本橋幹久団長が、脇輝亀会長、佐藤康樹副会長に県連のDVDなどを手渡した後、脇会長の音頭で乾杯が行われ、一行は同地婦人たちが前日から準備したという手作り料理を含めた昼食を呼ばれる。
その間、会館の壁に張られていたドミニカに渡る前に神戸市で撮影した当時の写真を熱心に見つめていたのは、1956年当時4歳で入植し、9歳までコンスタンサ移住地で暮らした経験を持つサンパウロ市在住の山上桃代さん(60、鹿児島)。「小さいころは大きなユーカリの木が並んでいたのを覚えているのですが、今は少し風景が変わったみたい」と51年ぶりに訪問したコンスタンサの印象を話した。
取材が一段落して、昼食を取りに一行の列に並ぶと、玉子焼き、赤飯やおにぎりなどの手作り料理が机いっぱいに並べられた部屋では婦人たちがユーカリの小枝を手にハエを追い払ってくれていたのには頭が下がった。この時期は季節の変わり目で、今年は特にハエが多いという。
昼食を食べ終え、地元の人たちが用意してくれたドミニカ産のビール「プレジデンテ」を飲みながら一息付いていると、コンスタンサ市役所で環境教育を行っているというJICA派遣青年海外協力隊の横竹歩(よこたけ・あゆみ)さん(27、広島)を紹介された。
元々は広島市の高校で英語の非常勤講師をしていたという横竹さんは、同市役所に派遣されてまだ約3カ月。同市のコミュニティーや小学校などを対象に、新聞紙のリサイクルや生ごみからコンポスト(堆肥)を作る指導などを行っているという。
午後2時20分、一行は恒例の「ふるさと」を合唱後、会館前で全員で記念撮影を行った。その後、会館から約200~300メートルのところに入植当時の家屋が残っているとして、一行は会館前の土道を全員でてくてく歩いていった。
既にドミニカ人が住んでいる入植当時の家屋は壁も屋根もスレートの波板で覆われており、奥行きが長くどことなくトレーラー・ハウスのように見える。
「私、まさにこの家に住んでいたんですよ」と懐かしそうに話すのは前出の大村順子さん(63、鹿児島)だ。土道を右折し奥まった場所にある家屋は同じくスレートの波板に白いペンキが塗られ、現在は誰も住んでいないのか、扉は閉め切られてあった。
「7年間、ここに住みましたが、当時から電気は入っていましたね」
51年ぶりに同地を訪問した大村さんだが、8年前に84歳で亡くなった父親の村田哲(とおる)さんたち両親はブラジルに再移住してからも「ここが第2の古里」として過去に2回訪問していたという。
一行はコンスタンサ移住地の人々に別れを告げ、午後3時に移住地を出発。再び急斜面を上り下りし、サント・ドミンゴ市内へと向かった。(つづく、松本浩治記者)
2013年11月27日付
