ニッケイ新聞 2012年11月22日付け 今年から当地への商品輸出を始めた秋田の健康食品会社「エムアンドエム」。佐々木正光社長は「今後は米、味噌、塩麹なども輸出したい」と意気込む。また、来年の日本祭りでは自社の商品に限らず、秋田の他社商品をはじめ日本全国、東日本大震災の被災県の「伝統的なうまいもの」を紹介予定。川合昭・秋田県人会長は「今まで来てくれなかった小町娘(美人コンテストの入賞者)も呼べそう」とウキウキ。
Ano: 2012
ニッケイ新聞 2012年11月22日付け 「人に良いと書いて『食』」をコンセプトに健康食品を製造・販売する株式会社「エムアンドエム」(1995年設立、本社秋田)から、当地におけるビジネス拡大を目指し佐々木正光代表取締役社長(59、静岡)が来伯、25日まで滞在し日本酒の試飲会などを行う。 佐々木さんは10代の頃、「いいもの」だと思っていた着色料・保存料に毒性の尺度LD(ネズミの致死量)が適用されているのを知り、食品への疑問を抱いた。法制度を知るため法学部に入学、卒業後東京都庁に入社し制度改革を目指したが断念し、「本物の食料を作ろう」と地元秋田に戻り農業を始めた。 以来、「舌ではなく体が喜ぶ食べ物を」と、同社で減農薬・有機栽培で育てたあきたこまち玄米「ギャバライス」、フリーズドライしたスナック納豆や海水を天日乾燥した塩などの健康食品を販売する。 自社商品の品質には確かな自信があるが、「価格が割高になるから、安ければいいという日本では売れない」と、海外28カ国に輸出。伯国には、今年6月から大和商事を通して日本酒、醤油を輸出しており、「ブラジルはライバルが少ないし、県人会がしっかりしているからタッグを組める。将来有望な市場」と見てビジネス拡大を目指す。 「日本は健康・自然食品の基準がない。高く売りたい人がやっていて中身が伴っていない」と佐々木さんは話し、「裏づけのある本物の食料を紹介したい」と意気込みを見せた。 試飲会は▼22日午後8時~居酒屋「一茶」(Rua Barao de Iguape, 89, Liberdade)▼24日午後8時~「アゼ寿司」(Rua Dr. Renato Paes de Barros,...
24日(土曜日)◎故榊原久雄さんの個展は、午前10時から聖市ジャルジン・パウリスタ区の間部ジョーギャラリー(Av. Brigadeiro Luiz Antonio, 4225)で。◎ウニベルソ・ダ・アクアレラ協会の水彩画展は、午前10時から聖市リベルダーデ区のサンパウロ商業協会中央地区(Rua Galvao Bueno, 83)で。25日も。◎工房恵(けい)のクリスマス慈善バザーは、午前10時から聖市プラッサ・ダ・アルボレ区の島根県人会館(Rua das Rosas, 86)で。25日も。◎「アートは最適な贈り物」展は、午前10時から、聖市ベラ・ビスタ区のデコ画廊(Rua dos Fran ceses, 153)で。25日も。◎中田東洋医学院の和柔整体法特許権取得記念治療講演会は、午前11時から聖市リベルダーデ区の文協貴賓室(Rua Sao Joaquim,...
