鹿児島県人会100周年記念して ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)は同県人会創立100周年記念行事の一環として12日、サンパウロ市リベルダーデ区の文協小講堂で「西郷隆盛講演会」を開催した。母県から鹿児島大学名誉教授で志学館大学教授の原口泉氏を招いて鹿児島弁とユーモアを交えた2時間の講演が行われ、約150人の来場者たちは熱心に耳を傾けていた。 開会のあいさつでは園田会長が「本物の西郷さんをぜひ知っていただきたい」と話し、また実行委員長の井料堅治参与は「鹿児島県人だけでなくコロニア全体を巻き込んで面白いことができないかと考え、同講演会を企画した。存分に楽しんでもらいたい」と呼び掛けた。 原口教授は日本近世・近代史を専門に研究しており、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く(1980年)」「琉球の風(1993年)」「篤姫(2008年)」の時代考証を担当。「龍馬を超えた男小松帯刀」「維新の系譜」など著書多数で、2010年に来伯し、坂本龍馬や維新について講演したことも記憶に新しい。当時、世話になったというブラジル龍馬会会長だった故谷広海氏へ哀悼の意を表した。 今回が4回目となる来伯だが、「カシャッサがおいしかったのをよく覚えている」と話すと、会場からは拍手と笑い声が起こった。 原口教授は蒸留酒に関連させて、本坊酒造(鹿児島市、本坊和人代表取締役専務)の本格芋焼酎「あらわざ桜島」が今年イギリスで開催された国際品評会で世界一の焼酎に認定されたことや、同県の紅茶やかつおぶしが高い評価を得ていることを紹介し、「ブラジルでも100年の歴史を紡いできた鹿児島県人の長年の努力が今、世界に認められている」と同県人の活躍をたたえた。 講演の中で原口教授は、「内村鑑三の著書『Representative Men of Japan』(1894)で代表的日本人として紹介されている西郷の魅力は、人間力にある」と強調した。 原口教授によれば、西郷隆盛は明治維新で尊王を推し進めたが攘夷(じょうい)を口にしたことはなく、先見の明がある人物だった。180センチメートル、110キロの巨漢に大きな目で一見恐ろしい外見をしながら、情に厚い人物で理屈を超えた魅力が人々を引き付けたという。 また原口教授は、一夜にして200万人の武士の特権をはく奪した廃藩置県を「約700年続いた封建制度を一瞬で崩壊させた西郷の大功績。まさに革命」と位置付けた。 幕末まで武士道教育が色濃く残っていたのは会津藩と薩摩藩だけで、近代になっても士族意識が残っていた鹿児島は「何をなすべきか」を一番に考える県民性があるという。 原口教授は「今、日本人が忘れかけている日本の姿がブラジルには残っており、ブラジル日系人の生き方が日本にインパクトを与えている。地下資源に頼らない物作りを実現させる新たな文明・革命を起こすために『何をなすべきか』考えていくことがこれからの課題」と力強く語り、講演を締めくくった。 最後に、同県人会から来場者全員に西郷隆盛の肖像画が配布され、講演会は終了した。 西南戦争に敗走し西郷と共に自決した祖先を持つという牟田邦子さん(81、福岡)は「テンポが良くて飽きない話には3年前の龍馬講演の時から大ファン。維新から今の私たちが生きるヒントがもらえた気がする」と満足そうに話した。 ...
Dia: 16 de outubro de 2013
ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)創立100周年記念事業の一環として、森一浩、若林和男両画家と豊田豊彫刻家の図画作品を展示した「三人展」が、11日から13日までサンパウロ市リベルダーデ区の文協2階貴賓室で開催され、11日午後7時から行われたオープニングパーティーには来賓、同県人会員ら合わせて約150人が出席し、開催を祝った。 オープニングパーティーには3氏の芸術家が出席する中、園田会長、山下譲二、呉屋新城春美両文協副会長、尾西貞夫援協副会長、羽藤ジョージ聖州議、中山雄亮在サンパウロ総領事館副領事、杉田尚央国際交流基金所長補佐、原口泉鹿児島大学名誉教授らが来賓として参加した。 冒頭のあいさつで園田会長は「これからブラジルに残すべきものは日本文化。3氏それぞれの絵の良さを感じ取ってほしい」と簡潔に祝辞を述べた。3氏もそれぞれあいさつし、森画家は「いつか展示する機会があればと思っていた。思いがかなって感激」。豊田氏は「100周年にしてこのような画展を開催できたことは芸術家として心からありがたいこと。ほかの県人会も文化の関係に力を入れてくれれば」と県人会の姿勢を評価。若林氏も同様に三人展開催に感謝する喜びの言葉を来場者に伝えた。 乾杯の音頭を安楽良雄同記念式典実行委員長が取り、用意された軽食を片手に来場者は大小合わせて50点ほどの飾られた3氏の作品を眺めながら、思い思いの時を過ごしていた。 同展は3日間を通じて約300人の来場(県人会発表)があった。同展を終え森画伯は「100年の節目に(画展を)開催できたことに不思議な縁を感じる。コロニアに感謝したい」と総括。同展は20日に開催される記念式典の余興でもあり、成功を収めたことにより式典に向けての盛り上がりを印象付けた。 2013年10月16日付
