06/03/2026

Ano: 2013

 県連主催の2013年ふるさと巡り忘年会ツアーが11月29日から12月1日までの3日間、ミナス・ジェライス州カシャンブ市を訪問して行われる。  同市は「泉の町」として知られ、ツアーではカシャンブ市及びサンロレンソ市のミネラルウォーターパークなどを訪れる。  料金は1人670レアル。  詳細についての問い合わせ、申し込みはグローバル・ツーリズモ(電話11・3572・8990)まで。 2013年11月13日付
 サンパウロ新聞社が新潟日報社(本社・新潟市、高橋道映社長)と結ぶ国際交流拠点としての協力協定が3年目を迎えたのを機に、23、24両日、サンパウロ市アクリマソン区の新潟県人会館(Rua Pandia Calogeras, 153)で「新潟日報フェアinサンパウロ」(主催=新潟日報社、後援=新潟県人会、サンパウロ新聞社)が開かれる。  会場では、1974年の田中角栄首相のブラジル訪問や、82年の上越新幹線開通時にブラジル新潟県人会一行が一番列車に乗車した様子などを伝える新潟日報紙面などを約40枚のパネルにして展示する。  また、インターネットで同社の記事データベースに接続し、27年以降の新潟日報の朝夕刊紙面を検索し印刷するサービスも実施。現在ブラジルで活躍する新潟県人が、誕生日や日本を出発した日などの記念日に、故郷でどんなニュースが報じられていたかなどを知ることができる。  このほか、23日午後1時半より、新潟日報社の渡辺隆・取締役編集局長が「新潟県の今、そしてこれから」と題して講演する。  また、昭和の新潟の様子を撮影したフィルム映像の上映も併せて行われる。上映する映像は次の通り。 ◆昭和30年代の「日報ニュース」(新潟地震直後の映像など)。 ◆新潟大学地域アーカイブセンター収集の映像(昭和20~30年代の魚沼地方の小正月行事の記録など)。  23日は午前11時開場で午後5時まで。24日は午前10時開場で午後4時まで。入場無料。 2013年11月13日付
 在ブラジル日本国大使館に今年9月に赴任した中前隆博公使(53、広島)が7、8両日、赴任後初めてサンパウロを訪問し、日系各団体へのあいさつとイビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑への参拝を行った。  7日午後6時半ごろ、佐野浩明在サンパウロ総領事館首席領事の案内で来社した中前公使は、ブラジル就任は今回が初めてだが、1998~2001年にアルゼンチンに駐在した経験があり、出張ベースで来伯したことがあるという。  今後の日伯関係について「政治問題がベースとなるが、ブラジルの経済も拡大しており、100年以上にわたる歴史を持つ日本移民という資産がある。三輪(昭)大使の口癖は『大きな柱は人的交流』で、日本がブラジルに向いていることは明らか」と言明。また、ブラジルなど南米諸国の多くが日本式の地上デジタル放送を導入していることを例に挙げ、「商売の面だけでなく、互いの能力を一緒になって世界に貢献できることは貴重なこと。日本が中南米の改革に取り組むことへの可能性はまだあり、(日伯両国の)互いの経済のアップダウンはあるが、極東と南米の反対側の国が手を組めたことで今後も『攻めの仕事』ができる」と意気込みを示した。  さらに、日伯間のノービザ協定の実現については「各方面での調整や省庁間での責任問題があり、どう調整されるかは今後の動きによる」と言明を避けたものの、「個人的な気持ちとしては(協定実現に)強いものがある」と述べた。  そのほか、今年10月から4年半ぶりに再入国が認められるようになった「日系人帰国支援事業」への日本政府の対応については、「これまでの日系人の実績を踏まえ、良い意味で人的交流が広がれば」と話した。 2013年11月13日付
48年間で通算146人が受賞  第43回山本喜誉司賞受賞の授賞式が、8日午後7時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で行われ、新宅義美氏(76、2世)、松原宗文氏(75、2世)、岡島博氏(72、群馬)、堀田ワルテル幸夫氏(50、2世)の4人に記念プレートと記念品が手渡された。初代文協会長で農学博士だった故山本喜誉司氏の名前を冠した同賞は1965年、ブラジル農業技術研究会(ABETA)によって創設され、48年となる今年で通算146人が受賞した。  授賞式には来賓として、福嶌教輝在サンパウロ総領事、深野昭国際交流基金サンパウロ日本文化センター所長、遠藤浩昭JICAブラジル事務所次長、菊地義治援協会長、本橋幹久県連副会長、山本喜誉司氏の孫に当たる山本ルイス氏が出席したほか、受賞者の家族や友人、関係者など約150人が出席した。  日伯両国歌斉唱、協力者紹介の後、山添源二同賞選考委員長があいさつ。同賞がブラジル農業分野で最も古く、受賞者の大部分が日系である中、一部研究者など非日系も対象になってきたことを説明。「日系の多様化と食生活の変化の中で農業の技術革新が行われてきたが、今回はパラー州、バイア州、マット・グロッソ州、サンパウロ州とブラジルの東西南北から受賞者が出たことは、日系人がいかに広いブラジルで活躍しているかが分かる」と述べ、4氏の功績を褒めたたえた。  