06/03/2026

Mês: novembro 2013

 来年、県人会創立60周年を迎える在伯和歌山県人会連合会(木原好規会長)が4月に記念式典を開催するのに合わせて、母県から歓迎慶祝団約50人が来伯し、式典の参加を中心に松原移住地(マット・グロッソ・ド・スル州ドウラードス)訪問やサンパウロ(聖)市でプロモーション活動を行う。  慶祝団のブラジル訪問に先立ち、事前視察と打ち合わせのため16~22日、同県企画部企画政策局文化国際課の山田啓之主査(38)が来伯。21日、木原会長の案内で本紙を訪れ慶祝団のブラジルでの日程を説明した。  山田主査によると慶祝団は来年4月24~28日、ブラジルに滞在する。団長は仁坂吉伸県知事で県関係者約20人、一般が約30人が参加して4月27日に北海道協会会館(予定)で開催される式典に出席する。  また24~25日に県知事として初めて松原移住地を訪問し、県人との交流や州知事・市長との懇談を予定している。現在同地域には100家族ほどの県出身移住者が在住。移住地では県をはじめ和歌山県中南米交流協会、和歌山大学等を通じて人材交流やホームステイなどが行われており、訪問については仁坂知事も「楽しみにしている」という。  さらに式典翌日の28日には聖市内のホテル会場(場所未定)で母県の観光や特産品を紹介するプロモーション(宣伝)活動を行い、仁坂知事自らトップセールスする。民間企業の参加については今後、企業を集う予定だ。 2013年11月28日付
ブラジル熊本県文化交流協会創立55周年記念式典に出席するため来伯した熊本県の小野泰輔副知事、藤川隆夫県議会議長ら議員団一行約10人と熊本県子弟の飯星ワルテル連邦下院議員の会見が、9日午後4時からサンパウロ市内ホテルで行われた。 コチア青年1次3回で来伯した故飯星研(みがく)氏の子息である飯星下議は、来年のブラジルでの統一選挙が行われる「10月4日が一番大事な日です」と述べ、今年4月に日本を訪問し、日伯議員連盟会長の麻生太郎氏と会ったことなどを説明した。 熊本議員側からはブラジルの選挙システムや議席数などの質問があったほか、来年迎えるサッカー・ワールドカップでのインフラ整備不足やBRICSの中でブラジル経済が下降していることなどの指摘があった。 これらについて飯星下議は「一番の課題はインフラ整備だが可能な限り調整できると思う。またブラジルはイメージ的には後退しているが、そんなに悪いわけではなく、中流層の台頭による消費力強化を促進し、永続的な発展を目指したい」と答えた。 一方、今年4月に飯星下議が訪日した際、日本政府側から1000社の中小企業を海外に進出させたいとの要望があったとし、同下議から熊本県からの企業進出を促す声もあった。 今回の来伯で、観光誘致アピールや熊本県からの企業進出などの具体的な動きがないかとの本紙の質問に対し、小野副知事は「今回の訪問は県人会の式典の祝いとして友情を深めることがメーン。経済交流はアジア諸国とは行っているが、南米は距離的に遠い。県への観光誘致よりも海外への企業進出の可能性が高い」と述べた。 2013年11月27日付
ニッケイ新聞 2013年11月26日  在聖日本国総領事館(福嶌教輝総領事)は7日、聖市モルンビー地区の総領事公邸で「平成25年度在外公館長表彰伝達・祝賀式」を行った。ブラジル日系熟年クラブ連合会会長の五十嵐司(88、東京)、サンパウロ日伯援護協会理事の具志堅茂信(72、沖縄)、ブラジル日本商工会議所事務局長の平田藤義(68、鹿児島)の3氏に、家族知人ら見守る中、福嶌総領事から表彰状が授与された。  五十嵐氏は挨拶の中で、第2次大戦中に科学を勉強しているという理由で、徴兵延期の恩典を受ける最中に終戦した過去に触れ、「戦場でなくなった友人、日本への貢献が出来なかったこと。戦後の焼け跡が残る祖国の再建半ばで、新天地ブラジルにやってきたこと。それらの念がいつまでも心に残り、日本に奉仕したいという思いが強くあった」と明かし、「高齢者に活気のある生活を送ってほしいと思い、老人クラブに尽してきた。活気ある高齢者の生活を支援していきたい」と語った。  援協に27年間勤続し、82年からは事務局長にも就任した具志堅氏は「当初は2、3年で辞めるつもりだった」と笑いを誘ったがが、「日系社会において社会福祉、医療活動が必要とされていると感じ始め、長く携わってきた。高齢化が進み、身寄りのない未婚者も増えている。生きがいを見つける手助けをしたい」と話した。  商議所事務局長の平田氏は97年、ROHM(ローム電子工業)社長として撤退を経験したこともあり、「受賞の知らせを聞いて返答に困った。人生を振り返って考えても、驚きと複雑な思いがある」といった心境を吐露した。「企業撤退で多くの人間の人生を犠牲にしたが、せめてその失敗例が若い世代に役立つといい。天国と地獄を味わった経験を後世に伝える使命がある」と語った。来賓には日系5団体代表者も駆けつけ、3氏を祝福した。他公館ではあったが、在聖総領事館では珍しい。
