06/03/2026

Ano: 2012

 【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】福岡県県費留学生に日本文化への理解を深めてもらおうと、毎年恒例の『着物体験』(福岡県国際交流センター主催)が11月17日、福岡市大濠公園内の日本庭園茶会館で開かれた。この日は南米出身の県費留学生ら10人が『まゆの会』から着物の着付けを教わり、振り袖や紋付姿となった。  その後、茶会館の大広間で裏千家茶道教室の志村宗恭さん指導による茶道が行われた。約1時間、慣れない正座をした県費留学生たちは、足をもぞもぞさせながらも志村さんの話を熱心に聞いた。茶菓子と茶がそれぞれに振る舞われると、「お点前頂戴します」と丁寧に頭を下げてから茶をいただいた。  続いて県費留学生たちが自ら茶をたて、同席した福岡県海外移住家族会会員たちに運んだ。  同家族会の武藤英治会長は「日本の秋を感じながら日本文化を体験して、いい思い出になっただろう」と述べた。ブラジル出身の稲田ナージャさん(九大医学部)は「着物はきついけれど、とても可愛い。貴重な経験になりました」と笑顔で語った。 2012年12月5日付
 沖縄NGOセンター(特定非営利活動法人)の金城さつきさん(30、沖縄県糸満市)が、日本の外務省のNGO海外研修制度を利用して11月13日から来年2月26日までの間、日本移民の調査、資料採取を目的として滞伯している。  具体的な調査の目的は、日本移民の歴史を日本の若い世代に伝承、また理解してもらうことで日本で暮らす日系人がより住みやすい環境づくりを行うこと、本当の愛国心の追求などさまざま。  帰国後は同NGOの活動を通じて、日本移民について知ってもらうための学習教材を完成させたいとしている。また同教材を母県で開催の「世界のウチナーンチュ大会」でも移民を知らない人たちに役立てたいとしている。  金城さんは本紙の取材に対して「3カ月でできることは限られているが、沖縄で薄れつつある『ユイマール(相互扶助)』の精神がブラジルでは根強く存在していると聞いていた。日本と社会情勢は違うが、なぜブラジルでは今も根強くその精神が残っているのか追求したい」と意気込みを語った。  2006年に同NGO入りした金城さんは現在、開発教育・国際理解教育ファシリテーター、ホストファミリーバンク事業などを担当している。日本移民については学生のころから興味があり、今回念願のブラジルでの活動となった。  渡伯した際は「温かく迎えてくれる沖縄の人に感動した」と笑顔で語り、「たくさんの人(沖縄移民)の協力があって初めて私の活動はできる」と改めてウチナーンチュの深い絆を実感している様子だった。  またNGO活動を通じて他の県から日系人に関する質問があることなどから、沖縄移民にとどまらずあらゆる県の移民についても独自に調査したいとしている。調査の拠点は同県人会館。問い合わせは同県人会館(電話11・3106・8823)まで。 2012年12月5日付
県連11月度代表者会議ロードレースの内訳記載は無し  県連(園田昭憲会長)の11月度代表者会議が、11月29日午後4時10分ごろから文協1階会議室で開かれた。同会議では第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)最終会計報告、第16回日本祭り予算承認、東北被災地応援ツアーの報告、戦後移住60周年記念事業の説明などが行われた。同会議は、聖州伯国弁護士会(OAB―SP)会長選がリベルダーデ大通りにあるFMUなどで行われた影響で、周辺道路が渋滞し定刻より遅れて始まった。  第15回日本祭りは、最終会計が出された。これによると、収入が232万1525レアル(スポンサー収入89万6500レアル、賛同協力費6万7000レアル、県人会・出店料・入場料・第1回ロードレース・その他収入135万8025レアル)、支出が228万375レアルで、収支は4万1149レアルの黒字となった。  