山下譲二文協副会長の式辞に続き、今回初めて受賞者の功績がビデオ上映で紹介され、一人ずつ記念プレートと記念品が本人と夫人に手渡された。  福嶌総領事は4人の受賞者への祝辞を述べ、同賞を支えてきた文協及び選考委員会への感謝の意を表し、「ブラジルは世界の農業大国として掛け替えのない国。日系社会の汗と涙でその地位を勝ち取ってきたが、その中でも特に農業分野で活躍する人々には心から敬意を表したい」と激励した。  パラー州カスタニャール市で絶滅危惧種に指定されているブラジル・マホガニーの植林やカカオ栽培に取り組む岡島氏は「北伯日本人移住者として精一杯生きて きましたが、思いもかけぬ栄誉をいただきました。この栄誉を一生の宝とし、最後の命の炎が消えるまで最善を尽くします。尊敬する南伯農業組合の理事長だっ た中澤源一郎氏の教えを基に今後とも生きていきます」と謝辞を述べ、思いを新たにしていた。  バイア州バレイラス市で大型機械農業を実践 し、綿、大豆、トウモロコシの栽培面積が9万3000ヘクタールに及ぶという堀田氏はポ語で謝辞を述べ、「この賞を受けたことをまずは父親に報告したい」 とし、「この国(ブラジル)の農業を良くすることで世界の農業が少しずつ良くなれば」と、さらなる躍進を進めていく考えを示した。  マッ ト・グロッソ州北部開発に貢献した松原氏は、ブラジルの農地開発が1970年代に当時の田中角栄首相がブラジルとのナショナル・プロジェクトとして実践し た「セラード開発」が大きな影響を与えたことに言及。同賞受賞については既に他界している父親から「よくやったと思ってくれているのでは」と語り笑顔を見 せた。  聖州マリリア市で養鶏技術を駆使し、高品質の卵を生産している新宅氏は、農業生産以外にマリリア文協会長として90年代にJICA...
五十嵐、具志堅、平田3氏が受章  平成25年度在外公館長表彰伝達・祝賀式が、7日午後3時からサンパウロ(聖)市モルンビー区の在聖総領事公邸で開催され、同総領事館管内で今年度受章した五十嵐司氏、具志堅茂信氏、平田藤義氏を祝福するため日系5団体各代表や受章者の家族、友人らが訪れた。  3氏は日伯間の相互理解及び友好親善に寄与し、その功績が顕著であることが認められ、福嶌教輝総領事から表彰状が手渡された。福嶌総領事による受章者の紹介に続いて、3氏がそれぞれ感謝のあいさつを述べ、五十嵐氏は「まだまだ、育ち学ばせてもらった故郷へ恩返ししていきたい」と抱負を語った。  その後、呉屋新城春美文協副会長が乾杯の音頭を取って祝賀会が開かれ、出席者らは歓談の一時を楽しんだ。  本紙の取材に対し具志堅氏は「日系社会は繁栄していると思いきや、一方で困っている人が多いのも事実。実は2、3年でやめるつもりだったが彼らを助けたい一心で定年まで30年近く頑張ることができた。これからも援協を通じて社会貢献していきたい」。平田氏は「ブラジル経済の天国から地獄を体験した私の経験を基に、次世代のブラジル進出を応援したい」とそれぞれ意気込んだ。 受章者の経歴は次の通り。 ◆五十嵐司(いがらし・つかさ)氏(88、東京、ブラジル日系熟年クラブ連合会会長)。ブラジル日系老人クラブ連合会の会長として日系高齢者の生きがいと生活の質の向上に尽力。同会創立35周年記念歌及び新会章の制定を行い、2012年にはブラジル日系熟年クラブに名称変更。また、東京農業大学サンパウロ校友会支部長として同大とサンパウロ大学農学部の学術提携をとりまとめたほか、文協図書館副委員長やブラジル日本移民100周年表彰委員を歴任した。 ◆具志堅茂信(ぐしけん・しげのぶ)氏(72、沖縄、サンパウロ日伯援護協会理事)。1982年から援協に入り要職を歴任。事務局長として援協社会福祉センター建設、自閉症療育学校事業を推進。援協50周年式典の責任者として同式典を成功に導いた。 ◆平田藤義(ひらた・ふじよし)氏(68、鹿児島、ブラジル日本商工会議所事務局長)。2002年からブラジル日本商工会議所事務局長を現職。進出日本企業のビジネス支援に尽力し、日伯経済関係の強化に努める。民間団体としてはブラジル国内初となる品質管理協会を創設したほか、「現代ブラジル辞典」や同会議所70周年記念誌編纂に携わるなど日伯経済関係全般に貢献した。 2013年11月12日付
 サンパウロ(聖)市内での交通事故が原因で10月2日に亡くなり、宮崎県人会会長やブラジル日本語センター前理事長などを歴任した谷広海さんの四十九日法要が、10日午後4時から聖市シャカラ・イングレーザ区の西本願寺で執り行われ、谷さんの家族をはじめ、友人・知人ら約250人が参列した。  この日のために在りし日の谷さんの大型遺影(40×50センチ)を提供した「FATOS BJ」編集長でカメラマンの望月二郎さんによると、谷夫人の涼子さんら家族は同写真を大いに気に入った様子だったとし、「まるでそばに居るようで、毎日写真に向かってあいさつしたい」と話し、大切に持ち帰ったという。  法要では、長男の彬さんが遺族を代表してあいさつし、出席者への感謝を示していた。 2013年11月12日付