ニッケイ新聞 2013年11月26日  和歌山県人会(木原好規会長)の創立60周年記念式典が来年4月に開催されるにあたり、事前視察と調整のために県庁から山田啓之・企画部企画政策局文化国際課主査が16日に来伯した。  知事と一緒の慶祝団としては初の訪問が予定されている南麻州ドウラードスの県人会支部のほか、多くの県人が移住した同地の松原、クルパイの両植民地などを視察し、関係者との話し合いを行った。  4月27日を予定する式典への出席は、仁坂吉伸知事はじめ官民から計50人程度が予想され、慶祝団の人数としては過去最多(山田主査談)になりそうだ。県産品を取り扱う地場企業の関係者らもメンバーに加わり、式典の翌日には特産品宣伝の時間も設けられる。  21日に木原会長とともに来社した山田主査は「国外にいても、県人であることに変わりはない。こういった交流は非常に重要で、今後とも永く継続させたい」と話すとともに「55周年式典も事前の視察には来られたが、式典には出席出来なかった。今度こそ念願が叶えられそう」と笑顔を見せていた。   コラム【大耳小耳】  県人会の60周年記念式典に過去最高となる50人規模の慶祝団訪伯を見込む和歌山県。55周年時の27人から大幅に増えた要因を山田啓之主査に尋ねると、「県中南米交流協会」という団体の貢献が大きいとのこと。過去に南米への移住を検討した経験のある人たちを中心に2007年に発足、移民史に関心のある大学教授なども巻き込み、ブラジル文化の紹介やJICA研修生の受け入れなど、積極的な活動を行っている。現在の会員は約100人。県との関係の希薄化に悩む県人会もある中、このような新たな形での関係発展は興味深い。 ◎  和歌山県の観光をPRする山田主査によれば、2004年に世界遺産として登録された熊野古道や、霊山として名高い高野山を訪れる外国人観光客は年々増加しており、「日によっては見かける人の半分以上が外国人」なのだとか。フランスなどのヨーロッパ系が中心だというが、四国のお遍路が密かな流行になりつつあるブラジルにも、近く「熊野古道ブーム」が訪れる!?
ニッケイ新聞 2013年11月26日  【既報関連】開催が危ぶまれていた来年の『県連日本祭』の実施が正式に決定した。会場は従来どおり聖市イミグランテス展示場となり、25日に正式な契約書類への署名が行われた。本紙の複数の関係者への取材により明らかになった。会場の基本使用料等のさらなる割引は適用されなかったものの、不透明な状態となっていた議員割り当て金の受け取りの見通しが立ったことが決定打となった。県連の園田昭憲会長は「まだまだ厳しい状態なのは間違いないが、コロニア最大の事業をそう簡単に止めるわけにはいかない」と力を込めた。  最大の懸念となっていた会場の使用料は、90万レアルから割引された「58万レアル」(1日あたり12時間、11日間の賃料)で決着した。準備・片付け等で超過使用が見込まれる22時間分(11万レ相当)に関しては「免除」との条件で話がまとまった。 それに加え、西本エリオ聖州議らの協力で議員割り当て金受け取りの見通しが立ったことで、当初目標に掲げていた「赤字25万レ以内」の達成の目処がついた。 市川利雄・同祭副実行委員長によれば「10~12万程度の議員割り当て金を期待している」という。イミグランテス側との仮契約、頭金の振込みは今月中旬に済ませ、園田会長が正式な調印を25日に行った。これにより日程は来年7月4、5、6の3日間と正式に決まった。 これで今後の問題の焦点はスポンサー集めに移った。高野ジョルジ副委員長は、「決まった以上、あとは全力を尽くしてやるしかない。商工会議所の昼食会での説明など、進出企業にも積極的にアプローチしていく」と話した。 市川副委員長も「とりあえず来年の開催は決まったが、ずっと赤字ではいずれ止めざるをえなくなる。これを機会に総領事館はじめ、会議所や日本の企業、日系団体などに協力をお願いし、皆が手を合わせないといけない」と語気を強めた。