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「サンパウロ・鳥取友好の森」計画 【既報関連】ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は創立60周年記念事業の一環として、「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトの記念式典と植樹を17日午後から聖市の聖州環境局森林院森林公園内で行った。 同プロジェクトは「マタ・アトランチカ(ブラジル大西洋海岸林)」の代表的な樹木60品目318本を鳥取県と県人会が合同で公園内に植樹し、さらに県人会と森林院が共同で管理して将来、森林の状態で聖州政府に贈呈する計画。当初、植樹数は200本の予定だったが、同県民の協力が多く118本も増えたという。本数増加に伴い、植樹場所も別にもう1カ所設けられた。 夏の日差しが照りつける中、同院1号館本部前で行われた式典には、母県から藤井喜臣副知事、伊藤美都夫県議会議長、野坂康夫米子市長ら公式訪問団15人と鳥取ブラジル友好協会員を含む民間訪問団11人、本橋会長、山添源二副会長、ミゲル・フレイタス森林院総裁や県人会員ら約150人が出席した。 37年間、同院に勤務した元総裁の山添副会長は聖市の近くで安全な場所という条件の植樹場所を選定することに苦労したが、同院1号館本部の横という絶好の場所を貸してもらえることをうれしそうに報告した。 本橋会長は「私たちが予想していた以上に鳥取県民が協力してくださったことに感激している。きょう植える木と同じように県人会も年の歳月を迎えていきたい」と目を輝かせた。 鳥取緑化推進委員会長も兼務している伊藤県議会議長は「きょうの植樹を迎えるにあたり感謝と喜びを強く感じています」と語った。式典後、植樹に寄付した人の名前が書かれ同院1号館本部横の敷地に設置された記念石碑と、同県のシンボルである麒麟(きりん)獅子の頭の像が関係者らによって除幕された。植樹に寄付した人の中には石破茂、湯原俊二衆議院議員の名前も記載されていた。続いて、参加者がそれぞれの植樹を行った。 家族17人で17本の植樹をした千田初美さん(58、2世)は「兄弟4人が鳥取県に留学した経験があり、恩返ししたくて参加しました」と話した。 日本在住のいとこと伯国在住の家族の樹木を植えていた好重美甘さん(66、2世)は「ブラジルに少ない木を植えることは重要だと思います」と植樹の大切さを実感していた。 2012年11月22日付
山形県人会(押切フラビオ会長)主催の第9回山形民謡コンクールが、11日午前9時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催された。各カテゴリー別で歌声が競われた結果、高年の部に出場したサンミゲル・パウリスタ民謡部の小渕トミさん(67、群馬)がグランプリの栄冠に輝いた。 午前9時から開催されたコンクールでは、はじめに「のどならし」も含めて関係者約25人が登壇。「花笠音頭」を全員で熱唱した。開会の辞を述べた篠原俊巳副会長は、来年10月27日に開催される県人会創立60周年記念式典に合わせて、第10回コンクールに母県から民謡使節団が来伯する予定であることを発表。今大会開催実現にあたり、関係者への感謝の意を示した。 同コンクールは佐藤マリオ副会長の司会で進行し、審査員紹介後、「寿の部」を皮切りに約80人の出場者が自慢ののどを競った。昼食前にあいさつした押切会長は、子供のころに親から聴き伝えられた民謡を歌うことで健康増進につながりストレスの発散にもなるとし、「きょうは皆さんで楽しく過ごしましょう」と呼び掛けた。 昼過ぎには、特別出演としてロンドリーナ市在住の木村照子氏が浪曲を披露したほか、レジストロ大和民謡会及びジャパニーズ・ダンス・カンパニー優美と太鼓集団喜楽による芸能が、来場した参加者を感動させた。 同大会で「籾(もみ)すり唄」を歌い、初のグランプリに輝いた小渕さんは、「うそみたいで、信じられない」と喜びをあらわにしていた。 各カテゴリーの入賞者は次の通り(敬称略)。 【寿の部】1位=伊津野敬嗣。 【金寿の部A】1位=山本スギヨ、2位=田中千映子、3位=阿部秀富、4位=アサカ・レイコ、5位=谷口忠孝。 【金寿の部B】1位=市来輝子、2位=鈴木治郎、3位=吉田保子。 【銀寿の部A】1位=浜田良香、2位=宮島貞子、3位=武田くに子、4位=八木静代。 【銀寿の部B】1位=松田恵美子、2位=斉藤礼子。 【高年の部】1位=小渕トミ、2位=馬場アヤ子。 【青年の部】1位=海藤洋平、2位=長田ナンシー、3位=アリーネ・サーレス、4位=橋口ゆかり。 【優勝者の部】1位=海藤司、2位=太田信子、3位=木村照子、4位=海藤晶子、5位=小泉正雄。 写真=グランプリに輝き、押切会長からトロフィーを受け取る小渕さん(右) 2012年11月22日付
