2日目の10月18日、朝から快晴。一行は午前9時に2台の大型バスに分かれてホテルを出発し、サント・ドミンゴ市内を観光した。 1号車に現地ガイドとして同乗してくれたのは、前日にも内藤さんとともに空港まで出迎えてくれた安岡誠夫さん(53、2世)。父親は第1次ダハボン入植者で、安岡さんは同地で生まれた。 同市内にあるドミニカ国家警察本部、中央銀行などを通り、一行は大統領府前で早速下車。各自記念写真などを撮る。 大統領府前の小広場で2号車に乗車していたサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市在住の八巻達夫さん(64、福島)が、安岡さんにドミニカ移民の消息を聞いていた。 八巻さんは1957年、当時6歳の時に第2次入植者としてダハボンに家族と入植。「ダハボンはハイチとの国境近くで、父(八巻茂さん、89年に89歳で死去)は米作りをやっていましたが、(ラファエル・トルヒーヨ)大統領が(61年に)暗殺されてから治安が悪くなり、ブラジルのほうがいいと63年にブラジルに渡りました」と説明してくれた。 八巻さんは今回、母親の八巻タツさん(87、福島)と2人で参加。「自分は本当はあまり来たくなかったんだけど、ママイ(母親)がぜひ来たいというので」と本音を語る。 50年ぶりにドミニカを訪れたというタツさんは「(ダハボンで)水田を作るのに夜に交代で水を入れたりしてね。来たころは嫌気が差して日本に帰ろうかと大分迷いました。大統領が殺されてから女性がいると襲われる恐れもあると言われてブラジルに行きましたが、今回の(ふるさと巡り)旅行でドミニカに行くと知って来てみたいと思いました」と参加動機を話してくれた。 現地ガイドの安岡さんの説明によると、ドミニカ共和国の総面積は約4万8000平方メートル。人口は約1000万人で、そのうちの400万人が北米などに出稼ぎに出ているという。 サント・ドミンゴ市は1496年、コロンブスの弟であるバルトロメ・コロンによって建設されたとし、市内のサンタ・マリア大聖堂や要塞などは1990年ごろに世界遺産に登録されたそうだ。 一行はサンタ・マリア大聖堂をはじめ、要塞施設やスペイン広場などを見て回る。社会見学の授業なのか地元の小学生たちが数多く、日本人及び日系人の団体を珍しがって無邪気に声を掛けてくる。 午前11時まで同地で観光を行った一行は、オサマ川沿いでドミニカ日本移民たちが最初に上陸した場所に建てられている「ドミニカ共和国 国策ドミニカ日本人農業移住記念碑」へと立ち寄る。 同記念碑は今年1月に日本政府の援助で建立されたとし、4人の家族の像がブラジル・サントス港の「移民上陸記念碑」をほうふつとさせる。 記念碑の左横には移住者の氏名が刻まれた記念プレートもあった。 一行は昼食のため、市内の中華街へと向かった。(つづく、松本浩治記者) 国策移住記念碑前で記念撮影する一行 2013年11月12日付
Dia: 14 de novembro de 2013
積極的人材交流で日伯をつなぐ ブラジル愛媛県人会(西村定栄会長)は、10日午前10時よりサンパウロ市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で創立60周年記念式典を開催した。母県から中村時広知事(53)や井上善一愛媛県海外協会会長(68)ら35人の慶祝団が出席し、節目の年を祝福した。また式典の前日にはイビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑の参拝、献花が行われ、西村会長と慶祝団一行は先人たちに静かな祈りを捧げた。 9日午前8時、開拓先亡者慰霊碑前では中村知事と竹田祥一愛媛県議会議長(78)の献花後、1分間の黙とうが捧げられた。慶祝団一行は県連の本橋幹久副会長と木原好規理事の移民の歴史についての説明に耳を傾け、一人ずつ慰霊碑前で手を合わせた。 父親と伯父が移民として来伯し、当日いとこを含め20人以上の在伯親族と夕食を共にした中村知事は「ブラジルには深い縁がある。3度目の来伯だが、また戻ってきたという感覚」と話し、初来伯の竹田議長は「歴史を自分の目で確かめに来られてよかった」と語った。 ◎ ◎ 10日午前10時過ぎ、350人の来場者を集め60周年式典が幕を開けた。県人先亡者への黙とう、伯日国歌斉唱に続いて西村会長は「愛媛を愛する先人たちが発足した県人会を、会員同士のきずなと関係各位の支援、指導により守ってこられた」とあいさつした。 祝辞は、最初に慶祝団を代表して中村知事、竹田議長、井上会長が述べた。 