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Ano: 2013

ニッケイ新聞 2013年11月6日  島根県人会(足立操会長)は「第9回島根慈善バザー」を10日午前10時から、同県人会会館(Rua da Rosas, 86, Praca da Arvore)で開く。入場無料。  日系・非日系を問わず福祉団体支援を目的に婦人部が企画。食料品、車椅子、介護用ベッド、テレビ、パソコンなどを購入、寄贈している。  アクセサリー、刺繍、パッチワーク、陶器など、同県人会がセレクションした30店が手芸品の販売を行う。婦人部やボランティア手製の弁当、菓子なども販売。  案内のため来社した足立会長、村上アンドレ光明副会長、浜野稔理事らが来場を呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・5071・0082)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月6日  新しい国に入ったさいの記者の習いは現地ビールを飲むこと。入国審査で感じることの多い悪印象と先入観をまずは洗い流し、今後の期待感を高揚させるのが目的だ。  70ドミニカ・ペソ、4レアルほどだろうか。空港でこれだと一般価格は…早くも入国即ビールの効果あり。ラベルには「プレジデンテ」とある。今回の旅行中、連呼に近いほど使ったが、移住者からよく聞いた言葉でもある。「大統領が61年に暗殺されてから運命が変わった」と。  トルヒーリョ大統領は親日家だった。日露戦争に勝利した年に生まれた娘にハポネッサ(日本人)とつけるほどで、55年にドミニカを訪問したニクソン米国副大統領から、日本移民の優秀さを聞かされたことで、さらに積極的となったとされる。  大手メディアが「カリブ海の楽園」「ほくほくの条件で」と煽り立てた募集要項には、300タレア(18町歩)を無償譲渡とあった。しかしドミニカのコロニア法では「10年耕作後」という一項があり、自由作付けは1割、収穫が見込めなくても草をはやすと「没収」。加えて、「300タレアまでの土地」の〃まで〃が翻訳されず、送り出しに不都合な部分は全く移民に知らされなかった。  そのうえ、独裁政権に召し上げられた格好の土地だったため、大統領暗殺後、地元住民の反日感情が高まり、収穫間近となった畑に牛馬を放されたり、勝手に家を建て始めたりしたことが、前年からの帰国運動に拍車をかけた。  首都も移民の着いた当時は「シウダー・トルヒーリョ」だったのが、暗殺後は元のサントドミンゴに戻されているほど。そんな政情に翻弄された移民らの悲劇を思うと、このビールも苦いものになる。  「あー声で分かりましたよ。昔の面影がありますね」。出迎えに来たガイドの内藤益宏さん(69、東京)と、参加者の南澤(旧姓帆士)法子さん(70、福岡)が笑顔を見せている。  二人がいた国境近くのアグア・ネグラ移住地は、サントドミンゴ港から軍用船でカーボ・ロッホに行き、石灰岩の崖のような悪路を上っていった。むき出しの岩盤がトラックの底にぶつかる。日本でコーヒー園と聞いてきたが一本もなく鼻のつくような急勾配が〃畑〃だった。  当時、大使館などに陳情にいくため家長会議が頻繁に開かれた。「父が家にいないから母が大変な思いをしましたよね」と話す南澤さん一家は62年、ブラジルのJK植民地へ転住。内藤一家も翌年、現在住む海岸の町に移った。  アグア・ネグラにはただ一人、田畑初さん(93、鹿児島)が残っている。実は南澤さん、10年前に訪問している。「奥さんは亡くなったようですが、お元気そうでしたよ。ハイチ人を使って石灰岩の崖のところどころある土にコーヒーを植えて。広い土地でね。残って良かったんじゃないでしょうか」  大使館の現地職員を72年から33年間勤め、訴訟には反対の立場だったという内藤さんは「田畑さんがまだ頑張っている。一人でもそういう人がいるのに、全員が失敗したように言うのは疑問がある」と話す。  田畑氏は現在2000タレアの土地を所有し、「現地人が暮らしているのだから、我々が生きていけないはずがない」と今も畑に向かう日々を送る。改めて二人に、アグア・ネグラの土地の感想を聞くと声を揃え、「最低でした」。(堀江剛史記者) ■  会うことは出来なかったが、田畑さんの言葉からは〃移住〃ということを考えさせられる。「国援法で日本へ帰りたくはなかったとたい。わしは長男だし、両親、弟を呼ぶつもりでここに来たとたい…」(―楽園、87年)、「我々が当地に残留した選択は正しかった」(ドミニカ日本人残留移民の証言、06年、北欧商事出版)。 写真=南澤さんと内藤さん。サントドミンゴ空港で この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html...
