06/03/2026

Mês: julho 2013

東北被災者招へい交流事業  県連(園田昭憲会長)主催の「東北被災者招へい交流事業」により来伯した被災者3人(岩手、宮城、福島各県からの推薦)が、23日午後6時半からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館で講演を行った。「大震災から2年余、伝えておきたいこと」と題された同講演会では、大和田加代子さん(52、岩手県陸前高田市)、松本康裕さん(29、宮城県名取市)、天野和彦さん(54、福島県会津若松市)の3人がそれぞれの被災体験や被災地の実情を来場者約130人を前に語った。  講演会には園田県連会長、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長ら主要日系団体代表のほか、在聖総領事館から成田強領事部長が出席した。あいさつに立った園田会長は「これを機会に忘れてはいけない事実を被災者の方々と共有し、今後も日本の復興に微力ながら協力していきたい」と述べ、同事業を企画した経緯などを説明した。  最初にマイクを握った大和田さんは、涙ながらに被災地の様子を語った。壇上のスクリーンに遺体収容所の写真が映し出され、大和田さんによって遺体確認作業についての説明がされると、会場では首を横に振り、涙をぬぐう来場者の姿もあった。 大和田さんは赤十字を通じて被災者に渡った支援物資や義援金の分配状況なども紹介し、来場者に何度も感謝の言葉を述べた上で、「これからも被災地を皆様の心の片隅に置いてくれるようお願いします」と頭を下げた。  続いて松本さんは、津波によって甚大な被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区の復興に向けた取り組みを説明した。松本さんは「復興の形はなかなか見えてこない が、もう一度頑張ろうと皆で励まし合っています」と話し、被災地では被災者同士が手を取り合って前を向いている様子を明かした。  また、松本さんは震災時に間一髪のところで一命を取り留めたエピソードを紹介し、「何か一つでも欠けていたら私は死んでいました」と話し、「昔の閖上を心にとどめながら楽しく生きていこうと思っています」と語った。 最後は、福島県内最大規模の避難所で運営責任者を務めた天野さんが、避難所や震災後も原発事故などに揺れた福島県の実情を語った。天野さんは、震災後に相次 いで起きた高齢被災者の自殺に言及した上で、「希望をなくすと、人は死ぬんだと知りました。今この瞬間にも古里を失っている人がいる現実を知ってほしい」 と来場者に語り掛けた。  3人の講演が終わると質疑応答が行われ、来場者からは被災地の様子を尋ねる問いや励ましの言葉が3人に盛んに投げ掛けられた。 当日会場を訪れていた大野正人さんは本紙の取材に対し、「震災から2年がたっても、まだ何も終わっていないんだと知った。これからもコロニアが一丸となって支援するべきだ」と講演の感想を語った。   コラム【モザイク】   「被災者招へい事業」で来伯した3人のうちの1人、大和田加代子さんは被災者支援団体「ちーむ麻の葉」の代表を務める人物。同団体は、仮設住宅に住む高齢者にアクリルたわし製作などを嘱託し、その販売利益を被災者に還元する活動を行っている。大和田さんはモザイク子の取材に対し、「家や畑を失った高齢者たちは暇を持て余し、みるみる心が弱っていった」と語り、同団体の設立理由は「高齢者の自殺予防」にあったことを明かした。 ◎  震災から半年以上がたち、被災地が震災から初めて迎えた鬱積(うっせき)とした冬。声を大にして語られることは無いが、高齢者の自殺は、東北の被災地各所で問題になっていたことだという。講演会での3人の話には、モザイク子の胸もきつく締め付けられた。3人の口からは「被災地を忘れないでほしい」という言葉が幾度も出てきた。日本から遠く離れたここブラジルにも、被災地を気に掛ける人間が大勢いることをアピールすることで、助かる命もあるのではないだろうか。各日系団体には同事業を一区切りとせず、今後も被災地支援にリーダーシップを発揮してもらいたい。 2013年7月27日付
 ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)は、22日午前11時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の同県人会館で創立60周年記念式典を開催し、同県人会員ら約100人が節目の年を祝った。 同式典に先立ち、中沢会長と若生正博副知事ら8人が会館前のファグンデス街で桜の植樹式を行った。  その後、同式典が開会。日伯両国国歌斉唱、黙とう、来賓紹介に続きあいさつに立った中沢会長は、若生副知事ら公式訪問団に礼を述べたほか、導入から今年で35年を迎える仙台七夕祭りの一層の普及などを誓った。 次に若生副知事が祝辞を読み上げ、ブラジルにおける移民の功績に敬意を表した上で、「震災直後、県人会からいち早く温かい激励を受けて、改めて強いきずなを感じた」と述べ、ブラジルから同県に寄せられた義援金や支援に感謝の意を示した。  また、若生副知事は被災地の復興の様子についても触れ、「復興は道半ばだが、皆様が多大な困難を乗り越えたように私たちも必ず復興を成し遂げ、発展していきたい」と復興への決意を語った。 引き続いて福嶌教輝在聖総領事、梅原廣同県国際化協会専務理事、園田昭憲県連会長、シノハラ・ロシャーナ・ニッポ・カタリネンセ協会会長、安部順二連邦下議、羽藤ジョージ聖州議員らが祝辞を披露した。  式典では、宮城県から県人会員21人に功労賞が授与されたほか、ブラジルゲートボール連合とサンタ・カタリーナ日本語学校に東日本大震災の義援金に対しての感謝状が授与された。また、中沢会長は「みやぎ海外絆大使」に任命され、記念のプレートと名刺が若生副知事から贈呈された。  式典の締めくくりには、宮城県民歌「さんさしぐれ」が出席者全員で斉唱され、佐藤右一副会長の音頭による万歳三唱で幕を閉じた。 閉会後、中沢会長は本紙の取材に対し、「今まで以上のことをやるのは難しいが、被災地への支援は今後も続けていきたい」と意気込みを語った。  なお、今回表彰された功労者は次の通り(敬称略)。 伊藤ふみえ、後藤信子、佐々木光躬、佐藤吉之助、菅原和司、石田俊郎、岡崎幸雄、木幡寿朗、佐藤重四郎、大橋重夫、加治たか子、加治千恵子、山中しのぶ、佐藤輝子、鈴木恵子、安孫子澄夫、芳賀七郎、牧野初枝、鈴木典夫、小竹京子、岡崎加代子。 2013年7月30日付
 今年の第16回日本祭り開催期間中、在サンパウロ総領事館のブースでは、フリースタイル・フットボール世界大会の2012年度チャンピオンである徳田耕太郎さんと2011年度チャンピオンで日系ブラジル人のケイ・エドワルドさんが華麗な妙技を披露し、ブースいっぱいに集まった観客200人以上を魅了した。 フリースタイル・フットボールは、サッカーボールを軽快な足さばきで自由に操り、全身を使ってさまざまな技を披露し、自己を表現する新しいスポーツ。「トクラ」の愛称で親しまれている徳田さんは「ただのリフティングとは違う」と強調する。  当日、徳田さんは「少しでも観客を喜ばせたい」と話し、セルジオ・メンデスの「マシュ・ケ・ナダ」を選曲。ボールを蹴り上げ、バック宙して膝でキャッチして着地する代表的な大技「トクラ・クラッチ」を成功させると、会場からは大歓声が沸き起こった。また、演技後には汗を流しながら、写真撮影やサインを求める観客に笑顔で応じていた。  フリースタイル・フットボールに転向する以前に9年間のサッカー経験がある徳田さんは、サッカー人気が根強いブラジルには特に思い入れが強いという。昨年12月には初来伯を果たし、あこがれのネイマール選手とのセッションも実現した。徳田さんはその時の様子を振り返って「本当にうれしかった。よく『顔が(ネイマールに)似てるね』と言われるので不思議な感覚だった」と話した。  身体能力の違いから、欧米選手に比べてアジア系選手は不利だと言われているが、徳田さんは日本人選手の強みである技の速さ、緻密(ちみつ)さと独創性を生かして活躍している。また、チャンピオンとして「フリースタイル・フットボールがどこに行っても認知されること」を目指し、世界中で普及活動を行っている。 フリースタイル・フットボールは、インターネットの動画共有サイトでも多数取り上げられるなど、近年大きな盛り上がりを見せている。また、徳田さんを筆頭に日本人選手の活躍が目立つ中、今年9月には東京で世界大会の開催が予定されている。 2013年7月27日付
ニッケイ新聞 2013年7月27日  先週末の県連日本祭りには、3千キロも離れたパラー州都ベレンから汎アマゾニア日伯協会(生田勇治会長)が今年も出店した。  今回からトメアスー総合農業協同組合(CAMTA)も斉木仁イヴァンさんら3人が参加して、熱帯果実ジャムやアンジローバ油など各種特産品を販売した。  4回目の出店となった同日伯協会からは堤剛太さん(65、東京)ら5人が参加し、ノニやアマゾン、同地特製の匂い袋などを販売した。パラー州旗を掲げて観光局から頼まれた観光地紹介パンフレットを配布するなど、注目を集めていた。  堤さんは「北伯県連関係者も訪れ、計20人ほどが来聖した」と日本祭りへの関心の高さを窺わせた。さらに遠路出店する意義を「こうやって参加することで聖市の各団体との交流を深められれば。昔パラー州に住んでいた人で、こっちに引っ越した方などが懐かしそうに来てくれる。パラエンセの再会の場にもなっており、絆を深める重要な機会」と説明した。