中村知事は前日に訪問したという移民史料館で「長い歴史の足跡と並大抵でない1世の苦労を感じた」と同県人会を発足させた先人たちにも敬意を示し、母県の特産物や観光名所も紹介。「愛媛県の発展ぶりをぜひ実感しに帰ってきてほしい」と来場者に呼び掛けた。 続いて福嶌教輝在聖日本国総領事、本橋県連副会長、今治市にルーツのある羽藤ジョージ聖州議員、安部順二連邦下院議員がブラジル側の来賓を代表して祝辞を述べた。 式典では、功労者や高齢者の表彰、県人会と母県・海外協会の記念品の交換、安部議員から西村会長への感謝状授与、井上会長から県人会への祝い金贈呈、母県から日系コロニア三団体への功労金贈呈などが行われた。 その中で母県からは、船で移民として来伯した先人に思いを込めたという、四国中央市の伝統工芸水引細工で作られた船が贈られた。 その後県費留学生代表あいさつと記念ケーキカット、万歳三唱が行われ、2時間半の式典は幕を閉じた。 来賓による祝辞の中などで、同県人会が高い評価を受けていたのは県費留学生や技術研修などの人的交流だ。県連の本橋副会長は「県連の中でも数少ない」と評し、福嶌総領事も「日本に素晴らしい日系社会の存在を知らせる機会になる」と話した。 来場者の梅宮真美さん(21、3世)はその一人。「すべてが楽しい思い出だが、特にそば打ちが印象的」と貴重な経験ができたことを語った。 また中村会長は県人会が母県に果たす役割について「人的交流や経済交流で県人会が間に入ってくれると安心感が生まれる」と語ったが、現地民間企業もまた県人会に期待するところは大きい。 式典内でも紹介を受けたブラジル初の愛媛の企業ミウラボイラー・ド・ブラジルの渡邊力社長(46)は「人と人とのつながりや口コミがビジネスの発展に重要なブラジルにおいて、県人会を通して広がる人間関係がある」と話した。 式典終了後には記念午餐会が開かれ、サンバチーム「アギア・デ・オウロ」が中村知事以下慶祝団一行を巻き込んで盛り上げると、今度は慶祝団が「松山名物野 球拳」で会場を一つに。「ジャパニーズ・サンバ」に会場は笑いに包まれた。最後は知事自らもマイクを持ちカラオケ大会が行われ、午後4時にすべてのプログ ラムが終了した。 午餐会で、愛媛県議員の福田つよし氏に「おせったい」という言葉を聞いた。愛媛県も含む四国地方のお遍路文化でサービスを無償でする精神を指すという。 この日の式典は、来場者を楽しませる県人会と母県の「おせったい」の精神がよく体現されていた。...
県連主催の2013年ふるさと巡り忘年会ツアーが11月29日から12月1日までの3日間、ミナス・ジェライス州カシャンブ市を訪問して行われる。 同市は「泉の町」として知られ、ツアーではカシャンブ市及びサンロレンソ市のミネラルウォーターパークなどを訪れる。 料金は1人670レアル。 詳細についての問い合わせ、申し込みはグローバル・ツーリズモ(電話11・3572・8990)まで。 2013年11月13日付
サンパウロ新聞社が新潟日報社(本社・新潟市、高橋道映社長)と結ぶ国際交流拠点としての協力協定が3年目を迎えたのを機に、23、24両日、サンパウロ市アクリマソン区の新潟県人会館(Rua Pandia Calogeras, 153)で「新潟日報フェアinサンパウロ」(主催=新潟日報社、後援=新潟県人会、サンパウロ新聞社)が開かれる。 会場では、1974年の田中角栄首相のブラジル訪問や、82年の上越新幹線開通時にブラジル新潟県人会一行が一番列車に乗車した様子などを伝える新潟日報紙面などを約40枚のパネルにして展示する。 また、インターネットで同社の記事データベースに接続し、27年以降の新潟日報の朝夕刊紙面を検索し印刷するサービスも実施。現在ブラジルで活躍する新潟県人が、誕生日や日本を出発した日などの記念日に、故郷でどんなニュースが報じられていたかなどを知ることができる。 このほか、23日午後1時半より、新潟日報社の渡辺隆・取締役編集局長が「新潟県の今、そしてこれから」と題して講演する。 また、昭和の新潟の様子を撮影したフィルム映像の上映も併せて行われる。上映する映像は次の通り。 ◆昭和30年代の「日報ニュース」(新潟地震直後の映像など)。 ◆新潟大学地域アーカイブセンター収集の映像(昭和20~30年代の魚沼地方の小正月行事の記録など)。 23日は午前11時開場で午後5時まで。24日は午前10時開場で午後4時まで。入場無料。 2013年11月13日付
