07/03/2026

Dia: 9 de abril de 2013

ブラジル南部4都市を訪問過去2番目に多い163人が参加  県連(園田昭憲会長)主催の「第39回移民のふるさと巡り」一行は3月22日~27日の6日間、サンタ・カタリーナ州ジョインビレ、イタジャイ、サンジョアキン、サント・アマーロ・ダ・インペラトリスの4カ所を訪れた。今回の参加者数はスタッフ12人も含めて計163人と、北伯を訪れた第32回ふるさと巡りの211人に次ぐ記録になった。参加者は多かったが大きなトラブルも無く、一行は各地で交流を楽しんだ。(毛利健人記者)  一行は初日、定刻通りの午後10時に日本移民の中心街であるサンパウロ市リベルダーデ広場から、サンタ・カタリーナ州に向けてバスで出発した。  翌朝、サンタ・カタリーナ州に入ったバスの窓には多くのピーニャ(パラナ松)の木が映っていた。皿のように平べったく広がった枝が特徴のこの木は、地域の植生独特のものだ。湯がいて肉と一緒に食べるのがカタリネンセ流だという。  サンパウロから南に約530キロ離れた、ジョインビレに到着したのは翌日午前8時。ジョインビレは州都フロリアノーポリスをも上回る約52万人の人口を有し、多くのブラジルIT企業本社が集積する同州最大の都市だ。この街の歴史は1851年にドイツ系とスイス系移民が入植したことに始まり、現在でも人口の9割がドイツ系を中心とするヨーロッパ系の人々だ。ドン・ペドロ1世の娘であるフランシスカ・カロリーナと、夫でフランス人のジョインビレ公の別荘が建てられたことから、やがてジョインビレと呼ばれるようになった。  朝食を終え、一行はバス別に市内観光を行った。1号車がまず向かったのはアイロン博物館だ。ジョインビレが古くから「サンタ・カタリーナのマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市であったことは有名だが、そんなジョインビレ出身の実業家でアンティーク収集家のモアシール・ボゴ氏が、世界中から集めた古今東西のアイロン約500点を「人間の生活に基づいた、世界各地の異なる工業発展の歴史を知ってもらいたい」との思いから、寄贈したことがきっかけで造られた博物館だ。  中には古代中国のアイロンから現代の電気スチームアイロンまで並んでいたが、中でも特に一行の目を引いたのは1940年代ごろのアイロンだ。当時の圧縮式や木炭式のアイロンを見て、「昔の日本では布団の下に服を敷いてアイロン代わりにしてたわね」「私は木炭式のを使って、やけどしたことがあるわ」などと、特に女性陣の昔話が盛り上がっていた。  続いてバスが向かった先は自転車博物館だ。一説には19世紀にドイツ人が自転車の元祖を開発したとも言われるが、ジョインビレに移住したドイツ系移民の多くも古くから移動手段として自転車を用いており、今もなお街中には多くの自転車が走る。この博物館はそのようなジョインビレの歴史的経緯から、市政150年を記念して造られた。  中には50年代の日本の自転車や世界一周した自転車、インドの自転車タクシーなどさまざまな自転車が飾られていたが、中でも一行に人気を博したのは、ハリウッド映画「E.T.」に出てきた、エイリアンを前かごに載せた自転車のレプリカ。皆横に立って記念撮影をしていたが、ある高齢の参加者の1人は、エイリアンのしわくちゃの顔を見て「親戚に久しぶりに会えたわ」と冗談を飛ばし、笑いを誘っていた。(つづく) 2013年4月9日付
 「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)により、ブラジルの青年たち3人がきょう9日から訪日し、北海道、山梨、静岡の各地方自治体で活動する。  同事業は、日本の地方自治体が世界との交流を目指し、総務省、外務省、文部科学省と(財)自治体国際化協会が協力。1987年に始まり、これまでに約50カ国から5万人以上が参加。ブラジルからは95年に実施され、103人が訪日している。  今回訪日するのは、成田カレン摩耶さん(22、3世)、菊地ダニエラ美和さん(29、2世)、内田アラン英喜さん(26、3世)の3人。  サンパウロ州カンピーナス市在住の成田さんは北海道帯広市の市民活動部親善交流課に勤務する。サンパウロ総合大学で統計学を勉強し、「幼いころから日本で生活することが夢でした」と今回の訪日を喜ぶ。また、写真が趣味だといい、「日本全国を旅行する機会があれば回ってみたい」と笑顔を見せた。  