06/03/2026

Ano: 2013

ニッケイ新聞 2013年7月23日  日本祭りには、ブラジル進出をねらう企業も数社参加し、自社製品のアピールをした。  福島県喜多方市からは、福島県人会の呼びかけに応じて「大和川酒造店」の佐藤彌右衛門社長および「いがらし製麺」の五十嵐隆代表取締役が参加。同県人会の食のブースで麺の宣伝や地酒3種の試飲会を行うと共に、祭り後に営業活動も行った。  曽我部威事務局長によれば、「麺は、貿易商を回った時にいい反応があった。乾麺はまだ中国産しか入っていないから、輸入の可能性は十分にある」。地酒も、イタイン・ビビやモエマ区の日本食店で紹介して手ごたえを感じたと言う。「飲み屋や日本食店によさをわかってもらえるよう、今後も働きかけを続けていく」と意気込みを見せた。  健康食品会社「エムアンドエム」(秋田県秋田市)の佐々木正光社長は、自社の生酒純米原酒「おさげっこ」やいぶりたくあん漬け、稲庭うどんなど提携企業の商品に、京都市東山区の「井筒八ツ橋本舗」の八ツ橋を空輸で持ち込み出品した。日本酒(1本7~80レ)が良好な売れ行きを見せ、20本全て売り切れた。  同社長は昨年11月来伯した際、「日本のうまいものを紹介したい」と、各県の名産品を集めた「日本列島食べ歩き」ブースを設置するとの企画を秋田県人会と共に立ち上げた。帰国後すぐに全都道府県と5百社に呼びかけを行ったが、時期的に遅かったことが大きな要因となり、商品を提供したのは「井筒八ツ橋本舗」一社のみだった。  同社長は初めて日本祭りに参加し、「すでにうまいものは沢山あると分かった。日本から持ってきて売れるのか」との疑問も抱いたという。  しかし「日本の消費は冷え込んでいるから、売り場を拡大するしかない。その足がかりになれば」と、来年の実現に向けて帰国後すぐに呼びかけを行い、年内には参加企業を取りまとめたい考えだ。すでに、5~6社の企業が来年の参加を希望している。  本紙でも何度か紹介した大津スポーツ社(滋賀県大津市)も、インソール(靴の中敷)を展示販売。宇川浩司取締役は「ブラジルの市場は大きそうだ。今後は地方にも手を広げていきたい」と明るい展望を語った。代理店の申込みも、引き続き受付けている。  新潟県人会とサンパウロ新聞共催による「新潟物産展」には、亀田製菓の菓子類やヱスビー食品のカレールーなど、すでに当地に輸入済みの同県産商品が並んだ。 「八海山」「菊水」など地酒は移民や駐在員らを中心に上々の売れ行きを見せ、「一本150レの高級八海山も10本程売れた」と鈴木雅夫社長。中でも、「ブラジル製の砥石だと焼入れした包丁が駄目になる」と、百個以上入荷していた末広社の砥石は全て完売した。   コラム【大耳小耳】  日本祭りで「日本列島食べ歩き」を企画したエムアンドエムの佐々木正光社長。今回は時間的な制約もあり出品数は少なかったが、間に合うよう空輸で運んだため高くついたようだ。本来県連が率先しても良いくらいの企画だが、空輸賃は同社長持ち、ブース代の請求書まで来たと聞いてびっくり。請求書は取り消されたものの、佐々木社長に丸投げなのはいかがなものか。ビジネスではあるが、こうした協力の後押しを主催団体がしてもいいはず。来年の成功を祈るばかり。
ニッケイ新聞 2013年7月23日  「先ほどIML(法医学研究所)から遺体確認をするようにと連絡がきました。まさかと思ったんですが…」。知的障害者施設「希望の家福祉協会」の大野孔三副理事長は22日午後4時半、声を落として編集部に電話をしてきた。  同日朝9時半、大野副理事長は上村惠ジャイロ理事長、事務局の上利クリスチーナ、担当者の奥原ヴァレリアさんと共に来社し、「行方不明になった園生を、全力挙げて探しています。皆さんも何か情報があればお知らせください」と呼びかけていたからだ。  希望の家では毎年、音楽療法を受ける園生が社会適応の一環として、県連日本祭りの中央舞台で楽器演奏を披露している。今年も職員10人に付き添われた園生29人は、20日午後3時の舞台を無事終えた後、客席で食事を楽しんでいた。奥原さんは「トイレに行く時も必ず職員が付き添った」という。  午後4時に帰るために点呼をして集団になって会場外のバスまで移動し、再点呼した時に吉野さんがいないことに気付いた。すぐに舞台前に戻ったがおらず、職員が手分けして1時間ほど会場内を探したが見つからないので、会場内の警察に失踪届けを出し、本格的に捜索を開始した。  この園生・吉野タカコさんはポンペイア出身の63歳、会話はポ語中心で所持金なし。身体傷害はないが会話に困難があった。  