事業の一環として昨年実施した『第17回全国作品募集~土の一句』の結果が発表された。応募総数8万94句の内、海外からの応募は727句。当地からは15人が入賞・佳作を果たした。結果は次の通り(パ=パラー、聖=サンパウロ)。 【海外入賞】◎テーマの部井戸掘りの土の色なる裸かな(東比呂、アマゾナス)◎自由部門青山と決めてアマゾン銀河澄む(竹下澄子、パ) 【佳作】◎テーマの部豊の秋かつて痩せ地と云はれし野(伊津野朝民、聖)作りおく客土一盛り春隣(串間いつえ、聖)土に生き土に生かされ種を蒔く(工藤末敏、パ)アマゾンの土に母国の種を蒔く(佐藤あさ乃、パ)ブラジルの土に母国の桜咲く(坂口清子、聖)草の花土に静かな息づかい(上山泰子、パ)大陸の旱の匂ふ土煙(畠山てるえ、聖)◎自由部門信号も国境もなし夏つばめ(今野千枝子、パ)耕やすや父の気配のする大地(佐藤けい子、ペルナンブコ)アマゾンの旅に春愁流しけり(小橋矢介夫、聖)春眠の掌より落ちたるハイネの詩(清水照子、聖)一日の疲れを癒す髪洗ふ(大楯エツヨ、パ)郷愁となる日ならぬ日夕焼けて(渡部悦子、パ)
ニッケイ新聞 2012年5月1日付け 愛知、和歌山、滋賀、大分の4県人会による『第14回屋台祭り』が22日に愛知県人会館であり、雨天にも関わらず約600人が各県の郷土料理を楽しんだ。 今年で創立55周年を迎えた愛知県人会は、「あんかけ焼きそば」、「おにぎり」「あんみつ」を販売。半分はすでに予約済みという持ち帰り用の白餅は「11時前には全部なくなった」と小松ジェニー会長も満面の笑みを見せた。 「鳥飯」「牛のタタキ」「鳥天」を販売した大分県人会は、午後2時半には完売。調理を担当した伊東信比古理事は「もう少したくさん仕込んでおいても良かったかな」と少し残念そう。一度炊いたご飯を、別に調理した具材と一緒に追い炊きする一手間かけた鳥飯は、世代を問わず好評だった様子。 県連日本祭りで、毎年4500食を売り上げる和歌山県人会の「関西風お好み焼き」は、この日も大盛況。「美味しいものをたべてもらいたいので、作り置きはしない」と木原好規会長こだわりの一品は、特製の手作りソースと具材の豊富さが特徴。190食近くを売り、一番人気を見せた。 これに負けずと健闘したのが滋賀県人会「近江の肉うどん」。留学経験もある山田グラシエラ理事(46、三世)は「日本のものにも負けないと思う」と胸を張る。カツオ節を基調とした出汁が自慢のうどんは170食以上が販売された。 料理販売のほか、午後12時半ごろから、鳥取県人会の「しゃんしゃん傘踊りグループ」など、有志による舞台での演芸発表や、カラオケ大会が催され、会場は大きな盛り上がりを見せた。 ダンス教室の同級生だという佐野幸子(70、二世)、曲孝子(66、同)、芳我千枝子さん(76、同)3人組は「うどんが特においしかったので、日本祭りでまた食べたい」と顔を綻ばせながら話した。 次回の屋台祭りは10月末に開催される予定。
古川元久国家戦略担当大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)が、今月27日からブラジルと米国を訪問する。同氏は、6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)を前に、同会議に向けた日本政府の方針やエネルギー、環境政策等についてブラジル政府関係者らに説明する。 聖市には28日に到着し、翌29日に日系社会関係者や現地進出企業関係者との意見交換を行う。また、同日、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑を参拝後、ブラジル日本移民史料館を視察する。 30日はブラジリアでパトリオッタ外務大臣ら伯国政府要人と会談する予定。米国では、シリコンバレでIT産業の現状や今後、ベンチャー企業や起業家の育成支援のあり方等について聴取し、5月3日に帰国する。 2012年4月28日付
