大きな喜びの桜高森植民地
岐阜県人移住100周年、岐阜県人会(山田彦次会長)創立75周年記念式典に出席するために来伯していた高原剛副知事、渡辺真県議会議長をはじめとする岐阜県一行約20人は式典翌日の8月26日、サンパウロ(聖)州グァラレマ市にある「岐阜県村」の桜高森植民地を訪問した。日本からの岐阜県関係者が同植民地を訪れるのは約30年ぶりで、一行を出迎えた桜農事文化協会の田中八束(やつか)会長(67、長崎)や第1回入植者の土田加津司(かつし)さん(66、岐阜)らは、大きな喜びを表していた。
一行には岐阜県人会の山田会長、青山高夫副会長も同行し、宿泊していた聖市のホテルを午前8時40分に大型専用バスで出発。バス内では山田会長が桜高森植民地の概要を説明した。
一行は午前10時ごろ同植民地に到着し、田中会長たちの出迎えを受け会館で懇談した。
植民地側から出席したのは田中会長、土田さんと次男の健司さん(29、2世)をはじめ、同文協副会長の関富士夫さん(65、北海道)、岐阜県郡上市出身の山内一豊さん(79)と移住地初の2世である息子の和浩(たかひろ)さん(51)と初の3世で孫の裕吾さん(25)たち。この日の夜に同地の花卉生産者たちがCEAGESP(聖州食糧配給センター)に行くために、田中会長は人数の少ない出迎えであることを説明した。
土田さんの話によると現在同文協には38家族が所属しており、岐阜県出身者は4家族のみ。そのうち農業を営んでいるのは土田さんと山内さんの2家族だけとなっている。1980年に完成した同文協会館落成の際には、岐阜県選出の衆議院議員で在ブラジル日本国大使も歴任した安東義良(あんどう・よしろう)氏が訪問。それ以来、岐阜県関係者の訪問者が無かったが、土田さんは「今年の県人移住100周年と県人会創立75周年に(県関係者に)来てもらいたいと思っていたら、山田会長から皆さんが来られるという話を聞き、非常にうれしかったです」と喜びをあらわにした。
同地に入植して40年になるという田中会長は、「ちょうど村に電気が入った時でしたが、当時は入植者もまだ多かった。40年の間にかなり人数も減 りましたが1世の時代は終わり、今は2世、3世が次のコロニアを背負う立場になっています」と現状を説明。現在、同文協では一行が訪問する前日に開催され た盆踊り大会や、運動会、焼きそば大会など青年たちが主導で実施しており、「最近も会館に入る門も若い人たちが中心になって直すなど、すごく助かっていま す。今年で入植53年になりますが、50年先を見越して文協をつぶさないようにどのようにやっていくか、若い人たちと話しています」と述べた。
長老的存在となっている山内さんは、同村入植者の中で第一号の結婚経験者。当時、安東大使に仲人をしてもらったという。「入植当時は泥壁の家だった。嫁に は来てもらったが、今から思うとどんな気持ちだったのか。本当によく来てもらった」と山内さん。「今は子供や孫に任せて、どうにかこうにか食べている」と 話した。
北海道芦別市出身の関副会長は、炭鉱離職者だった父親が同地入植に応募したという。村では60年代半ばに養鶏が 落ち目になり、鶏糞を使用した果樹生産を行ったが、「(植民地の)気候はいいが、出荷先でよその物とかち合い、お金にならなかった」と当時を振り返る。そ の後、花卉生産を行うようになり、現在の植民地の90%がラン栽培に従事しているとし、「今、皆で一生懸命やっているので伸び始めている」と期待感を示し た。
青年を代表して流暢(りゅうちょう)な日本語であいさつした土田健司さんは、文協の会員数が最盛期の60家族から現 在は38家族に減少していることに触れながらも、「当時はなぜ日本語を勉強する必要があるのかと思っていましたが、6年間愛知県で仕事をした時に役立ち、 日本語学校があったお陰だと思いました。日系ブラジル人の通訳を担当していましたが、関市や美濃加茂市など岐阜にも何回も行き、一番楽しかったのはスキー 場に行った時でした。岐阜は自然も多く良い思い出があります」と笑顔で答えた。
その後、岐阜県一行及び岐阜県人会から記念品が手渡された。一行は、会館横にある黄色に咲き誇ったイペーの大木の前で記念写真を行った後、土田さんたちの案内で村を回り、土田さんの農場で栽培されているバラをはじめ各種生産品の話を熱心に聞いていた。
2013年9月5日付
