2日目の夜は今回初めての公式行事となる、現地の日本人及び日系人との夕食懇談会が開かれた。
サント・ドミンゴ市内の中華レストランが会場となり、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹(たけがま・とおる)会長(75、鹿児島)、日本ドミニカ友の会の西尾孝志会長(71、広島)、日本に一時帰国中の佐藤宗一在ドミニカ日本国大使館特命全権大使の代理として植松聡領事夫妻、JICAドミニカ支所長代理の鈴木央(ひさし)事務所員をはじめ、サント・ドミンゴ市に在住する日本人及び日系人約20人が出席。ふるさと巡り一行76人と合わせて約100人が一堂に会した。
在サンパウロ総領事館首席領事や在クリチバ総領事などを歴任し、約20年間ブラジルで勤務して親しまれた佐藤大使は当初、ブラジルからの一行がドミニカを訪問するに際し、大使公邸での懇親会を予定していたという。しかし、日本に一時帰国することになり、この日の懇親会には出席できなかったが、「うまく時間が都合できれば、(後日の)慰霊碑参拝には佐藤大使が出席できるかもしれない」との話だった。
同地日系団体及び大使館代表者などのあいさつの後、本橋幹久団長がふるさと巡りと日本祭りなど県連の活動を説明。本橋団長から嶽釜会長に県連日本祭りのDVDや報告書などが記念品として贈呈された。
「日本とドミニカには移住協定がなく、我々は国(日本政府)から捨てられた棄民だった」―。あいさつの中で、とうとうと熱弁を振るったのは会員数約135家族を指揮するドミニカ日系人協会会長で、1956年7月にドミニカ移民第1陣としてダハボンに18歳で入植した嶽釜氏だった。
「ドミニカに残った我々移住者は、日本の国策の失敗が誰の責任だったのかどうしても納得できなかった」と同会長は2000年に日本政府を相手取っ て起こした裁判について説明。当時の小泉純一郎首相の和解案に「日に日に寄せる移住者の高齢化の波に苦渋の選択の末に和解案を受けた」としながらも、「ま だ移住問題が解決したわけではない」と語気を強めた。
提訴する前の1998年ごろに嶽釜会長は日本の外務省を訪問し、日本人移住 地で石が多くて耕作どころではなかったネイバの石と、土地から噴き出すドベルヘの塩を持参して「入植して40年以上たってもこういう状況だ」と訴えたとい う。「『祖国は自国民をだまして苦しめ、殺すんですか』と聞いた。簡単に言えば詐欺だったんですよ」と嶽釜会長たちの怒りは今も収まっていない。
97年には嶽釜会長をはじめ、ドミニカ側で「移住問題解決促進委員会」が8人で発足し、裁判への足掛かりとなった。委員会のメンバーで残っているのは現在 5人のみ。嶽釜会長は「我々1世が死んだら(日本政府と交渉する)後継者はいなくなる。その前に土地問題を解決しないとと焦っている」と現状を吐露する。
そうした中、国策問題の一環として日本政府に交渉して造らせたのが、今年1月に建立された「ドミニカ共和国国策ドミニカ日本人農業移住記念碑」だという。 「本当は昨年の7月29日の(同地の)『移民の日』までに建立したかったのですが、今年1月17日に落成式を行いました。今年8月25日には、記念碑横に 移民の家族の名前を刻んだ記念プレートも造ってもらいました」と嶽釜会長。しかし、裁判を起こした移民たちが本当に求めているのはあくまでも、「耕作でき る自分たちの土地だ」と強調する。(つづく、松本浩治記者)
2013年11月15日付