ニッケイ新聞 2013年11月12日  福島県人会(永山八郎会長)が、本年度の『短期研修生』の募集を行っている。申し込み締め切り25日。東日本大震災以降中断していたが、3年ぶりにようやく再開した。  2014年1月末から約2週間、同県でホームステイをしながら、県民との交流や県内の歴史文化施設の視察研修を行なう。  対象となるのは、同県人会の会員もしくは会員の子弟で、同県に親族がいる18歳~40歳の人。定員10人(ブラジルからは5人を予定)。日本語力は問わない。渡航費、日本国内旅行費、宿泊費は県庁が負担する。  曽我部威事務局長は、「急きょ再開が決まったので、12月1日には選考を行なう。希望者は早めにご連絡を」と呼びかけている。  申し込み、問い合わせは同県人会(11・3208・8499)
ニッケイ新聞 2013年11月12日  土産物屋が並ぶメルカド・モデーロに立ち寄り買い物を楽しむ。琥珀が有名なようだ。しかし、英語で話しかけてくる売り子がうるさい。左右前後からの攻撃をかわすのに疲れ、外の立ち飲みでカフェを飲んでいると、目の前にツアーに参加している女性が通ったので「カフェどうですか?」と言ったら見事に無視された。売り子に間違えられたのかも知れない。 「1962年の集団帰国時、このあたりに民宿があって、みんなで見送りに来たんですよ」と内藤さん。残る人と去る人。涙の別れが繰り広げられたのだろうか―。 周りはメレンゲの軽快なリズムが流れていたが、記者の頭のなかでは、かつて女性らが自嘲を込めて浦島太郎の節で歌ったという歌が流れていた。  むかしむかし母ちゃんは/ぶらじる丸に乗せられて/ドミニカ移住をしてきたら/難儀、苦労が待っていた オヤジ殿が移住など/考え付いたばっかりに/若き時代は夢の間に/今は白髪のお婆さん  「祖国は、自国民を騙し、苦しめ、捨てるのか」―。ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長(75、鹿児島)の堂に入った語りに参加者らは真剣な表情で耳を傾けた。夜にあった中華料理での歓迎夕食会。 帰国もせず、南米諸国への再移住もしなかったのは47家族。土地配分を巡る日本政府との交渉を続けるなかで、98年新たな土地の提供が決まったが、農耕に適さない粘土質の土地で、現地住人との問題もあった。 これを受け、2000年、現地に留まった移住者らを中心にした126人が日本政府を提訴、賠償額は31億円までになった。 06年、東京地裁は国の責任を認めたが、「損害賠償は20年が時効」とし棄却。原告らは即提訴したが、小泉純一郎首相(当時)は謝罪の談話を発表、原告170人を含む移住者1300人に特別一時金を支払うことで〃和解〃している。 嶽釜会長は「この涙金で問題解決はない。当初の目的を達成すべく我々はやっていく」と語り、慰霊碑に関しても「両国間には、移住協定がなかった。我々は〃難民〃だった。移住協定を結ぶよう日本政府に要請してきたが、『国策』を入れるよう要求した」などと話した。 植松聡領事(東京、59)はあいさつで「隣で肩身の狭い思いで聞いた」と苦笑いをしながら「大使館と日系社会の関係は改善している。解決しなければいけない問題があり融和を進めようと努力している」という。 嶽釜会長に〃問題〃とは何かと聞くと「最初に約束した300タレアの土地提供です。約束した土地を下さいということ。一時金で和解したのも原告の高齢化と裁判費用を鑑みてのこと。今後も日本政府に対して追及していきます」と口をへの字に結んだ。97年に結成した「移住問題解決推進委員会」の8人のうち、すでに5人が鬼籍に入ったという。 ■  当初、ふるさと巡り一行は、ブラジル駐在が長く最後にはクリチーバ総領事も務めた佐藤宗一大使の招待で、公邸での歓迎会が予定されていた。しかし直前に中止となり大使は「諸般の事情」で訪日。予算問題とも裁判を巡って二分するコロニアとの関係とも言われたが、現地関係者も奥歯に物が詰まった様子。「一度招待したのに…」と訝る本橋団長に、同席していた現地日系人は「ブラジルでは知りませんが大使館っていうのはこちらではそうです。平気で約束を破るんですよ。もう慣れてますが」(堀江剛史記者)   写真=歓迎会。嶽釜会長のスピーチに身を縮こませる植松領事(左) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html  
 コロンビア経由の大型グループ一行63人もサント・ドミンゴ市に到着したが、航空会社のミスにより約10人分の荷物がコロンビアに取り残されたまま、到着していないハプニングが発生。サンパウロから同行した日系ガイドの柳沼セリアさんが、そられの人々の下着などを買いに、早速ショッピングセンターなどに走ることになった。  一行はとりあえず、宿泊先のホテルへと向かうため、専用の大型バス2台に分かれて乗車。空港を出ると、北半球ながらさすがに北緯約19度という熱帯に近い場所であるためか、むわっとした熱気が広がる。  ホテルにチェックインし、カード式の鍵(カードキー)を受け取る。治安上の問題から、同ホテルのエレベーターは各階のボタンの上にある所定の場所にカードキーを当てて客としての認証が行われないと、階上に上がれない仕組みになっている。