ニッケイ新聞 2013年11月6日  コンポステーラ・サンチアーゴ巡礼友の会(ACACS―SP)が十河瑞澄さん(86番目札所志度寺の副住職)と松岡敬文さん(NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク代表)を講師に招き、7日午後7時半から香川県人会(Rua Itaipu, 422, Mirandopolis)で『お遍路講演会』を開催する。入場無料。ポ語通訳つき。  弘法大師(空海)が修行のため開いた四国八十八ヶ所霊場が来年で開創1200年をむかえるにあたり、同友の会が企画した。二人の講師が霊場の紹介や、様々な記念イベントの説明を行なう。  同NPO法人は、巡礼路への休憩所の設置やお遍路のPRを行なう団体で、2006年に設立された。代表の松岡氏は自身も巡礼愛好者で、昨年ブラジルで講演を行ない、当地の巡礼路「太陽の道」も踏破した。  同県人会の菅原パウロ会長は「興味のある人、将来的にお遍路に参加したい人、ぜひ来場してほしい」とよびかけた。  なお、同講演会は5日にクリチバ、11日にリオでも開かれる。  問い合わせは同県人会(11・55875303)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月5日付け  1956~58年、1道7県の249家族1319人がドミニカ共和国に農業移住した。八つの移住地に配耕されたが、〃カリブ海の楽園〃と謳われた募集要項とはあまりにかけ離れた現地の状況に嘆願書が提出され、62年には多くが帰国、もしくはブラジルをはじめとする南米各地に再移住する「戦後移住史上最悪のケース」となった。2000年、日本政府に起こした裁判は内外に多くの反響を呼ぶ一方で、わずか1千人の現地コロニアに複雑なわだかまりを残している。今回幼少時にブラジルに転住した参加者もおり、郷愁のなか51年ぶりの再会を喜ぶ姿が、各地で見られるまさに「ふるさと巡り」となった。  当初の募集人数50人を超えたことから、コロンビア・ボゴタ経由、ペルー・リマ経由の二手に分かれた。記者が乗り込んだ早朝6時半発のタカ航空は悠々とアンデス山脈を越え、リマのホルヘ・チャベス空港へ機体を傾けた。  曇天が多いという海岸砂漠地帯の灰色の景色は1899年、南米初の移民船「佐倉丸」で到着した790人のペルー移民にどのような印象を与えただろうか。辛酸を舐めたその後を暗示するような光景を北上する機窓から眺めつつ、手元に目を落とし、「カリブ海の『楽園』ドミニカ移住三十年の軌跡」(高橋幸春著、87年、潮出版社)を開いた。  カリブ海に浮かぶドミニカ共和国は、エスパニョーラ島の東側にある。面積は九州に高知県を足したほど。スペインから1865年に独立して以来、混乱を極めたが、1930年のクーデターにより大統領に就任したトルヒーリョ将軍は、島の西部にあるハイチとの関係に頭を悩ませていた。軍事衝突が頻発、人口流入に悩まされていたことから、国境地帯を開発する方針を固め54年、労働力にスペイン移民を導入するなどの背景があった。  当時、外地からの引き揚げもあり、日本は失業者で溢れかえり、人口削減は喫緊の課題だった。駐日ドミニカ大使からの打診を受けた日本政府は早速対応を始めた―。  同日夕方、赤道を越えドミニカに到着。むし暑い。体を伸ばしつつ入管でパスポートを渡すと、女性の係官が「ブラジルに住んでいるのか」と聞いてくる。首肯すると、「ペンはあるか」というので渡すと、何かを書いている。カウンター越しに覗くと、RNEの番号を書き付けているのは、明らかにノートの切れ端。忘れずペンを取り返し、空港ターミナルで100ドル分の両替をすると計算より多い。数え直していると「ぺルドン…間違えた」と後ろに立った上司の手前、バツの悪そうな顔をする銀行職員。 ドミニカ、なかなかに手強そうである。(堀江剛史記者) ■  ドミニカと言うと、「それはどっちの方ですかな?」と物知り顔で聞かれることがある。