会場から無料バスが出ているジャバクアラまで職員が歩いて探し、付近のメトロ駅なども調べ、日系病院や近隣の病院にも連絡した。ジャバクアラ駅からバスが出ているジアデマ駅まで探しに行った。その晩は会場で夜中2時まで探し、翌朝から会場裏の森を環境警察に探してもらった。会場付近で顔写真付きの捜索ビラを撒き、同施設では24時間体制で電話情報を受付けていた。  22日午後に電話してきた大野さんは、「ジアデマ市エルドラド区で土曜晩に遺体で発見されIMLに運び込まれたそうです。我々が配布した捜索のチラシを入手して連絡してきた。シャツや靴下に名前が書いてあって、それが確認されている。本当に残念な結果になってしまった…」と声を震わせた。
 沖縄県人会及び沖縄文化センター(田場ジョルジ会長)主催の「第26回郷土祭り・ミス琉装」(島袋栄喜実行委員長)が、28日午前10時からサンパウロ州ジアデマ市の沖縄文化センター(Av. 7 de Setembro, 1670)で開催される。 当日は、午前10時に「郷土祭り」が開かれ、午後1時半から「ミス琉装」コンテストが行われる。  詳細は沖縄県人会(電話11・3106・8823)まで。 2013年7月26日付
佐藤、五十嵐両氏は福島物産PR  第16回日本祭りで、来場者の多くが目当てにしていた「郷土食コーナー」。ブラジル福島県人会(永山八郎会長)では、今年も母県福島の名物「喜多方ラーメン」を全面に打ち出す姿勢で臨んだ。  曽我部威事務局長によると、用意していた1400杯は完売。既に、同事務局には「また来年も販売してほしい」といった声が電話で寄せられているという。 また同ブースでは、東日本大震災の風評被害払拭を目的に来伯した「大和川酒造店」代表社員の佐藤彌右衛門(やうえもん)氏と「五十嵐製麺」代表取締役の五十嵐隆氏が、当日は店頭に立ってPRをした。  佐藤氏は、日本から携えた日本酒4銘柄の試飲を来場者に促したほか、五十嵐氏も自社製品の乾麺や生麺の展示を行った。同ブースを訪れた来場者に、こうした風評被害払拭に向けた取り組みについて尋ねると「実際に体験してみないと分からないところもあるので、こうした場を設けるのはとても良いことだと思う」といった声が聞こえた。  なお、両氏はサンパウロ滞在中に輸入代理店や小売店などを回り、海外展開に向けて、ブラジルにおける日本食の現状と動行も調査した。五十嵐氏はその手応 えについて「訪れたお客さんからは、展示品を指差して『販売はしてないんですか』という言葉を多く掛けられた。製品を輸入する形などを検討しながら、前向 きに考えたい」と話した。  一方、佐藤氏は「ブラジルへの輸入に当たって、お酒の品質保持に懸念があったが、ブラジルにもお酒の知識と売 り込む情熱を持っている人を見つけた。本物の日本酒の味を少しずつでも広めていければ」と話した。また、日本全国の酒造店を束ねる日本地酒協同組合の代表 理事でもある佐藤氏は「日本へ帰っても、日本酒に興味を持っている業者に対して、日本全国の酒蔵の窓口として積極的に活動していきたい」と述べ、今後もブ ラジルとのつながりを保っていく意向を示した。 2013年7月25日付
 今年で35回目となる岐阜県農業高校生海外実習派遣団(箕浦誠団長)一行12人が来伯し、今月19日から8月1日までの2週間、サンパウロ(聖)州内の日系農家での農業実習や市場見学、ミナス・ジェライス州で日系農家の視察などを行う。22日、山田彦次岐阜県人会長の案内により本紙を訪れた。  派遣団は滞在期間中、主に農業実習先で各農家と一緒に農作業を行い、聖州コロニア・ピニャールとピラール・ド・スールの日系農家が受け入れる。そのほか、同県人会員との懇談会も予定されている。  生徒代表の岐阜農林高校動物科学学科2年の大井樹里さん(16)は畜産関係に興味があり、「日本は質の高い畜産を生産しているが、ブラジルはとにかく大規模で質より量のイメージがある。確めたい」と意気込んでいた。 実家が漬物製造会社の飛騨高山高校2年の若宮弘治さん(17)は「大規模な経営や技術を学び、価値観を壊したい。わくわくする」と、はっきりとした口調で実習期間中の目標を答えた。  引率の箕浦団長によると過去の派遣団員は現在、岐阜県の農業の中核となって活躍している人が多く、「今後も事業を継承するために成果を残したい」と思いを語った。 なお、派遣団はブラジルのほか、スイスとオランダで集約農業を見学し、8月8日に帰国の途に就く。 2013年7月25日付