「新潟県の今、そしてこれから」 本紙と2011年10月から協力協定を結んでいる新潟日報社(高橋道映社長)主催の「新潟日報フェアinサンパウロ」が23、24両日、サンパウロ市アクリマソン区の新潟県人会館で開催された。23日午後1時半からは同社取締役執行役員及び制作統括本部長でもある渡辺隆編集局長(62)が「新潟県の今、そしてこれから」をテーマに講演を行い、雨が降る悪天候の中、県人会員など約30人が出席。柏崎刈羽原発や農業減反問題で揺れる同県の現状に耳を傾けた。 渡辺氏は(1)東京電力の柏崎刈羽原発の動向(2)減反を見直す新潟県の農業(3)Jリーグ昇進10周年を迎えた同県のサッカー・チーム「アルビレックス新潟」などスポーツ関連の主に3点を中心に、新潟日報の記事をパワーポイントで見せながら説明した。 (1)については、1997年7月の同紙の記事で柏崎刈羽原発が世界一の規模になったことが報道。2004年に発生した中越地震、07年の中越沖地震で原発への恐怖が報じられる中、中越沖地震を契機に新潟県巻町で全国で初の住民投票が行われ、住民の6割が原発建設に反対する動きに至った。 04年に就任した泉田裕彦知事は当時、東電関係者に「あなたたちは安心よりもお金なんですね」と東電関係者の訪問を退けたことで原発廃止の旗手になると全国紙にも注目された。しかし、11年3月の東日本大地震による福島第1原発事故後に柏崎刈羽原発全号機がストップしている現状の中で同知事は、来年7月に再稼動させる考えに変化しているという。 渡辺編集局長は「東日本大震災発生後、隣県の福島からは約1万人が新潟に避難したが、2番目に受け入れが多かったのが原発の下請け会社などがある柏崎市だった。(新潟県には)原発の1基や2基が動いてもいいと思っている人もいるのも事実だが、国策が揺れているところで再稼動を地元(新潟)の判断だけに委ねていいのかという疑問はある」と話す。 (2)は、戦後の食糧難を解決するため各地の干拓地を米作地にする事業が国策で行われたが、同事業が終わった途端に泥地を畑作にするという減反政 策が取られた。米余りを防止するために米作農家に国から補助金を出す減反政策からその後、農産物を海外に輸出するTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の 影響で半世紀ぶりに減反が廃止されることをJA(全国農業協同組合中央会)会長が10月下旬に容認したという。 現在新潟県に30ある市町村のうち、14市町村が減反廃止に反対とも賛成とも言えない戸惑いを見せているとし、「国の根幹に触れる政策が新潟で行われている」と渡辺編集局長は、同紙の紙面作りに(1)と(2)の問題が現在、大きな柱になっていることを説明した。 (3)は、これまでレスリング、バスケットボール、バドミントンなど屋内スポーツが「お家芸」だった雪国の新潟県で、野外スポーツであるサッカーで地元の 「アルビレックス新潟」が03年にJリーグに昇進して今年で10年になる記事を紹介。また、高校野球でも地元の日本文理高校が09年の夏の第91回全国高 校野球選手権で準優勝を果たすなど「エポックメーキング(時代を作る)的な出来事」(渡辺編集局長)が増えていることを喜ぶ。 ま た、これまで新潟市郊外にあった新潟日報社が昨年から同市内万代橋付近に20階建ての新社屋が完成したことにも触れた上で、渡辺編集局長は「来年は新潟地 震から50年、中越地震から10年になり、『防災、減災』をテーマに取り組んでいきたい」と述べ、講演を締めくくった。 講演会に参加した小橋節子さん(77、2世)は「原発問題も大変だけど、農業問題もどうなるか心配」と話していた。...
約7割が3年以内に訪日計画 【一部既報】7月に開催された第16回日本祭りに「Visit Japan」プロジェクトの一環として出展参加した日本の観光庁と日本政府観光局(JNTO)は7月19、20両日、同ブースを訪れた来場者を対象に訪日旅行に関するアンケートを実施した。JNTOニューヨーク事務所がこのほど発表した同アンケートの集計結果によると、回答者のうち7割以上が3年以内の訪日計画を立てており、ブラジルにおける訪日旅行需要の高まりが浮かび上がった。JNTOは、同アンケートの結果によってブラジル全体の一般消費者の動向を把握することは困難としながらも、今後の参考に役立てたいとしている。 アンケートの有効回答数は1037で、41・3%の人が日本を訪れたことがあり、そのうちの49・1%が複数回の訪日経験を持つことが明らかになった。主な訪問先は表の通りで、東京、京都、大阪、名古屋といった定番ルートが人気である一方、北海道から沖縄まで各地を訪問していることが分かる。これはリピーターに加え、各地の工場等で就労している親族や友人を訪ねていることが推測される。