ニッケイ新聞 2013年7月27日  岐阜県教育委員会(松川禮子教育長)が主催する『平成25年度岐阜県農業高校生海外実習派遣事業』で派遣された10人の県内農業高校生と引率教員2人が19日に来伯、22日に来社し意気込みを語った。  同制度は、国際的な広い視野を持ち、積極的に農業に取り組む青年を育成することを目的に1978年に開始。高校2、3年生が対象で、35回目となる。  生徒代表を務める大井樹里さん(16、岐阜、県立岐阜農林高校)の実家は、曽祖父の代から続く酪農家。「海外農家の経営や飼料給与の方法を学びたい」と目を輝かせた。 副代表の若宮弘治さん(17、岐阜、県立飛騨高山高校園芸科学科)も「日本にはない大規模農業、施設園芸を見るのが楽しみ。優れたところを学び取って将来に生かしたい」と力強く語った。  引率する箕浦誠団長は「参加する生徒の多くは農家の後継ぎ。貴重な経験を生かし、将来の岐阜県の農業を引っ張っていく人材に成長して欲しい」と期待を込めた。一行は8月1日まで滞伯し、聖州サンミゲル・アルカンジョや聖市内の農家などで実習・見学後、オランダを訪問する。
ニッケイ新聞 2013年7月26日  県連日本祭りの屋内展示場では、被災地招聘交流事業によって来伯した大和田加代子、松本康裕、天野和彦の3氏による『復興写真展』が開かれ、多くの非日系人を含め来場者が熱心に見入っていた。  灰色の煙を上げる黒い波の塊が民家を飲み込む瞬間や、瓦葺の屋根を残して倒壊した家屋にさらに別の家の屋根が覆いかぶさっている様子など、震災直後を記した写真に加え、震災の前と後、直後と4カ月後など定点を観測したもの、復興に向けた被災者の活動を記録したものなど42点が展示された。  非日系のレアンドロ・ナルシーゾさん(34)は独学で学んだ日本語で松本さんに熱心に質問を投げかけ、「僕は日本の文化が大好き。震災の後ずっと心配していたけど、こちらにはなかなか生の情報が入ってこなかった。津波に家をのまれたという話は本当に衝撃的だった」との感想を漏らし、「まだまだ大変なことは多いようだけど、前向きに明るく生きていく意志を彼の言葉から感じた。自分も頑張ろうという気持ちが沸いてきた」などと、しみじみ語った。  一枚一枚、時間をかけてじっくりと写真を覗き込んでいたジャイメ・フレイレさん(27)は、「とにかく衝撃的」と前置きし、「被災地のことは前から気になっていたが、この写真展で初めて本当の被害規模が分かった気がする。このような展示はどんどんやってほしい」と強く要望した。  ブース内では、宮城県名取市の箱塚桜仮設住宅に居住する被災者らが作った布製の地蔵マスコットも販売され、用意した40個が完売した。 同地での支援活動に二度参加し、当地に地蔵を持ち込んでいた留学生の山本宗一郎さん(30、東京)が、ボランティアとしてブース出展に協力したことが販売のきっかけ。山本さんは「日系人だけでなく、多くの非日系の方々も関心を示し、購入してくれたことは本当に嬉しい」と笑顔を浮かべた。
ニッケイ新聞 2013年7月26日  『第26回郷土祭り・ミス琉装』が28日午前10時から、ジアデマのブラジル沖縄文化センター(Av.7 de Setembro, 1670)で開催される。沖縄県人会と同センターの共催。入場無料。 午前に郷土祭り、午後1時半からミス琉装が行われる。エイサーダンス、琉球国祭り太鼓、三線など余興のほか、沖縄そば、足てびち、ヒージャー汁(山羊汁)など郷土料理も楽しめる。 問い合わせは同県人会(11・3106・8823)、同センター(11・4057・2275)まで。
ニッケイ新聞 2013年7月25日  ブラジル日本都道府県人会連合会が主催する講演会『東北大震災から2年余、伝えておきたいこと』が23日夜、聖市の宮城県人会館で行われた。岩手、宮城、福島の3県からそれぞれ招聘された大和田加代子、松本康裕、天野和彦の3氏が壇上に立ち、生々しい被災体験と現在に至るまでの状況を切迫感溢れる様子で講演し、集まった約200人は引き込まれるように聞き入り、あちこちで涙を流しながら頷く姿が見られた。  「家族が行方不明になった人は、町内84カ所の避難所を一つ一つ回って、それでも見つからないと、遺体収容所を探します。そこで何百ものご遺体を見なければならなかった皆さんのお気持ちは、どのようなものであったか…」。大和田さんが目に涙を浮かべながら、そう2年前の様子を振ると会場からはすすり泣く声が聞こえた。 陸前高田市では3千以上の家屋が津波で全壊し、小中学校5校も全半壊、市役所や体育館など主だった建物は何一つ残らなかった。「この日以来、『壊滅的な』という言葉とともに市は語られるようになった」と声を震わせながら説明した。 仮設住宅では現在でも「隣の住人がトイレットペーパーを引く音が聞こえるほど壁が薄い」という環境に、「4人家族で4畳半2間」が住んでいるという多くの住人がストレスを抱える現状だという。 