ニッケイ新聞 2013年8月29日 「昨日から甥の写真を見ては、涙が流れてしょうがない」。岩手県人会55周年式典には、県海岸部で壊滅的な被害を受けた被災地から駆けつけた同会賛助会の副会長・松本トミさん(83)の姿もあった。聞けば、この4月に盛岡に住む甥の藤村勝己(かつみ)さんが病気で亡くなった。「県人会50周年の時に甥と一緒に来たんです。とても気に入っていて55周年も『ぜひ一緒に』と約束していたのですが…」とその写真を持参した。 2年前の3・11大震災の2カ月後、本紙記者が現地山田町を取材した連載『けっぱれ! 岩手=立ち上がる被災地を歩く』でトミさんは登場した。その記事の中で、壊滅的被害を受けた田の浜地区まで案内してくれた菊池光明さん(こうめい、60)の姿も式典にはあった。当時、市役所の課長で自宅も火事で焼け仮設住宅暮しだった。慶祝団30人余りの中で、被災地からはこの二人だけだった。 「仮設暮らしを1年半した」という菊池さんだが、すでに定年退職し、自宅も再建した。「ですが町の復興はまだまだですね。高台への移転、敷地造成がなかなか進まない」と表情を曇らせた。 トミさんの自宅1階は津波に洗われたが、なんとか無事だった。でも、すぐ家の裏から海岸までは津波被害と火事で焼け野原という壮絶な光景が広がっていた。その焼け跡の中で、トミさんは「まだ分からないが、再来年の県人会55周年にはぜひ行きたいと思っている」と絞り出すように語っていた。そして――実際にやってきた。おそらく相当無理もしたに違いない。 トミさんも「生活物資に不足はないところまでなった。でも仮設から出られた人は、まだ1割ぐらいしかいないのでは。不便な生活を強いられている人は多いです」という。岩手県人会役員の藤村光夫さんの実姉、来伯7回目だ。「岩手とブラジルの絆は強い。皆さんにお世話になっているので、お礼のためになんとか駆付けなければと思ってきました」と繰り返し、万感の想いを込めた表情で式典に臨んでいた。
Dia: 31 de agosto de 2013
ニッケイ新聞 2013年8月28日 琉球民謡協会ブラジル支部(仲村渠清徳会長)主催の『島唄の祭典』が9月1日午前9時から、沖縄県人会ビラ・カロン支部会館(Praca Haroldo Daltro, 297)で開かれる。入場無料。 過去16年間、『東西民謡歌合戦』として開催されてきたが、今回から名称が変更される。 70人の歌い手が「新人」「優秀」「最高」の三つのカテゴリーに分かれ、日ごろの練習の成果を披露する。「最高」の部優勝者は、沖縄への往復航空券が贈られ、沖縄テレビの正月番組「新春島唄の祭典」に出演する。大会の合間には、琉球舞踊や過去の大会優勝者の歌唱ショーもある。 案内のため来社した仲村渠会長、大城竹友、国頭マリオさんは「沖縄の伝統文化を味わって」と来場を呼びかけた。 問い合わせは仲村渠さん(11・2295・7652)まで。
ニッケイ新聞 2013年8月28日 聖州サンヴィセンテ市と姉妹提携を結ぶ那覇市の翁長雄志市長(62、那覇)は26日、サンパウロ市の沖縄県人会館で県人らと懇談した。 市長、安慶田光男市議会議長ら6人でつくる訪問団は25日にブラジル入り。28日にサンヴィセンテ市内である「提携35周年記念式典」に出席する。 懇談前に開かれた記者会見で、来伯4回目となる翁長市長は「13年前の市長就任以来、姉妹都市の周年記念式典には欠かさず参加している。兄弟のような関係を築けている方もたくさんおり、再会が楽しみ」と笑顔を見せ、安慶田議長も「市議会同士で交流し、さらに関係を深めたい」と意欲的な姿勢を見せた。 会員らとの懇談会では、集まった15人ほどの会員らから市政や基地問題に関する質問が飛んだ。これに対し翁長市長は、具体的な数字を挙げながら丁寧に説明した。「米軍基地を含む諸問題に対し、右や左、保守、革新といった思想、党派に関係なく、一丸となって取り組んでいく。沖縄は一つです」と締めくくり、会場から大きな拍手が沸き起こった。 参加者の1人で、積極的に質問をぶつけていた宮城あきらさん(75、本部町)は「自分たち戦後移民は、先の見えない真っ暗な沖縄からこちらに渡ってきた。母県が基地を中心とした経済から脱却出来ているという話を聞いて安心しました」と感慨深げに話した。 沖縄県人会の田場ジョルジ会長は「自治体リーダーが当地まで来てくれることは、友好親善において本当に意味がある」と来伯を歓迎していた。 懇談後は聖市内のレストランに移動、那覇市民会と県人会が主催する歓迎食事会に参加し、集まった約180人の会員らとともに会食を楽しんだ。一行は29日まで滞在する。