そのことを知らずに、エレベーター前で一行が混雑しているすきに、ドミニカ人とみられる4人組の女性が無理やりエレベーターに押し入った際、スリ行為により参加者の男性らが約40ドルの被害を受けた。  ドミニカ共和国到着後の間も無いハプニング続きに、一行もどっと疲れが出ていたようだ。  そうした中でホテル内では、前述の南沢法子さん(70、福岡)と現地法人・ドミニカ日系人協会傘下の日本語学校校長である上原邑子(くにこ)さん(70)が10年ぶりの再会を果たして喜び合っていた。上原さんはアグアネグラ移住地時代の幼なじみだった。  夕食はホテルで取ることになったが、現地側が気を利かせて日本食とホテル食の2通りを選択できた。せっかくドミニカまで来たのでホテル食を選んだ記者たちのテーブルには、ブラジル在住のドミニカ出身者が集まった。  「頑張るかごんま―移り来て100周年」(10月19日付)でも掲載された大村順子さん(63、鹿児島、旧姓村田)は、51年ぶりに同地を訪れたという。  1956年に第2次入植者として当時6歳で、首都サント・ドミンゴ市から北西に約140キロ、標高約1300メートルのコンスタンサ移住地に入植 した大村さん。7年間同地に居住した後、ブラジルに再移住。サンパウロ(聖)州ジャカレイのジャミック移住地に入った後、現在は聖市リベルダーデ区で日本 食レストラン「千代(せんだい)」のママとして活動していることは有名だ。  食事をしていると、大村さんのいとこで現在サント・ドミンゴ市に住む広光ツヤコさん(61、鹿児島)とその夫の正照さん(73、高知)夫妻が訪れ、大村さんと約20年ぶりの再会となった。  正照さんは56年7月、ダハボンの第1次入植者。大村さんとはコンスタンサ移住地時代の知り合いだ。正照さんの父親は元々、高知県に「米蔵が二つもある」農家だったが、戦後の農地改革で土地を接収され、家族でドミニカ移住に応募した。  15歳でドミニカに来た正照さんはダハボンで米作りの手伝いなどをしたが、土地が悪く水が不自由のため「ドミニカ社会に入って野菜の販売をしたり、鹿児島 県の家族が置いていった漁具を買って漁師もやったり、バナナ園の支配人もやった」という。JICAの農業研修でブラジルにも行った経験もあり、ドミニカの 日系企業で2年働いた後、スペイン系の電線工場の工場長として39年勤め、現在はサント・ドミンゴ市やハラバコア市に土地を所有してバナナやレモンの栽培 のほか、肉牛の飼育も約15年前から行っている。  「今は少しは楽になったけれど、最初の10年は何をしていいか分からない状態...
コロニアの宝に感謝と敬意  平成25(2013)年度100歳以上高齢者表彰式が、5日午後3時からサンパウロ(聖)市モルンビー区の在サンパウロ総領事館公邸で行われた。今年度の同館管内表彰対象者(1914年3月31日までに出生)は33人で、会場には当事者12人と代理5人が出席し、安倍晋三内閣総理大臣からの祝状と記念品を福嶌教輝総領事が出席者に手渡した。  来賓に呉屋新城春美文協副会長、菊地義治援協会長、本橋幹久県連副会長、五十嵐司熟年クラブ連合会会長を迎え、表彰者の親類ら約50人も参加した。福嶌総領事は表彰者に対し、「無事に100歳を迎えられたことは誠にめでたく、心からお祝い申し上げます。人は人との関係なくして生きられるものではなく、愛情、交流があって100歳を迎えられたと思う」と敬意を表した。  祝状と記念品授与後、乾杯の音頭を菊地会長が取り「日系社会の大先輩、コロニアの宝に感謝、敬意する」と述べ、「100歳バンザイ、サウーデ、ビバ、バンザイ」と音頭し、会場を盛り上げた。その後記念撮影が行われ、別室に用意された食事を取りながら、出席者は長寿の喜びを分かち合っていた。  表彰者の一人、聖市在住の松村ヒサエさん(101、宮崎)に長生きの秘訣について聞くと「毎日民謡を歌っています。30年前くらいに民謡大会で優 勝して日本に行ったことがあります」とはっきりとした口調で答えた。加えて「まあ、歌はもちろん、息子や孫らのお陰ですよ」と語り、参加した親類らの笑い を誘っていた。  同じく表彰を受けた小橋タマヱさん(101、岡山)は15歳でブラジルに渡り、ポ語より日本語が得意。「今でもサンパウロ 新聞を読むのが日課」だという。また「日本が恋しくないですか」と問うと、「ブラジルのほうが暖かくて住みやすいし帰りたいとは思わない」と答え、食べ物 については「100年たてば日本料理でもブラジルの料理でもどっちでもよくなる」と笑って返事した。  なお日本における同表彰対象者は9月1日現在で2万8169人(厚生労働省発表)。海外在留邦人の同表彰対象者は57人(在聖日本国総領事発表)で、海外在留邦人の半数以上が同館管内での表彰者となった。  管内表彰者33人は次の通り(敬称略)。 【本人出席表彰者】小 橋タマヱ(101、岡山)、松村ヒサエ(101、宮崎)、伊藤古とみ(100、広島)、二神房江(100、愛媛)、佐野常男(100、三重)、金城ツル (100、沖縄)、岡崎絹恵(100、広島)、田鍋義美(100、高知)、青木しな(99、山口)、梶山サチコ(99、山口)、池森敏子(99、広島)、 相原ハル(99、福島)。 【表彰者】佐藤政子(102、青森)、中川トシヱ(101、広島)、壁谷雪枝(100、愛知)、山本文...