というのもカリブ海には「ドミニカ共和国」(Republica Dominicana)と「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica)があるのだ。後者は旧英国領で現在はイギリス連邦の一員。本連載では「ドミニカ」と表記するが、言うまでもなく前者である。ちなみに日本語では「土弥尼加」。 写真=サントドミンゴ市内にある市営墓地にある慰霊碑の前で(10月21日撮影) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html  
 香川県人会(菅原パウロ農夫男会長)は、7日午後7時半からサンパウロ市ミランドポリス区の同県人会館(Rua Itaipu, 422)で、四国88カ所を巡る「遍路」についての講演を開催する。  講演するのは遍路文化の普及活動をしているNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」の松岡敬文代表と、86番目の札所である志度寺の十河瑞澄(ずいちょう)副住職。  今回の講演は、来年四国で開催される弘法大師生誕1200年イベントに向けての招致活動の一環で実現。主催はACACS(太陽の巡礼協会)のサンパウロ支部。  菅原会長は講演について「お遍路文化の講演で四国に興味を持ってもらい、ブラジル、南米から四国を訪ねてほしい」と話している。  入場無料。講演は日本語で行われるが、ポ語での通訳もある。  講演に関する問い合わせは、同県人会(電話11・5587・5303)まで。 2013年11月6日付
 ブラジル愛媛県人会(西村定栄会長)は、10日午前10時よりサンパウロ市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館(Rua Joaquim Tavora, 605)で創立60周年記念式典を開催する。  8日には、中村時広知事(53)をはじめとする母県からの慶祝団23人と、隔年で日伯交互に3カ月間のホームステイ派遣を行い、同県人会と交流がある愛媛県海外協会(井上善一会長、68)からの慶祝団12人が来伯し、同式典に出席する。  式典終了後には、業務上の都合で帰国する中村知事らを除いて、慶祝団一行はイグアスとパラグアイの愛媛県人会を訪問。その後リオの愛媛県人会員と懇談会を行い、帰国するという。  詳細、問い合わせは同県人会まで(電話11・3207・9575)まで。 2013年11月5日付
ニッケイ新聞 2013年11月2日  ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)主催の「第9回日伯友情交流絵画展」が5日から13日まで、在サンパウロ日本国総領事館・多目的ホール(Av. Paulista, 854, Bela Vista)で開かれる。平日のみの午前10時から午後5時までで、入場無料。同総領事館後援。  同県人会による日伯交流事業の一環で、日伯の芸術家による作品が数多く出展される。  また4日には午後5時半からオープニングセレモニーが行われる。問い合わせは同県人会(11・3209・8073)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月2日  山形県人会(押切フラビオ会長)は創立60周年記念式典に先駆け、前日26日に「山形民謡コンクール」を開催した。県の民謡を歌って母県をアピールする目的で毎年行っており、今回は節目の第10回大会。さらに同県人会創立60周年を祝うコンクールとして山形本県から民謡使節団を迎え、会場となった宮城県人会館に約100人が来場した。  一般の部として年代別6カテゴリーと、日本のコンクール経験者、歴代優勝者からなる優勝者の部の計7カテゴリーに分け、60人を超える出場者の歌唱が始まった。  トップバッターを務めた最年長の纐纈蹟二さん(92、岐阜)は、歌唱を終え「スカッとした。