06/03/2026

Dia: 12 de novembro de 2013

 コロンビア経由の大型グループ一行63人もサント・ドミンゴ市に到着したが、航空会社のミスにより約10人分の荷物がコロンビアに取り残されたまま、到着していないハプニングが発生。サンパウロから同行した日系ガイドの柳沼セリアさんが、そられの人々の下着などを買いに、早速ショッピングセンターなどに走ることになった。  一行はとりあえず、宿泊先のホテルへと向かうため、専用の大型バス2台に分かれて乗車。空港を出ると、北半球ながらさすがに北緯約19度という熱帯に近い場所であるためか、むわっとした熱気が広がる。  ホテルにチェックインし、カード式の鍵(カードキー)を受け取る。治安上の問題から、同ホテルのエレベーターは各階のボタンの上にある所定の場所にカードキーを当てて客としての認証が行われないと、階上に上がれない仕組みになっている。そのことを知らずに、エレベーター前で一行が混雑しているすきに、ドミニカ人とみられる4人組の女性が無理やりエレベーターに押し入った際、スリ行為により参加者の男性らが約40ドルの被害を受けた。  ドミニカ共和国到着後の間も無いハプニング続きに、一行もどっと疲れが出ていたようだ。  そうした中でホテル内では、前述の南沢法子さん(70、福岡)と現地法人・ドミニカ日系人協会傘下の日本語学校校長である上原邑子(くにこ)さん(70)が10年ぶりの再会を果たして喜び合っていた。上原さんはアグアネグラ移住地時代の幼なじみだった。  夕食はホテルで取ることになったが、現地側が気を利かせて日本食とホテル食の2通りを選択できた。せっかくドミニカまで来たのでホテル食を選んだ記者たちのテーブルには、ブラジル在住のドミニカ出身者が集まった。  「頑張るかごんま―移り来て100周年」(10月19日付)でも掲載された大村順子さん(63、鹿児島、旧姓村田)は、51年ぶりに同地を訪れたという。  1956年に第2次入植者として当時6歳で、首都サント・ドミンゴ市から北西に約140キロ、標高約1300メートルのコンスタンサ移住地に入植 した大村さん。7年間同地に居住した後、ブラジルに再移住。サンパウロ(聖)州ジャカレイのジャミック移住地に入った後、現在は聖市リベルダーデ区で日本 食レストラン「千代(せんだい)」のママとして活動していることは有名だ。  食事をしていると、大村さんのいとこで現在サント・ドミンゴ市に住む広光ツヤコさん(61、鹿児島)とその夫の正照さん(73、高知)夫妻が訪れ、大村さんと約20年ぶりの再会となった。  正照さんは56年7月、ダハボンの第1次入植者。大村さんとはコンスタンサ移住地時代の知り合いだ。正照さんの父親は元々、高知県に「米蔵が二つもある」農家だったが、戦後の農地改革で土地を接収され、家族でドミニカ移住に応募した。  15歳でドミニカに来た正照さんはダハボンで米作りの手伝いなどをしたが、土地が悪く水が不自由のため「ドミニカ社会に入って野菜の販売をしたり、鹿児島 県の家族が置いていった漁具を買って漁師もやったり、バナナ園の支配人もやった」という。JICAの農業研修でブラジルにも行った経験もあり、ドミニカの 日系企業で2年働いた後、スペイン系の電線工場の工場長として39年勤め、現在はサント・ドミンゴ市やハラバコア市に土地を所有してバナナやレモンの栽培 のほか、肉牛の飼育も約15年前から行っている。  「今は少しは楽になったけれど、最初の10年は何をしていいか分からない状態...
