川合会長「ブラジルよ、ありがとう」
第二次世界大戦後、1953年に日本人移住制度が再開されて今年で60周年を迎えることを記念した「戦後移住60周年記念式典(川合昭実行委員長)」が、19日午前10時20分からフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り、主催=ブラジル日本都道府県人会連合会)の会場であるサンパウロ(聖)市イミグランテス展示場内イペー講演会場で開催された。同式典の趣旨は戦後、ブラジルの発展に貢献した日系団体・企業の表彰で、当日は各分野から36代表が聖州議会から表彰を受けた。会場には、ブラジル日系議員、日本政府関係者、日系団体関係者、一般を含めて400人以上が参加し、60年の節目を祝福した。
式典会場壇上には、主催側の川合実行委員長、園田昭憲県連会長をはじめ、聖州政府を代表してオオタ・ケイコ下院議員、羽藤ジョージ聖州議員や日本側から黒柳俊之国際協力機構(JICA)理事、福嶌教輝在聖総領事、泉田裕彦新潟県知事、若生正博宮城県副知事らが並んだ。
式典ではまず、先亡者に対しての黙とうを行い、川合実行委員長が「ブラジルよありがとう。日系人はこのようにブラジルの発展に尽くしました。この二つのテーマを掲げ記念式典を挙行いたします」と、開会を宣言。その後両国国歌が歌われた。
各来賓のあいさつでは、戦後移住者がブラジルの発展に貢献したことをたたえる内容が目立った。その中で東日本大震災被災地を代表して出 席した若生宮城県副知事が復興の状況を説明した上で、「県人会、日系団体、そしてブラジルの国民から支援を得ました。これは長年築き上げた日本人に対する 厚い信頼があってこそ。被災地を代表して心から感謝を申上げます」と参加者に礼を述べた。
また泉田新潟知事はブラジルの航空機メーカー 「エンブラエル」社について、「戦後、多くの日系技術者が開発に携わり、大きく発展を遂げたことを誇りに思う。新潟でもエンブラエル社製の飛行機が就航し ており、深い絆を感じる」と、同県とブラジルとのかかわりを交えてあいさつした。
日系団体・企業の表彰では羽藤、オオタ各議員らが州政府を代表して記念の盾を36各代表一人一人に手渡し、記念撮影と握手が交わされた。
そのほか、歌手の井上祐見さんが戦後移住50周年式典の際にも歌われた「ソウ・ジャポネーザ」を披露。オーケストラ楽団による「ふるさと」「荒城の月」な どが演奏されるなどして式典を盛り上げた。最後は市川利雄県連副会長の音頭で「ビーバ」「バンザイ」と、参加者全員で万歳を行い、2時間余りで式典を終え た。
式典後の取材で「プロジェクト・ジャナウーバ」のカテゴリーで表彰を受けたミナス・ジェライス州の熱帯果樹栽培園 「BRASNICA」代表で現在同市市長の山田勇次さんは、「まさか表彰を受けるとは。これからも日本人の魂を持って恥じない生き方をしたい」と受章を喜 んでいた。
また川合会長は「(式典は)すべてうまくいった。無事に終えることができてほっとしている。60周年はあくまで通過点で、今後も日系人がブラジルの発展に携わっていく」と総括した。
コラム【モザイク】
戦後移住60周年記念式典は多くの来賓・一般参加者の出席により、「成功」と呼ぶに相応しい結果に終わったのかもしれない。まあ、ジルマ大統領の出席は初めから当てにしていなかっただろうし、大統領から寄せられたメッセージをオオタ議員が代読しただけでもそれなりの価値はあるのでは。
◎
式典終了後、同実行委員会関係者らもほっとした様子で記念撮影を行っていた。川合実行委員長は「60周年は通過点」と強調していたが、果たして今後は誰が同周年事業を引き継ぐのだろうか。企画するのはもはや同式典主催者の1世ではなく、加勢に参加していた2、3世の若者に託されている。今回彼らがただの手伝いのみの参加で退屈な式典だったと感じていたなら、70周年は難しいかも。
2013年7月23日付