菊地さんは、文部科学省留学生として高知大学に3年在学し、生物科学関連の教科書を作成した経験を持つ。山梨県国際交流協会で翻訳・通訳などの仕事をする予定で、「日本とブラジルの関係を深くし、最低でも2年は滞在したい」と意気込む。  日系企業で経理担当だったという内田さんは、祖母が静岡県出身。「ブラジルのコーヒーと静岡のお茶の多文化共生をし、日本でのブラジルのイメージを良くしたい」と述べ、「できれば富士山に登りたい」と目を輝かせた。静岡県企画広報部地域外交局の多文化共生課に勤務する。  同事業では、海外からの青年と地方自治体が1年ごとに契約を交わし、本人と自治体の希望により最長で5年まで滞在できる。日本語能力試験2級以上の日本語能力が必要。 同事業の詳細など問い合わせはサンパウロ総領事館(電話11・3254・0100)など各地域の公館へ。 2013年4月9日付
ニッケイ新聞 2013年4月5日  22日夜、一行はジョインビレから東に90キロ行った海岸部のイタジャイー市に移動し、レストランで同日伯協会(ANBI、大場レジナ会長)から創立会員の佐藤吾介さん(ごすけ、65、二世、第3アリアンサ)、20年以上同地に住む梅木サチコさん(68、聖州ポンペイア出身)ら約10人と交流会を行った。  5年前から仕事の関係で同地に住み、3年前から同協会に入会した村中堅悟さん(63、長崎)は、元々は聖市の日商岩井に20年勤めていた。ニットの産地として有名な同地やブルスケ、ブルメナウにその材料を販売する仕事を独立してやるために移転したという。  佐藤さんによれば協会創立は1987年で、会員数は約100人(40家族)。十周年で会館を建設したが手狭で100人しか入れない。そのため、最終的にレストランが交流会場となった。  水産技術の研究員として80年にフロリアノポリスに来て、84年からこの街へ移転したという佐藤さんは、「20年ほど前までヤクルトがこの町で大きくエビ養殖をしていたな」と思い出す。「80年頃はこの町の日系人は少なくて20人ほどだった。お互いに町でチラッと姿を見るけど面識はなかった。公営市場に店を出している日系人がいて顔が広かったので、彼に呼びかけてもらい集まるようになった。今では、ほとんどの日系人を知っている」と同協会の成り立ちを説明する。  故中野博さんの仲介で千葉県袖ケ浦市と姉妹都市になり、「Sodegaura」と命名された遊歩道もある。  佐藤さんは「月1回は集まる。13年ぐらい前から年1度、スキヤキ会をやるが400人は集まる」という。他に運動会、遠足もしており、昨年はレジストロ、その前はクリチーバの花祭りに行き、親睦を深めている。  同市にはSC州には珍しく植民地もある。関口健次郎さん(76、茨城、コチア青年第1回14期)は58年に来伯後、最初聖州ピンダモニャンガーバのパトロンのもとで義務農年を終えた後、SC州に移転し、イタジャイーで野菜を作りスーパーへ卸すようになった。  そんな72年、人口が増加して野菜需要が増えたことから、市が移住地造成を計画し、地代10年据え置きの恩典を示して10軒の野菜農家を募集した。そこに関口さんは応募し、他にJICAが南大河州ポルト・アレグレ近郊から日本人農家を呼び、計日系7家族が入植し、あと3家族の伯人が入り、リオ・ノーヴォ植民地が始まった。  関口さんは「この町は海際だから海抜4メートルしかない。満潮の時にイタジャイ・アスー川の上流で大雨が降ると、下ってきた大量の雨水が満潮に押し戻されて街の中に溢れる。08年と11年にそんな大洪水がこの地域一帯を襲って、うちの畑は一番被害がひどかった。3日間も水浸しで全滅した…」と苦渋の日々を振り返る。  「あの時、すぐに(日本国在)クリチーバ総領事館から支援を出してくれ、新しい農機具や肥料を買うことができ、すごく助かったよ」という。  関口さんは現在、日本食に欠かせないガリ(生姜の薄切りを酢でしめたもの)の生産に力を入れ、毎年5トンも生産し、近隣の日本食レストランに卸している。隣のカンブリューには10軒、ブルメナウには5軒、ブルスケにも4軒、フロリアノポリスには10軒もあるという。  いま現在、同植民地の日系人は3家族のみ。2年前、東日本大震災が起きた時、「洪水の支援のお返しと思って、コロニアの各農家から1500コントずつ義援金を出した」という。日伯の絆はここにもしっかりと根を張っている。(つづく、深沢正雪記者)