2013年に岐阜県人移住100周年、県人会創立75周年の節目を迎える岐阜県人会。26年間にわたって会長職を務める山田彦次会長は、今後の 県人会活動をどのように運営維持していくかを常に念頭に置いている。ブラジルの日系団体、特に各県人会活動が過渡期の状態にある中、従来の運営方法では先 行きがないと言い切る。同県人会の歴史を振り返るとともに、県人会の新しい方向性を模索する山田会長にインタビューした。
◆岐阜県人会の歴史
岐阜県人会の歴史資料によると、岐阜県人が最初にブラジルに足を踏み入れたのは、1913年3月30日に神戸港出港の「若狭丸」に乗船した11家族44人となっている。その後、わずかながらも移住者が続き、30年代には岐阜県人の姿をサンパウロ市内で少しずつ見かけるようになったという。
35年ごろには当時の在留邦人の間で「名物男」と言われた岐阜市出身の坂井田南州氏(南米時報社長)が岐阜県人に呼び掛け、38年に聖市リベルダーデ区コンセリェイロ・フルタード街の旅館に約15人が集まり、「在伯岐阜県人会親睦会」を発足させたことが県人会創立の始まりとされている。
しかし、当時は交通の便や郵便事情が悪く、会員同士の横の連絡を保つために、「年1回の顔合わせがやっと」という状態だったことが記録されている。この間、第二次世界大戦の勃発により、日本人移住者は途絶え、日本語の会話や集会も禁じられた。
52年末に戦後初の日本人移住が再開され、54年7月には「在伯岐阜県人会」と改称し、県人会活動を復活させた。この間、岐阜県人会ではさまざまな行事を行い、歴代会長は山田現会長で8代に及んでいる。
11年度末現在、同県人会に登録されている会員数は351家族1578人。これは93年の実態調査を基本に推定されている部分もあるという。
2013年1月1日付