アリアンサ日伯文化体育協会のアリアンサ移住地創設80年史編纂委員会(嶋崎正男委員長)がまとめた記念史「アリアンサ移住地創設八十年」が、聖市リベルダーデ区の在伯長野県人会事務所(Praca da Liberdade, 130 sala 910)でも購入できるようになった。 同委員会の矢崎正勝副委員長(68、山梨)によると、同記念史の販売はこれまで郵送で行っていた。当初、日本移民100周年の2008年に出版を予定していたが、今年に入って完成し、8月に500部出版した。使用言語は日本語のみだが、来年ポルトガル語版の発刊を予定しているという。 なお、サンパウロでの購入が難しい地方の人に対しては、今後も郵送で対応するという。問い合わせは同県人会(電話11・3106・1268)まで。 2012年11月22日付
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け アナポリス日伯文化協会との懇親会には現地から約60人が参加し、婦人部が朝7時半から準備したという手作りの料理に加え、フェイジョン・トロペイロなど同地の名物料理も並ぶ中、県人別にテーブルに座って賑やかに話した。同文協の松原ジョルジ会長(57、二世)は実は聖市育ちで、仕事の関係で2000年から同地に住んでいる。現在の会員数は97家族で、運動会、ゲートボール、新年会、忘年会、母の日などの行事を行なう。資金集めのヤキソバ会は年に3、4回実施し、300人の来場者の半分はブラジル人だという。松原会長は「昨年の大震災の時、2万5千レアルの募金を集め、大使館を通して日本に送った」と胸を張る。3・11という日本の危機に対しては、日系社会が一丸となって支援に取り組んだことが、どこにいっても感じられた。 ☆ ☆ 3日目、翌10月1日、朝食の機会にマリンガーからツアーに参加する草川一郎さん(81)と一緒になり、戦後、聖州から大挙して首都建設に向かう前、多くの二世がまず北パラナの開拓に向かった話を聞いた。バウルー近くのドアルチーナに生まれた草川さんは、前年にできたばかりのマリンガーに48年に入植した草分けだ。「原始林のど真ん中だったけど、もう日本人は10家続ぐらいいた」と笑う。父の四郎が最初にロンドリーナに様子を聞きに行くと「一番の新開地はマリンガーだ」と紹介され、さらに「そこにカーザ・ペルナンブッカーナが出来た」と聞いた。「あんな大商店が投資を決断する町なら、間違いなくこれから発展する」と考え、入植を決断した。「そのあと、土地が痩せたノロエステ線とかパウリスタ線からたくさん入ってきたよ」。そのような流れの中で、首都にも二世や戦後移民が入り込んでいった。 ☆ ☆ 早々に朝食を終え、出発時間前には全員がロビーに揃っている。その様子を見て、グローバル旅行社のガイド、中西マリア惠子さん(56、二世)は「集合時間の15分前、30分前に集まっていることは、普通のブラジル人のツアーではありえない」と比べる。「普段は私たちがツアー客を急かす側なのに、故郷巡りでは『揃っちゃっているんだから、どうして時間前に出ないんだ』って逆に急かされるくらい」と笑う。 28回も故郷巡りに参加している常連の行徳志保子さん(77、二世)=モジ在住=は、「(モジで)お店を始めた時、知人の息子さんとかの大学の月謝を何人か手伝ってあげたのね。そしたら、故郷巡りで行った先々に社会人になった彼らがいて、歓迎してくれるのが嬉しい」と微笑む。父鍔本茂さん(つばもと・しげる)は戦前、18歳で船乗りになり、亜国に密入国して洗濯屋になったツワモノだ。4年後に日本に戻って、今度は米国ニューヨークに密入国、そこで出会った永田稠(しげし)からアリアンサ移住地入植を勧められ、力行会に入会して渡伯し、そこで志保子さんが生れた。スザノのセラミカ行徳は夫の兄の会社だ。 ☆ ☆ 一行はブラジリア空港から飛行機に乗って、マラニョン州都サンルイスに2時間半で到着。扉が開くと、法定アマゾンの湿気を含んだムッとした熱気が入ってくる。貸し切りバスに乗り換えると、地元のガイドが乗ってきた。