過酷な状況の中でも「手を動かしていれば気が紛れる」という同住民の声からボランティア団体を立ち上げ、被災者による手作りのドレスタオル等の製作・販売のルートを確立すると、主体的に行動する住民が増えた。「被災者を元気にするのは『まだ自分は必要とされている』という誇りだと改めて感じた」と感慨深げに話した。 現在進む高台の開発にも触れ「住めるようになるまでにあと5年はかかると見ている。それが多くの高齢者にとってはどれだけ長い期間か、皆さんもわかるはず」と会場に語りかけた。最後に「日本人として、皆様の誇りとなれるような復興を目指したい。もうしばらく、被災地を心の片隅に置いておいて欲しい」と訴えかけた。  宮城県名取市の閖上について、松本さんが映像で、津波がガレキや土砂を巻き込み、民家を押し流す場面を見せると会場からは驚嘆の声が漏れた。被災者の多くが「もう一度頑張ろう、と皆で励まし合っている」という前向き姿勢であることを強調した。  最後に天野さんは、2年以上経った今も原子力災害が続き、「いまだ復興を語れない、先が見えない状況」であることを繰り返した。特に福島第一原発の周辺地域では、放射線問題を抱えており、「普通の生活が奪われるとともに、今まさに〃ふるさと〃が奪われようとしている人がたくさんいる」と訴えかけた。 震災後に被災者が自殺した例を挙げ、「そういった時に必要になるのは人と人がつながり続けること。人は寂しいと死んでしまう」ということを強調した。「今の福島に必要なのは〃心の復興〃。人の心が弱っていては本当の復興はあり得ない」と熱弁を振るった。  来場者の村松エドワルドさん(16、三世)、エリキさん(14、同)の兄弟は「本当にショック。今でも信じられない。友人たちにもこの事実を伝えていきたい」と感想を語った。講演後、多くの人が3人に駆け寄って話込む姿が見られ、「ぜひ来年も講演会をやってほしい」との感想が方々で聞かれた。   コラム【大耳小耳】  陸前高田市から来伯した大和田さんによれば、震災により亡くなった人の遺体を探す作業は困難を極めた。4つの収容所に安置された遺体のうち見た目や装飾品で判別できないものは、DNA鑑定に回された。彼女の知人の中には、子どももなく、兄弟が高齢かつ遠方に住んでいたため検体を用意出来ず、はっきりと本人だということを確かめる術がなかったという。その他、妻と思わしき遺体が「本人とは断定できない」とされたものの、「このままでは子どもに母が亡くなったことを理解させることも、骨を拾わせることも出来ない」と引渡しを強く要求した人もいたという。
ニッケイ新聞 2013年7月24日  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の『第16回日本祭り』では、今年も各県人会が自慢の郷土料理を出品した。  「関西風お好み焼き」を出品し、例年大きな行列が出来る和歌山(木原好規会長)は、昨年を上回る5千食を売り上げた。婦人部員25人で刻んだキャベツの量は、なんと500キロ超。 木原会長の妻で、婦人部長を務める恵美子さんは「もう手首が痛くて」と苦笑いしながらも、「皆でお喋りしながら、仲良く作業することに意味がある。これからも(野菜を刻む)機械は買わない」と笑顔。  北海道協会(大沼宣信会長)では、協会全体としてのメニューのほか、青年会「ヒグマ会」の独自メニューである「チョコフォンデュ」が出品され、用意した500食が完売した。 参加した会員は、10~40代の若者50人以上。出席率はメンバーの9割以上だ。会長を務める藤田エリオさん(33、二世)に活況の理由を尋ねると「新しい入会希望者が来る度に、細かくしっかりと会の理念や協会のこれまでの歩み、役割を伝えるようにしている。賛同してくれる人が残るからこそ、結束が固い」と説明し、「今回も〃協会のお手伝い〃という消極的な意識ではなく、自分たちのイベントだという積極的な姿勢で取り組めている」と満足げに話した。  婦人部が腕によりをかけて作った香川(菅原パウロ会長)の讃岐うどんは、日本から輸入したこしのある麺に昆布やカツオで取った出汁が本格味。「昨年食べておいしかったから」と常連客が足を運んだ。大ぶりの海老が乗った天ぷらうどん1500食は二日で、揚げの味付けも絶妙なきつねうどんも最終日の午前中に完売、計2千食を売り上げた。  毎年県連から出展を勧められながらも、「手伝う人がいないし、何を出していいかも…」と不参加だった神奈川(永田淳会長)は、モジ市に住む会員が「日本祭りで売ったら好評だった」と勧めたのがきっかけで、昨年から中国系食品会社から仕入れた肉まん(牛、豚の2種)を販売。同会員の子どもやその友人ら2~30人が訪れ、活気溢れるブースとなった。