訪日目的は約20%の「伝統文化」が最も高く、次いで「歴史」「食事」「自然」「ショッピング」が挙げられており、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録も検討されている日本食への関心が目立ったほか、買い物好きなブラジルの国民性が表れる結果となった。 72%が3年以内の訪日計画を有する一方、3年以内に訪れる予定がない人は主な理由として約半数が旅行費用の高さを挙げた。「自然災害」を理由に挙げたのは2・8%にとどまり、東日本大震災の影響はさほど及んでいないことがうかがえる。 旅行先を決める際の情報入手先としては、4人に1人がインターネットを利用していることが分かった。しかしその次に、旅行博及び旅行誌と雑誌がそれぞれ約19%で続いていることから、JNTOニューヨーク事務所の犬石知子次長は「日本祭りのブースで訪日旅行商品パンフレットを提供・販売できれば旅行者の獲得につながるのでは」と期待を示した。 JNTOニューヨーク事務所によると、訪日ブラジル人数は今年上半期、対前年同期比18・2%増と順調に伸びており、来年自国でサッカー・ワールドカップを開催するにあたり外国旅行市場は鈍化するとみられているものの、ブラジル旅行会社からは2013年出発の訪日商品が完売しているといった声も上がっているという。 また、リオに続く東京夏季五輪開催決定によって日本への注目度の高まりが期待できることから、同事務所では旅行会社との情報交換等を通じて観光客誘致に努めたいとの考えを示している。 2013年11月22日付
4日目の10月20日午前7時半、北西に約140キロ1283メートルの標高地にあるコンスタンサ移住地に向かうべくホテルを出発。日曜とあって道は空いている。 途中、前日と同じ場所でトイレ休憩すると、地元のドミニカ人が各地に遊びに行くためかにぎわっていた。 サント・ドミンゴ市から約2時間走ったラ・ベガ市からは山道へと入り、前日よりもさらに急勾配の坂道をバスはエンジン音をうならせて上っていく。午前10時ごろ、峠付近に来た時に記者を乗せた1号車がオーバーヒートし、車体後部から白い煙を吹いて止まった。 コンスタンサでは移住地の人々が待っている。取材のため仕方なく、記者たち数人が2号車に便乗させてもらい、先に現地へと向かった。 山道を下っていくと、視界が開けた。山間に囲まれた平野部に野菜畑と思われる緑が広がる。日本の信州のような懐かしい風景だ。午前11時過ぎにコンスタンサ日系クラブ会館に到着。快晴の青い空の下に映える会館の白さが目にまぶしい。 会館前では、脇輝亀(わき・てるき)会長(58、鹿児島)を先頭に単位家族7家族約30人の会員が出迎えてくれた。脇会長によると、同移住地ではトルコ桔梗(ききょう)、ベニバナなどの花卉(かき)栽培や野菜作りが盛んで、日系子弟は農業に従事している人が多いという。同地への日本人の入植は1956年10月の第1陣に始まり、59年6月までの第4陣まで計35家族220人が入植した。 「順子です。村田順子です」―。サンパウロ市リベルダーデ区の日本食レストラン「千代(せんだい)」のママである大村順子さん(63、鹿児島、旧 姓村田)が有山ムツ子さん(86、鹿児島)に呼び掛けた。有山さんは「うれしい。本当、涙が出る」と村田さんとの51年ぶりの再会を喜んだ。 有山さんの実弟である神前亨(とおる)さん(76、鹿児島)は、男性ではもはや長老格になるという。56年12月30日、第2陣で同地へ。「19歳で入植 したころの(コンスタンサの)人口は3000人ぐらいでしたが、今は8万人が住んでいますよ」と、その発展ぶりを話してくれた。 午前11時40分ごろ、オーバーヒートした1号車も無事到着。会館内に入ると天井が高く、天井からぶら下がった扇風機の風が心地良い。正面の舞台上には富士山と桜の絵が描いてあるのが、いかにも日本人の会館という雰囲気を醸し出している。 舞台下では、「日本ドミニカ友の会」の西尾孝志会長の親戚に当たるという西尾蓉子さん(72、福島)が先亡者たちの遺影を前にして慰霊法要を行い、読経の合間に脇会長、本橋幹久団長らが代表して焼香した。 小学校時代に日本で暮らした経験のあるコンスタンサ日系クラブの佐藤康樹(こうき)副会長(49、2世)が、流暢(りゅうちょう)な日本語で移住地の説明 を行う。それによると、同地は前述のように標高が高く気候が良いことから農業に適しており、入植当初は水不足などに悩まされたもののニンジン、玉ねぎ、 ジャガイモ、にんにくなどの野菜類を栽培し、現在は北米や欧州にピーマン、キュウリ、トマトなども輸出しているという。 佐藤副会 長自身は現在、サント・ドミンゴ市内などでガソリンスタンドを4軒共同経営しており、両親がコンスタンサで農業を行っているそうだ。コンスタンサで生まれ...