伯国内では唯一フランス人に占領されて創立(1612年)した都市であり、「聖ルイス」は当時のフランス国王ルイ13世にちなんで命名された。3年後にはポルトガル人によって奪い返されたが、世界史上有名なブルボン王朝の絶対君主と同地のとの珍しい接点だ。そのフランス占領から数えて、この9月8日が「400周年」であり、それを記念する旗が市内各所に掲げられていた。(つづく、深沢正雪記者) 写真=草川さん/行徳さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)の創立60周年を記念した式典と祝賀会が、18日午前10時から鳥取交流センターで盛大に行われた。鳥取県からは伊藤美都夫県議会議長、藤井喜臣副知事、野坂康夫・米子市長など県、県議会、鳥取市、米子市の公式訪問団、民間訪問団を合わせて27人の慶祝団が来伯したほか、福嶌教輝在聖総領事、各県人会代表なども出席し、集まった約350人が節目の年を祝った。 県人会は1952年4月、鳥取市で市街の8割が焼失する大火災に見舞われた折、当地の県人が募金活動を始めたことがきっかけで発足した。 現在は約300家族の会員がおり、1995年11月に落成した鳥取交流センターでは、県の伝統芸能「鳥取しゃんしゃん傘踊り」「銭太鼓」や日本語学校など数多くのカルチャー教室が開かれるなど活発に活動が行われているほか、県費留学生や技術研修生の派遣、ミランドーポリスの第二アリアンサ鳥取村には県から日本語教諭が派遣されるなど母県との交流も続けられている。 本橋会長は式辞で、県人会活動における最重要事項を母県との交流と位置づけ「今後も県との絆を大切にしながら成長したい」と決意表明した。 続いて4年前に来伯し55周年式典に出席した平井伸治知事のビデオメッセージが流され、その中で知事は今後の県と県人会の交流活発化に期待するとともに、今日の日系社会のブラジルへの発信力を称えた。 また伊藤議長は、「県議会としても交流を深める努力をし、日本一人口が少ないが住みやすい、活力と魅力ある県にしていきたい」と挨拶し、藤井副知事は自身も県人会創立と同じ年に生まれたため感慨深いとのべ、県の伝統芸能や郷土食の一層の普及に期待した。野坂康夫・米子市長に続いて深澤義彦・鳥取市副市長も祝辞をのべ、鳥取・ブラジル交流団体連絡協議会会長の挨拶を、民間訪問団団長の石谷雅文さんが代読した。 その後、60周年記念事業の「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトが紹介された。元聖州環境局森林院総裁で第一副会長の山添源二氏の発案で行われたもので、式典に先立ち17日、記念セレモニーが行われている。 続いて県から加藤恵久前会長、佐々木陽明さんに特別功労賞、10人に功労賞、末永加藤八重子さん、江川加藤千賀子さんの2人に高齢者の表彰が行われた。代表して謝辞をのべた加藤さんは県からの訪問団来伯に「本当に嬉しい」と繰り返しのべ、「県人会が頑張っていることを伝えてほしい」と語った。 最後に鳥取県民歌「わきあがる力」を来場者一同で斉唱し、ケーキカットと鏡割りが行われ、賑やかな昼食、アトラクションへと移った。またその他、県からの支援金を受けセンターの防災設備も完成しており、そのお披露目も行われた。
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け 「原稿を読むだけでは面白くないので…」と、鳥取県人会の60周年式典で自分の言葉で挨拶した野坂康夫・米子市長。外務省出身でかつてカナダのバンクーバーで3年間総領事を務めたという。同地には日系人が約3万人おり、当地と同じく先没者の慰霊に参拝していたといい、「地域に根ざし、その地をよくしようとする姿には涙した」とか。福嶌総領事の12年先輩にあたるという野坂市長、「(福嶌総領事に)ブラジルと日本の関係強化に力を入れるよう重々伝えておきますので」といい、場を沸かせていた。
