06/03/2026

Dia: 23 de novembro de 2013

ハラバコアの日本庭園で一行を出迎えてくれたのは、日高武昭さん(70、鹿児島)。2000年に日本政府を相手取って裁判を起こした原告側の一人で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長とともに1997年に立ち上げた「移住問題解決促進委員会」のメンバーでもある。 日高さんの説明によると、現在の庭園は1958年1月24日に日本移民13家族が入った場所で、当時は移民たちの家があったという。 「ハラバコアに当初日本移民が入植したのは13家族だったのですが、他の移住地はほとんど耕作不能で『ハラバコアは良い所』と聞き付けた移民たちが殺到し、多い時で87家族が入植したのですが土地が無くて大変でした」と当時のことを説明する。 庭園は2006年、ドミニカ日本人移住50周年を記念して建立。朱色に塗られた約4メートルの小さな太鼓橋が架かる人口池の中に、13家族の家長の名前が刻まれた石碑が建っていた。 一行はバスですぐ近くの「ハラバコア友好会館」に移動。会館前で同地の日本人たちが歓迎してくれ、一人一人と握手を交わす。 「懐かしいですね。面影ありますよ。何歳で入植したんですか」などと日高さんから質問されていたのは、サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区在住でハラバコアに6歳から11歳まで居たという野副(のぞえ)美夜子さん(63、北海道、旧姓・富樫)。日高夫人のミヨコさん(67)や、幼なじみでミヨコさんの妹の浜田京子さん(64)たちと51年ぶりの再会を喜んでいた。 「あの辺りに私の家があったのですが、今はもうあのころの家はないですね」と会館から山手方面を感慨深げに見渡していた野副さんは、同地を離れてブラジルに再移住し、聖州ブラガンサ・パウリスタやバルゼン・グランデなどを転々としたとし、「日本人子弟の寄宿舎の賄いなどをしましたが、ブラジルに行った当初は人間扱いされなかったですね」と振り返った。 会館内では日高さんが改めてあいさつし、「これだけたくさんのお客さんは珍しいです。私も70歳になりましたが、皆さんお元気ですね。ブラジルは広大な土地で思う存分農業ができたので、皆さんは長生きなんですね」と話したが、それはドミニカで十分な耕地が取得できなかった日本政府への反感の思いも込められていたように聞こえた。 ふるさと巡りの本橋幹久団長は「ドミニカ移民の皆さんもさまざまな問題があり苦労されてきたでしょうが、今では立派に定住されておられます。同じ移民として、中米と南米の距離の違いはありますが、今後の交流をお願いします」と述べ、県連日本祭りのDVDなどを寄贈した。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月20日付