会館を出てリゾート・ホテルへと向かう途中、日本移民たちが眠る墓地を訪問する予定だったが、墓地前の道路は車通りが激しく一行が下車して道を渡ると危ないということで、車窓から墓地の入り口を拝むだけにとどまった。 一行が到着したのは、「ホテル・グラン・イメノア」と呼ばれる自然溢れるハラバコアでも有数のリゾート地で、ホテル内に川が流れている。その川を長さ約50メートルのつり橋を渡って橋向こうに行くと、一行の昼食席が準備されていた。 かんかん照りの暑さの中で、雄大な川の流れと景観が涼しさを与えてくれる。 昼食には、ハラバコア移住地の日本人たちと友情関係のある同市のピエダーデ・ケサラ・デ・ドミンゴス女性市長も出席し、一行を歓迎。広島市からゴミ収集車4台の寄贈を受けるなど日本との交流に感謝していると述べ、「神様は世界中にいますが、夜はハラバコアで過ごします。皆さん、次回もハラバコアにぜひ戻ってきてください」とあいさつし、一行をねぎらった。 日高夫人のミヨコさん(67、鹿児島)によると、入植当初は日本語学校も無かったが、入植1周年の時に道路で運動会が行われ、大人と一緒に二人三脚で走ったことを覚えていた。「気候は良いのでトマト、キャベツ、ナスビなどの野菜を作って売りましたが、買ってくれる人は少なかったですね」と振り返る。 乾杯の音頭を取った日高武昭さんは、サンパウロ州アチバイア市で心霊治療を行う弘田智康氏と同年齢の親友だとし、今年9月には弘田氏がブラジルから花柳流舞踊関係者を連れてハラバコアを訪問。JICAの青年ボランティアの女性たちもサント・ドミンゴ市から加わり、盛大な盆踊り大会を開催したという。 日高さんたちが移住地での苦労と日本政府にだまされたことなどを説明する一方で、ドミニカ在住の日本人の3分の1が裁判問題に反対し、残りの3分の1は良くも悪くも思っていない人がいることも聞かされ、狭いドミニカの移民社会の中でも複雑な関係があることを知った。 昼食を取った一行は元来たつり橋を渡った広場に集まり、歓迎してくれたハラバコア移住地の人々とともに、恒例の「ふるさと」を合唱。一人一人と握手を交わして、サント・ドミンゴ市に向けて出発した。 ◎  ◎ その日の夜は、ドミニカ料理の「サンコーチョ」を食べに市内のレストランへ。サンコーチョは、ドミニカでは日曜などに家族で食べる家庭料理で、マンジョカ芋、ニンジンなどの野菜と鶏肉や牛肉を混ぜて煮込んだスープ。見た目はブラジルの「カルド・デ・モコト」に似ている。 そのサンコーチョを飯にかけてブラジルの「フェイジョアーダ」のようにして食べるのだが、一行が座ったテーブルによってはサンコーチョだけが先に出されて 飯が遅れ、スープを飲み干した後で飯が出されるなどし、「たったこれだけの料理なのか」と苦情の声も一部から聞かれた。 レストランでは、ドミニカ共和国のダンス音楽「メレンゲ」の衣装を着て給仕をする若い男女が中央の踊り場でダンスショーも披露。特に、1本のラム酒の瓶の上でつま先立ちとなり、クルクルと踊る光景は圧巻だった。 一行はそれぞれの思いを胸にホテルに戻った。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月23日付
ドミニカ鹿児島県人会会長でもある日高武昭さん(70、鹿児島)がハラバコア日本人会の星川和之会長(66、山形)をはじめ、同地在住の日本人家族を1人ずつ紹介してくれた。 同地在住の日本人は単位家族で5家族21人。「少ない人数なので、皆親戚です」と日高さん。まだ新しい「ハラバコア友好会館」は2007年に建てられたという。 移住地の説明をする日高さんの声が次第に熱を帯びだした。 日高さんの家族は1958年1月24日に他の12家族とともにハラバコアに入植したが、日高さんは当時中学3年で進学を控え、「10年たったら日本に戻ってくる」との父親の言葉を信じ、自ら日本に残ることにした。 しかし、両親がいないために学費が払えず、進学を断念。大阪の鉄工所で働きながら通信教育を受けたが、1年間で退職した。その間、ハラバコアにいる母親に一度も手紙を書かなかったことから心配され、迷った挙句に姉の許嫁と一緒にドミニカへの最終移民船「あめりか丸」に乗り、59年9月、家族たちより約1年半遅れて16歳でハラバコアに移住した。 しかし、日本の募集の際に約束された100タレア(約6ヘクタール)の土地は実際には半分しかなく、湿地や石が転がる粗悪なものだった。それでも他の日本人移住地に比べてまだ気候が良いほうで、「こんなところで泣いていても仕方がない」と借地して野菜などを生産したが、約10年間は野菜の販売力も無かったという。 また、日本政府の募集要項には「自由開拓」と書いてあったそうだが、独裁政治の国とは知らされず、ドミニカ政府の管理人の許可が無いと移住地から出られなかった。サント・ドミンゴ市の日本大使館に行く際も途中で検問があり、許可証が無いと捕まってサトウキビ畑で強制労働させられるような状態だった。 61年には当時独裁者と言われたラファエル・トルヒーヨ大統領が暗殺され、以前に同大統領から強制的に没収されたという地主らが各日本人移住地の「土地を返せ」という騒動も発生。そうしたことがドミニカ移民たちが日本に帰国したり、ブラジルなどの南米諸国に再移住する結果にもつながった。 日高さんは移住後、日本への出稼ぎで30年ぶりに日本に一時帰国し、現在、日本庭園近くに店を構え自動車などの中古品輸入業を行っている。 日本政府を相手取り、2000年から6年にわたって行われた裁判については「自分たちは金が目当てではないです。最初の募集要項に沿った土地をもらいたいだけ。日本政府がどう対応してくれるのか今でもそれを待っている」と語る日高さん。「自分としてはドミニカに来る気はありませんでしたが、親に従うつもりで来ました。当時はまさか、祖国が我々移民をだますとは思ってもいませんでした」と話しながら時折、悔しさで感極まり、言葉が出てこなかった。 日高さんの力説を聞き終えた一行は、会館前で記念撮影を行い、昼食を取るためにハラバコア市内にあるリゾート・ホテルへと向かった。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月22日付