パラナ州マリンガ市のマリンガ州立大学内図書館で9月23~30日、「原爆写真展―広島と長崎―」が開催された。 同展は9月25~27日に同大で行われた「第6回歴史に関する国際研究会」の一環として企画され、ブラジル長崎県人会(川添博会長)から60枚ほどの写真が提供された。 同研究会は、南米諸国を中心に国内外から約1000人の教授や研究者が集まり、原爆については同大のシジネ・ムニョス教授が講演を行った。参加者のうちほとんどの人が同展を見学し、涙を流しながら写真に見入っていたという。 写真にはポルトガル語で説明文が付けられ、来場者たちは「爆心地付近で黒焦げになった少年」の写真などを神妙な面持ちで見ていた。 今回初めて原爆の写真を見たという大河ロビンソンさん(33、3世)は「写真で見ることによって、話で聞いていた以上に悲惨な原爆投下後の状況がよく分かった。こんな恐ろしい武器を作るより、もっと平和のためにできることがあるはず」と話し、表情を引き締めた。 また、長崎県人会の栗崎邦彦副会長は「原爆のむごさを知ってもらい、平和運動につなげるという被爆県民としての一つの役目を果たせたと思う。機会を与えてくれたマリンガ大学に感謝したい」と総括した。 2013年10月15日付
海外とのネットワーク強化を 【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】世界9カ国に21カ所ある福岡県人会同士の交流や活性化を目的とした『第8回海外福岡県人会世界大会』の記念式典が9日、福岡市内の西鉄グランドホテルで行われた。世界大会にはブラジル福岡県人会(南アゴスチンニョ会長)、ベレン福岡県人会(小野重善会長)、トメアスー福岡県人会(加藤広行会長)をはじめ、中南米、北米、アジアから約300人の県人会会員が来日し、母県の関係者らを合わせると出席者600人もの盛大な式典となった。 海外福岡県人会世界大会は1994年から3年おきに実施されており、8回目となる今回は(公財)福岡県国際交流センターが主管して母県で開催した。 新宮松比古大会実行委員長(同センター理事長)の開会宣言に始まり、小川洋福岡県知事があいさつ。「大会テーマは『ルーツは福岡 夢は世界へ 未来につなごう 福岡の絆』です。この大会を機に故郷福岡と海外県人会のネットワークがさらに強くなることを願います」と述べた。 続いて海外県人会を代表し、南加福岡県人会(在ロサンゼルス)の宗伸之会長は「県人会同士で共通の話題、悩み、出来事を語り合い、お互いにアイデアを出し合って次世代の福岡県人会につなげていきたい」と抱負を語った。 式典ではこの後、小川知事から各県人会長へ感謝状や記念品が贈呈され、最後は地元小学生たちによる『ふるさと』のコーラスに合わせて場内全員で合唱した。 引き続き行われた歓迎レセプションでは、小倉祇園太鼓や博多祇園山笠など郷土の芸能が披露される中、各県人会と母県の人たちが楽しそうに歓談した。 ブラジル福岡県人会副会長で、同県費留学生OB会長の福永ミルトンさん(51、会社経営者)は、88年に九州産業大学で経営学を学んだ。その時の 留学経験が今の仕事に生かされているという。「私の目標は、県費留学生OBと福岡の企業を結ぶこと。これが次世代の福岡県人会と母県の発展となる。今回は そのための交流でもある」と福永さんは意気込んでいた。 レセプション会場の端で椅子に腰かけていた靍我(つるが)昌則さ ん(90)は、住まいの筑豊地方から会場へと足を運んだ。靍我さんの弟・博文さんが54年前に単身でブラジルへ渡り、モジ・ダス・クルーゼス市で長年農業 を営んでいたという。博文さんは世界大会への参加を楽しみにしていたが、渡航手続きをしていた最中の今年8月2日に自宅で亡くなった。享年77歳だった。 靍我さんは会場を眺めながら「わしは弟を訪ねて平成元年にブラジルへ行ったことがある」と、在りし日の博文さんとの思い出を懐かしんだ。 本来なら博文さんと一緒に来日するはずだった妻の敬子さん(81、福岡県出身)は、ブラジルから博文さんの写真を持参して会場入りした。「夫がいなくて不安でしたが、どうにか故郷まで帰って来れました」と、目にうっすら涙を浮かべてほほ笑んだ。 なお、同大会は3日間にわたり、代表者会議、ブラジル経済セミナー、企業視察、県人会フェアなどが行われた。 2013年10月12日付