 サンパウロ絵手紙友の会(石井恵子会長)は、サンパウロ市のイミグランテス展示場で19~21日に開催された日本祭りで絵手紙の作品展示を行ったほか、絵手紙体験コーナーを設け、3日間で約500人の来場者が絵手紙を楽しんだ。  来場者たちは15分ほどかけて果物や花をモデルに筆で線を描き、彩色した後には自分のサインと好きな言葉を入れて持ち帰った。石井会長によると、「愛」と書き入れる人が最も多かったという。  日系人、ブラジル人ともに子どもからお年寄りまで幅広い年代の人が訪れ、同会の会員らが日本語とポルトガル語で指導にあたった。「特に子どもたちは、鋭い感性で指導員顔負けの良い作品を描いていた」と石井会長は振り返った。  人の多さに誘われて来場し、今回初めて絵手紙を体験したという細川みどりさん(34、2世)は「思っていたより簡単。(描いた線が)少しおかしくなったけど、楽しかった」と笑顔で取材に応えた。 2013年7月25日付
心配された天候にも恵まれ  第16回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り、主催=ブラジル日本都道府県人会連合会)が19~21日、サンパウロ市のイミグランテス展示場で開催され、主催者発表によると約18万人が来場した。期間中は天候に恵まれ、来場者は各催しを楽しんだ。今年は同祭テーマに「地球に優しい技術と進歩」を掲げ、屋内会場一角の日本企業・団体を集約した「日本パビリオン」では、日本関連のさまざまな機械、サービス、食品などが紹介されていた。また53の各県人会・団体が出店した郷土食ブースは今年も大繁盛で、3日間を通じて来場者は日本の技術、食、文化を五感で感じていた。  20日正午からメーンステージで行われた開会式には、日系議員、日本政府関係者、各スポンサー代表や日系団体代表ら28人が壇上に上がり、開会を祝った。県連の園田昭憲会長は「皆さんの協力があって今年も無事開催することができました。心配された天気も問題ありません。サンペドロのお陰でしょう」とあいさつし、式典最後は来賓らが「たる酒」を割って同祭の成功を祈願した。  式典後早速、歌手のマルシアさんが公演を行い、凱旋(がいせん)公演を一目見ようと立ち見客も合わせて推定3000人の人で溢れた。自身最大のヒット曲「ふりむけば横浜」や「時のいたずら」など計6曲を披露。圧巻の歌声と切れのある踊り、ポ語の語りに観客はステージに食い入り、歌い終えるたびに割れんばかりの拍手が起きた。 また「ただいま」と観客に向かって手を振り、自身の生い立ちや歌の最中に涙ぐむ姿も見られた。最後は鳥取県人会コーラス部と一緒にNHK東日本大震災復興テーマソング「花は咲く」を歌い、「また会えますように」と観客に言い残しステージを去った。  同ステージ上では連日、主に若者を対象とした日本人出演者が会場を盛り上げ、日本からフリースタイルフットボール選手の徳田耕太郎さんと、日系ブラジル人ケイ・エドワルドさんによる技の競演や邦楽グループ「和力」の舞台が披露。ツバサさん、井上祐見さんらも出演した。  20日午後9時から開催された「ミス日系コンテスト」は、伯国各地から選ばれた22人の日系美女が全伯一の美をドレスや水着姿で競い、審査員に よって美しさ、調和、カリスマ性、教養、親近感の部門で審査された。その結果、マット・グロッソ州のナガタ・ユミ・パトリシアさん(22)が今年のミス日 系の栄冠に輝いた。  一方、53の県人会と団体が出店した郷土食は例年通りの大盛況。特に20、21日両日の昼時は人気のブースに長蛇の列ができ、混雑する時間帯が続いた。主催者側の情報によると、今年は特に大きな問題はなく各県人会・団体はスムーズに運営できたという。  屋内会場ではトヨタ、ホンダ、ヤマハが大きくブースを設け、一角の「日本パビリオンでは」日本の観光庁やJICA、国際交流基金など政府のブースも目立っ た。また県連が設けた「東日本大震災復興写真展」のブースでは、写真や映像を用いて被災地の様子が説明され、来場者は神妙な面持ちで眺めていた。  そのほか、SANJO(サンジョアキン日系農協)やAPPC(パウリスタ柿生産者協会)といった日系果樹組合が販売する生産物を買い求める人や、会場数カ 所で用意された畳に寝転がる人。健康コーナーでマッサージを受けてリラックスする人や、折り紙や書道体験を通じて日本文化を知る人など来場者は思い思いの 時間を過ごしていた。  同祭を終え園田会長は「表の華やかさとは異なり、期間中は水も飲めないほど多忙だった。昨年と同じく、駐車場やステージ進行の遅れなど細かい問題はあったが、来場したほとんどの人が喜んでくれたと思う」と総括した。   コラム【モザイク】...