ニッケイ新聞 2013年11月23日  群馬県人会(小渕民雄会長)は、来年9月から翌年2月までの日程で行われる県費研修の参加希望者を募っている。  18~40歳で、群馬県人の親族が対象となる。詳細、申し込みは県人会事務局(11・3341・8085)まで。締め切りは12月27日となる。  案内のため来社した小渕会長は「年内に希望者の有無を確認し、研修内容については県庁側と、参加希望者とのすり合わせで決めていく」と話した。
ハラバコアの日本庭園で一行を出迎えてくれたのは、日高武昭さん(70、鹿児島)。2000年に日本政府を相手取って裁判を起こした原告側の一人で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長とともに1997年に立ち上げた「移住問題解決促進委員会」のメンバーでもある。 日高さんの説明によると、現在の庭園は1958年1月24日に日本移民13家族が入った場所で、当時は移民たちの家があったという。 「ハラバコアに当初日本移民が入植したのは13家族だったのですが、他の移住地はほとんど耕作不能で『ハラバコアは良い所』と聞き付けた移民たちが殺到し、多い時で87家族が入植したのですが土地が無くて大変でした」と当時のことを説明する。 庭園は2006年、ドミニカ日本人移住50周年を記念して建立。朱色に塗られた約4メートルの小さな太鼓橋が架かる人口池の中に、13家族の家長の名前が刻まれた石碑が建っていた。 一行はバスですぐ近くの「ハラバコア友好会館」に移動。会館前で同地の日本人たちが歓迎してくれ、一人一人と握手を交わす。 「懐かしいですね。面影ありますよ。何歳で入植したんですか」などと日高さんから質問されていたのは、サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区在住でハラバコアに6歳から11歳まで居たという野副(のぞえ)美夜子さん(63、北海道、旧姓・富樫)。日高夫人のミヨコさん(67)や、幼なじみでミヨコさんの妹の浜田京子さん(64)たちと51年ぶりの再会を喜んでいた。 「あの辺りに私の家があったのですが、今はもうあのころの家はないですね」と会館から山手方面を感慨深げに見渡していた野副さんは、同地を離れてブラジルに再移住し、聖州ブラガンサ・パウリスタやバルゼン・グランデなどを転々としたとし、「日本人子弟の寄宿舎の賄いなどをしましたが、ブラジルに行った当初は人間扱いされなかったですね」と振り返った。 会館内では日高さんが改めてあいさつし、「これだけたくさんのお客さんは珍しいです。私も70歳になりましたが、皆さんお元気ですね。ブラジルは広大な土地で思う存分農業ができたので、皆さんは長生きなんですね」と話したが、それはドミニカで十分な耕地が取得できなかった日本政府への反感の思いも込められていたように聞こえた。 ふるさと巡りの本橋幹久団長は「ドミニカ移民の皆さんもさまざまな問題があり苦労されてきたでしょうが、今では立派に定住されておられます。同じ移民として、中米と南米の距離の違いはありますが、今後の交流をお願いします」と述べ、県連日本祭りのDVDなどを寄贈した。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月20日付
東北6県人会とブラジル野球ソフトボール連盟(発起人代表=中沢宏一宮城県人会長)は、22日午後7時からサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会屋上(Rua Fagundes, 152)で東北楽天イーグルス優勝祝賀会を開催する。 同会は、今年プロ野球パ・リーグを制し、日本一にも輝いた東北楽天イーグルスが、東日本大震災後の東北地方を元気付けた功績をたたえて企画されたもの。 参加費は男性35レアル、女性25レアル。詳細は宮城県人会(電話11・3209・3265)まで。 2013年11月22日付
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は、24日午後2時から同4時までサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Domingos de Morais, 1581)で健康座談会を開催する。 同座談会は、府費留学・研修生OB有志が集まる「なにわ会医療関係専門家グループ」がボランティアで行っているもので、同グループに所属する医師の西国幸四郎氏、秋山一誠氏らが今回のテーマ「自立した老人になるために」に合わせて、血圧測定や講演会を行う。 そのほか、高齢者のためのヨガや体操の体験プログラムも用意されており、案内のため来社した山本剛介副会長は、「会の若い人が頑張ってくれて座談会は今年で10年目になります。奮ってご参加ください」と呼び掛けた。 参加無料。なお、講演は日ポ両語で行われる。問い合わせは、同会(電話11・5549・7226)まで。 2013年11月22日付
