一行計76人のうち13人の小グループとして旅程を組まれた記者たち一行は、サンパウロ市リベルダーデ広場を、まだ夜の帳(とばり)が下りたままの10月17日午前3時30分に専用マイクロバスでグアルーリョス空港に向けて出発。
記者に続いて広場に集まって来ていた砂原朝子(ともこ)さん(75、北海道)は、サンパウロ市内で小間物屋を数軒持っている。2年前に亡くなった主人はふるさと巡り旅行に気が進まなかったというが、「これから、あちらこちら行きたいと思います」と砂原さん自身は意欲的だ。
グアルーリョス空港では、コロンビアのボゴタ市を経由していく63人の大型グループと、ペルーのリマ市を経由する13人の小グループに分かれて搭乗した。小グループのガイドは、ふるさと巡り第27回から連続で請け負っているという日系2世の中西惠子さんが担当。空港には旅行の手配を行ったグローバル・ツーリズモの渥美誠社長も早朝から見送りに来ている中、団長の本橋幹久氏が出発のあいさつを行った。
我々小グループは大型グループより約1時間早く、現地時間の午後4時にドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ市にあるラス・アメリカス国際空港に到着。サンパウロからはトランジットを含めて約10時間の旅だ。
出迎えてくれた今回のドミニカ国内での世話役を務めてくれる内藤益宏さん(69、東京)は、過酷だった移住地アグアネグラに1958年5月に入植 した一人。現在はサンパウロ州イノーポリスに在住している小グループ搭乗者で、同じアグアネグラ入植者だった南沢法子(のりこ)さん(70、福岡)の第一 声を聞いて本人だと分かったとし、50年ぶりの再会を果たした。
2人の話によると、ドミニカ南西部でハイチ国境近くのアグアネグ ラには、58年5月と6月に第1次、第2次に分かれて計46家族が入植したという。標高約800メートルの同地は、1家族につき12町歩(ヘクタール)の 土地が支給されるはずだったが、「実際の土地面積は(12町歩の)2割あるかないかといった程度で、岩だらけの最低の土地に日本で聞いてきたコーヒーの木 はどこにあるのか探すくらい長い間放棄された場所でした」と南沢さんは当時を振り返る。
その後ブラジルに再移住し、バイア州の JK(ジョタカ)移住地、リオ州カボフリオ市などを経て現在のペナーポリスに在住して22年になるという南沢さんは、「今回ドミニカに行くと聞いて、どう しても参加したかった」と、ふるさと巡り旅行に初参加した目的を説明してくれた。
一方、中学2年を中退して家族とともにドミニカ に来たという内藤さんは、コーヒーやうずら豆(アビチェラ)の生産など親の手伝いをしながら日本海外協会連合会(海協連、現・JICA)の通訳官に週3回 スペイン語の指導を受け、同地で1年間を過ごした。その後、鉱山探査を行う日本企業勤務を経て日本大使館の職員として33年間にわたって働き、2005年 に定年退職している。
現在、同地には鹿児島出身の田畑初(はじめ)さん(94)が1人で住んでいるだけで、夫人のテルさんも約5年前に亡くなったという。
「今でもアグアネグラに1人で住む田畑さんには、本当に敬意を表する思いですね」と内藤さんは、自身の思いを語った。(つづく、松本浩治記者)
2013年11月8日付