 ブラジル日本戦後移民60周年祭に全国都道府県知事代表として出席した泉田裕彦新潟県知事の歓迎会が、ブラジル新潟県人会(浅妻エレナ秀子会長)の主催により19日午後7時半からサンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパレスホテルで開催され、県人会員ら約80人が出席した。  歓迎会では泉田県知事があいさつ。「こうして温かく迎えていただいたことをありがたく思います。ブラジルと日本の懸け橋となっている皆様が築いてこられた歴史や功績は、新潟でも必ず伝えていきたい」と話し、移住者を中心にブラジルから日本へ行われた震災復興支援にも感謝の意を示した。  歓迎会の中では、県人会に貢献のあった功労者と80歳を迎えた高齢者の表彰も行われ、功労者の3人に賞状が、高齢者の2人に賞状と金杯がそれぞれ泉田知事から手渡されたほか、同県人会には新潟県特産の「鎚起銅器(ついきどうき)」が贈呈された。 また出席者の手元には、知事らが持参した新潟県を代表する銘酒「越乃寒梅」が注がれ、山内淳氏の音頭で祝杯が挙げられた。  乾杯後、会場では終始和やかな雰囲気で知事と県人会員らによる懇談が行われた。歓迎会で司会を務めた南雲良治副会長は、「参院選の最中、移民60周年祭に全国の都道府県知事の中で出席してくださったのは、泉田知事ただ一人」と述べ、「お忙しい中、わざわざブラジルまで来てくれた知事をこうして無事にお迎えすることができて良かった」と安堵(あんど)した表情を見せた。 2013年7月24日付
8カ国40人の学生が参加  「地球に優しい技術と進歩」と題された今年の日本祭り。サンパウロ総合大学理工学部主催の「IDC国際親善ロボットコンテスト」が、19日午後2時から企業ブースの一角で開催され、今年で24回目を迎える同大会にはブラジルのほか、日本、シンガポール、モロッコ、フランスなど8カ国から理工系の学生約40人が参加した。  同大会では1チーム5人の国籍混成チームが編成され、学生たちは英語などで意思疎通を図りながら、それぞれのチームが特徴のある3台のロボットを製作して大会に臨んだ。  日本から学生を引率した東京工業大学の山北昌毅准教授によると、同コンテストの特色は次の2点にあるという。第1点は、この手のロボットコンテストにありがちな各大学や各国対抗の競技ではないこと。2点目は、コンテスト開催の2週間前に学生たちが顔合わせをするまで、グループの振り分けはおろか、競技方式、材料の一切が学生たちには知らされないこと。  山北准教授はこの2点について、「異なる文化や教育を受けてきた学生たちが協力し合うことで刺激的なものなる」「全くの公平が図られ、学生一人一人のポテンシャル(潜在能力)が試される」と、同コンテストの趣旨を語った。  今大会の競技方式は3台のロボットを活用し、球や筒を所定の箱に入れ、得点を競うというもの。学生たちは試合寸前までロボットの調整を続け、時には相手チームのロボットを邪魔しながら白熱した試合を繰り広げた。 会場には約80人が詰め掛け、特設されたスタンドから声援を送った。とりわけ、客席で目立ったのは子供たちの姿だった。子供たちは、ロボットの一挙一動を興奮した面持ちで見つめ、大きな歓声を上げていた。  準決勝では優勝候補筆頭のチームがマシントラブルで敗れるという波乱も起きた今大会。午後6時から始まった決勝戦では、レッドチームが接戦の末に勝利し、 栄冠に輝いた。山北准教授はレッドチームの優勝について「アイデア、ロボット操縦の練度ともに申し分なかった」と一言。  メンバーの一人で東京電機大学3年生の芹澤卓哉さん(21)は本紙の取材に対し、「英語があまりうまくないのでコミュニケーションには苦労したが、自分にとってとても良い経験になった。優勝してうれしい」と話し、満面の笑みを見せた。 2013年7月24日付
 サンパウロ絵手紙友の会(石井恵子会長)と熟年クラブ連合会(五十嵐司会長)は、30日午前9時から同11時までサンパウロ市パライゾ区の石川県人会館(Rua Tom疽 Carvalhal, 84)で合同絵手紙教室を開催する。終了後には昼食会が予定されており、主催者側では参加者に1品ずつ料理の持ち寄りを希望している。  同教室でワークショップを行うため、日本絵手紙協会の公認講師である峯譽(みね・たかし)(72、大阪)、寺前ヒサエ(69、大阪)両氏が18日に2度目の来伯を果たした。筆や顔彩、はがきなどの必要材料は両氏の厚意で日本から取り寄せたものが寄付された。そのため参加者は各自で道具を用意する必要がなく、気軽に絵手紙を始めることができる。  峯氏は「絵手紙は、上手に描けなくても気持ちが伝わり、味が出るもの」と説明し、「たくさんの方に絵手紙の良さを味わってほしい」と参加を呼び掛けた。 入場無料。問い合わせは石井会長(電話11・3289・3405)まで。 2013年7月24日付
