ブラジル茨城県人会(小林操会長)は、今月初めに県人会創立50周年記念誌「ブラジルの茨城」を発刊した。全252ページ、日本語。 記念誌は、約40ページを使って「県人会の動き」とし写真で説明しているほか、「私のルーツと軌跡」「ふるさとの旋律」のコーナーでは、創立50周年の思いや出来事など、個人の意見が多く寄せられている。 制作を担当した若松孝司さん(82)は、2011年8月の創立50周年式典後、同記念誌の制作を開始。約1年かけて完成させた。取材に対し「日本語が読める人は年々減っているが、分かりやすく個人の思いを多く載せた。多くの人に読んでほしい」と発刊の思いを述べた。 記念誌は計700部を印刷。県人会員には無料で配布され(2冊目以降は50レアル)、非会員にも50レアルで販売している。問い合わせは同県人会(電話11・3209・8515)まで。 2013年2月26日付
Dia: 26 de fevereiro de 2013
新会長には田場ジョルジ氏選出 ブラジル沖縄県人会・ブラジル沖縄文化センターは24日、サンパウロ市(聖市)リベルダーデ区の同県人会館大サロンで第76回定期総会を開いた。同会では県人会のさまざまな債務が発覚したほか、一般会計の不備も浮かび上がり、出席会員から相次いで疑問や非難の声が上がるなど紛糾。その結果、2012年度一般会計が承認されないという沖縄県人会発足以来の異例の事態となった。なお役員改選では、与那嶺真次氏に代わり田場ジョルジ氏が新会長に選ばれた。 同会は、開始予定時間より30分遅れの午前10時半から始まった。冒頭、先没者に対する黙とうが行われ、与那嶺真次会長の「皆さんの参加に感謝します」という短いあいさつの後に2012年度業務報告が行われた。 報告によると、サンパウロ州政府から県人会館運営許可を得ていなかったために02年から課されていた罰金を滞納していたとし、昨年8月にブラジル銀行の口座が差し押さえられ、1万2540レアルを支払った。差し押さえられた資金は、沖縄県人移民100周年史発行のために寄与された、元連邦下院議員ウィリアム・ウー氏による政府助成金5万レアルだった。 また、文化センターも1993年に聖市から道路舗装費2万8450レアルを請求されていたが滞納を続け、現在罰金や利子を含めて債務は10万2249レアルに膨れ上がっている。こちらは未払いで、利子の恩赦を待ち続けるという。 「なぜこれらの罰金を早急に支払わなかったのか」という質問が会員から投げかけれたものの、執行部は「請求書を紛失したり、見落としがあったりした」などとあいまいな返答に終始した。 さらに、同県人会が運営する貸与奨学金「県人会育英資金」の未返済額が現在5万5980レアルに上ることも報告。奨学金の使用用途や卒業したかなどの実態調査すらも行われていないという、資金のずさんな運営方法も明らかにされた。なお、既に3人の返済が滞っており、今後も返済請求は行うものの裁判で争うことは難しいという。 その後、12年度一般会計報告が行われた。報告によると、県人会が収入58万5549・12レアル、支出が54万6542・58レアルで、計3万9006・54レアルの黒字。文化センターが収入15万230・58レアル、支出14万4128・07レアルで、計6102・51レアルの黒字だった(いずれも繰越金含まず)。 しかし、事業報告と会計報告の黒字額が一致しない、明細会計が報告されていない、雑収入・雑支出額があまりにも大きいなど、会計不備が相次いで参加者から指摘された。1世会員からは「こんなずさんな仕事で、日本人は納得できない」と執行部を非難する声が上がり、会場からは非難に同意の拍手が起こるなど総会は紛糾。結局、12年度会計は総会では承認されず、近日中に臨時総会を開き改めて報告するということで決着した。なお、13年度予算は県人会が40万4000レアル、文化センターが20万レアルで承認された。 遅めの昼食を挟み、午後には13、14年度新執行部が選出された。事前に提出されていた唯一の新役員シャッパが承認され新会長となった田場氏は、「私なりに一生懸命やっていくので、皆さんどうぞご協力よろしくお願いします」とあいさつを行った。新執行部は次の通り(敬称略)。 会長=田場ジョルジ、 第1副会長=島袋栄喜、第2副会長=知花ルイ、第3副会長=松堂忠顕、第4副会長=西原正三、 第1書記(ポ語)=小波津セルジオ、第2書記(日語)=池原あき子、 第1会計=目差ジョン、第2会計=金城ルイス。 2013年2月26日付
元連邦高等裁判所判事である上田雅三氏(70)の顕彰式典が18日、サンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で、文協、援協、県連、日文連、商工会議所の日系5団体ほか28の日系団体の共催で行われた。当日は約100人の関係者らが参加した。 上田氏はサンパウロ州リンス出身の日系2世。1994年からサンパウロ大学法学部で教鞭を執ったほか、2006年から日系人として初めて連邦最高裁判所判事を務めるなど、これまでブラジルの法曹界に多大なる貢献をしてきた。 当日は大雨が降り、市内各地で大渋滞が発生したため、式典は約1時間遅れで始まった。あいさつに立った旧友の原田清氏は、上田氏の略歴及び功績を多くの時間を割いて会場に紹介し、「これほどまでに友人として、判事として素晴らしい人間はいない」と、その栄誉をたたえた。 その後、上田氏に顕彰プレートが木多喜八郎文協会長から贈呈された。壇上に立った上田氏は、「これまで70年間頑張って来れたのは、ひとえに家族の支え、日系社会の支えがあってこそだった」と話し、会場から割れるような拍手を浴びていた。 2013年2月23日付
