コロンビア経由の大型グループ一行63人もサント・ドミンゴ市に到着したが、航空会社のミスにより約10人分の荷物がコロンビアに取り残されたまま、到着していないハプニングが発生。サンパウロから同行した日系ガイドの柳沼セリアさんが、そられの人々の下着などを買いに、早速ショッピングセンターなどに走ることになった。
一行はとりあえず、宿泊先のホテルへと向かうため、専用の大型バス2台に分かれて乗車。空港を出ると、北半球ながらさすがに北緯約19度という熱帯に近い場所であるためか、むわっとした熱気が広がる。
ホテルにチェックインし、カード式の鍵(カードキー)を受け取る。治安上の問題から、同ホテルのエレベーターは各階のボタンの上にある所定の場所にカードキーを当てて客としての認証が行われないと、階上に上がれない仕組みになっている。そのことを知らずに、エレベーター前で一行が混雑しているすきに、ドミニカ人とみられる4人組の女性が無理やりエレベーターに押し入った際、スリ行為により参加者の男性らが約40ドルの被害を受けた。
ドミニカ共和国到着後の間も無いハプニング続きに、一行もどっと疲れが出ていたようだ。
そうした中でホテル内では、前述の南沢法子さん(70、福岡)と現地法人・ドミニカ日系人協会傘下の日本語学校校長である上原邑子(くにこ)さん(70)が10年ぶりの再会を果たして喜び合っていた。上原さんはアグアネグラ移住地時代の幼なじみだった。
夕食はホテルで取ることになったが、現地側が気を利かせて日本食とホテル食の2通りを選択できた。せっかくドミニカまで来たのでホテル食を選んだ記者たちのテーブルには、ブラジル在住のドミニカ出身者が集まった。
「頑張るかごんま―移り来て100周年」(10月19日付)でも掲載された大村順子さん(63、鹿児島、旧姓村田)は、51年ぶりに同地を訪れたという。
1956年に第2次入植者として当時6歳で、首都サント・ドミンゴ市から北西に約140キロ、標高約1300メートルのコンスタンサ移住地に入植 した大村さん。7年間同地に居住した後、ブラジルに再移住。サンパウロ(聖)州ジャカレイのジャミック移住地に入った後、現在は聖市リベルダーデ区で日本 食レストラン「千代(せんだい)」のママとして活動していることは有名だ。
食事をしていると、大村さんのいとこで現在サント・ドミンゴ市に住む広光ツヤコさん(61、鹿児島)とその夫の正照さん(73、高知)夫妻が訪れ、大村さんと約20年ぶりの再会となった。
正照さんは56年7月、ダハボンの第1次入植者。大村さんとはコンスタンサ移住地時代の知り合いだ。正照さんの父親は元々、高知県に「米蔵が二つもある」農家だったが、戦後の農地改革で土地を接収され、家族でドミニカ移住に応募した。
15歳でドミニカに来た正照さんはダハボンで米作りの手伝いなどをしたが、土地が悪く水が不自由のため「ドミニカ社会に入って野菜の販売をしたり、鹿児島 県の家族が置いていった漁具を買って漁師もやったり、バナナ園の支配人もやった」という。JICAの農業研修でブラジルにも行った経験もあり、ドミニカの 日系企業で2年働いた後、スペイン系の電線工場の工場長として39年勤め、現在はサント・ドミンゴ市やハラバコア市に土地を所有してバナナやレモンの栽培 のほか、肉牛の飼育も約15年前から行っている。
「今は少しは楽になったけれど、最初の10年は何をしていいか分からない状態 だったね」と正照さん。ドミニカ国内で現在、約1300人の日系人が在住する中、「日系人の80%は大学を卒業しているし、今の2世、3世には1世たちが 築いてきたノウハウがある」と時代の移り変わりを説明する。
ドミニカでも農業者は少なくなり、医者や技術者になる人材が少なくないという。(つづく、松本浩治記者)
2013年11月9日付