ニッケイ新聞 2013年11月8日  サントドミンゴの旧市街はドミニカ唯一のユネスコ世界遺産。1492年にコロンブスが到着、96年に弟のバルトロメが建設した新大陸初のスペイン植民地の町であり、日時計、大聖堂など様々なものに「新大陸初」の冠がつく。 ちなみにコロンブスは、マルコポーロの「東方見聞録」にある黄金の国ジパングを目指しており、当初この島と勘違いしたのだとか。 コロンブスのサントドミンゴに対する思いは強かったようで、遺言どおり遺体は大聖堂に安置された。現在は1992年の新大陸発見500年で建設されたコロンブス記念灯台で眠っているというが、ジパングから来た一行の喧騒に、目を白黒させたかもしれない。 そんな思いを馳せながら大聖堂を見学していると、常連の小山徳さん(64、長野)がガイドに「この石を接着しているのは鯨の油?」と極めてマニアックな質問。「…知りませんよ」と返されていたのがちょっと面白かった。 教会、劇場、タバコ倉庫などを経て、大統領や歴代総督、国民的英雄が眠る霊廟となったパンテオンへ。参加者が持っていたガイドブックによれば、ラフな格好だと入り口で注意されると書いてある。ちょっと身を引き締めて入ると、日本人が珍しいのか、いきなり学生たちに囲まれ、記念撮影、サイン会に誘なわれそうになったので、そそくさと退散する。国家建設に命を捧げた英霊たちに敬意を表し、衛兵が規律正しくブーツの音高らかに銃の交代式を行なっている。それを尻目に通りに出ようとすると、さきほどの学生たちに記念撮影を頼まれた入り口の儀丈兵が女子学生の腰にしっかり手を回している。記者が上官だったら往復ビンタの上、懲罰房送りである。 オサマ川を左手に見ながら、カリブ海に至るとすぐ右手に『ドミニカ共和国 ドミニカ国策日本人農業移住記念碑』が、かつて移民が降り立った港の前にある。今年1月に落成式が行なわれ、若林健太外務大臣政務官、JICA理事、ドミニカ政府関係者も出席した。 〃国策〃と入っているのは、碑の建設委員長で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長の強い要求だったことを本人から聞いた。しかし、外務省HPのリリースなどには、その文字はない。不思議なものである。 一行はいざ中華街へ。内藤さんによれば、2008年にできた世界8番目、中南米3番目の規模だという。とはいえ東西南北2ブロックほどの大きさだ。到着前、すでに注文しているという店で、やたらに待たされる。到着日夜、ブッフェ組と和食組に分かれたのだが、先に注文しておくので―と空港で注文を取ったにも関わらず、天麩羅ソバが出るのに1時間ほど待たされたとか。 ヤレヤレ。飲む気はなかったのだが手持ち無沙汰なのでビールを頼む。「プレジデンテ」には低アルコールの「ライト」と普通の「ノーマル」がある。どちらがいいか? とガルソンが聞くので後者を頼んだのに何故か「ライト」が来た。不平を言うと首を傾げ、これしかないという。 記者の感覚でいうとバイーアの田舎の調子だ。コーディネーターやガイドは大変だろう。すると内藤さんが「ドミニカ人はね、メートルは分かるんです。ただ、センチは無理かな」となかなか上手いことをいう。 待ちに待って登場したのは、ヤキソバ、あんかけヤキソバ、ヤキメシ。とんだ「炭水化物祭りinドミニカ」だ。 不思議なことに、かなりの空腹だったにも関わらず、味覚障害になったかというほど味を感じない。塩がないのか、しょうがないのか。店頭で鳥のから揚げを買って食べる。これは旨い。内藤さんが一句。「ドミニカは/明けても暮れても/ポージョ(鶏肉)です」 ■  市内観光の中途、日本語学校(上原邑子校長)にも立ち寄った。JICA青年ボランティアの小出知子さん(38、香川)が説明してくれる。JICAが把握している国内70人ほどの日本語学習者に対し、6人の青年ボランティアが派遣されているというのでみなで驚く。首都、ハラバコア、コンスタンサ、ダハボン、ヴィセンテ・ノブレ、ラ・ヴェガの6カ所を巡回、指導にあたる。介護福祉士として小角尚子さん(32、山形)が派遣されているが、近隣に老移民は住んでおらず「これからデイサービスなどを充実させたい」とのこと。   写真=ドミニカ国策日本人農業移住記念碑の前でパチリ この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