伯国社会との取り組みを「鳥取友好の森」植樹も実施 ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は18日、聖市ミランドポリス区のブラジル鳥取交流センターで「創立60周年記念式典」を開催した。式典には、母県から藤井喜臣副知事、伊藤美都夫県議会議長、野坂康夫米子市長ら公式訪問団15人のほか、鳥取ブラジル友好協会員を含む民間訪問団11人が出席。伯国側からは、福嶌教輝在聖総領事、園田昭憲県連会長、木多喜八郎文協会長、毛利連援協副会長らが足を運び、総勢約350人が節目の年を祝った。式典の前日には、記念事業として「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトの記念式典及び植樹が聖市の聖州環境局森林院で行われた。 式典は千田初美同県人会副会長による開式の辞で幕を開け、日伯両国歌斉唱、先没者への黙とう、来賓紹介と続いた。本橋会長はあいさつで「創立以来60年、年輪を1回りして還暦となりました。これから新しい輪、すなわちサイクルに入っていく節目でもあります。今後の県人会活動として会員は2世以後の世代となり、日系団体でありながらブラジル一般社会との取り組みを考えなければならないでしょう」と述べ、次世代に期待を込めた。 会場のスクリーンに映し出されたビデオメッセージで平井伸治知事(51、東京)は、「記念事業の植樹をされ、永遠の友情を誓い合うこととなりました。植えられた木が育つのと合わせて日本とブラジルの交流が一層盛んになることを願っています」とさらなる日伯関係の強化を望んだ。 伊藤県議長、藤井副知事、野坂米子市長に続いて、竹内功鳥取市長の祝辞を深沢義彦副市長が代読したほか、石谷雅文民間訪問団長、福嶌総領事、日系3団体を代表して園田県連会長もそれぞれあいさつした。 引き続き、同県人会から平井知事をはじめとする13人に感謝状が贈られ、代表で藤井副知事が本橋会長から賞状を受け取った。聖州環境局森林院の元総裁を務めた山添源二県人会副会長は、記念事業「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトについて来場者に説明。鳥取県からは同県東部に古くから伝わる獅子舞の麒麟(きりん)獅子の頭が同プロジェクトに贈与された。 鳥取県からは、県人会の特別功労者2人、功労者8人、80歳以上の高齢者2人を表彰。特別功労者として表彰された元県人会長の加藤恵久さん(72、2世)は「鳥取県人会が頑張っていることを日本で伝えてほしい」と代表であいさつした。 県人会と母県関係者との記念品交換では、民間訪問団から県人会にシャンシャン傘10本などが贈呈。締めくくりは鳥取県民歌「わきあがる力」を全員で斉唱し、会場が一体となって閉会した。その後、鳥取県からの激励金の一部で設置された防火設備の一部である消火栓の放水が訪日団らに公開された。 祝宴では来賓らによるケーキカット、鏡割りが行われ、木多文協会長が乾杯の音頭を取った。記念アトラクションではシャンシャン傘踊り、銭太鼓、淀江さんこ節などの同県伝統芸能をはじめとする約20演目が披露。藤井副知事や深沢副市長らも傘踊りを踊り、野坂市長と奥田晃巳米子市民自治振興課長補佐(50)は、淀江さんこ節を踊ったりと会場を沸かせた。淀江さんこ節暦20年で同節の指導者の奥田さんは「お客さんが喜ぶことが大事」と満足げな笑みを見せていた。 傘踊りを続けて約20年という会員の野村澄江さん(91)は「こんなに大勢の方が来てくれて感動しています」と話し、3人の子供が県費留学した西尾雅夫さん(72)は「鳥取県とすごく良い交流ができているのでとてもうれしい」と満足した様子だった。 来伯3回目となった鳥取ブラジル友好協会の角馬晃子監事(74)は日本で研修生の着付けなどを世話した人と会えた喜びを語り、「鳥取県人はお人よしで情に熱いからこんなにたくさんの人が集まったのでは」と話していた。 2012年11月20日付
鳥取県人会創立60周年記念式典の後に行われたアトラクションでは、米子市から訪れた奥田課長補佐がひときわ目立っていた。同県人会の青年らが披露した「銭太鼓」に飛び入り参加し、ばちを落とすなど、おどけた技を連発。大きな笑いを誘っていた。同氏によると、鳥取伝統芸能の中には酒の席で生まれたものもあるという。そんないわれのある芸で絶妙な笑いを取る奥田課長補佐の力量に感心させられた。忘・新年会が近付くこれからの季節、各県人会対抗で伝統芸能の隠し芸大会など行えば盛り上がりそう。 ◎ 鳥取県人会創立60周年記念式典の式辞の中で、野坂米子市長は慰霊碑について少し話をした。同氏によるとカナダのバンクーバーでは、第二次世界大戦中に日本人とかかわりのある神社や寺などは、すべて壊されたという。しかし、第一次世界大戦後に造られた日本人の慰霊碑だけは今もなお、残っているとか。カナダ人にとって慰霊碑が、寺や神社とは違う特別なものと感じたどうかは今となっては分からないが。 2012年11月20日付
