06/03/2026

Ano: 2012

ニッケイ新聞 2012年1月3日付け  リベルダーデの風物詩『第41回餅つき祭り』が大晦日の午前、聖市リベルダーデ広場で開催された。開始以来初の雨にたたられ肌寒い日となったが、広場には長蛇の列ができ、2万袋の紅白餅と3千食の雑煮が振舞われた。同祭を主催するACAL(リベルダーデ文化福祉協会)の池崎博文会長は「来年は一層この街を盛り上げていきたい」と抱負を語った。  もち米は各日系団体・企業の寄付で40俵(2400キロ)を用意。ラジオ体操の会員らが前日から準備した餅が配られ、お雑煮を待つ列は100メートル以上に。 午前10時半から各共催団体の代表を迎えて盛大に餅つきが行われた。大部一秋在聖総領事夫妻のほかジルベルト・カサビ聖市長も訪れ、現地メディアもカメラを構えて賑やかにうすを囲んだ。 もち米から熱い湯気が立ち込める中、赤い半被を着た来賓達は慣れない手つきで杵を振るい、周りからは「ヨイショー、ヨイショー」との声が響いた。 会場では南米大神宮が設置する「茅の輪くぐり」で厄病を祓い、同神宮の祭壇前では「paz」「amor」などの願いを書いた玉串を奉奠した。 来賓一行は東洋会館へと場所を移し、年越しを祝った。日伯両国歌のほか「蛍の光」「移民送別の歌」「一月一日の歌」を合唱した。 大部総領事は「東日本大震災、原発事故と不幸に見舞われたが、皆様から真心の連帯を感じた年だった。12年は希望の年にしたい」と明るく挨拶した。 鏡割りが行われ、菊地義治援協会長の音頭で乾杯。つきたての餅が入ったお雑煮を味わった。 友人と訪れた浅岡ミツエさん(77、二世)は「毎年来てます。幼い頃から母が作ってくれたお雑煮に似てあっさり。これがないと年越しした気がしません」と笑顔で話していた。
ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  2011年は、世界を震撼させた東日本大震災と、それに伴う福島原発事故という未曾有の幕開けの年でありました。 青天の霹靂ともいえる大事件を目の当たりにし、ブラジル日系社会も祖国日本への思いを胸に、義援金活動を速やかに展開しましたが、同じく1億9千万レアルのブラジル国民の暖かい手は胸に打つ思いであり、永劫忘れてはならないことであります。 ブラジル全土に数百を越す日系団体が存在し、各々が日本の惨事への思いを込め、思いつく限りの援助活動等を展開いたしました。 わがブラジル日本都道府県人会連合会も、主要団体と足並みをそろえ、義援金運動を立ち上げ、世界最大規模とも言われる在外邦人最大の日本祭りの副題に『甦れ・美しき日本』と題打ち、宮坂国人財団などの協力の下、百枚を越す震災パネル展、観光を喚起するパネル展、日本語学校生徒による寄せ書き展示、SOS・Japan義援金など、僅かではありますが、祖国への思いを伝える企画を実施いたしました。 この大事件は、日本にとっては正に国難であります。移民が始まって103年、長きにわたり、祖国からの暖かな思いは決して忘れることは出来ません。この大事件を機に、僅かなお返ししか出来ませんが、精神的なことも含め、出来る範囲の日本への対応を模索していかなければなりません。 BRICsにたとえられる養国ブラジルは、ワールドカップ、リオオリンピック、そして2022年の独立200周年まで、洋々とした道を歩くことになると思われます。 それに伴い、日伯間は第三波とも言われる様々な交流がますます盛んになることが予測されます。ある意味で各県と密接な関係にある在ブラジル都道府県人会と当会の役割はますます不可欠となっていくでしょう。それに要する役割と分担とを、中長期的視野を持って進めていく必要があります。 今の日系団体は一世の減少に伴い、大きな過渡期、転換期であると言われますが、代表的団体がよく理解し合い、目的を組み立て、目線を見極め、実践していくことと、牽引車の役目を果たすことで、立ちはだかる諸問題を乗り越えていけるのではないかと確信しています。