 19~21日まで開催されたフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)屋内会場で今年初めて、サンパウロ新聞社と新潟県人会の主催により「新潟物産展」のブースが設けられ、同県に関連した製品や商品の展示・販売が行われた。  同ブース協賛は輸入元のZENDAI、国分をはじめ、亀田製菓、八海醸造、S&B食品各株式会社で、後援に新潟県と新潟日報が加わっての出店となった。 販売されたのは協賛の和菓子や、同県三条市で生産された包丁や砥石(とぎいし)、カレーのルウや日本酒などで日系、非日系を問わず3日間を通して多くの来場者が見物し、購入していた。  19日午後には泉田裕彦新潟県知事も同ブースの視察に訪れた。泉田知事に同県のトップセールスについて聞くと「米、お酒、水、せんべいなど新潟の自然を生かしたおいしい製品がたくさんあります。この機会にぜひ、ブラジルの人に新潟の特産を知ってもらえたら」と同県の魅力を語った。 本紙から同ブースの販売員として参加した人の情報によると特に砥石が日系人に人気で、当初予定していた販売個数を大きく上回り、ブラジルで認知されつつある亀田製菓の「ぽたぽた焼き」や「柿の種」といった和菓子も同様に人気だったという。  サンパウロ州スザノ市から訪れて同ブースで包丁を購入した伊藤信善さん(73、新潟)は「魚をさばくにはブラジル製の包丁じゃだめ。地元新潟の包丁が出品されると聞き、買うのが目的で祭りに来ました」と無事に購入を済ませ、うれしそうに取材に答えた。 また泉田知事は、「今年の販売の様子を参考にして、県として今後は後援ではなく何らかの形で参加できないか検討したい」と語り、来年以降の参加にも前向きな姿勢を示した。 2013年7月24日付
川合会長「ブラジルよ、ありがとう」  第二次世界大戦後、1953年に日本人移住制度が再開されて今年で60周年を迎えることを記念した「戦後移住60周年記念式典(川合昭実行委員長)」が、19日午前10時20分からフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り、主催=ブラジル日本都道府県人会連合会)の会場であるサンパウロ(聖)市イミグランテス展示場内イペー講演会場で開催された。同式典の趣旨は戦後、ブラジルの発展に貢献した日系団体・企業の表彰で、当日は各分野から36代表が聖州議会から表彰を受けた。会場には、ブラジル日系議員、日本政府関係者、日系団体関係者、一般を含めて400人以上が参加し、60年の節目を祝福した。  式典会場壇上には、主催側の川合実行委員長、園田昭憲県連会長をはじめ、聖州政府を代表してオオタ・ケイコ下院議員、羽藤ジョージ聖州議員や日本側から黒柳俊之国際協力機構(JICA)理事、福嶌教輝在聖総領事、泉田裕彦新潟県知事、若生正博宮城県副知事らが並んだ。 式典ではまず、先亡者に対しての黙とうを行い、川合実行委員長が「ブラジルよありがとう。日系人はこのようにブラジルの発展に尽くしました。この二つのテーマを掲げ記念式典を挙行いたします」と、開会を宣言。その後両国国歌が歌われた。  各来賓のあいさつでは、戦後移住者がブラジルの発展に貢献したことをたたえる内容が目立った。その中で東日本大震災被災地を代表して出 席した若生宮城県副知事が復興の状況を説明した上で、「県人会、日系団体、そしてブラジルの国民から支援を得ました。これは長年築き上げた日本人に対する 厚い信頼があってこそ。被災地を代表して心から感謝を申上げます」と参加者に礼を述べた。  また泉田新潟知事はブラジルの航空機メーカー 「エンブラエル」社について、「戦後、多くの日系技術者が開発に携わり、大きく発展を遂げたことを誇りに思う。新潟でもエンブラエル社製の飛行機が就航し ており、深い絆を感じる」と、同県とブラジルとのかかわりを交えてあいさつした。 日系団体・企業の表彰では羽藤、オオタ各議員らが州政府を代表して記念の盾を36各代表一人一人に手渡し、記念撮影と握手が交わされた。  そのほか、歌手の井上祐見さんが戦後移住50周年式典の際にも歌われた「ソウ・ジャポネーザ」を披露。オーケストラ楽団による「ふるさと」「荒城の月」な どが演奏されるなどして式典を盛り上げた。最後は市川利雄県連副会長の音頭で「ビーバ」「バンザイ」と、参加者全員で万歳を行い、2時間余りで式典を終え た。  式典後の取材で「プロジェクト・ジャナウーバ」のカテゴリーで表彰を受けたミナス・ジェライス州の熱帯果樹栽培園 「BRASNICA」代表で現在同市市長の山田勇次さんは、「まさか表彰を受けるとは。これからも日本人の魂を持って恥じない生き方をしたい」と受章を喜 んでいた。 また川合会長は「(式典は)すべてうまくいった。無事に終えることができてほっとしている。60周年はあくまで通過点で、今後も日系人がブラジルの発展に携わっていく」と総括した。   コラム【モザイク】...
