裁判問題で意見の対立続く状態に
1988年の移民80周年を記念して実施され、今年で25周年第40回の節目を迎えた県連(園田昭憲会長)主催の移民のふるさと巡り旅行が10月17~23日の日程で行われ、当初の予定より16人多い計76人が参加した。今回一行は、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ市をはじめ、ハラバコア、コンスタンサの両日本人移住地を訪問。「カリブの楽園」と言われながら当初の募集要項とは全く違う土地に入植させられ、日本政府を相手に裁判問題にまで発展した同地の日本人入植者たちの思いと、再移住先としてブラジルに渡った参加者との再会の様子を体感する旅でもあった。同行した旅行の模様をリポートする。(松本浩治記者)
資料によると、ドミニカ共和国への日本人移民は1956~59年、鹿児島県出身者を中心に249家族1319人が入植。同国に八つある移住地に送られたが、特にひどかったのは、ハイチ国境地域にあるダハボン、ネイバ、アグアネグラ、ドベルヘなど。日本政府の募集要項には、300タレア(18ヘクタール)の土地を無償譲渡し、耕作に適した土地であることがうたわれていた。しかし、実際に入植した土地は場所によって塩害がひどく、岩だらけの荒地でとても農業が可能な状態ではなかったという。
また、慢性的な水不足に悩まされ、ドミニカ政府が土地の所有権も認めていないことが後に発覚。当初、日本政府は戦後中国大陸などから引き揚げてきた日本人の海外渡航を奨励しており、ドミニカの塩害状況等を当時の駐ドミニカ日本大使が知っていたにもかかわらず、その内容を伏せるように指示。ドミニカ側が灌漑(かんがい)設備が整っていないことなどを理由に日本移民の受け入れに懸念を表していたが、日本政府は移民を同国に送りこんだ事実がある。
61年には日本政府もドミニカへの移民送り出しの失敗を認めて集団帰国を実施し、日本への帰国をはじめ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなどに再移住する人が8割を占めた。しかし、古里の土地を処分してきた移民たちにとってはドミニカにとどまらざるを得ず、47家族276人が同国に残留した。
98年には日本政府の譲歩により、ドミニカ国内の新しい土地への提供が決まったが、粘土質の土地はやはり作物に適さず、移民たちは2度にわたって日本政府にだまされたことに猛反発。2000年7月、移民の一部が日本政府を相手取って損害賠償を請求する裁判を起こした。
6年にわたって続けられた裁判は06年、日本政府が法的責任を全面的に認めたものの、損害賠償については時効を理由に棄却される判決が言い渡された。
判決を不服とする移民たち(原告)は控訴したが、当時の首相だった小泉純一郎氏が原告への謝罪の意を伝えるとともに、ドミニカ在住の原告に1人200万円を支給する和解案を提示。移民たちは協議の結果、6対4の賛成多数で和解することになった。裁判を巡って、ドミニカに住む移民たちは意見の違いから賛成派と反対派の二つに割れ、現在も水面下では意見の対立が続いている状態だ。
今回、初めてドミニカ共和国を訪問したふるさと巡り一行の足跡をたどる。(つづく)
2013年11月7日付