ストレス発散になるし、カラオケと違い、民謡は三味線や尺八の生演奏があって良い」と、満足げな表情で話した。  熱心にカメラで撮影していたのは、聖州在住の日下部久美子さん(68、徳島)と小林恵子さん(62、愛知)。「初舞台を踏む仲間もいて応援しています。ばっちり撮影できた」と話した。  伴奏者として三味線を弾いたモジ民謡保存会の小松久仁子さん(71、福島)は「それぞれの演者に合わせて、音程やスピードを変えなければいけない。楽しく歌ってもらわないと」と意気込みを見せ、「まずまずの出来だったかな」と謙遜しながら笑顔で振り返った。  午後には、同県大石田町から来伯した民謡使節団がゲスト出演。同町民謡研究会の木村里美さん(34)、芳賀清さん(65)らが花笠音頭、山形大黒舞、最上川舟唄などを鮮やかに披露し、90分に及ぶショーが終了した。  審査の結果、一般の部を対象とした最優秀賞に、高年の部(50~69歳)から薮田満知子さんが選ばれた。同県出身である芸術家の豊田豊さんから、自身が制作した彫刻トロフィーが贈られ、祝福ムードに包まれた記念大会が終了した。
 岐阜県人ブラジル移住100周年、岐阜県人会(山田彦次会長)創立75周年関連事業の締めくくりとなる「第9回日伯友情交流絵画展」が5~13日、サンパウロ(聖)市ベラ・ビスタ区の在サンパウロ総領事館多目的ホール(Av. Paulista, 854 3andar)で開催される。  同展は岐阜県人会が主催して毎年開かれており、今年も日本人、日系人、ブラジル人の画家23人の具象画、抽象画の作品45点が展示される。  山田会長はパンフレットのメッセージの中で、今年の節目の年を迎えて「私たちの県人会ではできる範囲内で身の丈に合った日伯交流事業を行ってまいりました」とつづり、会場となる在聖総領事館への感謝を示している。  4日午後5時半からは、同多目的ホールで開会式が開かれる。  期間中の開場時間は午前10時から午後5時まで。土曜、日曜は休館。入場無料。  問い合わせは岐阜県人会(電話11・3209・8073)まで。 2013年11月2日付
日系社会と進出企業の壁が問題視 【東京支社=瀬頭明男】第54回海外日系人大会(海外日系人協会主催)が10月29日から3日間、東京都永田町の憲政記念館を中心に開かれた。大会には秋篠宮同妃両殿下、ブラジル日本文化福祉協会の松尾治副会長、ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲会長をはじめ、海外から170人が参加した。 園田会長は日本文化の発信として定着した「日本祭り」(フェスティバル・ド・ジャポン)のビデオを上映、日本文化の発信に取り組むブラジル日系社会の現状について説明した。 また、今年4月、海外日系人協会とサンパウロ新聞共催で実施した「里帰り事業」のスポンサーとして貢献した竹内運輸工業の竹内政司社長に感謝状も贈られた。 今回の大会テーマは「多極化時代に生きる日系社会と日本」で、日本と海外日系社会がより強固に連携するための方策を探るというものだった。討議は3分科会に分かれ、それぞれの立場から議論を深め、9項目の大会宣言にまとめ決議した。 討議で特に注目されたのは、日系社会と進出企業及び駐在員との壁が問題視されたことだ。日本企業が日系人を重視しないため、2世、3世たちは他の国からの進出企業に目を向ける。このため、「日本語を取得しても役に立たないと他の言語取得に励み、日本語の衰退、日本文化発信力の弱体化につながっている」との指摘に多くの賛意が示された。 大会で決議された主な大会宣言は次の通り。(1)私たち日系社会は日本との連携を深め、ともに成長が持続するよう努めます。(2)日本文化の普及に、日本政府の一層の努力を期待します。(3)出稼ぎから日本社会への統合と第2世代の社会進出に期待します。(4)日本政府の国籍喪失規定をなくし、重国籍を認めるよう求めます。 2013年11月1日付