ニッケイ新聞 2013年7月20日  ブラジル福島県人会(永山八郎会長)の呼びかけにより、福島県喜多方市の会津喜多方物産協会の元会長、佐藤彌右衛門さん(62、同市)、現副会長の五十嵐隆さん(59、同市)、武藤啓一さんら3人が県連日本祭りに合わせて市場視察と商品紹介のために18日に来伯した。  試飲用に「純米吟醸」「本醸造寒造り」「純米」「純米にごり酒」の4種を携えて来た佐藤さんは、江戸中期の寛政二(1790)年に創業した老舗中の老舗の造り酒屋「合資会社・大和川酒造店」の社長だ。「大手も作っているような地酒じゃなくて、地元の厳選した米しか使っていない〃里酒〃です。ぜひ吟味してほしい」と薦めた。  日本全国の小さな蔵元の高品質で個性的な地酒を海外に紹介販売するために設立されたジザケジャパン(株)の代表取締役会長も務める佐藤さんは、「ジザケの売上げの半分は、台湾、上海、香港、カナダや米国などの海外。次の狙いはブラジルです」と語った。  五十嵐さんも1931(昭和6)年創業の「喜多方の平打ち太麺」で有名な「いがらし製麺」代表取締役だ。2日間かけて自然乾燥した、限りなく生麺に近い味が楽しめる同社自慢の自家製乾燥ラーメン(半年保存可)は、日本なら12食で2100円であり当地に持ってきても商機はありそうだ。30日保存可の喜多方ラーメン(生麺、各種スープ付き、2食)も日本なら420円と手頃な値段。  五十嵐さんは当地にラーメン屋で試食し、「十分に市場があると確信した」という。さらに「東南アジアでは『日本のラーメン』といえば豚骨味だが、ブラジルでは『キタカタ』と言われるように広めたい。店舗の共同経営者などを探している」と頷いた。  JICAシニアボランティアをしていた武藤啓一さんも再来伯し、「これからW杯、リオ五輪、2017年の福島県人来伯百周年と関係緊密化は間違いない。この気運をビジネスに」と意気込んだ。  2月に開催された初の「世界県人会サミット」の折に、曽我部事務局長が同市を訪れて「ぜひブラジルへ」と依頼したところ、今回実現したという。同県人会の下坂匡さんも「ぜひ3回、4回と来てもらって繋がりを深めて欲しい」との期待を語った。3人は21日深夜に帰国する。
ニッケイ新聞 2013年7月20日  日本の絵手紙講師、峯譽さんと寺前ヒサエさんが18日から2週間当地に滞在し、聖市、マナウス、サンミゲル・アルカナジョの3市で絵手紙講習を開く。19日に「サンパウロ絵手紙友の会」の石井恵子会長、山本郁子講師、馬場ヨシ子さんと共に、峯夫妻と寺前夫妻が来社した。  日本で講師らの授業を受けて感激したという石井会長が講習を依頼、3年前に初来伯した。今回は、同会が1月に東京であった展示会に190枚もの作品を出展したことから、イベント主催者で絵手紙の創始者・小池邦夫さんが大喜びし、当地での更なる普及にと二人に再来伯を勧めた。二人とも小池さんの下で講師の資格を取得している。  峯さん(70、和歌山)は50歳の時、「遠方に住む母に手紙を書いて喜ばせたい」との思いで習い始めた。上達のコツは「相手を想って描くこと」。優しい画風が特徴だ。大阪府内で7カ所の教室を主宰する。  寺前さんも、子どもが手を離れて夫が単身赴任をした50歳を機にスタートした。「心の温かさが伝わるのが絵手紙の魅力」という寺前さんは、力強い元気な画風が得意。同じく大阪府内8カ所で教えている。  二人の講習予定は次の通り。▼20、21日=県連日本祭りの絵手紙コーナー▼23日=マナウスの西部アマゾン日伯協会▼27日=聖市ブラジル日本語センター(汎米日本語教師研修会受講者のみ)▼28~29日=サンミゲル・アルカンジョ市の文協婦人会(初日午後2時~)、日語学校(2日目午前9時~)いずれも要申し込み▼30日=石川県人会館(午前9時~)。詳細および28~29日の申込みは石井会長(11・3289・3405/98445・0666)まで。
ニッケイ新聞 2013年7月20日  1953年、日本人移住が再開されてから今年で60年目を迎え、ブラジル日本都道府県人会連合会主催の「第16回日本祭り」が幕開けした19日午前、会場の聖市イミグランテス会場にあるホールで、「ブラジル日本 戦後移住60周年祭」が開かれた。主役の戦後移住者を中心に、日系団体や当地の日本政府関連機関、日系企業などの代表者が500人集まり、節目の式典を祝った。  「ブラジルの素晴らしい発展における二世、三世を含めた日系人の活躍は誰もが認めるところ」。開会挨拶をした川合昭実行委員長は式典の趣旨をこう説明し、「これは通過点。次なる豊穣の時代に、日系人の力を信じて大発展を期待したい」と締めくくった。 当日は、今年からミナス州ジャナウーバ市長に就任した戦後移民にして〃バナナ王〃山田勇次さんの農園や、セラード開発で有名なミナス州サンゴタルド、欧州向け果物生産で有名なバイーア州ジュアゼイロやペルナンブッコ州ペトロリーナを含め、伯国発展に貢献した36の個人や企業、日系団体などに、州議会からの記念プレートが贈られた。 州政府を代表して挨拶した羽藤ジョージ聖州議会副議長(PMDB)は、「日系人であることが幸せ。日本人の誇りを持ってほしい」とたたえた。 式典に出席した宮城県の若生正博副知事は、東日本大震災から2年4カ月経った現在の被災地の状況を伝え、新潟県の泉田裕彦知事は戦後移住者の貢献を強調し、「日本は長いデフレ経済からようやく脱却できる見通し。皆さんのふるさとの発展を誓う」と呼びかけた。国際協力機構(JICA)の黒柳俊之理事も祝辞をのべた。 コロニアでおなじみの歌手井上祐見さんは、「ソウ・ジャポネーザ」「笠戸丸」の2曲を熱唱し、市川利雄県連副会長の挨拶と「ビーバ!バンザイ」の声が会場を盛り上げて終了した。 表彰された団体の一つでアマゾナス州エフィジェニオ・サーレス移住地の養鶏場「グランジャ宮本」を代表し、プレートを受け取った宮本民知男さん(41、二世)は取材に対し、「恥ずかしいですね」と笑い、現在も同養鶏場で活躍する一世、二世の様子を流暢な日本語で説明した。