県連の園田昭憲会長は、3月29日に開催された定期総会で「各委員会には意思決定権を持ってもらう」と話しており、今後は県連各委員会の活動に注目が集まってくる。 園田氏は本紙の取材に対し「現在、県連の活動は多岐にわたっており、執行部だけでは大変になっている」と話す。現在、県連に設置されているのは22委員会。執行部でなくとも「入会したい人はどの委員会にも入ることができ、県連の意思決定にかかわることができる」という。委員会の開催頻度は週に1度で、各委員会の人数に制限はない。 今年度の委員会案は次の通り。カッコ内は委員名(敬称略)。日本祭り=前田ネルソン(三重)、坂本アウグスト(栃木)、山田康夫(滋賀)、川合昭(秋田)。日本祭りテーマ=杉本教雄(静岡)、吉村幸之(佐賀)、小山田祥雄(熊本)。日伯ロードレース・ジョギング=前田、市川利雄(富山)、川合。国際交流=本橋幹久(鳥取)、小山田。CIATE=原島義弘(千葉)。ゲートボール=山田、玉城道子(青森)。イビラプエラ公園慰霊碑=木原好規(和歌山)、原島。サントス上陸記念碑=原島、木原、坂本。マレットゴルフ=川合。ふるさと巡り=本橋、山田、玉城。ホームページ=本橋。弁論大会=本橋、山田。事業報告書作成=木原。県連センター=吉村。県連基金=杉本、小山田、内山住勝(群馬)、千田昿暁(岩手)。法務=高野ジョルジ(山梨)、市川。財務=市川、吉村。広報=本橋、小山田。震災義捐金=山田。事務局=山田、高野。代表者会議議長=山田。書記=市川。同案は5月初旬に正式決定される見込み。 2012年4月28日付
今回のふるさと巡りでは、旅程の1~2日目にボツカツ、バウルー、パラグアス・パウリスタの3カ所でそれぞれの日系団体と交流を楽しみ、後半は観光に充てられた。 3日目はオランダ人が入植してつくった街、オランブラⅡで果樹園を見学した。オランブラⅡの人口はわずか1万人(1991年にジャガリウナ市から独立)。1940年ごろにオランダは人口増加し、第一次世界大戦で国土が荒れたため伯国にも移民を送り出した。 同地はカンピーナス近隣のオランブラの子弟がつくった街で、ここでは日系社会と同様にオランダ人による果物や花卉(かき)を生産する協同組合がある。組合にはオランダ人以外も入ることは可能だが、経営の面で厳しいハードルが課されているという。ツアー参加者らは「コチアも南銀もつぶれちゃったけど、ここはしっかり続いているのね」とオランダ人の経営手腕に感心しながら、ゴイアバ(グアバ)のジュースを飲み、採れたての新鮮な果実の味を楽しんでいた。 最終日に昼過ぎまで滞在したアバレー市は、聖市からカステロ・ブランコ街道を通って263キロの地点にある市で、人口は約8万3000人。聖州が指定した観光都市の一つで、一行が宿泊したペニンシュラ・ホテルの前には湖畔が広がる。 同地に日本からの移民が入ったのは、16年。モンソン植民地などで綿の栽培などを行った。35年度の日本人の綿生産高は聖州の半分に達していたという。 3日の朝は、ホテルのプールサイドで穏やかな秋の日差しを受けながら談笑する姿が見られた。その中でブラジリア在住の荒木滋高さん(79)は、ほぼ毎回ふるさと巡りに参加する常連組。今回もサンパウロから参加した。 同氏は60年に首都がブラジリアに移ると知ると、自らも同地へ移り住んだ。9月末に行われる次回のふるさと巡りでは、ブラジリアがコースに入っているため、「今度は来てもらう側、準備しなくちゃね」と張り切っている。(つづく、植木修平記者) 2012年4月28日付
ニッケイ新聞 2012年4月28日付け 今年1月に国家戦略担当大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任した古川元久大臣が28日に来伯し、聖市・ブラジリアを訪れる。大臣就任後初めての来伯。6月の「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)を前に、伯国政府関係者に同会議に向けた日本政府の方針やエネルギー・環境政策等について説明し、日系社会関係者等との意見交換を行なうことが目的。28日夕方に聖市着、翌日29日にイビラプエラ公園内にある開拓先没者慰霊碑を参拝した後、午前10時から日本移民史料館、続いてサン・ジョゼ・ドス・カンポス市の航空会社エンブラエルを訪問する。また同日、文協、援協、県連など日系主要団体の幹部および進出企業関係者との意見交換を行なう。30日はブラジリアでパトリオッタ外務大臣など伯国政府要人と会談し、続いて米国へ移動。5月1日から2日間、世界有数のIT産業やベンチャー企業の拠点であるシリコンバレーを訪れ、IT産業の現状や今後、ベンチャー企業や起業家の育成支援のあり方等について現地企業関係者と意見交換する。