ニッケイ新聞 2013年11月9日  公益財団法人・海外日系人協会(田中克之理事長)による「第54回海外日系人大会」が先月29日から3日間、東京都の憲政記念館などで開催された。24カ国・地域から179人が出席し、「多極化時代に生きる日系社会と日本―持続的成長に向けた連携」をテーマに議論をかわした。ブラジルからは園田昭憲(県連会長)、松尾治(文協副会長)、下本八郎(文協高等審議会会長)二宮正人(国外就労者情報援護センター理事長)、矢野敬崇(汎米日系人協会ブラジル支部長)さんらが参加、ブラジルの実情を発信すると共に、日本や他国の関係者らと交流を深めた。  居住国の実情を認識しあい、国際交流や世界の対日理解の促進を図るため、毎年開催されている。JICA四ヶ谷ビルで開かれた代表者会議では、ベネッセコーポレーション社長の森本昌義氏らが「グローバル人材としての日系人の可能性」など様々なテーマでシンポジウムを実施。 午後は「海外日系社会と日本」「在日日系人」「日系ユース」の3分科会にわかれて討議が行なわれ、「日本祭りなど、海外の日系イベントへの地方自治体の積極的な参加を推進する」ことなど8項目が決まった。その中で、日本政府に対して「国籍喪失規定をなくし、重国籍を認め」、「一世の『里帰り事業』を継続」し、「在日日系第二世代の健全な社会進出への道筋をつける支援施策の実施」を求めることが決まった。 留学生や研修生らが参加した日系ユース分科会では、「日本文化をより深く体験し、将来の日本との交流の最前線に立ち、人的ネットワークの先端を担う」ことで意見が一致した。 大会初日は、今年の県連日本祭りに関する特別上映や、ドキュメンタリー映画『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』を手がけたすずきじゅんいち監督や園田県連会長による講演会も開かれた。 同日行なわれた山田啓二会長(全国知事会会長=京都府知事)主催による歓迎交流会には、秋篠宮同妃両殿下も御臨席された。 3日目は第10回海外文芸祭授賞式と、ブラジル人学校「インスチトゥト・エドゥカーレ」(茨城県つくば市)の生徒による「日系人こども発表会」が行われ、今年の決議事項が「大会宣言」として発表された。その後、衆参両議院議長主催による昼食会が開かれた。
ニッケイ新聞 2013年11月7日  むっとする熱気のなか、冷房の効いた韓国製のバスに乗る。涼しいが空調がうるさい。視覚に集中し、車窓から市内を眺める。ブラジルと似ており、看板などの西語をポ語に変えれば見分けがつかないだろう。 すると、ガイドの内藤さんが「もうすぐホテルに着きます…ちなみに右側に見えるのはトルヒーリョ大統領の妾の家でした」とアナウンス。いいなあ、その情報。ちなみに内藤さん作成の旅のしおりの注意書きにもシビれた。「ホテルロビーでのステテコだけは止めてください」。内藤さんからは以後、上下前後のドミニカ事情を聞くことになる。  まもなくボゴタ経由の50余名も到着したが、12人分の荷物が届かなかったという。「ブラジル日系文学」の編集長中田みちよさん(72、青森)もその一人。「困りますねえ」と声をかけると「よくあるわよ~」と事もなげだ。この動じなさ、腰の座り。記者が好きな移民女性の良質だ。ぜひとも最近の日本女性も見習ってほしい。  チェックインを終えロビーにいるわが一行が俄かにざわついた。聞けば、エレベーターのなかで二人がスリに遭ったという。無理やり乗り込んできた中年女性が犯人のようだ。部屋のカードを通されなければ動かないエレベーターの防犯対策、意味なしである。ドミニカ、気が抜けない。  加えてボゴタ便は乗り換え時間が昼時だったようで、機内食が出なかったとか。「今日始めてのまともな食事よ~」と移動で終わった一日を取り返すかのような勢いでサラダを頬張るテーブル向かいに座った女性。どこかで見たことあるなあと思案していたら、自己紹介でリベルダーデの日本食レストラン「千代」の女将、大村順子さん(63、鹿児島)だった。ブラジル転住組の一人。 「記者失格ねえ~」という同席女性の厳しい指摘を苦笑いでかわしていると、テーブルに妹のツヤ子さん(61、同)と夫の広光正照さん(73、高知)が現れ、笑顔で抱擁。ツヤ子さんがブラジルを訪れたことはあるが、順子さんのドミニカ訪問は初めて。姉妹は20年の空白を埋めるかのようにその夜語り合ったという。  翌朝のロビーで「俺もドミニカに来る予定だったんだよ」。セラードのコーヒー農園で有名な下坂匡さん(76、福島)が振り返る。 「条件がいいだけに選考が厳しくてね。ずっと待っているうちに、ブラジル行きが決まったってわけだ。結果的にはブラジルで良かったんだろうね…だからずっとドミニカは来てみたかったんだよ」と話す。  「ずっと研修生がいたでしょ。夫婦で旅行なんて出来なかったですよ」と嬉しそうに笑う妻ヴィトリアさん(70、二世)と参加した。 「30万本コーヒー植えてっていう田畑初さん(第2回)に会いたかったけど今回は難しそうだね」と、市内観光へのバスに乗り込んだ。 ■  さて、ドミニカ移民計画に動きのなかで、ブラジルに縁の深い人物が登場する。1931~37年に高拓生をアマゾンに送り込んだ上塚司だ。 1954年、サンパウロ400周年記念祭に参加した使節団の一員だった上塚は、日本への帰途、ドミニカに立ち寄りトルヒーリョ大統領から日本移民受け入れの申し出を受ける。アマゾン理想郷づくりに頓挫した上塚だけに、岡崎勝男外務大臣にロマン織り交ぜ報告したことだろう。 写真=順子さん(左)とツヤ子さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