ブラジル北海道協会青年部(田尻えりか会長)は、25日午前11時から午後3時まで毎年恒例の「2012年度餅つき祭り」を聖市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Joaquim Tavora, 605)で開催する。 同祭では、臼と杵でついた白餅(12レアル)のほか、雑煮(10レアル)、汁粉(7レアル)、さまざまな種類の味が楽しめる焼き餅(5レアル)を販売。また、今年は北海道名物のデザート・生チョコレートも販売される。 会場のアトラクションとして、イッシンよさこいソーラン・グループが踊りを披露するほか、各種賞品をそろえたビンゴ大会も開催される。 田尻会長は「ご家族そろって、お祭りにお越しください」と来場を呼び掛けている。問い合わせは北海道協会のウスイ氏(電話11・5084・6422)まで。 2012年11月20日付
【既報関連】ブラジル国内で美容学校・化粧品店を展開する「グループ TAKEO」を創設した上原武夫さん(沖縄)の自叙伝「思い出の記 渡伯55年」出版祝賀会が、13日午後8時から聖市ビラ・カロン区の沖縄県人会ビラ・ カロン支部会館で開催され、会場には同書出版を祝して家族、友人ら約300人が集まった。 祝賀会では、上原さんの長男テリオさん(44、2世)が家族を代表してあいさつ。同書ができた経緯を説明し、完成した喜びを語った。また編集担当者の宮城あきらさんは、編集過程でのエピソードを紹介。「上原さんが受賞した外務大臣賞について書くかどうか」という場面があったことに触れ、上原さんの謙虚な人柄に敬意を表した。 あいさつに立った上原さんは、パソコンで文字を打ち込む作業の苦労話や協力した人たちに謝意を述べ、「本当は自分のこれまでの歩みを家族や親戚に残すために書いた本なので、大勢の方に読まれるのは恥ずかしいです」と率直な思いを語った。 上原さんの次男テルキさん(42、2世)によると、同書を初めて読んだ際には両親が出会ったころの話に感動し、涙が出たという。山城勇沖縄県人会名誉会長の音頭で行われた乾杯後、手巻きずしなどの日本食が振る舞われた。 舞台上には家族総勢16人が登壇し、上原さんは孫7人から花束を贈呈された。続いて、今月11日に78歳の誕生日を迎えた上原さんにケーキが用意され、家族 に囲まれながら孫のケンゾウ君(12、3世)と共にろうそくの火を吹き消した。 なお、来場者には約230冊用意された同書が配布された。 2012年11月20日付
ニッケイ新聞 2012年11月17日付け 公式の行事としては約20年ぶりとなる、福岡県人会の『支部交流会』が11日、聖州モジ市の観光農園「花の杜」を中心に行われ、聖市、カンピーナス、スザノ、サントアンドレー、バルゼン・グランデ、バウルーなど各地から集まった約130人が交流を行った。 長らく途絶えていた交流会復活のきっかけとなったのは、約10年前から毎年開催する忘年会に、聖市近郊の支部を招待するようになったバウルー支部の呼びかけだった。この〃ミニ交流会〃で出された案に本部側が応える形で実現に至った。伊藤支部長は「3、4年前から言い続けていた願いがやっと叶った」と笑顔を見せる。 午前中は会の世話役を務めた鶴我博文・本部国際交流担当理事のモジ市の自宅で、歓談をしながら朝食を楽しんだ。 「かっちゃん、久しぶりだな!」。地元モジ支部の支部長を務める大力隆文さん(68、浮羽郡=現・うきは市)は鶴我さん宅で、1961年に家族でバウルーに移住した際のパトロンの息子・小坪勝次さん(69、三井郡)との再会を果たした。「62年にバウルーを出て以来、ちゃんと話すのは50年ぶり。本当に懐かしい」と目を細め、小坪さんも「彼とはよく布を丸めて作ったボールで野球をしたもの。年も近かったし兄弟みたいな存在だった」と当時を振り返った。 午後からは「花の杜」に移動し、昼食会が開かれた。挨拶に立った南アゴスチーニョ県人会長は「鶴我さんが1カ月も前から頑張って準備をしてくれました。これだけの人が集まってくれて本当に嬉しい。今日は多いに楽しんでください」と話した。 施設内観光や買い物の時間の後にはビンゴ大会が行われ、大きな盛り上がりを見せた。最後には全員で「ふるさと」「夕焼け小焼け」を合唱し、会の幕が閉じられた。 スザノから参加した山川ミヨノさん(71、大宰府市)は「古い知人にも久しぶりに会うことが出来た」と笑顔。バウルーの梅村文子さん(73、二世)も「地元に来てもらうのとは違った楽しさがある。天気も凄く良いし、6時間かけて来た甲斐がありました」と満足げに語った。 「当初は6、70人を予想していた」という鶴我さんは「これだけの人が参加してくれたことに驚いたし、本当にありがたく思う。皆の笑顔が見られて大満足。来年以降も、担当を聖市近郊の支部の持ち回りにして続けていければ」と話していた。
