06/03/2026

Dia: 15 de junho de 2013

ニッケイ新聞 2013年6月13日  高知県人会(片山アルナルド会長)が9日、同県人会館で恒例の『慰霊祭』を開催、約50人の参加者が静かに先没者を弔った。  坂本竜馬がデザインされた大きな垂れ幕を背景に午前10時半から、しめやかに執り行われた。  約250人の会員のうち、百人を超える会員が80歳以上。参拝した80歳以上の高齢者24人の敬老者表彰も行われ、記念品も贈呈された。  法要後は、テーブルに鯛の蒸しや姿寿司など、県人会自慢の郷土料理が所狭しと並べられた。毎年慰霊祭に参加している、ブラガンサ・パウリスタ在住の石元壮宜さん(93)の乾杯の音頭で、和やかに食事会が開かれた。  高橋一水前会長夫人のマリアさんからレシピを伝授され、鯛の蒸しを担当した東かよこさん(64、二世)は、「これからは、若い子たちにも郷土料理を伝えていきたい」と話していた。  同県人会では昨年から、20~30代の若手が土佐祭りを開催するなどして会を盛り立てている。  武吉七郎さん(81)は「世代交代が徐々に進み、県人会を母体にした新しいコロニアの傾向が生まれてきている」と若者の参入を喜んだ。  また同日、会員の平島末子さん(70、二世)から高知原産の特別天然記念物、尾長鳥の剥製が寄付された。今はなき父親が、45年ほど前に帰国した際に持ち帰ったものだという。 百歳の僧侶、田鍋さん=達者な姿に家族も笑顔  慰霊祭で導師を勤めたのは、7月で100歳になる会員の田鍋義美さん(法名=義照)。法要の後は、皆で田鍋さんの誕生日を祝った。  「一世紀の誕生日、心からお喜び申し上げる」と片山会長が挨拶すると、田鍋さんは「大勢の皆さんに祝ってもらい、家族一同感謝する」と応え、家族7人と共にケーキカットし、笑顔を見せた。  1913(大正2)年生まれ、15歳で渡伯した。聖市ジャグアレ区の日本人農家の下でジャガイモ栽培に携わった後、35年にイタペセリカ・ダ・セーラ市に移り、独立。90年まで県人会の地方支部長もつとめた。  真言宗の信徒で、ヴィラ・カロンでの高野寺創立や行事の運営を手伝うなどしていたが、「友達の僧侶が亡くなった時、その弟に『僧になれ』といわれ」、96年に高野山で僧籍を取得した。  以来、百姓をしながら、スザノの金剛寺で毎月行われる法要や、個人宅での仏事を請け負ってきた。同県人会で導師をつとめるのは今年で3回目。百歳とは思えない達者な姿に、「本当にお元気」と会場から感嘆の声がもれた。  息子の田鍋セイチョウさん(63、二世)は、「穏やかで優しい良いお父さん。長生きしてくれて嬉しい」と笑顔をみせた。
ニッケイ新聞 2013年6月12日  ピラール・ド・スール日伯文化体育協会(南満会長)の『創立60周年記念式典』が9日、同文協会館で行われた。会員ら約500人のほか、同市長や多くの日系団体関係者、羽藤ジョージ、安部順二の両氏など日系政治家も会場を訪れ、節目の年を盛大に祝った。式典では司会進行を4人の青年会員が務めるなど、若者の活躍が目立った。南会長は「彼らの素晴らしい活躍もあり、老若男女会員一同が一心同体となって取り組めた」と満足げに語った。  開拓先没者慰霊祭が営まれた後、伊藤正男実行副委員長により、日ポ両語で開会宣言が行われた。来賓には、ジャネッテ・ペドリーナ同市長をはじめ、在聖総領事館から成田強領事部長、板垣勝秀・ブラジル日本語センター理事長、園田昭憲・県連会長、山村敏明・聖南西文化体育連盟会長などが招かれ、約10人が祝辞を述べた。 続いて、会場前方に設置されたスクリーンで文協の歩みが写真とともに紹介され、往時を懐かしがる声も聞こえた。 文協創立会員夫人、歴代会長、80人以上にのぼる75歳以上の敬老者らには、記念品と賞状が贈られた。 「文協が出来たとき、夫は本当に喜んでいた」と振り返るのは、創立会員の1人、河津寅男さんの妻なつこさん(82、二世)。16歳での入植時、4、5の日系家族しかいなかったという。 「とにかく何にもないというのが第一印象。当然畑に水をまく機材なんてなくて、カミニョンに水を積んで運んでまわったもの」と感慨深げに語った。 白寿表彰を受けた豊田すぎさん(99、栃木)は、1964年にパラー州トメアスーから移り住んだ。「道路もガスも、水道も整っていなかったけれど、トメアスーに比べれば気候が本当に良くて。それでも、こんなに生活が便利になるなんて考えもしなかった」と笑顔で話した。 式典後には青年部と日本語学校生徒による唱歌「花は咲く」の合唱、カラオケ、サンパウロの鳥取県人会・笠踊りグループによる演技の披露などが余興として行われ、多いに盛り上がった。 ■  同地への入植は1945年に始まった。文協の創立は8年後の1953年で、48人のメンバーによって創立された。 55年に現在まで続く日本語学校が作られ、74年に婦人部創設、76年に新会館の建設、85年には入植40周年記念式典、記念誌が作成されるなど、積極的な活動が続けられ、現在約160家族が会員として活動している。