なお、渡された収支報告書には、ロードレース関連の収支も含め詳しい内訳は記載されていなかった。これについて山田康夫第2会計は「支出は来月詳しい内訳を皆さんにお見せできるが、収入に関してはさまざまな問題がありコピーを渡せない。ただ、やましい点は全く無いので、もし会員が希望すれば見せられる」と話した。  来年の第16回日本祭り予算は、収入が285万レアル(内スポンサー収入120万レアル、賛同協力費35万レアル、県人会・出店料・入場料・その他収入130万レアル)、支出が260万レアルで、収支は25万レアルの黒字を見込んでいる。  これに対し、谷広海宮崎県人会長から「前回に比べ30万レアルもスポンサー収入が増える見込みはあるのか」という質問が挙がり、園田会長は「来年は総領事館のバックアップがあり、スポンサーが増える見込みが大きい。出店料も10%上げる」と話した。また、海賊版出店者の撲滅、日本ブースの設置、調理ブース規格の一本化などの変更点を説明した。  続いて本橋幹久鳥取県人会長が、県連主催で10~11月に行われた東北被災地応援ツアーの活動報告を行った後、戦後移住60周年記念事業に関して、園田会長が説明を行った。  園田会長は「10年後には、戦後移住された方の大半が80歳を超してしまう。ぜひこの60周年事業に県連が協力したい」と述べ、第16回日本祭りの副題を「移り来て、日本移民105年と戦後60年」と称し、同祭内で専用ブースを設けると表明。川合昭秋田県人会長が同事業委員長となり、同祭と予算・プランは別枠にした上でこれから企業の協賛金集めをしていくとした。 2012年12月4日付
 ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は、「第19回いわて餅まつり」を16日午前11時から午後3時まで聖市リベルダーデ区の同会館(Rua Tomas Gonzaga, 95)で開催する。  当日は白餅や雑煮の定番の餅料理や、ずんだ、納豆、あんこ、きなこ、砂糖じょうゆ、大根おろしなどを使った餅も販売される。今回使用されるすべての餅米は聖州レジストロ市イグアッペ在住の高橋義明さんの提供によるもの。  千田会長は「前回までは白餅しか販売しなかったが今年は多種の餅料理があります。ぜひお越し下さい」と来場を呼び掛けた。 なお白餅は数に限りがあるため予約が必要。1袋(500グラム)12レアルで販売する。雑煮は1杯8レアル、その他の餅料理は1皿4レアルで販売される。 詳細、予約については同県人会(電話11・3207・2383)まで。 2012年12月4日付
 日系5団体(文協、援協、県連、日文連、老ク連)共催の天皇誕生日祝賀会が、5日午前9時から聖市リベルダーデ区の文協ビル9階移民史料館(Rua Sao Joaquim, 381)で開かれる。  同会では、今年で79歳を迎えられる今上天皇の誕生日を祝い、国歌斉唱、文協女子コーラス部によるコーラス、木多喜八郎文協会長によるあいさつなどが行われる。参加無料、申し込み不要。問い合わせは、文協(電話11・3208・1755)まで。 2012年12月4日付
 11月29日に行われた県連代表者会議では、第16回日本祭りの試作パンフレットも配られたが、まず表紙で目に付いたのは主題「地球に優しい技術と進歩」と、副題「移り来て、日本移民105年と戦後60年」の整合性の無さだ。そして表紙右下の当日イベント一覧には、上から「ミス日系コンテスト」「世界コスプレサミット2013」「美食広場」と、これまた主題とも副題とも無関係な内容が並ぶ。 ◎  そもそも主題がどういった経緯で決まったのかも不明瞭だ。昨年の主題「共存する進歩と環境」との違いもよく分からず、単に言い換えただけにも見える。