ニッケイ新聞 2012年11月20日付け 「子孫への激励、もっと頑張れという気持ちでこれを書きました」。戦後移民で80年代には聖市を中心に53軒もの化粧品店網を作った上原武夫さん(たけお、77、沖縄県那覇市)の自分史『思い出の記』の出版記念パーティが13日晩、長男テリオさんら子孫らによってビラ・カロン沖縄県人会支部会館で催された際、そう述懐した。当日は親族や友人ら約300人が招待されて出版を盛大に祝福した。 上原さんは常々、息子や孫に家族の歴史をしゃべってきたが、「細部を忘れてしまうから、ちゃんと書き残してほしい」と要請され、書き始めたことが出版のきっかけ。子孫が日本語でも読めるようにとルビを振ると同時に、ポ語訳も付けられた。家族写真も入り、308頁、箱入りの豪華装丁となった。300部印刷され、当日配られた。 上原さんは「戦時中は宮崎に学童疎開した。故郷田原(たばる)は空港の近くで米軍に全滅させられた地域。親戚もたくさん亡くなり、兄弟も3人戦死した」と振返る。戦前移民の親戚の呼び寄せで、1956年に20歳で単身渡伯した上原さんは、最初は農業に従事したが、親友の協力で美容院の経営を始め、そこに化粧品を買いに来る客が多いことに目をつけ、化粧品店を始めた。 「あの頃、日系人で化粧品店をやっている人はほとんどいなかった」。81年頃が最盛期で53軒もの店舗網「グルッポ・タケオ」を育て、15年間余り活動を続けた。ところが90年ごろから関係者のデカセギが多くなり、グループ活動は「自然消滅した」という。現在も家族で7軒の化粧品店を経営している。 編集を手伝った宮城あきらさんは、外務大臣表彰を受けたことを自分で書くのを嫌がり、宮城さんにその部分を書いてくれと依頼した上原さんの謙虚さを示す裏話を披露し、「そんな上原さんの魂が本書を通して親族に生き続け、家族の繁栄につながりますように」と締めくくった。最後に上原さんは壇上から「家族や親戚に向けて書いたつもりだった。こんな大げさな会になって恥ずかしい。出版に協力して頂いたみなさんに心から感謝したい」と挨拶した。 同地区在住の比嘉善光さん(ひが・ぜんこう、79、与那城村)は「この会館は上原さんが会長時代に建てたもの。日系福祉団体にも広く協力してきた。今日こんなにたくさんの人が祝福に来たのは、武夫さんの人徳の賜物」と喜んだ。 与那嶺真次県人会長(62、二世)も「経済的成功もさることながら、広く日系社会を応援する姿勢を子供たちも受け継いでいることが素晴らしい」と賞賛した。 山城勇さんが「カリー、万歳、ビーバ!」と乾杯の音頭を取ると、会場からは盛大に唱和する声が響いた。子や孫15人が舞台に上がって記念撮影し、11日に77歳の誕生日を迎えた上原さんがボーロに入刀、来場者はパラベンスを歌って祝った。
16 de novembro de 2012 Ao som da double guitar com as músicas japonesas “Okohida” e “Boojo”...
【浜松支局=山崎功祐記者】岐阜県内の日系ブラジル人などで作るNPO法人「MixedRootsxユースxネット★こんぺいとう」(渡辺マルセロ代表)が、ブラジルの岐阜県出身者へ移住に関連した写真の貸与を呼び掛けている。 写真は、来年の岐阜県民ブラジル移住100周年を記念して「岐阜県民ブラジル移民100年から多文化共生社会づくり(仮称)」の冊子(カラーA5版、約50ページ)に使用されるほか、同県内の学校で行う移民の歴史を考える参加型学習で使用するという。 対象の写真は、移住前後の日常を写したものや移民船内で撮影したものなど。また、写真を送る際は、提供者の氏名、出身市町村名、各写真の時代と簡単な説明文を添えること。募集は今月末まで。 あて先は、聖市リベルダーデ区のブラジル岐阜県人会(Rua da Gloria, 279 Sala 21、電話11・3209・8073、メールgifukai@net hall. com.br)。写真に関する問い合わせは、渡辺代表(メールyouth.conpeitou@gmail. com)まで。 2012年11月17日付