在ブラジル日本国大使館に今年9月に赴任した中前隆博公使(53、広島)が7、8両日、赴任後初めてサンパウロを訪問し、日系各団体へのあいさつとイビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑への参拝を行った。 7日午後6時半ごろ、佐野浩明在サンパウロ総領事館首席領事の案内で来社した中前公使は、ブラジル就任は今回が初めてだが、1998~2001年にアルゼンチンに駐在した経験があり、出張ベースで来伯したことがあるという。 今後の日伯関係について「政治問題がベースとなるが、ブラジルの経済も拡大しており、100年以上にわたる歴史を持つ日本移民という資産がある。三輪(昭)大使の口癖は『大きな柱は人的交流』で、日本がブラジルに向いていることは明らか」と言明。また、ブラジルなど南米諸国の多くが日本式の地上デジタル放送を導入していることを例に挙げ、「商売の面だけでなく、互いの能力を一緒になって世界に貢献できることは貴重なこと。日本が中南米の改革に取り組むことへの可能性はまだあり、(日伯両国の)互いの経済のアップダウンはあるが、極東と南米の反対側の国が手を組めたことで今後も『攻めの仕事』ができる」と意気込みを示した。 さらに、日伯間のノービザ協定の実現については「各方面での調整や省庁間での責任問題があり、どう調整されるかは今後の動きによる」と言明を避けたものの、「個人的な気持ちとしては(協定実現に)強いものがある」と述べた。 そのほか、今年10月から4年半ぶりに再入国が認められるようになった「日系人帰国支援事業」への日本政府の対応については、「これまでの日系人の実績を踏まえ、良い意味で人的交流が広がれば」と話した。 2013年11月13日付
48年間で通算146人が受賞 第43回山本喜誉司賞受賞の授賞式が、8日午後7時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で行われ、新宅義美氏(76、2世)、松原宗文氏(75、2世)、岡島博氏(72、群馬)、堀田ワルテル幸夫氏(50、2世)の4人に記念プレートと記念品が手渡された。初代文協会長で農学博士だった故山本喜誉司氏の名前を冠した同賞は1965年、ブラジル農業技術研究会(ABETA)によって創設され、48年となる今年で通算146人が受賞した。 授賞式には来賓として、福嶌教輝在サンパウロ総領事、深野昭国際交流基金サンパウロ日本文化センター所長、遠藤浩昭JICAブラジル事務所次長、菊地義治援協会長、本橋幹久県連副会長、山本喜誉司氏の孫に当たる山本ルイス氏が出席したほか、受賞者の家族や友人、関係者など約150人が出席した。 日伯両国歌斉唱、協力者紹介の後、山添源二同賞選考委員長があいさつ。同賞がブラジル農業分野で最も古く、受賞者の大部分が日系である中、一部研究者など非日系も対象になってきたことを説明。「日系の多様化と食生活の変化の中で農業の技術革新が行われてきたが、今回はパラー州、バイア州、マット・グロッソ州、サンパウロ州とブラジルの東西南北から受賞者が出たことは、日系人がいかに広いブラジルで活躍しているかが分かる」と述べ、4氏の功績を褒めたたえた。 山下譲二文協副会長の式辞に続き、今回初めて受賞者の功績がビデオ上映で紹介され、一人ずつ記念プレートと記念品が本人と夫人に手渡された。 福嶌総領事は4人の受賞者への祝辞を述べ、同賞を支えてきた文協及び選考委員会への感謝の意を表し、「ブラジルは世界の農業大国として掛け替えのない国。日系社会の汗と涙でその地位を勝ち取ってきたが、その中でも特に農業分野で活躍する人々には心から敬意を表したい」と激励した。 パラー州カスタニャール市で絶滅危惧種に指定されているブラジル・マホガニーの植林やカカオ栽培に取り組む岡島氏は「北伯日本人移住者として精一杯生きて きましたが、思いもかけぬ栄誉をいただきました。この栄誉を一生の宝とし、最後の命の炎が消えるまで最善を尽くします。尊敬する南伯農業組合の理事長だっ た中澤源一郎氏の教えを基に今後とも生きていきます」と謝辞を述べ、思いを新たにしていた。 バイア州バレイラス市で大型機械農業を実践 し、綿、大豆、トウモロコシの栽培面積が9万3000ヘクタールに及ぶという堀田氏はポ語で謝辞を述べ、「この賞を受けたことをまずは父親に報告したい」 とし、「この国(ブラジル)の農業を良くすることで世界の農業が少しずつ良くなれば」と、さらなる躍進を進めていく考えを示した。 マッ ト・グロッソ州北部開発に貢献した松原氏は、ブラジルの農地開発が1970年代に当時の田中角栄首相がブラジルとのナショナル・プロジェクトとして実践し た「セラード開発」が大きな影響を与えたことに言及。同賞受賞については既に他界している父親から「よくやったと思ってくれているのでは」と語り笑顔を見 せた。 聖州マリリア市で養鶏技術を駆使し、高品質の卵を生産している新宅氏は、農業生産以外にマリリア文協会長として90年代にJICA...