これだけ日本祭りの規模を拡大し、成功させてきた県連の手腕はもちろん評価に値するが、イベントの方向性をきちんと定めなければ、次第に内容が散漫としてしまい、集客数も減りかねない。もし日系企業の参加を見込んでこういった関係の薄い主題を付けているなら、主題など不要だろう。 ◎  ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は不定期で岩手県人会ニュースを発行している。今月発行された最新号で180号となるが、実は1989年の発刊からそのほとんどの発行作業を千田会長自身が手掛けているという。普段県人会に参加しない人にも、広く活動内容を知ってもらおうと始めたこの企画。「最初はワープロの使い方もよく分からず苦労した」という千田会長だが、次第に紙面作りもこなれたものに。ただ最近は、「記事がなかなか集まらない」とぼやいていた。どうやら抱える苦悩は、モザイク子と同じのようで。 2012年12月4日付
ニッケイ新聞 2012年12月1日付け  12月6日から名古屋・横浜を舞台に開催される『TOYOTA FIFAクラブワールドカップ2012』に南米代表として出場するサッカーチーム・コリンチャンスSC(聖市)の壮行会が11月29日、在聖総領事公邸で行われたが、何と会長、選手、監督が当日になって突然の欠席・・・。代理で挨拶に立ったエリエ・ウェルド副会長からも謝罪の言葉はなく、何とも締りのない雰囲気のまま会の幕は下りた。執行部までこの調子で、いったい日本で大丈夫かと危ぶむ声が会場では聞かれた。  この壮行会の正式名称は「訪日歓迎レセプション」。在聖総領事館の主催であり、いわば日本国政府による公式の歓迎行事だ。昨年の南米代表チーム「サントス」の時は、会長はもちろん監督、ネイマール、ガンソら8人の選手が揃って参加した。その前、05年にはサンパウロFC選手23人が出席していた。 ところが今回、コリンチャンスからは肝心の会長も選手もおらず、コメントを期待されていたチテ監督も・・・。いわば主役抜きの歓迎会となった。出席したのは、エリエ副会長を筆頭に役員ら13人のみ。 1カ月以上前から歓迎会の打ち合わせが始まり、先週までは30日に予定されていたが同クラブからの要請で、急きょ29日に無理やり調整し直したばかり。その時に「調整する代わりに、会長、監督、選手に揃って参加してほしい」と念を押した経緯がある。 「直前まで来ることで話が進んでいた。欠席の知らせを受けたのは当日の朝です」と同総領事館の中山雄亮副領事はため息をもらす。欠席理由は、監督・選手らは「日曜の試合のための練習」、会長は「急きょ州政府に呼び出された」とのことだという。 当日は、和太鼓グループ「生(しょう)」による迫力の演奏や豪華な和食など、歓待のために準備を進めてきた総領事館側にとって肩透かしを食った形となった。エリエ副会長は「目指すのは優勝のみ。現在1万人いると言われる日本のコリンチャンスファンを、2万、3万と増やせるような魅力的な試合を見せて、結果を勝ち取りたい」と力強く話していたものの、最後まで主役の不在を謝るような場面は見られなかった。 同クラブ執行部の〃ドリブル〃に振り回された形の主催者・総領事館はもちろん、ブラジル・トヨタ社長、援協、文協、県連ら日系社会代表も勢ぞろいした会場からは、「せっかくの公式な歓迎行事なのに、ちゃぶ台をひっくり返されたような感じ。日本でも大丈夫か」との感想が聞かれた。 同大会は6日から始まり、Jリーグチャンピオン・サンフレッチェ広島を含む各大陸の王者7チームが出場し、クラブチーム世界一の座を争う。コリンチャンスは12日の準決勝から登場する。 過去最多のビザ申請数=8500件の大記録達成  在聖総領事館の発表によれば、今年の10、11月の2カ月間に発給された短期滞在査証の発給件数が異例の8500件に上っていることがわかった。 昨年同時期の月ごとの発給件数(約850件)を大きく上回り、通常の約5倍のブラジル人が日本に渡ることになる。例年の発給数を差し引いても7千人以上が訪日し、日本側のデカセギを中心とするファンと合流し、試合会場には1万人以上が集結すると予測されている。 同総領事館査証班関係者によれば、「近年まれに見る数字。短期滞在査証に限れば、過去にこれだけの数を短期間のうちに発給した例はない」と言い、〃コリンチャンス効果〃の大きさに目を丸くしていた。