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1日に開かれたパラグアス・パウリスタ文協(佐々田アントニオ会長)との交流会では、戦前に米国から「文化植民地」再移住した人に会うことができた。 日系アメリカ人(2世)である西沢(旧姓、山田)ミドリさん(89)が、両親と共にパラグアス・パウリスタに再移住したのは1925年。3歳の時だった。ミドリさんはカリフォルニア州サンフランシスコ市生まれだが、幼かったために米国での記憶はほとんどない。ミドリさんの父、トウコウさんは山梨出身で、母のカズコさんは九州出身。2人は米国で出会い、結婚した。 後にミドリさんが米国での暮らしについて両親に尋ねたところ、再移住前までサンフランシスコで日本の品物を販売する雑貨店を経営しており、当時は米国で日本人排斥運動による人種差別が横行し「バスに乗るのも後ろの座席と決められており、日本の国旗が踏まれたり、破られたりすることも度々あった」そうだ。 このような状況にうんざりしていたトウコウさんは、親戚と伯国へ再移住を検討。店を売り払い移住資金をかき集め、親戚らと共に「文化植民地」に入った。 ミドリさんの夫、裕美さん(80)もアメリカに移住した両親を持つ。ただ、裕美さんは山梨生まれで、3歳で伯国へ両親と共に再移住している。 ミドリさんは「記憶は定かではないけれど、文化植民地は多い時で500家族ほどいたかもしれない。昔はカフェや綿でにぎわっていたけれど、今この辺に植えてあるのは主にサトウキビですね」としっかりとした日本語で話した。また、文化植民地の特徴については「アメリカから来た人が多かったので、家の中で日本のような封建的な家長制度がほとんどなかった。民主主義で、男性が女性に対して紳士的な場所」だと感じている。 パラグアス・パウリスタ文協には、現在100家族の会員がいるが、日本語を話せる人は少なく、邦字新聞の読者はほぼ皆無。96年に野球場をつぶして文協会館を建てたが、日本語学校はない。文協関係者は「日本語教師が来てくれた時のために、先生の家も用意してあるのだが、学習希望者がいない。日本語教師の給料は英語やスペイン語と比べて安いから、わざわざ奥地で先生をやりたがる人もいないんです」と嘆いていたのが印象的だった。 現在、同地に住む日系は一般のブラジル人と同様に街に仕事が少なく、若い人がどんどん離れていくという悩みを抱えている。ただ、15年前にはマリリアやバストスから毎週末大型バスが何台もやってきていたという温泉が存在しており、来年までには新たなオーナーの下で再開する予定だという。文協の会員らは「温泉ができれば街もにぎわい、仕事も増えるかも」と淡い期待を抱く。 交流会にはパラグアス・パウリスタのみならず、近隣のアシスなどからも10人が参加した。普段からゲートボールやテニス、カラオケなどを通じて親交があるという。(つづく、植木修平記者) 2012年4月27日付
ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は3月17日、聖市立カルモ自然公園で「日伯・絆の森」造りの植樹式を行った。この事業は東日本大震災の約2万人の犠牲者を追悼する意味で企画されたもの。この日は同事業に賛同する各界関係者約100が参加し、犠牲者への思いを込めて苗木の植樹を行った。 植樹式は共催者のオイスカ・ブラジル総局の花田ルイス副会長が司会を務め、同植樹事業の目的や意義が参加者に説明された。続いて小山会長のあいさつがあり、「祖国日本の一日も早い復興を願い、あの震災の多くの犠牲者のことを忘れることなく、亡くなられた一人一人に思いをはせながら魂を込めて皆で木を植えていきたい」と一般の人々の参加と協力を呼びかけた。 その後、犠牲者への冥福と苗木の健やかな成長を祈る神道形式の祈願儀式がしめやかに行われた。あいさつに立ったサンパウロ市緑化・環境局長のエドアルド・ジョージ氏は「リベルダーデの桜の植樹に続いて日系人が率先してこうした植林事業を行い、市の環境改善に寄与していることに感謝している。市もできるだけの協力を約束する」と話した。 また、来賓の神谷牛太郎市議、羽藤ジョージ州議や飯星ワルテル下議代理も同事業への取り組みや日系人のリーダーシップに対して敬意とともに協力していく考えを示した。 来賓には、生徒20人を引率して参加したカリタス学園長のイルマン・ナカガワ・ベルナデッテ校長、中沢宏一宮城県人会長、オイスカ・ブラジル総局の高木ラウル氏、日本から震災の近況を伝えるために来伯していた東北学院大学の上田良光教授や市関係者などが参加していた。 植樹式では、犠牲者に黙とうを捧げた後、全員で自然木の苗木200本が植えられた。カリタス学園のナカガワ校長は「主催者の協会幹部の人たちは皆年配の方たちばかりなのに、元気に使命感溢れる活動をしていて感動した。私も生徒たちも皆さんに見習って、一人の社会人として、また一人の人間として、もっと積極的に社会に役立つような活動をしていきたい。きょうはとても有意義な一日でした」と満足した様子。帰り際には参加者たちがそれぞれの思いを込めながら、現場に置かれた「絆の森」植樹キャンペーンの募金箱に寄付を行っていた。 2012年4月27日付