 一行計76人のうち13人の小グループとして旅程を組まれた記者たち一行は、サンパウロ市リベルダーデ広場を、まだ夜の帳(とばり)が下りたままの10月17日午前3時30分に専用マイクロバスでグアルーリョス空港に向けて出発。  記者に続いて広場に集まって来ていた砂原朝子(ともこ)さん(75、北海道)は、サンパウロ市内で小間物屋を数軒持っている。2年前に亡くなった主人はふるさと巡り旅行に気が進まなかったというが、「これから、あちらこちら行きたいと思います」と砂原さん自身は意欲的だ。  グアルーリョス空港では、コロンビアのボゴタ市を経由していく63人の大型グループと、ペルーのリマ市を経由する13人の小グループに分かれて搭乗した。小グループのガイドは、ふるさと巡り第27回から連続で請け負っているという日系2世の中西惠子さんが担当。空港には旅行の手配を行ったグローバル・ツーリズモの渥美誠社長も早朝から見送りに来ている中、団長の本橋幹久氏が出発のあいさつを行った。  我々小グループは大型グループより約1時間早く、現地時間の午後4時にドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ市にあるラス・アメリカス国際空港に到着。サンパウロからはトランジットを含めて約10時間の旅だ。  出迎えてくれた今回のドミニカ国内での世話役を務めてくれる内藤益宏さん(69、東京)は、過酷だった移住地アグアネグラに1958年5月に入植 した一人。現在はサンパウロ州イノーポリスに在住している小グループ搭乗者で、同じアグアネグラ入植者だった南沢法子(のりこ)さん(70、福岡)の第一 声を聞いて本人だと分かったとし、50年ぶりの再会を果たした。  2人の話によると、ドミニカ南西部でハイチ国境近くのアグアネグ ラには、58年5月と6月に第1次、第2次に分かれて計46家族が入植したという。標高約800メートルの同地は、1家族につき12町歩(ヘクタール)の 土地が支給されるはずだったが、「実際の土地面積は(12町歩の)2割あるかないかといった程度で、岩だらけの最低の土地に日本で聞いてきたコーヒーの木 はどこにあるのか探すくらい長い間放棄された場所でした」と南沢さんは当時を振り返る。  その後ブラジルに再移住し、バイア州の JK(ジョタカ)移住地、リオ州カボフリオ市などを経て現在のペナーポリスに在住して22年になるという南沢さんは、「今回ドミニカに行くと聞いて、どう しても参加したかった」と、ふるさと巡り旅行に初参加した目的を説明してくれた。  一方、中学2年を中退して家族とともにドミニカ に来たという内藤さんは、コーヒーやうずら豆(アビチェラ)の生産など親の手伝いをしながら日本海外協会連合会(海協連、現・JICA)の通訳官に週3回 スペイン語の指導を受け、同地で1年間を過ごした。その後、鉱山探査を行う日本企業勤務を経て日本大使館の職員として33年間にわたって働き、2005年...
 島根県人会(足立操会長)は、10日午前10時から午後5時までサンパウロ(聖)市プラッサ・ダ・アルボレ区の同県人会館(Rua das Rosas, 86)で第9回慈善バザー(カリオ美晴実行委員長)を開催する。  手芸・工芸品を中心に販売するバザリスタ30店が出店するほか、婦人部手作りの弁当、巻きずし、しいたけご飯、漬物などが販売される。なお、バザリスタの売上金のうち15%と婦人部の売上金全額は児童福祉施設のGirassolに希望の支援物資として寄付される。  案内のため足立会長、実行委員会の村上アンドレ氏、浜野稔氏、浜野ビウマ氏、村上リジア氏が来社し、「500人くらいの来場を見込んでいる。ナタル(クリスマス)のプレゼント探しにぜひおいでください」と来場を呼び掛けた。問い合わせは同県人会(電話11・5071・0082)まで。 2013年11月8日付
9日(土曜日)◎松柏・大志万学園の文化祭は、午前8時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同学園(Rua Ferdinando Galiani, 80)で。◎コクエラ日本人会の第23回ふるさと祭りは、午前10時からモジ・ダス・クルーゼス市の同会館敷地内(Est. Mogi-Sale sopolis, km 9,5)で。10日も。◎押し花アートの第7回展覧会は、午前10時から聖市リベルダーデ区のノッサ・セニョーラ・ド・リバノ教会貴賓室(Rua Tamandar・ 355)で。10日も。◎「生命之光」上映会は、午後2時から聖市リベルダーデ区の文協ビル1階13号会議室(Rua S縊 Joaquim, 381)で 10日(日曜日)◎援協福祉部主催の第46回お見合い会は、午前9時から聖市リベルダーデ区援協ビル5階の神内ホール(Rua Fagun des, 121)で。◎「第19回全伯日本語スピーチコンテスト」は、午前9時から正午までパラナ州ロンドリーナ市のパラナ日伯文化連合会講堂(Rua...