日本で今月8日から開催されるFIFAクラブワールドカップ(W杯)に出場するコリンチャンス(マリオ・フィーリョ会長)の参加訪日歓迎レセプションが、11月29日午後1時から聖市モルンビー区の在サンパウロ総領事公邸で開かれた。 レセプションには同クラブのエリエ・ウエルド副会長をはじめ、同クラブの関係者約10人が出席。日系団体からは木多喜八郎文協会長、園田昭憲県連会長、毛利連援協副会長らが足を運び、激励の言葉を送った。 同クラブの関係者によると、選手や監督は同日午後からの練習を優先したため欠席したという。福嶌教輝在聖総領事は「単にチームの一歩ではなく、日本とブラジルの関係を強化するためにも大事な一歩」と述べた。ウエルド副会長は「優勝を目指して頑張ります」と強い意気込みを見せた。 また、トヨタ・ド・ブラジル社の中西俊一社長は「自分もコリンチャンスと一緒に日本へ行きます」と興奮した様子で話した。クラブW杯は、Jリーグ今季王者のサンフレッチェ広島やヨーロッパ王者のチェルシーなど7チームが出場し世界の頂点を目指す。コリンチャンスの初戦は12日に愛知県の豊田スタジアムで行われる。 ◆10、11月短期査証発給数は約8500件一方、コリンチャンスファンが試合観戦で訪日するため10、11月の在聖総領事館における短期滞在査証の発給数は約8500件に上ったという。この数は通常時の約5倍。査証担当の植田敏博領事は「この時期の発給数では過去最高だと思う」と述べた。 2012年12月1日付
ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 「この辺はボクがブラジルに来た54年前のマット・グロッソと同じような感じですね。まるで時間が止まっているようだ。ブラジルの原点だね」。プレギッサ川の艀の近くには掘立小屋のような原住民の家が数軒建っているだけ。その様子を見ながら、一行の平谷勲さん(いさお、68、和歌山)はそう呟いた。1958年、南麻州南部のドウラードスからさらに180キロも奥の和歌山植民地に入植した。10月3日、最後の日程は川下りだ。ボートに分乗してプレギッサ川を38キロも下る。高速で飛ぶように走ると顔に細かい砂があたる。一行の中山保巳さん(やすみ、85、鹿児島)は「砂粒が当って顔が痛い。でも砂丘の風情が予想以上によかった。意外に風が涼しくて心地よいんだね」という。この辺の原住民家屋はブリチ椰子の材木で柱を作り、その葉で葺き、民芸細工も作る。パルメイラ・カルナウーバの幹は木材代わりで、葉っぱからは蝋が取れ、搾りかすは肥料に、根はお茶になるというから捨てるところがない。ブリチはもちろん、アサイ椰子(ここでは「ジュサーラ」と呼ぶ)の実を甘く、または塩辛くして食べる。いわば「椰子文化圏」といえそうな生活スタイルだ。そんなアサイ椰子などが群生している川岸を下って、海に近づくと急にマングローブ林に変わる。ガイドによれば、アサイは真水にしか生えず、潮の干満で喫水となる地域はマングローブ一色となるのだという。先行するボートを追い越しざまに横腹の表示を読むと「Anbulancha」と書いてあり、一堂大笑い。道路を走るのは救急車(アンブランシア)だが、ここでは船(Lancha)だから、アンブランシャとはシャレた名前だ。途中、笠戸丸の翌年1909年に建設された灯台に登った。