 東日本大震災の風評被害払拭と将来的なブラジルでの海外展開などを目的に、福島県喜多方市で活動する「大和川酒造店」代表社員の佐藤彌右衛門(やうえもん)氏と「いがらし製めん」代表取締役の五十嵐隆氏が18日から初来伯。19日、福島県人会の曽我部威事務局長と、元JICAシニアボランティアの武藤啓一氏の案内で来社した。  3年前まで会津喜多方物産協会(冠木紳一郎会長)の会長を務めていた佐藤氏は現在、日本地酒協同組合代表理事や(株)ジザケジャパン取締役会長も兼任している。また、五十嵐氏も会津喜多方物産協会副会長を務め、ラーメンの製麺販売を通じて地元産品の振興に尽力している。  今回の来伯で両氏は、19日から開催されている第16回日本祭りを視察するとともに、サンパウロ市リベルダーデ区の東洋街を中心に、ブラジルにおける日本食の現状と動行を自分たちの目で見て回る。 佐藤氏によると、日本地酒協同組合は日本全国で35の酒造店が加盟しており、日本政府が推進する「クール・ジャパン(日本文化を海外に広める政策)」により今後さらに地酒の海外進出が促進され、3年以内に加盟店を100社に増やす計画だという。  「震災で少し落ち込んだものの、地酒の海外輸出は2ケタ(約11%)成長している。輸出先はアメリカ、韓国、台湾が主だが、地酒のヘルシー(健康)さやうまさはワインには負けない。今回のブラジル訪問で代理店も回り、(輸出実現の)形を作ってつなげたい」と佐藤氏は意欲を見せている。  18日に到着してすぐ、東洋街のラーメン店で試食したという五十嵐氏は、「レベル的には『これでいいの?』という感覚を持った」とし、「ブラジルでのパートナーが見つかれば共同経営でやれる可能性もある」とし、将来的な進出を示唆した。 五十嵐氏によると、同社では地元の喜多方ラーメンに限らず日本全国から注文を受けて麺の製造販売を行っている。海外輸出でも特に東南アジアは「すしよりもラーメンの需要が伸びている」状況で、「(サッカー)ワールドカップ、オリンピックや2017年には福島県人会が100周年を迎えることもあり、こういう機会にぜひ、ブラジルにも輸出できれば」と期待感を示した。   コラム【モザイク】  福島県喜多方市の佐藤、五十嵐両氏が今回、ブラジルを初訪問するきっかけを作ったのが、福島県人会の曽我部事務局長。今年2月に福島県で開催された「在外県人会サミット」に参加した後、喜多方市を訪問して両氏らと懇談したことが実を結んだ。一方、19日に両氏と一緒に来伯した武藤啓一氏は元JICAシニアボランティアだったが、2年間の任期を終えて今月1日に帰国。トンボ帰りで今回の両氏の来伯に同行するなど意欲的だ。 ◎  武藤氏はシニアボランティアとしてブラジルに来る前は、喜多方市産業部マーケティング部長として喜多方ラーメンを振興する仕事に従事していた。そのため、佐藤、五十嵐両氏とも以前から関係が深く、「佐藤さんが会津喜多方物産協会の会長をしていたころは、東南アジアへの売り込みによく行かされましたよ」と笑うが、「こんな形でブラジルとの関係が発展していくのは本当にうれしい」と喜ぶ。喜多方市からの今後の進出により、日系社会の日本食文化がより質の高いものになることを願う。 2013年7月20日付
 青森県人会(玉城道子会長)は8月3日、サンパウロ州カンポス・ド・ジョルドン市内観光と、同市にあるさくらホームで開かれる第45回桜まつりに参加する日帰りピクニックを実施する。 当日は午前7時にサンパウロ市リベルダーデ区の青森県人会館前(Rua Dr. Siqueira Campos, 62)を出発し、同市内観光の後、桜まつり会場に約2時間滞在するという。  参加費(大型バス代)は会員65レアル、非会員70レアル(70歳以上の会員は40レアル)。申し込み締め切りは今月26日まで。 問い合わせ、申し込みは同県人会事務局のオリンダさん(電話11・3207・1599)まで。 2013年7月20日付
ニッケイ新聞 2013年7月18日  生々しい体験談と復興の現状が当事者から直接聞ける貴重な機会――ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)が主催する『東北被災者招聘交流事業』により、宮城、福島、岩手の被災3県からそれぞれ、松本康裕(28、名取市)、天野和彦(54、会津若松市)、大和田加代子(52、陸前高田市)の3氏が13日に来伯した。一行は23日午後6時半から宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)で『東北大震災から2年余、伝えておきたいこと』と題した講演を行うほか、19日から開催される『日本祭』内にブースを設け、震災直後から現在までの様子を記録した写真の展示を行う。  「あの時、津波が来るという認識はまったくなかったんですよ。