コロニアの宝に感謝と敬意  平成25(2013)年度100歳以上高齢者表彰式が、5日午後3時からサンパウロ(聖)市モルンビー区の在サンパウロ総領事館公邸で行われた。今年度の同館管内表彰対象者(1914年3月31日までに出生)は33人で、会場には当事者12人と代理5人が出席し、安倍晋三内閣総理大臣からの祝状と記念品を福嶌教輝総領事が出席者に手渡した。  来賓に呉屋新城春美文協副会長、菊地義治援協会長、本橋幹久県連副会長、五十嵐司熟年クラブ連合会会長を迎え、表彰者の親類ら約50人も参加した。福嶌総領事は表彰者に対し、「無事に100歳を迎えられたことは誠にめでたく、心からお祝い申し上げます。人は人との関係なくして生きられるものではなく、愛情、交流があって100歳を迎えられたと思う」と敬意を表した。  祝状と記念品授与後、乾杯の音頭を菊地会長が取り「日系社会の大先輩、コロニアの宝に感謝、敬意する」と述べ、「100歳バンザイ、サウーデ、ビバ、バンザイ」と音頭し、会場を盛り上げた。その後記念撮影が行われ、別室に用意された食事を取りながら、出席者は長寿の喜びを分かち合っていた。  表彰者の一人、聖市在住の松村ヒサエさん(101、宮崎)に長生きの秘訣について聞くと「毎日民謡を歌っています。30年前くらいに民謡大会で優 勝して日本に行ったことがあります」とはっきりとした口調で答えた。加えて「まあ、歌はもちろん、息子や孫らのお陰ですよ」と語り、参加した親類らの笑い を誘っていた。  同じく表彰を受けた小橋タマヱさん(101、岡山)は15歳でブラジルに渡り、ポ語より日本語が得意。「今でもサンパウロ 新聞を読むのが日課」だという。また「日本が恋しくないですか」と問うと、「ブラジルのほうが暖かくて住みやすいし帰りたいとは思わない」と答え、食べ物 については「100年たてば日本料理でもブラジルの料理でもどっちでもよくなる」と笑って返事した。  なお日本における同表彰対象者は9月1日現在で2万8169人(厚生労働省発表)。海外在留邦人の同表彰対象者は57人(在聖日本国総領事発表)で、海外在留邦人の半数以上が同館管内での表彰者となった。  管内表彰者33人は次の通り(敬称略)。 【本人出席表彰者】小 橋タマヱ(101、岡山)、松村ヒサエ(101、宮崎)、伊藤古とみ(100、広島)、二神房江(100、愛媛)、佐野常男(100、三重)、金城ツル (100、沖縄)、岡崎絹恵(100、広島)、田鍋義美(100、高知)、青木しな(99、山口)、梶山サチコ(99、山口)、池森敏子(99、広島)、 相原ハル(99、福島)。 【表彰者】佐藤政子(102、青森)、中川トシヱ(101、広島)、壁谷雪枝(100、愛知)、山本文...
ニッケイ新聞 2013年11月8日  サントドミンゴの旧市街はドミニカ唯一のユネスコ世界遺産。1492年にコロンブスが到着、96年に弟のバルトロメが建設した新大陸初のスペイン植民地の町であり、日時計、大聖堂など様々なものに「新大陸初」の冠がつく。 ちなみにコロンブスは、マルコポーロの「東方見聞録」にある黄金の国ジパングを目指しており、当初この島と勘違いしたのだとか。 コロンブスのサントドミンゴに対する思いは強かったようで、遺言どおり遺体は大聖堂に安置された。現在は1992年の新大陸発見500年で建設されたコロンブス記念灯台で眠っているというが、ジパングから来た一行の喧騒に、目を白黒させたかもしれない。 そんな思いを馳せながら大聖堂を見学していると、常連の小山徳さん(64、長野)がガイドに「この石を接着しているのは鯨の油?」と極めてマニアックな質問。「…知りませんよ」と返されていたのがちょっと面白かった。 教会、劇場、タバコ倉庫などを経て、大統領や歴代総督、国民的英雄が眠る霊廟となったパンテオンへ。参加者が持っていたガイドブックによれば、ラフな格好だと入り口で注意されると書いてある。ちょっと身を引き締めて入ると、日本人が珍しいのか、いきなり学生たちに囲まれ、記念撮影、サイン会に誘なわれそうになったので、そそくさと退散する。国家建設に命を捧げた英霊たちに敬意を表し、衛兵が規律正しくブーツの音高らかに銃の交代式を行なっている。それを尻目に通りに出ようとすると、さきほどの学生たちに記念撮影を頼まれた入り口の儀丈兵が女子学生の腰にしっかり手を回している。記者が上官だったら往復ビンタの上、懲罰房送りである。 オサマ川を左手に見ながら、カリブ海に至るとすぐ右手に『ドミニカ共和国 ドミニカ国策日本人農業移住記念碑』が、かつて移民が降り立った港の前にある。今年1月に落成式が行なわれ、若林健太外務大臣政務官、JICA理事、ドミニカ政府関係者も出席した。 