35メートル(11階建てビルに相当)もあるにも関わらず、80歳以上でもどんどん登っていく一行の姿に、ハアハアと息を切らしている若いブラジル人観光客が目をむいて驚く。具志堅パウロ春男さん(69、二世)=聖市在住=は「初めて灯台に登った。見晴らしすごい。何にも使ってない土地が広大に広がっていて、改めてブラジルの広さ感じた」という。第6回故郷巡りから20数回も同行してビデオ撮影している畑勝喜さん(78、東京)は「最初の頃の映像とか見ると、亡くなった人がたくさん映っている。これは歴史的に貴重な映像記録。その意味をもっと広く分かってほしい」と強調した。今回の故郷巡りは片道3千キロ、往復で6千キロにもなると聞き、参加者の松尾仁(ひとし)さんは「日本は端から端まで2千キロぐらいだから、1往復半した勘定になるな」と笑った。翌10月4日早朝にバレイリンニャスを出発し、昼にはサンルイス空港で飛行機に乗り換え、夕方7時過ぎには、一気に東洋街リベルダーデ広場に到着した。最も遠い所からの参加者の一人、南麻州ノーバ・アンドラジーナの安斉喜高さん(あんざい・よしたか、75、福島、青年隊第2次)は、「この旅は日本人同士で気楽で良いし、交流も出来て楽しい」と喜んだ。遠くからの参加者はもう一泊して翌日帰る。そこまでしても参加する価値があるのが、この故郷巡りだ。(平谷さん作の川柳)大砂丘自然の神秘垣間見る移動する砂に魅入りてただ唖然(終わり、深沢正雪記者) 写真=三日月池に向かって散策する一行 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 健康食品を製造・販売する株式会社「エムアンドエム」(1995年設立、本社・秋田市)の佐々木正光代表取締役社長が22日、日本限定販売の日本酒の試飲会を、聖市リベルダーデ区の居酒屋「一茶」で開催した。当地における日本酒販売拡大を目的に、市場調査や県人会との連携強化を図るため来伯した。同社が製造する日本酒は、2002年モンドセレクション金賞を受賞した「おさげっこ」と、「おりがらみ」の2種。醸造アルコール、加水処理、加熱殺菌や成分調整を一切行わない「生酒・純米・原酒・無調整」で、特許取得した鮮度保持処理が施されている。半年前から大和商事を通し、リベルダーデの日本食店に置かれている。日本酒コンサルタント会社「春」の山根ゆきソニアさん、与那城ヤスミンさんがコーディネータを務め、佐々木社長が酒の種類や正しい飲み方、商品の特徴等を解説。参加者らは「こんな日本酒は飲んだことない」と口々に感動を語り、早速自宅用に注文していた。岡田ワンデルさん(40、四世)は「現地の日本酒は味が単純だけど、これは口全体に味が広がる」と驚きを見せ、栗原環さん(33、東京)は「奥が深い上品な味」と絶賛した。山根さんは「非日系人はワインやビールに飽きて、新しいものを求めている」と関心の高まりを示唆し、「移民百年以上経ってもあまり知られていない酒を広めたい」と語った。
ニッケイ新聞 2012年11月28日付け 10月2日午後2時過ぎ、一行が泊まる宿の前にはズラリ10台近くもバンジが並ぶ――壮観だ。現地集落を越えると砂地の道が延々と14キロも続く。運転手含めて11人も乗員が乗っているから車は重い。ゆっくり走ると砂に足を取られるので、ある程度のスピードを維持したままデコボコ道の轍を走り続けなければいけない。少々の凹凸があっても運転手はそのまま突っ切っていくので、じゃじゃ馬慣らしのロデオのようにバッタン、バッタンと車が傾き、ドシン、ドシンと腰に響く。その度に車体はギシギシとゆがみ、車軸を支えるサスペンションがギーギー悲鳴を上げる。まるでパリ・ダカールラリーだ。しっかりと荷台に捕まっていないと、振り落とされること間違いなしだ。「尻が痛い」「年寄り向きじゃない」とブツブツ言っている人もいるが、平均年齢80前後と思われる一行の大半は開拓地で荒道慣れした人が多いらしく、「ウワーッ!」