ニッケイ新聞 2012年4月27日付け 汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長と堤剛太事務局長が、7月13~15日に開催される『第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)』の打ち合わせのために聖市を訪れ、20日に県連の園田昭憲氏、本橋幹久副会長、山田康夫会計と懇談を行った。同祭参加は3回目。記念写真展、特産品販売、マホガニーの種の無料配布などを行ってきた。ニッケイ新聞の取材に対し、生田会長は「まだ具体的なことは決まっていない」と話しながらも「アマゾン日系社会を紹介できる貴重な場。多くの人に興味を持たれるような企画を考えたい」と意気込みを語った。県連の園田会長は「今回の打ち合わせはあいさつ程度のものだったが、発足したばかりの北伯県人会協会も含め、三つの組織の結びつきを今後さらに強めていきたい」と話している。
ニッケイ新聞 2012年4月27日付け 「オランブラⅡ」で生産されている農産物としてはトウモロコシ、小麦、豆、綿花、大豆などの穀物が最も多く、中でも綿花は聖州で生産されているうちの50%の収穫量を誇る。果樹栽培もそれに次いでさかんで、今はゴイアバと柿のみだが最も多いのが桃。その他スモモ、ネクタリーナ、リンゴなどが栽培されており、各地のスーパーに直接卸している。花も栽培されているが割合はわずかだ。各組合員はそれぞれ広い農地を所有して生産活動を行っている。「そうじゃないとやっていけないからね。果物の生産地としては、州では最大級だと思う」とピーターさんは胸を張る。全伯には聖、パラナ、南大河各州に6つのオランダ移住地があり、毎年7月に相互交流を行っているという。コロニアには約400人のオランダ人子孫がいるが、「メスチッソも多い。子供達は誰も私の後を継がなかったよ」と笑う。オランダ文化を子孫に継承したい思いがあるかと問うと「個人的にはオランダ語を必ずしも勉強すべきとは思わない。むしろ外国語として必要なのは英語やスペイン語でしょう」。コロニアの歴史をみても、「おそらく、今までそういうことを子孫に強制したことは一度もないと思うね」と、ブラジル社会へ融合することの重要性を強調する。「オランブラⅡ」では移住地を見学する観光ツアーを提供する会社もあり、ピーターさんは役員として活動している。国内外から多くの観光客を迎える毎日だ。昼食後は別の花園を見学し、休憩所で一休みした後、一行は宿泊先のホテルがあるアバレーへと向かった。到着後は最後の夕食、手品の余興を楽しんで一日を終えた。 ◎ 最終日の4月3日。この日も朝から日差しが降り注ぐ。一行が宿泊したのはアバレーではレジャーホテルとして有名な「ホテル・ペニンスラ」。緑が多く、部屋にはバルコニーがありプールやサウナ、スポーツコートなどの設備が充実している。朝早く起きた一行はミニ・ゴルフや乗馬などのレクリエーションをしたり、集まって談話するなど、爽やかな空気の中最後のひと時を楽しんだ。齊藤利治さん(71、二世)はふるさと巡りの常連だ。「バウルーがよかったね。私はあそこに生まれたから」と旅を振り返る。親が福岡出身で、「福岡県人会はバウルーに最初にできたんですよ」と語る。齊藤さんは2歳で引越したが、妹は長く住んでいたという。「親戚やドアルチーナの学校に通っていた時代の同級生にも会えた。私たち福岡県系人のグループが一番盛り上がったんじゃないかな」と満足した様子。昼食をとった後、午後1時半頃、一行は大きな荷物を抱えサンパウロに向けて出発した。約3時間後、ほぼ予定通りにリベルダーデ広場に無事に到着。「また会いましょうね」と口々に声を掛け合いながら、一行は解散した。(終わり、田中詩穂記者) 写真=ピーターさん/アバレーのホテルでくつろぐ参加者の皆さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-tanaka4.html