五十嵐、具志堅、平田3氏が受章 平成25年度在外公館長表彰伝達・祝賀式が、7日午後3時からサンパウロ(聖)市モルンビー区の在聖総領事公邸で開催され、同総領事館管内で今年度受章した五十嵐司氏、具志堅茂信氏、平田藤義氏を祝福するため日系5団体各代表や受章者の家族、友人らが訪れた。 3氏は日伯間の相互理解及び友好親善に寄与し、その功績が顕著であることが認められ、福嶌教輝総領事から表彰状が手渡された。福嶌総領事による受章者の紹介に続いて、3氏がそれぞれ感謝のあいさつを述べ、五十嵐氏は「まだまだ、育ち学ばせてもらった故郷へ恩返ししていきたい」と抱負を語った。 その後、呉屋新城春美文協副会長が乾杯の音頭を取って祝賀会が開かれ、出席者らは歓談の一時を楽しんだ。 本紙の取材に対し具志堅氏は「日系社会は繁栄していると思いきや、一方で困っている人が多いのも事実。実は2、3年でやめるつもりだったが彼らを助けたい一心で定年まで30年近く頑張ることができた。これからも援協を通じて社会貢献していきたい」。平田氏は「ブラジル経済の天国から地獄を体験した私の経験を基に、次世代のブラジル進出を応援したい」とそれぞれ意気込んだ。 受章者の経歴は次の通り。 ◆五十嵐司(いがらし・つかさ)氏(88、東京、ブラジル日系熟年クラブ連合会会長)。ブラジル日系老人クラブ連合会の会長として日系高齢者の生きがいと生活の質の向上に尽力。同会創立35周年記念歌及び新会章の制定を行い、2012年にはブラジル日系熟年クラブに名称変更。また、東京農業大学サンパウロ校友会支部長として同大とサンパウロ大学農学部の学術提携をとりまとめたほか、文協図書館副委員長やブラジル日本移民100周年表彰委員を歴任した。 ◆具志堅茂信(ぐしけん・しげのぶ)氏(72、沖縄、サンパウロ日伯援護協会理事)。1982年から援協に入り要職を歴任。事務局長として援協社会福祉センター建設、自閉症療育学校事業を推進。援協50周年式典の責任者として同式典を成功に導いた。 ◆平田藤義(ひらた・ふじよし)氏(68、鹿児島、ブラジル日本商工会議所事務局長)。2002年からブラジル日本商工会議所事務局長を現職。進出日本企業のビジネス支援に尽力し、日伯経済関係の強化に努める。民間団体としてはブラジル国内初となる品質管理協会を創設したほか、「現代ブラジル辞典」や同会議所70周年記念誌編纂に携わるなど日伯経済関係全般に貢献した。 2013年11月12日付
サンパウロ(聖)市内での交通事故が原因で10月2日に亡くなり、宮崎県人会会長やブラジル日本語センター前理事長などを歴任した谷広海さんの四十九日法要が、10日午後4時から聖市シャカラ・イングレーザ区の西本願寺で執り行われ、谷さんの家族をはじめ、友人・知人ら約250人が参列した。 この日のために在りし日の谷さんの大型遺影(40×50センチ)を提供した「FATOS BJ」編集長でカメラマンの望月二郎さんによると、谷夫人の涼子さんら家族は同写真を大いに気に入った様子だったとし、「まるでそばに居るようで、毎日写真に向かってあいさつしたい」と話し、大切に持ち帰ったという。 法要では、長男の彬さんが遺族を代表してあいさつし、出席者への感謝を示していた。 2013年11月12日付
ニッケイ新聞 2013年11月12日 福島県人会(永山八郎会長)が、本年度の『短期研修生』の募集を行っている。申し込み締め切り25日。東日本大震災以降中断していたが、3年ぶりにようやく再開した。 2014年1月末から約2週間、同県でホームステイをしながら、県民との交流や県内の歴史文化施設の視察研修を行なう。 対象となるのは、同県人会の会員もしくは会員の子弟で、同県に親族がいる18歳~40歳の人。定員10人(ブラジルからは5人を予定)。日本語力は問わない。渡航費、日本国内旅行費、宿泊費は県庁が負担する。 曽我部威事務局長は、「急きょ再開が決まったので、12月1日には選考を行なう。希望者は早めにご連絡を」と呼びかけている。 申し込み、問い合わせは同県人会(11・3208・8499)