3千個を完売し、白又孝範監査は「予想通りの売れ行き」と顔をほころばせた。  日本祭りが始まって以来、鹿児島(園田昭憲会長)が出品している優しい甘みの「かるかん饅頭」は、山芋や米粉などを原料に、手間隙かけて作られる同県の特産品。「懐かしい」と、薩摩あげとともに同県系人の郷愁を誘った。  一方で、静岡(杉本教雄会長)は名物の「うなぎの蒲焼」を出品出来ない残念な結果に。杉本会長によれば、例年輸入業者を通して購入するうなぎが、世界的な不漁の影響でまとまった量を用意することが出来なかったという。 「直前まで粘ったのだけど…。楽しみにしてくれていた人に申し訳ない」とため息をついた杉本会長。ブースではぜんざいが販売されたが、手伝いに参加した奈良橋みゆきさん(83、静岡)も「(うなぎがないのは)やはり寂しい。残念です」と肩を落としながらも来年に期待していた。   コラム【大耳小耳】  2011年に県連に正式復帰した富山県人会は、昨年と同じくすき焼き丼とコロッケなどを販売。すき焼き丼は本だしと醤油、砂糖などで味付けした〃日本の味〃で帰郷した気分になった耳子。指導したのは夫が富山県人の前田順子さん(66)。「忘年会ですき焼きをご飯にかけていた人を見て、(日本祭りで売るのに)いいんじゃないかと思った」と微笑む。長年続く県費留学生制度のOBが一同に介し、約20人が準備と調理に汗を流した。会員の坂本アヤコさん(42、三世)は「日本祭りのために皆が一斉に集まって、団結している。すごく楽しい」と嬉しそう。  
ニッケイ新聞 2013年7月23日  ブラジル日本都道府県人会連合会が主催する『第16回日本祭り』が聖市ジャバクアラ区のイミグランテ会場で19日から3日間行われ、18万人が来場、晴天に恵まれ終日賑わいを見せた。日本からはマルシアの凱旋公演を始め、井上佑見や邦楽グループ「和力」、フリースタイルフットボール選手の徳田耕太郎さんなどが駆けつけた。46都道府県のブースでは郷土食に加え、郷土の企業が商品紹介に参加し、展示館でも250社・団体が出店するなど例年通りの盛り上がりを見せた。前田ネルソン実行委員長は「運営、催し共にレベルの高さが感じられる祭りだった。ロボコンなど新しい試みも観客に喜ばれたし、ほぼどの県人会も食事を完売できた。協力して下さった皆さん、観客の皆さんに感謝する」と語った。  20日正午から行われた開会式には、日系団体の代表やスポンサー企業関係者、安部順二、大田慶子、飯星ワルテルら日系議員ら約30人に加え、サンパウロ市のナジア・カンペオン副市長も来賓として参加し、それぞれ祝辞を述べた。  挨拶に立った園田会長は「昨日(19日)は雨降りで寒く、どうなるかと思ったが、今日は天気の神様であるサンペドロが助けてくれた」と晴天を喜んだ。  宮城県から来伯した若生正博副知事も壇上に立ち、「震災直後、甚大な被害に明日への希望が絶たれそうになる中、いち早く遠く離れたブラジルから皆さんの声援や支援が届けられたことは本当にありがたかった。その思いを伝えに来た」と感謝の言葉を述べた。  黄色い法被姿の来賓らによる鏡開きが行われ、サンパウロ日伯援護協会の菊地義治会長の乾杯で祭りの幕が上がった。  続いてメインステージでは、日本芸能界で25年に渡って活躍する三世歌手・マルシアの歌謡ショーが行われた。 坂本九の「上を向いて歩こう」に始まり、日本でのデビュー曲である「ふりむけばヨコハマ」、オリジナル曲の「舞姫になれない」など6曲を熱唱。一旦舞台から退いたものの、観客からの「マルシア」という声援とアンコールの声に応え、復興支援歌「花は咲く」を、鳥取県人会のコーラスグループとともに歌い上げた。 ステージ中、感極まった様子で目に涙を浮かべていたマルシアは、本紙のインタビューに対し「感動! 感動! 感動! 感動だらけの舞台だった。これ以上の幸せはない」と興奮した面持ちで語り、「(日本での)デビュー翌年に戻ってきて以来、24年ぶりのブラジルでのステージ。やはり、自分の故郷で歌えることは何よりも嬉しい。これからも恩返しをしていきたい」と話した。
ニッケイ新聞 2013年7月23日  日本祭りには、ブラジル進出をねらう企業も数社参加し、自社製品のアピールをした。  福島県喜多方市からは、福島県人会の呼びかけに応じて「大和川酒造店」の佐藤彌右衛門社長および「いがらし製麺」の五十嵐隆代表取締役が参加。同県人会の食のブースで麺の宣伝や地酒3種の試飲会を行うと共に、祭り後に営業活動も行った。  曽我部威事務局長によれば、「麺は、貿易商を回った時にいい反応があった。乾麺はまだ中国産しか入っていないから、輸入の可能性は十分にある」。地酒も、イタイン・ビビやモエマ区の日本食店で紹介して手ごたえを感じたと言う。「飲み屋や日本食店によさをわかってもらえるよう、今後も働きかけを続けていく」と意気込みを見せた。  