ニッケイ新聞 2012年11月15日付け アナポリスの松井清さんは、戦争前にリンスから出聖し、郷里が同じ平子喜三郎(ひらこ・きさぶろう、圭造さんの父)を頼って1947年にアナポリスに移転した。「平子喜三郎さんがわざわざ迎えに来てくれた」と懐かしそうにいう。「あの頃、日本人はまだ30家族ぐらい、30年祭(83年)の頃に70家族になって手狭になり、リンスの頃のように立派な会館や日本語学校が必要だと考えた。サンジョアン植民地時代のような活動がここでできないかと考えた」という。松井さんが会長の時代、88年に最初の会館(土地3千平米)を建てた。95年にケンブリッジ・コンサルタント社の河野賢二代表らの協力で、現在の8千平米の土地と交換し、会員の寄付を集めて新会館を建てた。今では会員97家族を数えるが、やはり、ノロエステの植民地生活が発想の原点だ。もう一カ所有名なのは戦後の「セーレス(CERES)植民地」だ。アナポリスから60キロほどの位置にあり、ノロエステ線や平野植民地などからも国内再移住組が多く入って1950年頃に建設された。米や大豆栽培を目指したがうまくいかず、数年も持たずして植民者はアナポリスなどに出てきてしまった。でもそこから藤岡兄弟が出て、今ではゴイアス州一と言われるカメラ店グループを育てあげた。05年4月に故郷巡り一行が州都ゴイアニアの同日伯協会を訪問した時、交流会には初美さん(当時88、熊本)ら藤岡家の人々も参加していた。1932年に渡伯した時、初美さんはまだ15歳、初入植地はやはりノロエステ線ペナポリスで、「貧乏から貧乏で、食べていかれんかと思って心配しておりました」と移住初期を振り返っていた。セーレスに移ったのが1949年。ゴイアニアに出て64年に第1号店の写真館「さくら」を開き、以来破竹の躍進を続け、カメラ、音響、家電販売店が56店舗もあった。ゴイアニア市だけで25店舗、ブラジリアにも27店舗、リオ、ベレン、フォルタレーザ、レシフェなどにも出店という躍進中の日系企業だ。 ☆ ☆ かつてアナポリス日伯文化協会には「さくら学園」という日本語学校もあった。1988年に創立し、デカセギブームにのって生徒数を増やし、最盛期には120人もいたが、94年頃に生徒が40人まで減って、経費が負担できずに潰れてしまった。同校理事長をしていた村松幸子さん(73、愛媛)は、「デカセギに行く前には一生懸命にここで日本語を勉強していた。08年以降たくさんのデカセギが帰ってきたけど、今度はなぜか会館には寄り付かない。帰ってきたばかりの頃は、子供とかとてもキレイな日本語をしゃべっているのに、ポ語ばかりで生活するうちに、あっという間に忘れていくみたいですね」と残念がる。「どうして会館に寄り付かなくなるのでしょうか?」と質問すると、匿名希望の一行の一人が、村松さんに代わってこう答えた。「私には会館に寄り付かない人たちの気持ちが分かる気がする。きっと日本で嫌な思いをしてきたから、ブラジルに帰ってまで日本人に関わりたくないのよ。日本に行く前は、ブラジル人から『ジャポネース、ジャポネース』と呼ばれていたのに、日本に行ったら『ブラジル人』だと日本人から差別されるような扱いを受けたから嫌いになった」と推測した。その上で、「でも、それは良い事じゃないかと思うわ。そこから本当の日系人になるんじゃないかしら。ノスタルジーの中の日本じゃなくて、本当の日本との距離が持てるようになる」と締めくくった。だとすれば、この08年以降の大量帰伯時代は、日系人を軸にした日伯関係においても、一つの大きな転換点なのかもしれない。(つづく、深沢正雪記者) 写真=挨拶する松原会長/懇親会の様子 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月13日付け 兵庫県神戸市にある「海外移住と文化の交流センター」(元移民収容所)では、11月1日から来年1月31日まで『教科書で見るブラジル日系社会の子弟教育展』を開催している。今年5~7月に行われた企画展『ブラジルの大地を拓いた日系人たち』では日系移民たちの農業分野の活躍を取り上げたのに対し、今回は「教育」をテーマに、戦後に使用された教科書等が展示される。「ジャポネス・ガランチード」の根幹にあるブラジルで行われた日本的教育を見直し、来場者にこれからの日本について考えてもらうことを目的としている。また同県西宮市でも、パラナ州ロンドリーナ市との友好提携35周年を記念した「2012ロンドリーナ週間」を同市役所本庁舎で開催中だ。同交流センターの中にある日伯協会(西村正理事長)の協力で、過去の特別展、企画展で展示されたパネルを使用するほか、今年はさらにロンドリーナ市をアピールする特別パネルを追加作成する意気込みをみせている。
