今年は戦後移住が再開され60周年を迎える。50周年記念式典は物議をかもしながらも戦後移住者の存在感を示したが、還暦を迎える今回は動きが少ない。それでも、ブラジル都道府県人会連合会は7月に実施する第16回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)のサブテーマに「戦後移住60周年」を加え、式典を開催する準備を進めている。移り来て60年―。脳裏にさまざまな思いが走馬灯のように駆け巡る。
◆日系コロニアの再編成期=1950年代
日本政府は、終戦直後から海外移住の再開を模索した。しかし、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は中国の満州移民が植民地化に加担したとして認めなかった。海外からの引き揚げ者が600万人にも上るため、政府は民間による移住組織を立ち上げ、送り出しを目指した。
これとは別に、ブラジルの場合は戦前移住した親族を頼っての呼び寄せ移住は個別に認め、1950年ごろから少数ながら移住は再開していた。
本格的な集団移住となったのが、52年年末に日本を出発した「さんとす丸」での18家族54人がブラジル戦後移住の最初となった。この移住者がアマゾンの「ジュート移民」と呼ばれる人たちだった。
◆渡航費免除も、移住者激減=1960年代
1960年、日本政府はブラジル政府との間に日伯移住協定を締結したが、戦後移住者が最も多く移住したのは59年の約1万人で、以後激減した。この理由は、日本が高度経済成長期に入り、日本国内で人手不足になったためだった。
戦後最も多く移住した時期には、渡航費は移住者の借金として返済を義務付けられていた。しかし、この借金が重くのしかかっていたため移住者は、日本政府に免除を求めたがなかなか実現せず、海外移住家族会連合会の会長で国会議員だった田中龍夫氏に懇願、田中氏ら国会議員が議員立法で渡航費の無料化を実現したのは66年になってからのことだった。