ニッケイ新聞 2013年11月12日 土産物屋が並ぶメルカド・モデーロに立ち寄り買い物を楽しむ。琥珀が有名なようだ。しかし、英語で話しかけてくる売り子がうるさい。左右前後からの攻撃をかわすのに疲れ、外の立ち飲みでカフェを飲んでいると、目の前にツアーに参加している女性が通ったので「カフェどうですか?」と言ったら見事に無視された。売り子に間違えられたのかも知れない。 「1962年の集団帰国時、このあたりに民宿があって、みんなで見送りに来たんですよ」と内藤さん。残る人と去る人。涙の別れが繰り広げられたのだろうか―。 周りはメレンゲの軽快なリズムが流れていたが、記者の頭のなかでは、かつて女性らが自嘲を込めて浦島太郎の節で歌ったという歌が流れていた。 むかしむかし母ちゃんは/ぶらじる丸に乗せられて/ドミニカ移住をしてきたら/難儀、苦労が待っていた オヤジ殿が移住など/考え付いたばっかりに/若き時代は夢の間に/今は白髪のお婆さん 「祖国は、自国民を騙し、苦しめ、捨てるのか」―。ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長(75、鹿児島)の堂に入った語りに参加者らは真剣な表情で耳を傾けた。夜にあった中華料理での歓迎夕食会。 帰国もせず、南米諸国への再移住もしなかったのは47家族。土地配分を巡る日本政府との交渉を続けるなかで、98年新たな土地の提供が決まったが、農耕に適さない粘土質の土地で、現地住人との問題もあった。 これを受け、2000年、現地に留まった移住者らを中心にした126人が日本政府を提訴、賠償額は31億円までになった。 06年、東京地裁は国の責任を認めたが、「損害賠償は20年が時効」とし棄却。原告らは即提訴したが、小泉純一郎首相(当時)は謝罪の談話を発表、原告170人を含む移住者1300人に特別一時金を支払うことで〃和解〃している。 嶽釜会長は「この涙金で問題解決はない。当初の目的を達成すべく我々はやっていく」と語り、慰霊碑に関しても「両国間には、移住協定がなかった。我々は〃難民〃だった。移住協定を結ぶよう日本政府に要請してきたが、『国策』を入れるよう要求した」などと話した。 植松聡領事(東京、59)はあいさつで「隣で肩身の狭い思いで聞いた」と苦笑いをしながら「大使館と日系社会の関係は改善している。解決しなければいけない問題があり融和を進めようと努力している」という。 嶽釜会長に〃問題〃とは何かと聞くと「最初に約束した300タレアの土地提供です。約束した土地を下さいということ。一時金で和解したのも原告の高齢化と裁判費用を鑑みてのこと。今後も日本政府に対して追及していきます」と口をへの字に結んだ。97年に結成した「移住問題解決推進委員会」の8人のうち、すでに5人が鬼籍に入ったという。 ■ 当初、ふるさと巡り一行は、ブラジル駐在が長く最後にはクリチーバ総領事も務めた佐藤宗一大使の招待で、公邸での歓迎会が予定されていた。しかし直前に中止となり大使は「諸般の事情」で訪日。予算問題とも裁判を巡って二分するコロニアとの関係とも言われたが、現地関係者も奥歯に物が詰まった様子。「一度招待したのに…」と訝る本橋団長に、同席していた現地日系人は「ブラジルでは知りませんが大使館っていうのはこちらではそうです。平気で約束を破るんですよ。もう慣れてますが」(堀江剛史記者) 写真=歓迎会。嶽釜会長のスピーチに身を縮こませる植松領事(左) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