とジェットコースターに乗っているような歓声があちこちから聞こえてくる。このようなツアーが午前と午後の2回あるという。これほど過酷な四駆車の使い方をする場所は、世界広しといえど少ないに違いない。やはりバンジは名車だったと一行は〃痛感〃した。レンソイス国立公園の大砂丘の入り口に着くと、そこからは徒歩。砂丘の間に現われる三日月池を見に有志20人ほどが奥へ向かう。今年は少雨がたたって、20分ほど歩かないと見られない。一山越えるとサハラ砂漠のような光景が広がる。高さ40メートルほどの砂丘が波を打つように50キロも延々と続く。この砂丘は年平均5メートロずつ風で移動しているのだという。ガイドは「透き通った緑色のきれいなオアシス」と言っていたが、近くで見ると池の中に生えた藻で緑色になっていることが分かった。今では欧米からを含めて年間45万人もの観光客を集める一大名所になっている。 ☆   ☆ 翌朝3日、ポウサーダ裏の川岸で、藤倉恵三さん(けいぞう、80、山形)=スザノ在住=から「もしかしたら昨日見た大砂丘は、その昔パウ・ブラジルを取ったり、奴隷を使った略奪式農業をした名残りじゃないかな。もしそうなら、戻るには年月がかかるだろうね」との話を聞き、ピンとくるものがあった。藤倉さんは58年に渡伯し、最初はコチア産組の種鶏場で働き、今は鶉を中心に養鶏しているだけあって農業に詳しい。高温多湿の熱帯雨林気候であるアマゾン地域に、広大な砂漠があるというのは実に奇妙な現象だ。オ・グローボ紙サイト8月21日付け記事によれば、同国立公園には「サハラ砂漠地域の300倍も雨が降る」という。多湿だから三日月池が現れるのであり、それだけ雨が降るなら、元来は乾燥した砂漠気候ではない。もともとは森林だった可能性があるようだ。かつて海岸部には広大な大西洋森林地帯が広がっていたが、棉やサトウキビ産業などによって切り倒され続け、現在では森林面積の7%しか残っていない。元々がアマゾン河流域によくある、砂地の上に薄い腐葉土層があるだけのやせた土壌であり、サンルイス全盛時代の略奪式農業によって表土が流出して、不毛の地と化してしまったのではないか。その挙句に放棄され、忘れ去られているうちに砂漠化してしまい、戦後に〃再発見〃されたのではないか。サハラ砂漠もしかり、かつては大森林地帯だったという。確証はないが、もし自分たちが森林を切り倒して砂漠を作ったのであれば、まるで自然にそうなったかのように「国立公園」に指定して保護するのは、どこか滑稽な感じがしてきた。(つづく、深沢正雪記者) 写真=藤倉恵三さん/大砂丘で記念撮影する参加者 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html  
ニッケイ新聞 2012年11月28日付け 大阪なにわ会(下平尾哲男会長)が『第73回慈善バザー』を、12月2日午前9時から同会館(Rua Domingos de Moraes, 1581, Vila Mariana)で開催する。 婦人部の手芸品のほか寿司、なにわうどん、天ぷら、おしるこ、パステルなど食べ物も販売。協賛業者も多数出店する。 案内のため来社した久保美恵子・婦人部会長、役員の松原信子、桑原妙子さんらは「年末の限定用品もあるので、お誘いあわせの上お越しください」と呼びかけている。 問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の『東北被災地応援ツアー』が先月14日から今月4日まで行われ、訪問団17人が岩手、宮城、福島の被災3県を訪れるなど活動を行った。目玉企画として注目されていた各県から伯国に青年を招聘する特別事業に関しても、本橋幹久団長が「前向きな検討を期待できる」と語るなど、好意的な反応が得られたという。 