ニッケイ新聞 2013年11月22日  今月初めにあった日本シリーズを制し、創立9年目にして初のプロ野球日本一に輝いた東北楽天ゴールデンイーグルス。その優勝祝賀会が22日午後7時から、宮城県人会の屋上で行われる。東北6県人会とブラジル野球ソフトボール連盟の主催。特製のノボリは掲げられるものの、試合映像を流したり、ということはないとか。野球ファン向けというよりは、改めて東北の絆を深めようという趣旨のようだ。会費は男性35レアル、女性25レ。同県人会で毎週行われている『金曜親睦会』形式で、飲み・食べ放題。
ニッケイ新聞 2013年11月20日 大阪なにわ会医療関係専門家グループ(下平尾哲男代表)主催の「恒例健康座談会」が、24日午後2時から4時まで、同会館2階(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で開かれる。参加費無料で会員外も歓迎。医療関係職に就いた同会の府費留学生・研修生のOBらが主体となった「医療関係専門家グループ」が、約10年前から実施している。テーマは「自立した老人になるために」。血圧測定が無料で受けられるほか、医者などの専門家による健康に関する4題の講演もある。日ポ両語対応可で、題目は次の通り。「自分の脳を自在にコントロールするには?」(西国幸四郎)、「高齢者のためのヨガ」(アベ・シズエ)、「長寿の条件とは?」(秋山一誠)、「高齢者のための体操 練功と社交ダンス」(大町レジーナ、東富江)。案内のため来社した同会の山本剛介副会長は「ヨガと体操は実演もあります。一緒に体を動かしましょう」と呼びかけた。問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。   コラム【大耳小耳】 大阪なにわ会の恒例座談会は、同会の府費留学生・研修生のOB・OGらが作る「医療関係専門家グループ」が実施するが、これを開催することになった背景の一つに、同制度の廃止があるという。太田房江時代の2000年に留学生、02年には研修生制度が打ち切りとなった。00年には府からなにわ会への援助も無くなったという。留学生制度の存在意義を証明する意味でも、この健康講演会は貴重な催しだ。多くの県人会で同様の悩みを抱えている。留学生・研修生継続を訴えるような県人会行事が、もっとあってもいいのでは。
福島県人会(永山八郎会長)は、24日午前11時からサンパウロ市リベルダーデ区の同会館(Rua da Gloria, 721)で、「第5回喜多方ラーメン祭り」を開催する。 今年7月の日本祭りでは1400食が完売し、回を重ねるごとに本場に近付いているというラーメン。味は平打ちの縮麺がよく合うあっさりしたしょうゆ味が特徴。 価格は前売りで1杯18レアルで当日は20レアル。来場者の中から抽選で約100人に福島特産の「赤べこ」製品が贈られる。 300食分が用意されるが、例年通り混雑が予想されるため、事前予約が望ましい。 来社した永山会長と曽我部威同県人会事務局長は「来場者をがっかりさせないようなラーメン作りをします」と意気込みを語った。 予約・問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3208・8499)まで。 2013年11月20日付
2011年10月から本紙と協力協定を結んでいる新潟日報社(本社・新潟市、高橋道映社長)から17日、取締役執行役員で制作統括本部長・編集局長の渡辺隆氏をはじめ、デジタル戦略室次長兼編集局編集委員の吉岡和彦氏、編集局報道部記者の違(ちがい)浩司氏の3人が来伯し、翌18日に来社した。 一行は、23、24両日にサンパウロ市アクリマソン区の新潟県人会館(Rua Pandia Calogeras, 153)で開催される「新潟日報フェアinサンパウロ」(主催=新潟日報社、後援=新潟県人会、サンパウロ新聞社)に参加し、昭和時代の同社紙面パネル展示や渡辺編集局長の講演会などを行う。 渡辺編集局長は現在全号機がストップしている東京電力の柏崎刈羽原子力発電所の稼働に向けた動きや減反を見直す新潟県の農業、サッカーをはじめとする地元のスポーツなどについて講演を行う予定。 デジタル戦略室の吉岡氏は同紙会員制ウェブサイト「新潟日報モア」を今年6月に立ち上げたことに触れ、従来の購読者へのプラスのサービスを行うとともに新たな購読者を増やしていく考えだ。現在同社は日本国内をはじめ、国外では中国、韓国、ロシア、モンゴルなど北東アジアの新聞との情報を提供及び共有しており、南米では本紙が唯一の提携紙となる。 同行した違記者は約10日間の滞在中、来年のサッカー・ワールドカップに向けた競技場視察や聖州イビウーナ市にあるヤクルト・アカデミーなどを訪問し、取材する予定だ。 渡辺編集局長は「地方新聞は国際的な取材をしなくていいのか」という高橋社長の思いの中で本紙との提携を実現させたとし、「ベース(基本)は人と人との関係。(新潟日報社の)コア(核となる)な読者は中高年や高齢者が多い中、若年世代につなぐ動きを作ることが今回のブラジル訪問の目的の一つでもある。ブラジルからも若い世代が新潟を訪問してもらえるよう、何かお役に立てれば」と来伯の抱負を語った。 2013年11月20日付