裁判問題で意見の対立続く状態に  1988年の移民80周年を記念して実施され、今年で25周年第40回の節目を迎えた県連(園田昭憲会長)主催の移民のふるさと巡り旅行が10月17~23日の日程で行われ、当初の予定より16人多い計76人が参加した。今回一行は、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ市をはじめ、ハラバコア、コンスタンサの両日本人移住地を訪問。「カリブの楽園」と言われながら当初の募集要項とは全く違う土地に入植させられ、日本政府を相手に裁判問題にまで発展した同地の日本人入植者たちの思いと、再移住先としてブラジルに渡った参加者との再会の様子を体感する旅でもあった。同行した旅行の模様をリポートする。(松本浩治記者)  資料によると、ドミニカ共和国への日本人移民は1956~59年、鹿児島県出身者を中心に249家族1319人が入植。同国に八つある移住地に送られたが、特にひどかったのは、ハイチ国境地域にあるダハボン、ネイバ、アグアネグラ、ドベルヘなど。日本政府の募集要項には、300タレア(18ヘクタール)の土地を無償譲渡し、耕作に適した土地であることがうたわれていた。しかし、実際に入植した土地は場所によって塩害がひどく、岩だらけの荒地でとても農業が可能な状態ではなかったという。  また、慢性的な水不足に悩まされ、ドミニカ政府が土地の所有権も認めていないことが後に発覚。当初、日本政府は戦後中国大陸などから引き揚げてきた日本人の海外渡航を奨励しており、ドミニカの塩害状況等を当時の駐ドミニカ日本大使が知っていたにもかかわらず、その内容を伏せるように指示。ドミニカ側が灌漑(かんがい)設備が整っていないことなどを理由に日本移民の受け入れに懸念を表していたが、日本政府は移民を同国に送りこんだ事実がある。  61年には日本政府もドミニカへの移民送り出しの失敗を認めて集団帰国を実施し、日本への帰国をはじめ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなどに再移住する人が8割を占めた。しかし、古里の土地を処分してきた移民たちにとってはドミニカにとどまらざるを得ず、47家族276人が同国に残留した。  98年には日本政府の譲歩により、ドミニカ国内の新しい土地への提供が決まったが、粘土質の土地はやはり作物に適さず、移民たちは2度にわたって日本政府にだまされたことに猛反発。2000年7月、移民の一部が日本政府を相手取って損害賠償を請求する裁判を起こした。  6年にわたって続けられた裁判は06年、日本政府が法的責任を全面的に認めたものの、損害賠償については時効を理由に棄却される判決が言い渡された。  判決を不服とする移民たち(原告)は控訴したが、当時の首相だった小泉純一郎氏が原告への謝罪の意を伝えるとともに、ドミニカ在住の原告に1人200万円を支給する和解案を提示。移民たちは協議の結果、6対4の賛成多数で和解することになった。裁判を巡って、ドミニカに住む移民たちは意見の違いから賛成派と反対派の二つに割れ、現在も水面下では意見の対立が続いている状態だ。  今回、初めてドミニカ共和国を訪問したふるさと巡り一行の足跡をたどる。(つづく) 2013年11月7日付
 岐阜県人会(山田彦次会長)は5~13日、サンパウロ(聖)市ベラ・ビスタ区の在サンパウロ総領事館多目的ホール(Av. Paulista, 854 3ander)で「第9回日伯友情交流絵画展」を開催している。同展は同県人ブラジル移住100周年、県人会創立75周年という節目の年を締めくくる記念事業でもある。  開催に先立ち4日午後5時半から同会場でオープニング式典が開かれ、福嶌教輝在聖総領事、小田エルザ文協美術委員長をはじめ、同展に出展した画家など約50人が訪れて軽食を取りながら歓談を楽しみ、芸術の話に花を咲かせた。  あいさつの中で山田会長は「9回にもわたって同展を開催できたのは総領事館のお陰」と感謝を示した上で、「絵画を通じて日本人、日系人、ブラジル人の友好親善に貢献したい」と開催意義を語った。  同展に2作品を出展した柴田イネスさん(80、2世)はアマゾンの森の奥の景色を油絵で表現し、「皆さんに見てもらい日の目を見ることができて、作品自身も喜んでいるはず」と感激の様子だった。  なお、同展には23人のアーティストによる45点の作品が展示されている。  開場時間は午前10時から午後5時までで、土日は休館。入場無料。問い合わせは同県人会(電話11・3209・8073)まで。 2013年11月7日付