健康食品会社「エムアンドエム」(秋田県秋田市)の佐々木正光社長は、自社の生酒純米原酒「おさげっこ」やいぶりたくあん漬け、稲庭うどんなど提携企業の商品に、京都市東山区の「井筒八ツ橋本舗」の八ツ橋を空輸で持ち込み出品した。日本酒(1本7~80レ)が良好な売れ行きを見せ、20本全て売り切れた。  同社長は昨年11月来伯した際、「日本のうまいものを紹介したい」と、各県の名産品を集めた「日本列島食べ歩き」ブースを設置するとの企画を秋田県人会と共に立ち上げた。帰国後すぐに全都道府県と5百社に呼びかけを行ったが、時期的に遅かったことが大きな要因となり、商品を提供したのは「井筒八ツ橋本舗」一社のみだった。  同社長は初めて日本祭りに参加し、「すでにうまいものは沢山あると分かった。日本から持ってきて売れるのか」との疑問も抱いたという。  しかし「日本の消費は冷え込んでいるから、売り場を拡大するしかない。その足がかりになれば」と、来年の実現に向けて帰国後すぐに呼びかけを行い、年内には参加企業を取りまとめたい考えだ。すでに、5~6社の企業が来年の参加を希望している。  本紙でも何度か紹介した大津スポーツ社(滋賀県大津市)も、インソール(靴の中敷)を展示販売。宇川浩司取締役は「ブラジルの市場は大きそうだ。今後は地方にも手を広げていきたい」と明るい展望を語った。代理店の申込みも、引き続き受付けている。  新潟県人会とサンパウロ新聞共催による「新潟物産展」には、亀田製菓の菓子類やヱスビー食品のカレールーなど、すでに当地に輸入済みの同県産商品が並んだ。 「八海山」「菊水」など地酒は移民や駐在員らを中心に上々の売れ行きを見せ、「一本150レの高級八海山も10本程売れた」と鈴木雅夫社長。中でも、「ブラジル製の砥石だと焼入れした包丁が駄目になる」と、百個以上入荷していた末広社の砥石は全て完売した。   コラム【大耳小耳】  日本祭りで「日本列島食べ歩き」を企画したエムアンドエムの佐々木正光社長。今回は時間的な制約もあり出品数は少なかったが、間に合うよう空輸で運んだため高くついたようだ。本来県連が率先しても良いくらいの企画だが、空輸賃は同社長持ち、ブース代の請求書まで来たと聞いてびっくり。請求書は取り消されたものの、佐々木社長に丸投げなのはいかがなものか。ビジネスではあるが、こうした協力の後押しを主催団体がしてもいいはず。来年の成功を祈るばかり。
ニッケイ新聞 2013年7月23日  「先ほどIML(法医学研究所)から遺体確認をするようにと連絡がきました。まさかと思ったんですが…」。知的障害者施設「希望の家福祉協会」の大野孔三副理事長は22日午後4時半、声を落として編集部に電話をしてきた。  同日朝9時半、大野副理事長は上村惠ジャイロ理事長、事務局の上利クリスチーナ、担当者の奥原ヴァレリアさんと共に来社し、「行方不明になった園生を、全力挙げて探しています。皆さんも何か情報があればお知らせください」と呼びかけていたからだ。  希望の家では毎年、音楽療法を受ける園生が社会適応の一環として、県連日本祭りの中央舞台で楽器演奏を披露している。今年も職員10人に付き添われた園生29人は、20日午後3時の舞台を無事終えた後、客席で食事を楽しんでいた。奥原さんは「トイレに行く時も必ず職員が付き添った」という。  午後4時に帰るために点呼をして集団になって会場外のバスまで移動し、再点呼した時に吉野さんがいないことに気付いた。すぐに舞台前に戻ったがおらず、職員が手分けして1時間ほど会場内を探したが見つからないので、会場内の警察に失踪届けを出し、本格的に捜索を開始した。  この園生・吉野タカコさんはポンペイア出身の63歳、会話はポ語中心で所持金なし。身体傷害はないが会話に困難があった。  会場から無料バスが出ているジャバクアラまで職員が歩いて探し、付近のメトロ駅なども調べ、日系病院や近隣の病院にも連絡した。ジャバクアラ駅からバスが出ているジアデマ駅まで探しに行った。その晩は会場で夜中2時まで探し、翌朝から会場裏の森を環境警察に探してもらった。会場付近で顔写真付きの捜索ビラを撒き、同施設では24時間体制で電話情報を受付けていた。  22日午後に電話してきた大野さんは、「ジアデマ市エルドラド区で土曜晩に遺体で発見されIMLに運び込まれたそうです。我々が配布した捜索のチラシを入手して連絡してきた。シャツや靴下に名前が書いてあって、それが確認されている。本当に残念な結果になってしまった…」と声を震わせた。
 沖縄県人会及び沖縄文化センター(田場ジョルジ会長)主催の「第26回郷土祭り・ミス琉装」(島袋栄喜実行委員長)が、28日午前10時からサンパウロ州ジアデマ市の沖縄文化センター(Av. 7 de Setembro, 1670)で開催される。 当日は、午前10時に「郷土祭り」が開かれ、午後1時半から「ミス琉装」コンテストが行われる。  詳細は沖縄県人会(電話11・3106・8823)まで。 2013年7月26日付
