◆山田会長一問一答インタビュー
―県人移住100周年及び県人会創立75周年式典日と記念事業について。
「記念式典は8月25日を予定していますが、場所は(12年12月初旬現在)未定です。当日は仏式法要を式典前に行い、式典及び歓迎昼食会の後、記念懇談 会か講演会を行いたいと思っています。記念事業は、12年12月に開催された第8回日伯交流絵画展をはじめ、各家族の家系図の作成や寺子屋教室の復活も考 えています」
―周年事業の意義と式典開催について。
「私たちの県人会も50年ほど前から5年ごとの記念式典を開催してきました。しかし、県人会の存在意義があるのか、ないのか、誰のための団体であるの か、など再認識することなく行われてきました。その意味で今回の100周年記念式典をやるべきかどうかは随分と迷いました。100周年そのものは12年初 旬から役員や会員たちと何回も話し合いを行ってきましたが、会員も母県の関係者もどういう思いで参加するのかが分かりにくい状態です。これまでもそれぞれ の時代の式典などの記録はあるのですが、その記録の裏付けとなるものが無く、系統だった移民史もありません。何のために式典をやるのか、役員たちの名誉の ために式典をやるのか、そうしたことを大いに反省し、議論をする必要があると思います」
―県人会のこれまでの活動と今後の役割は。
「県人会は従来、『親睦会』を名目に故郷を思う同郷の人たちが慰め合ってきました。しかし、時代も流れ、県人会の目的が単なる親睦では成り立たなくなる 中、ブラジル生まれの若い世代が県人会に入る目的は『損か得か』を考えることが基準になりがちです。若い人たちが県人会に入ってくれるのはありがたいが、 興味が無ければすぐに辞めてしまう。彼らは県人会に何を求めているのかなどの話し合いも無い中、今後の県人会の諸問題を解決していく手立てが無いというの が率直な気持ちです。県人移住100周年を通じて、それらのことを改めて見直したいと思っていますが、大変な作業になると思います」
―母県との関係について。
「県人会に『岐阜』という名前が付いている以上、母県との交流を欠かすことはできません。例えば、農業高校生派遣制度は既に34年も続いており、今後も継 続してほしいと思っています。100年前に岐阜県人が日本移民として送り出されたことは事実で、移民たちが故郷を回顧する意義において県人会ができてきた 部分があります。しかし、時代とともに故郷を同じくする思いの人が少なくなり、ブラジル生まれの県人子弟(父母が他府県の場合もある)の県人会に対する思 いが年々薄れつつあります。また、移民の多くが農業移民として渡伯したものの、初期段階で『ブラジルで何をするのか』さしたる目的もなく、地方から都市部 に移れば何とかなると自由に移転できたことが、日系社会をバラバラにした最大の原因ではないかと思われます。将来の目的がはっきりせず、自己中心的な考え 方がはびこる中で、それらのことを大いに議論する必要があるのでは。今回の移住100周年というのは、岐阜県及び日本政府が100年前に移民を送り出した ことに始まります。そういう意味では母県との考え方にズレが出てきているかもしれません」
―日系社会の今後にとって重要なこととは。
「各県人会にはそれぞれ考え方もあり、地域によって違う価値観や存在感もあると思います。しかし、節目の式典を利用しながら『ブラジルにおける県人会の存 在価値について』など、日本の関係者を交えながら今のうちに議論しなければならないと思います。私個人としては『日本人でありたい』との思いを持っていま すが、県人会が今後『日本人らしさ』を維持するのか、しないのか。ブラジルの中で日本人としてどのようなやり方があるのか、よく考える必要があります。一 方で日本は、海外における日本人にはその国への同化を求めてきましたが、ダブルスタンダード(二重基準=矛盾)の考え方を持っているわけです」
―今後の県人会、日系社会の在り方は。
「結論があるわけではありませんが、理想で言えば県人会は継続するほうがいいと思っています。それには、学者や専門家も含めて話し合いの場を持つ必要があ ります。これまでの日系社会では、日本人はブラジルに同化するのが当然という考えで話が進められていますが、本当にそうなのでしょうか。全く違う文化を 持った日本人がブラジルにやってきて『日本人らしさ』を強調し、一般ブラジル人に理解してもらうほうが早道ではないでしょうか。県人会も日系社会も同じで すが、再生するためには参加してもらえる人々、会員や周囲の協力が無ければ存続できません。納得してくれる人がどれだけいるかは分かりませんが、言うべき ことは言い、やるべきことをやっていきたいと思います」
2013年1月1日付