「訪問した全てのところで、『わざわざ遠いところからありがとう』『こんなに嬉しいことはない』と歓迎してくれた」。参加者17人中のうち、約半数8人を出した福島県人会の小島友四郎会長は、そう振返る。一行は18~24日に、岩手県陸前高田市や宮城県石巻市、福島県いわき市など、東日本大震災で大きな被害を受けた被災地を訪問した。中でも福島第一原子力発電所の事故により設定された避難区域の境界線に隣接する、いわき市久之浜区に設けられた「浜風商店街」では、店舗を運営する地元民との交流も行われた。小島会長は「ただ行くだけで自分に何ができるだろう、と不安に思ったりしたけれど、訪れることの意味を感じることができた」と感慨深げに話した。被災地の現状も目の当たりにし、小島会長は「久之浜から20キロほど行った高台から避難区域を見渡したが、手入れする人も勿論居らず、繁殖力の強いアメリカなんかの植物が街中に広がって一面に黄色い世界が広がっていた。人が1年ちょっといないだけでこんな状態になってしまうとは…。故郷を思う人のことを考えると本当に胸が痛かった」と声を詰まらせた。各県庁の訪問では、県連、援協、文協の共催で計画が進められる被災青年の招聘事業についての説明が行われた。本橋団長は本紙の取材に対し「3県庁全てで大きな歓待を受け、我々の訪問を心から喜んでくれているようだった。提案した事業についても好意的に受け取ってもらい、良い感触が得られたと思う」と話し、コロニアからの応援の気持ちが通じたとの印象を持っているという。今後は、県側からの正式な参加表明の連絡を待った上で、招聘事業の具体的な内容を確定させていく予定になっている。被災地の復旧にはまだまだ時間がかかる。コロニアとしてできることは何か。大震災支援事業はまだ終わっていない。 写真=福島県の国際交流担当課長に義援金と招聘事業計画書を渡す本橋団長(中央)
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 県連の被災地応援ツアーで訪れた浜風商店街。本橋団長によれば、県連側から紹介する形で、ブラジルでも活躍する歌手・中平マリコさんのコンサートが計画されることになったとか。震災により元気を失った街を盛り上げるために様々なイベントを行っている同商店街と、被災各地で支援活動を行っている中平さんの「需要と供給」が合致したことで検討されるに至ったという。
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 一行の浜口洋さん(68、三重)も小山徳さん同様に工業移民で、最初はNEC、73年からはテレブラスに勤めていた。「軍事政権は電信電話による全伯のインテグラソン(統合)を目指していた。70年代にようやく電話が普及したが、それまではリオ・サンパウロですら電話をかけるのに半日待ったりした」と思い出す。軍事政権は電信電話公社にポルト・アレグレからマカパーまで一瞬にしてマイクロウェーブで飛ばす構想を立てさせ、60年代後半に入札を実施し、欧米の激しい売り込みを抑えて、ブラジルNEC(1968年創立)が入札した。カラーテレビ用の映像を飛ばすことも全伯マイクロウェーブ構想の重要な目的だった。70年のサッカーW杯メキシコ大会で伯国が3度目の優勝を飾ったのを契機に、当地では一気にカラーテレビへの欲求が高まり、軍事政権が実施した。ブラジル人としてのアイデンティティを醸成するには、広大な国土に同じ映像、ニュースを流し、国民に共時性を感じさせる必要があり、そのための国家的基幹設備だった。青年隊員らの奮闘により、72年2月19日、南大河州カシアス・ド・スル市のブドウ狩りの映像が北伯ベレンで初めて生中継の試験放送された時、小山さんは「これでブラジルの電信電話は世界的なレベルになった」と充実感をもってパラー州都で見ていたという。