〃国策〃と入っているのは、碑の建設委員長で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長の強い要求だったことを本人から聞いた。しかし、外務省HPのリリースなどには、その文字はない。不思議なものである。 一行はいざ中華街へ。内藤さんによれば、2008年にできた世界8番目、中南米3番目の規模だという。とはいえ東西南北2ブロックほどの大きさだ。到着前、すでに注文しているという店で、やたらに待たされる。到着日夜、ブッフェ組と和食組に分かれたのだが、先に注文しておくので―と空港で注文を取ったにも関わらず、天麩羅ソバが出るのに1時間ほど待たされたとか。 ヤレヤレ。飲む気はなかったのだが手持ち無沙汰なのでビールを頼む。「プレジデンテ」には低アルコールの「ライト」と普通の「ノーマル」がある。どちらがいいか? とガルソンが聞くので後者を頼んだのに何故か「ライト」が来た。不平を言うと首を傾げ、これしかないという。 記者の感覚でいうとバイーアの田舎の調子だ。コーディネーターやガイドは大変だろう。すると内藤さんが「ドミニカ人はね、メートルは分かるんです。ただ、センチは無理かな」となかなか上手いことをいう。 待ちに待って登場したのは、ヤキソバ、あんかけヤキソバ、ヤキメシ。とんだ「炭水化物祭りinドミニカ」だ。 不思議なことに、かなりの空腹だったにも関わらず、味覚障害になったかというほど味を感じない。塩がないのか、しょうがないのか。店頭で鳥のから揚げを買って食べる。これは旨い。内藤さんが一句。「ドミニカは/明けても暮れても/ポージョ(鶏肉)です」 ■  市内観光の中途、日本語学校(上原邑子校長)にも立ち寄った。JICA青年ボランティアの小出知子さん(38、香川)が説明してくれる。JICAが把握している国内70人ほどの日本語学習者に対し、6人の青年ボランティアが派遣されているというのでみなで驚く。首都、ハラバコア、コンスタンサ、ダハボン、ヴィセンテ・ノブレ、ラ・ヴェガの6カ所を巡回、指導にあたる。介護福祉士として小角尚子さん(32、山形)が派遣されているが、近隣に老移民は住んでおらず「これからデイサービスなどを充実させたい」とのこと。   写真=ドミニカ国策日本人農業移住記念碑の前でパチリ この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
ニッケイ新聞 2013年11月9日  公益財団法人・海外日系人協会(田中克之理事長)による「第54回海外日系人大会」が先月29日から3日間、東京都の憲政記念館などで開催された。24カ国・地域から179人が出席し、「多極化時代に生きる日系社会と日本―持続的成長に向けた連携」をテーマに議論をかわした。ブラジルからは園田昭憲(県連会長)、松尾治(文協副会長)、下本八郎(文協高等審議会会長)二宮正人(国外就労者情報援護センター理事長)、矢野敬崇(汎米日系人協会ブラジル支部長)さんらが参加、ブラジルの実情を発信すると共に、日本や他国の関係者らと交流を深めた。  居住国の実情を認識しあい、国際交流や世界の対日理解の促進を図るため、毎年開催されている。JICA四ヶ谷ビルで開かれた代表者会議では、ベネッセコーポレーション社長の森本昌義氏らが「グローバル人材としての日系人の可能性」など様々なテーマでシンポジウムを実施。 午後は「海外日系社会と日本」「在日日系人」「日系ユース」の3分科会にわかれて討議が行なわれ、「日本祭りなど、海外の日系イベントへの地方自治体の積極的な参加を推進する」ことなど8項目が決まった。その中で、日本政府に対して「国籍喪失規定をなくし、重国籍を認め」、「一世の『里帰り事業』を継続」し、「在日日系第二世代の健全な社会進出への道筋をつける支援施策の実施」を求めることが決まった。 留学生や研修生らが参加した日系ユース分科会では、「日本文化をより深く体験し、将来の日本との交流の最前線に立ち、人的ネットワークの先端を担う」ことで意見が一致した。 大会初日は、今年の県連日本祭りに関する特別上映や、ドキュメンタリー映画『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』を手がけたすずきじゅんいち監督や園田県連会長による講演会も開かれた。 同日行なわれた山田啓二会長(全国知事会会長=京都府知事)主催による歓迎交流会には、秋篠宮同妃両殿下も御臨席された。 3日目は第10回海外文芸祭授賞式と、ブラジル人学校「インスチトゥト・エドゥカーレ」(茨城県つくば市)の生徒による「日系人こども発表会」が行われ、今年の決議事項が「大会宣言」として発表された。その後、衆参両議院議長主催による昼食会が開かれた。