06/03/2026

Dia: 4 de janeiro de 2013

◆山田会長一問一答インタビュー ―県人移住100周年及び県人会創立75周年式典日と記念事業について。 「記念式典は8月25日を予定していますが、場所は(12年12月初旬現在)未定です。当日は仏式法要を式典前に行い、式典及び歓迎昼食会の後、記念懇談 会か講演会を行いたいと思っています。記念事業は、12年12月に開催された第8回日伯交流絵画展をはじめ、各家族の家系図の作成や寺子屋教室の復活も考 えています」 ―周年事業の意義と式典開催について。 「私たちの県人会も50年ほど前から5年ごとの記念式典を開催してきました。しかし、県人会の存在意義があるのか、ないのか、誰のための団体であるの か、など再認識することなく行われてきました。その意味で今回の100周年記念式典をやるべきかどうかは随分と迷いました。100周年そのものは12年初 旬から役員や会員たちと何回も話し合いを行ってきましたが、会員も母県の関係者もどういう思いで参加するのかが分かりにくい状態です。これまでもそれぞれ の時代の式典などの記録はあるのですが、その記録の裏付けとなるものが無く、系統だった移民史もありません。何のために式典をやるのか、役員たちの名誉の ために式典をやるのか、そうしたことを大いに反省し、議論をする必要があると思います」 ―県人会のこれまでの活動と今後の役割は。 「県人会は従来、『親睦会』を名目に故郷を思う同郷の人たちが慰め合ってきました。しかし、時代も流れ、県人会の目的が単なる親睦では成り立たなくなる 中、ブラジル生まれの若い世代が県人会に入る目的は『損か得か』を考えることが基準になりがちです。若い人たちが県人会に入ってくれるのはありがたいが、 興味が無ければすぐに辞めてしまう。彼らは県人会に何を求めているのかなどの話し合いも無い中、今後の県人会の諸問題を解決していく手立てが無いというの が率直な気持ちです。県人移住100周年を通じて、それらのことを改めて見直したいと思っていますが、大変な作業になると思います」 ―母県との関係について。...
 2013年に岐阜県人移住100周年、県人会創立75周年の節目を迎える岐阜県人会。26年間にわたって会長職を務める山田彦次会長は、今後の 県人会活動をどのように運営維持していくかを常に念頭に置いている。ブラジルの日系団体、特に各県人会活動が過渡期の状態にある中、従来の運営方法では先 行きがないと言い切る。同県人会の歴史を振り返るとともに、県人会の新しい方向性を模索する山田会長にインタビューした。 ◆岐阜県人会の歴史  岐阜県人会の歴史資料によると、岐阜県人が最初にブラジルに足を踏み入れたのは、1913年3月30日に神戸港出港の「若狭丸」に乗船した11家族44人となっている。その後、わずかながらも移住者が続き、30年代には岐阜県人の姿をサンパウロ市内で少しずつ見かけるようになったという。 35年ごろには当時の在留邦人の間で「名物男」と言われた岐阜市出身の坂井田南州氏(南米時報社長)が岐阜県人に呼び掛け、38年に聖市リベルダーデ区コンセリェイロ・フルタード街の旅館に約15人が集まり、「在伯岐阜県人会親睦会」を発足させたことが県人会創立の始まりとされている。  しかし、当時は交通の便や郵便事情が悪く、会員同士の横の連絡を保つために、「年1回の顔合わせがやっと」という状態だったことが記録されている。この間、第二次世界大戦の勃発により、日本人移住者は途絶え、日本語の会話や集会も禁じられた。 52年末に戦後初の日本人移住が再開され、54年7月には「在伯岐阜県人会」と改称し、県人会活動を復活させた。この間、岐阜県人会ではさまざまな行事を行い、歴代会長は山田現会長で8代に及んでいる。 11年度末現在、同県人会に登録されている会員数は351家族1578人。これは93年の実態調査を基本に推定されている部分もあるという。 2013年1月1日付