72年3月31日には正式な公開放送が始まった影には、日本企業と技術移民の血と汗と涙が隠れていた。小山さんは「今ではマイクロウェーブじゃあチャンネル数が足りなくなって、もう衛星放送とか光回線の時代だけど、まだ設備は残っているよ」と車窓を指差した。「それに、ボクがサンルイスにいた頃は、レンソイスなんて誰も知らなかったな」。サンルイスから南に車で4時間、次の目的地レンソイス・マラニェンセスの大砂丘が価値ある観光資源として〃再発見〃されたのは実に90年代初頭、最近のことだ。 ☆   ☆ 「なぜだ。この町はバンデイランテ(以下バンジ、トヨタ車)ばかりじゃないか!」一行を乗せたバスの中では、そんな声があちこちから聞こえた。変わり映えしない砂地の上に薄い養土層しかない潅木林を延々と4時間、サンルイスから東南に260キロ、レンソイス・マラニャンセス国立公園の中にある、バレイリンニャス(Barreirinhas)という小さな町でのことだ。ここが砂丘観光の出発点だ。日系人もまったくいない町で、なぜかバンジだけが闊歩している。同車はブラジル・トヨタ社(58年創立)がサンベルナルド工場を設置した1962年から生産を開始し、01年までジープや小型トラックとして生産され続けた。日系農業者はもちろん、広く、長く愛された実用車だ。聖州では街中で見ることは少なくなったが、この町では荷台を3列の客席に改造したバンジが、数え切れないほど現役で走っている。さっそく現地ガイドのレオナルド・ソウダ・サントスさんに理由を聞くと、「知らないのかい? ここはブラジルで一番トヨタ車の比率が高いが町として有名なんだ」と胸を張った。「どうして?」と畳み掛けると、「一番丈夫だから。トヨタは壊れない。他社の車も試したけど、砂丘を走らせたらすぐに壊れる。最後に残ったのはトヨタだった」と断言する。「新車はもうないでしょ?」と聞くと、「新古車や中古車の状態がいいのを探してきて使っているんだ」。カローラが生産開始された98年以前をよく知るトヨタ社員が訪れたら、感激すること間違いなしの場所だ。(つづく、深沢正雪記者) 写真=さっそうと艀を降りるバンジ、続くのもバンジ/バンジの荷台の客席のみなさん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 将来の農業リーダー育成を目的に実施される「兵庫県若手地域農業リーダー海外派遣団」が3日に来伯、兵庫県人会(尾西貞夫会長)が14日、聖市レストラン「誠」で歓迎会を実施した。県内の農業高校・大学校の学生や農業分野で活躍中の後継者を対象に毎年実施されている。今年で34回目。今回は5校から10人の大学・高校生らおよび、三好昭宏団長、伊林淳弥副団長が訪伯した。一行はバストスの養鶏場やマリンガのコカマール農協などを見学し当地の先進的農業を学び、クリチーバ日伯援護協会が運営する日本語学校の生徒との交流や、日系人宅へのホームステイなどを通し人々との親睦を図った。また、今年はアプカラナ市の農業学校への訪問を3日間に延長したことで、同校での実習・交流が更に充実したものとなった。三好団長(54、兵庫)は「皆さんに支えられていい研修が出来た」と県人会の支援に感謝を述べ、尾西会長も「経験を活かしてほしい」と生徒らを激励した。乾杯、食事の後、生徒一人ひとりが「毎日カルチャーショックだった」「ブラジルと日本の牛肉の違いに衝撃を受けた」など、自己紹介や感想を発表していた。本紙の取材に対し、兵庫県立農業大学校の眞矢未来さん(19、兵庫)は「言葉が通じない海外の人と接するには、もっと積極的にならないと駄目だと思った」、同校の山本明日美さん(19、兵庫)は「大規模だけど、細かい所まで機械で管理されていてびっくりした」などと話した。それぞれが農業分野に限らず、様々な側面における文化的差異を肌で感じた様子だった。一行は15日に聖市を出発、17日に帰国した。