地震の40分ほど後、偶然自宅の庭に出たら、ジェット機のエンジン音より低いゴーッという音が聴こえ、何だろうと遠くを見たら、真っ黒なガレキの塊が押し寄せてくるのが見え、アッ!と気付いた」 町全体が壊滅的被害を受けた宮城県名取市の自宅にいた松本さんは、津波に気付いた瞬間をそう振り返る。急いで祖父母と共に2階に避難し、「あと10秒遅れたら、死んでいた」。 「1階の天井まで浸水した。2階の窓から外を見ると、むき出しになった、土台以外何も残っていない家屋がたくさん見えた」と被災直後に撮った写真を手に切々と話した。町内会の約370世帯のうち、全壊を免れたのはわずか10世帯あまりだったという。 「当時車に乗っていた妹と母も約1キロも津波に流された末、助かった。被害にあった自分だからこそ話せる体験談を皆さんにお伝え出きれば」と意気込む。現在は市内の復興仮設市場に、家族経営の不動産会社の事務所を再開させ、地域復興に向け奮闘中だ。  一方、今も収まらない原発災害に苦しむ福島県からは、会津若松市出身の天野さんが来伯した。震災後、県内最大規模の避難所として2500人の被災者の拠点となった「ビッグパレットふくしま避難所」の県庁運営支援チームの責任者として、被災者支援に携わった。県教育庁では、社会教育主事として15年間の勤務経験を持つ。 翌12年4月からは福島大学内に設置された「うつくしまふくしま未来支援センター」の特任准教授として、仮設住宅、借り上げ住宅、県外避難の支援の仕組み構築や被災者の生活支援に関する調査研究を行っている。「震災から2年経った現在でも立ち入り禁止区域が設けられ、15万人以上が避難生活を送っている。私が見てきた率直な事実を伝えたい」との目標を語った。  津波被害が最も酷かった海岸部の町、岩手県陸前高田市から参加した大和田さんは、「事実上、町一つが丸々なくなった。避難所になるような建物すらも残らなかった」という。本人も家族経営だった製材所の事務所や自宅も失い、大船渡市のみなし仮設のアパートに住む被災者だ。 津波などの被害に心を痛める仮設住宅の居住者からの「手を動かしていれば気が紛れる」との声を受け、被災者による被災支援ボランティア団体「ちーむ麻の葉」を設立し、代表を務める。被災者による手作りのドレスタオル等の製作・販売のルートの確立を果たしたほか、日帰り温泉ツアーの企画などの支援活動を行っている。 「被災地にはまだまだ先の見えない辛い生活をしている人はたくさんいて、奇麗事では済まされないことばかり。そんな中でも、多くの被災者が立ち上がって、こんな風な新たな動きを始めている、活動しているということを皆さんに知って欲しい」と力を込めた。
ニッケイ新聞 2013年7月18日  秋田県人会(川合昭会長)は16日夜、15日に来伯した秋田県人団体「わか杉会」(本部・東京、佐々木千鶴子会長)のメンバー8人の歓迎会を同県人会で開いた。  同団体は、2007年にあった『秋田わか杉国体』の運営を県外から協力するボランティア団体として、首都圏在住の有志秋田県人によって作られた「首都圏わか杉国体支援協議会」のOB・OG親睦会。翌08年に結成された。  同国体に駆けつけた約40人の秋田県人会員を、同協議会が秋田市内での懇談食事会に招待したことを契機に、不定期に連絡を取り合うようになった。川合会長が実行委員長を務める『戦後移住60周年記念式典』に招待したことで来伯が実現した。  午後7時頃から始まった会には、約30人の県人会関係者が参加し、初めてブラジルを訪れた8人を歓迎した。  「とうとうブラジルにやって来ました」と笑顔で挨拶に立った佐々木会長は「お礼を伝えるため、縁をより確かなものにするために来た。秋田県人同士が再び繋がれたことは本当に嬉しい」と感慨深げに話した。  「顔をみた瞬間、佐々木会長から『久しぶり』と声をかけて貰えた。6年も前に一回会っただけなのに、本当に感激」と話したのは、訪日メンバーの田口容子さん(65、二世)。「これをきっかけに、定期的に双方を行き交えるような仲が築ければ」と期待を込めた。  訪問団の団長を務めた吉田尚則さん(72)は「国内外の県人会同士の交流は珍しい。遠くから来てくれ感激した」と話していた。
ニッケイ新聞 2013年7月17日  日本の歌手で、99年の初来伯から精力的に当地で音楽活動を行う井上祐見さんが12日、来伯した。13回目。 到着翌日から聖州グァタパラ植民地の創立51周年祭に飛び入り参加。予定より到着が早まったことでステージが実現、会場を盛り上げた。 16日にサンタカタリーナ州のラモス移住地、19日に『第16回日本祭り』内で開かれる『戦後移住60周年記念式典』、20日に同祭りステージに出演するほか、聖州ソロカバ、ピエダーデ、ピラール・ド・スール、パラナ州クリチバなどで各地の日系イベントに出演する。 「今回は本公演がないので特別なツアータイトルはないが、いつも心にあるのは『あなたに会えて良かった』という言葉。一つ一つのステージでの出会いを大切にしたい」と意気込んだ。 ラモス移住地のツアーまで所属事務所の後輩で、初来伯した近藤真里奈さんも同行した。父が駐在員として滞在していたオランダで生まれ、アメリカで育った17歳。ミュージカル歌手としても活躍し、今年9月からは米・ミシガン州の大学で音楽を学ぶ。 井上さんと同様グァタパラ移住地でステージに立った近藤さんは「日本というものを凄く大切にしていることを肌で感じて、感動した。自分も改めて日本文化を大事にしたいと思った」と初めての伯国日系社会との交流の感想を語った。