佐藤、五十嵐両氏は福島物産PR  第16回日本祭りで、来場者の多くが目当てにしていた「郷土食コーナー」。ブラジル福島県人会(永山八郎会長)では、今年も母県福島の名物「喜多方ラーメン」を全面に打ち出す姿勢で臨んだ。  曽我部威事務局長によると、用意していた1400杯は完売。既に、同事務局には「また来年も販売してほしい」といった声が電話で寄せられているという。 また同ブースでは、東日本大震災の風評被害払拭を目的に来伯した「大和川酒造店」代表社員の佐藤彌右衛門(やうえもん)氏と「五十嵐製麺」代表取締役の五十嵐隆氏が、当日は店頭に立ってPRをした。  佐藤氏は、日本から携えた日本酒4銘柄の試飲を来場者に促したほか、五十嵐氏も自社製品の乾麺や生麺の展示を行った。同ブースを訪れた来場者に、こうした風評被害払拭に向けた取り組みについて尋ねると「実際に体験してみないと分からないところもあるので、こうした場を設けるのはとても良いことだと思う」といった声が聞こえた。  なお、両氏はサンパウロ滞在中に輸入代理店や小売店などを回り、海外展開に向けて、ブラジルにおける日本食の現状と動行も調査した。五十嵐氏はその手応 えについて「訪れたお客さんからは、展示品を指差して『販売はしてないんですか』という言葉を多く掛けられた。製品を輸入する形などを検討しながら、前向 きに考えたい」と話した。  一方、佐藤氏は「ブラジルへの輸入に当たって、お酒の品質保持に懸念があったが、ブラジルにもお酒の知識と売 り込む情熱を持っている人を見つけた。本物の日本酒の味を少しずつでも広めていければ」と話した。また、日本全国の酒造店を束ねる日本地酒協同組合の代表 理事でもある佐藤氏は「日本へ帰っても、日本酒に興味を持っている業者に対して、日本全国の酒蔵の窓口として積極的に活動していきたい」と述べ、今後もブ ラジルとのつながりを保っていく意向を示した。 2013年7月25日付
 今年で35回目となる岐阜県農業高校生海外実習派遣団(箕浦誠団長)一行12人が来伯し、今月19日から8月1日までの2週間、サンパウロ(聖)州内の日系農家での農業実習や市場見学、ミナス・ジェライス州で日系農家の視察などを行う。22日、山田彦次岐阜県人会長の案内により本紙を訪れた。  派遣団は滞在期間中、主に農業実習先で各農家と一緒に農作業を行い、聖州コロニア・ピニャールとピラール・ド・スールの日系農家が受け入れる。そのほか、同県人会員との懇談会も予定されている。  生徒代表の岐阜農林高校動物科学学科2年の大井樹里さん(16)は畜産関係に興味があり、「日本は質の高い畜産を生産しているが、ブラジルはとにかく大規模で質より量のイメージがある。確めたい」と意気込んでいた。 実家が漬物製造会社の飛騨高山高校2年の若宮弘治さん(17)は「大規模な経営や技術を学び、価値観を壊したい。わくわくする」と、はっきりとした口調で実習期間中の目標を答えた。  引率の箕浦団長によると過去の派遣団員は現在、岐阜県の農業の中核となって活躍している人が多く、「今後も事業を継承するために成果を残したい」と思いを語った。 なお、派遣団はブラジルのほか、スイスとオランダで集約農業を見学し、8月8日に帰国の途に就く。 2013年7月25日付
 サンパウロ絵手紙友の会(石井恵子会長)は、サンパウロ市のイミグランテス展示場で19~21日に開催された日本祭りで絵手紙の作品展示を行ったほか、絵手紙体験コーナーを設け、3日間で約500人の来場者が絵手紙を楽しんだ。  来場者たちは15分ほどかけて果物や花をモデルに筆で線を描き、彩色した後には自分のサインと好きな言葉を入れて持ち帰った。石井会長によると、「愛」と書き入れる人が最も多かったという。  日系人、ブラジル人ともに子どもからお年寄りまで幅広い年代の人が訪れ、同会の会員らが日本語とポルトガル語で指導にあたった。「特に子どもたちは、鋭い感性で指導員顔負けの良い作品を描いていた」と石井会長は振り返った。  人の多さに誘われて来場し、今回初めて絵手紙を体験したという細川みどりさん(34、2世)は「思っていたより簡単。(描いた線が)少しおかしくなったけど、楽しかった」と笑顔で取材に応えた。 2013年7月25日付