全国各県に組織されている沖縄県人会・郷友会など14団体から220人が兵庫県尼崎市に集まり、第12回「全国沖縄県人会交流会」が9月23日に開催された。この日は、翁長雄志那覇市長をゲストに迎えた講演会、各県人会の現状報告とPR、全国交流会としては初めての母県沖縄に対する「構造的差別」解消に向けてアピール活動を行うことを確認するなど情報交換を行い、ウチナーンチュの熱気で盛り上がった。 主催者を代表して沖縄県人会兵庫県本部の大城健裕会長が歓迎のあいさつ。兵庫県人会の歴史を振り返ると同時に「沖縄にルーツを持つ者として沖縄の痛みを共有していかなければならない」と呼び掛けた。 続いて、大阪沖縄県人会連合会の嘉手川重義会長、東京沖縄県人会の渡久山長輝会長の2人が東西の県人会を代表してあいさつした後、沖縄県大阪事務所の登川安政所長が「本土における沖縄県人会の活動状況」について説明した。 メーンゲストに招かれた翁長那覇市長は「沖縄の現状と未来について」と題して講演。沖縄を代表する保守系政治家でありながら、昨年9月の「オスプレイ配備反対」県民大会の共同代表を務めた同市長は「沖縄では基地を挟んで保革が対立してきた歴史がある。しかし、保守と革新を乗り越えて沖縄のアイデンティティーを確立していかないと沖縄の未来はない」と自らのスタンスを述べ、「那覇市ではハイサイ、ハイタイ運動を進めているが、これは、ウチナーグチが滅びると沖縄文化が滅びるという危機感があるからだ」とも語り、喝采(かっさい)を浴びた。 「全国沖縄県人会交流会」は各地の沖縄県人会が横の連携を密にし、会運営方法などの意見交換を行うと共に、万が一大きな自然災害などが発生した場合に支援協力できるネットワーク強化を目的に1996年10月5日、東京沖縄県人会の主催により東京で第1回交流会が行われ、その後2年に1回開催されてきた。これまで東京、大阪、愛知、兵庫、横浜、京都、川崎で開催され、兵庫県では13年ぶり2回目となる。 本土における沖縄県人会の特徴は、会員の親睦を中心に郷里沖縄の政治的・経済的な課題にも関心を持ち、それらの課題解決のための何らかの活動や運動を行ってきたこと。また、戦前、戦後の本土における沖縄県人に対する「いわれなき差別」への対応や戦後の本土復帰運動、最近の基地返還、オスプレイ配備反対運動などの活動を行っていることである。(兵庫県尼崎市在住、上江洲清さん通信) 2013年11月19日付
パラー州など各地県人会員も一堂に ブラジル熊本県文化交流協会(田呂丸哲次会長)創立55周年記念式典が、10日午前10時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同会館で開催された。式典には、母県から小野泰輔副知事、藤川隆夫県議会議長をはじめとする慶祝団36人が来伯して出席。遠方からはパラー、パラナ、サンパウロ各州などからも県人会員及び関係者が詰め掛け、約300人が一堂に会し、節目の年を祝った。 式典には来賓として小野副知事、藤川県会議長をはじめとする県議団、荒巻邦三熊本日伯協会慶祝訪問団団長、佐野浩明在サンパウロ総領事館首席領事、熊本県人子弟である飯星ワルテル連邦下院議員、祖父が熊本出身の西本エリオ聖州議、園田昭憲県連会長、岡本悳也(とくや)熊本学園大学学長らが登壇した。 田呂丸会長はあいさつで、次世代への移り変わりの中でも「熊本を先祖に持ったことを誇りに生きてきた」と述べ、日本人が正直さ、勤勉さによりブラジルの地で信頼を勝ち得たことにも言及。「私たちの先輩が長い間守ってきたお陰で現在の活動が続けられる」と先人への感謝の意を表した。 引き続き、小野副知事が所用で出席できなかった蒲島郁夫県知事の祝辞を代読。5年前の協会創立50周年で初めて来伯した際「(県人会員たちが)熊本への深い愛着を持っておられることに深い感銘を受けた」という。また、熊本からの移住者が約2万3000人に上り、1958年に同協会が設立されたことを振り返り、2011年9月に九州新幹線開設の際にブラジルから約50人の訪問団が母県を訪問したことに感謝し、協会の今後のさらなる発展を願った。 先亡者への黙とう、日伯国歌斉唱に続き、藤川県会議長、齊藤聡熊本市会議長ら来賓がそれぞれ祝辞を述べた。 功労者・高齢者表彰では、明石照久副会長が代表で賞状を受け取り、80歳以上の高齢者13人の名前が読み上げられた。また、90歳以上の特別表彰として歴代会長の柳森優氏と嶋田秀生氏の2人に賞状が手渡された。 各種記念品の交換が行われた後、長瀬隆元会長の閉会宣言で式典は終了した。 パラー州ベレン市にある北伯熊本県人会を代表して副会長、事務局長ら4人で来聖したという島川尚三会長(75)は、戦後第1回目の移民として53年にトメ アスーに入植した経験を持つ。北伯県人会は戦前戦後を通じて活動し最盛期は約300家族が在籍していたが、5年前に再編成し現在は約75家族にとどまって いるという。「南伯(サンパウロ)の式典には初めて出席しましたが、昨年南伯からツアーでベレンに来てもらったので」と島川会長は初めての参加理由を話し た。 また、聖州プロミッソン市に住み、リンス熊本県人会会長を務める安永和教さん(67、3世)もサンパウロの記念式典には初め て出席したとし、母県からの慶祝団一行の中で「上塚周平顕彰『イッペイの会』」の米原尋子会長らが式典前にプロミッソンを訪問したことを喜んでいた。 午後からは昼食懇親会が行われ、日本からの慶祝団たちが登壇する中、田呂丸会長と小野副知事が記念のケーキカットを行った。 2013年11月19日付