心配された天候にも恵まれ  第16回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り、主催=ブラジル日本都道府県人会連合会)が19~21日、サンパウロ市のイミグランテス展示場で開催され、主催者発表によると約18万人が来場した。期間中は天候に恵まれ、来場者は各催しを楽しんだ。今年は同祭テーマに「地球に優しい技術と進歩」を掲げ、屋内会場一角の日本企業・団体を集約した「日本パビリオン」では、日本関連のさまざまな機械、サービス、食品などが紹介されていた。また53の各県人会・団体が出店した郷土食ブースは今年も大繁盛で、3日間を通じて来場者は日本の技術、食、文化を五感で感じていた。  20日正午からメーンステージで行われた開会式には、日系議員、日本政府関係者、各スポンサー代表や日系団体代表ら28人が壇上に上がり、開会を祝った。県連の園田昭憲会長は「皆さんの協力があって今年も無事開催することができました。心配された天気も問題ありません。サンペドロのお陰でしょう」とあいさつし、式典最後は来賓らが「たる酒」を割って同祭の成功を祈願した。  式典後早速、歌手のマルシアさんが公演を行い、凱旋(がいせん)公演を一目見ようと立ち見客も合わせて推定3000人の人で溢れた。自身最大のヒット曲「ふりむけば横浜」や「時のいたずら」など計6曲を披露。圧巻の歌声と切れのある踊り、ポ語の語りに観客はステージに食い入り、歌い終えるたびに割れんばかりの拍手が起きた。 また「ただいま」と観客に向かって手を振り、自身の生い立ちや歌の最中に涙ぐむ姿も見られた。最後は鳥取県人会コーラス部と一緒にNHK東日本大震災復興テーマソング「花は咲く」を歌い、「また会えますように」と観客に言い残しステージを去った。  同ステージ上では連日、主に若者を対象とした日本人出演者が会場を盛り上げ、日本からフリースタイルフットボール選手の徳田耕太郎さんと、日系ブラジル人ケイ・エドワルドさんによる技の競演や邦楽グループ「和力」の舞台が披露。ツバサさん、井上祐見さんらも出演した。  20日午後9時から開催された「ミス日系コンテスト」は、伯国各地から選ばれた22人の日系美女が全伯一の美をドレスや水着姿で競い、審査員に よって美しさ、調和、カリスマ性、教養、親近感の部門で審査された。その結果、マット・グロッソ州のナガタ・ユミ・パトリシアさん(22)が今年のミス日 系の栄冠に輝いた。  一方、53の県人会と団体が出店した郷土食は例年通りの大盛況。特に20、21日両日の昼時は人気のブースに長蛇の列ができ、混雑する時間帯が続いた。主催者側の情報によると、今年は特に大きな問題はなく各県人会・団体はスムーズに運営できたという。  屋内会場ではトヨタ、ホンダ、ヤマハが大きくブースを設け、一角の「日本パビリオンでは」日本の観光庁やJICA、国際交流基金など政府のブースも目立っ た。また県連が設けた「東日本大震災復興写真展」のブースでは、写真や映像を用いて被災地の様子が説明され、来場者は神妙な面持ちで眺めていた。  そのほか、SANJO(サンジョアキン日系農協)やAPPC(パウリスタ柿生産者協会)といった日系果樹組合が販売する生産物を買い求める人や、会場数カ 所で用意された畳に寝転がる人。健康コーナーでマッサージを受けてリラックスする人や、折り紙や書道体験を通じて日本文化を知る人など来場者は思い思いの 時間を過ごしていた。  同祭を終え園田会長は「表の華やかさとは異なり、期間中は水も飲めないほど多忙だった。昨年と同じく、駐車場やステージ進行の遅れなど細かい問題はあったが、来場したほとんどの人が喜んでくれたと思う」と総括した。   コラム【モザイク】...
 ブラジル日本戦後移民60周年祭に全国都道府県知事代表として出席した泉田裕彦新潟県知事の歓迎会が、ブラジル新潟県人会(浅妻エレナ秀子会長)の主催により19日午後7時半からサンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパレスホテルで開催され、県人会員ら約80人が出席した。  歓迎会では泉田県知事があいさつ。「こうして温かく迎えていただいたことをありがたく思います。ブラジルと日本の懸け橋となっている皆様が築いてこられた歴史や功績は、新潟でも必ず伝えていきたい」と話し、移住者を中心にブラジルから日本へ行われた震災復興支援にも感謝の意を示した。  歓迎会の中では、県人会に貢献のあった功労者と80歳を迎えた高齢者の表彰も行われ、功労者の3人に賞状が、高齢者の2人に賞状と金杯がそれぞれ泉田知事から手渡されたほか、同県人会には新潟県特産の「鎚起銅器(ついきどうき)」が贈呈された。 また出席者の手元には、知事らが持参した新潟県を代表する銘酒「越乃寒梅」が注がれ、山内淳氏の音頭で祝杯が挙げられた。  乾杯後、会場では終始和やかな雰囲気で知事と県人会員らによる懇談が行われた。歓迎会で司会を務めた南雲良治副会長は、「参院選の最中、移民60周年祭に全国の都道府県知事の中で出席してくださったのは、泉田知事ただ一人」と述べ、「お忙しい中、わざわざブラジルまで来てくれた知事をこうして無事にお迎えすることができて良かった」と安堵(あんど)した表情を見せた。 2013年7月24日付