ニッケイ新聞 2013年11月1日  【既報関連】会場費の高騰などで大幅赤字が懸念され、開催が危ぶまれていた来年の『県連日本祭』。県連執行部は先月30日夜に開かれた役員会後の本紙の取材に対し、「開催を前提に手続きを進めていく」方向だと話した。会場選定について、本橋幹久県連副会長は「やるならイミグランテスしかない状況。ほかは選べない」。従来使用してきた聖市イミグランテス展示場の賃貸条件の交渉に進展があったことで、候補を同展示場のみに絞った格好だ。一方で、複数の役員は「ただでさえ出遅れたことで、収入に関しても不透明な部分は多い。予想以上に赤字が増える見込みになった時には、中止も視野に入れざるを得ない」と話し、予断を許さない状況であることを強調した。  赤字増の最大の懸念とされていた会場賃貸諸経費について、執行部は先月24日の代表者会議後、イミグランテス側と再交渉を行った。その結果、設営・片付けを含めた計11日間分の基本賃貸料(58万レ、1日あたり12時間使用)の減額は果たせなかったものの、一定額の超過使用料金の免除が決まった。 原則1日12時間しか会場内での作業が行えない契約の中、例年、雨天による設営の遅延などにより計30時間以上の超過時間があり、1時間あたり5千レの料金が発生していた。今回も35時間分の超過を見込み、基本賃貸料に加え17万5千レの予算が組まれていたが、今回の交渉により1日あたり2時間で計22時間分、11万レの割引を受けられる。 一方で収入面に関して、高野ジョルジ同祭副実行委員長はじめとする複数の役員は「(例年22万レを見込む)議員割り当て予算も、現状では不透明としか言えない状況。スポンサーもどれだけ集まるか…」と話す。 本橋副会長が「資金が足りず30、40万という赤字になって強行しても誰も得しない。精一杯開催に向けて努力するが、どうしようもない時は止めるしかない」と話した。10万5千レの黒字となった今年度と同水準の収入を確保できるかどうかが、開催可否についての焦点となる。 当面は中止判断の期限は設けず、役員を中心にスポンサーを集め、イミグランテスとの再交渉など開催への手続きを進めていくことになるという。
ニッケイ新聞 2013年11月1日  愛媛県人会(西村定栄会長)の創立60周年を祝う記念式典が10日午前10時から、北海道協会(Rua Joaquim Tavora, 605, Vila Mariana)で開かれる。  母県から中村時広知事、竹田祥一県議会議長をはじめとする35人の慶祝団が来伯し、共に節目の年を祝う。功労者、80歳以上の高齢者表彰も行われる。  同日午後6時半からは、ニッケイパラセホテル内サロンで、県費留学、研修生のOB・OG会も開かれる。  西村会長は「会員、関係者はぜひご参加を」と呼びかけた。問い合わせは同県人会(11・3207・9575)まで。
ニッケイ新聞 2013年10月31日  今月20日にあったブラジル鹿児島県人会の創立100周年式典にあわせ、18日から南日本新聞の西青木亨記者(45、鹿児島)が来伯し、ブラジル日系社会の様子や情勢を母県に伝えようと取材活動している。  聖州内を拠点に、農業移民の親子や日本人移民の開始初期に入植した夫婦の子孫、日系企業社員、観光ガイド業者など、母県にゆかりのある人物を取材した。  「記念式典ももちろんだが県人会の築いてきた深い歴史を感じる。ブラジル社会に根付き、母県出身の日系人が重要な位置にいることを感じた」と振り返った。  過去には社会部、現在は運動部に所属し、W杯、リオ五輪を見据え会場の下見や、本場のサッカーに触れることも目的。26、7日にはプロリーグを観戦し、「パカエンブー、聖地と呼ばれるマラカナンともに、ファンの熱狂ぶりが印象的」と話した。2週間の滞在を終え、31日離伯する。
場所はイミグランテスで継続  県連(園田昭憲会長)の10月度代表者会議が24日、サンパウロ(聖)市ジャバクアラ区の千葉県人会館で行われた。今年の日本祭りは10万5000レアルの黒字であることが発表されたが、来年イミグランテス展示場で開催した場合の試算が50万レアル以上の赤字と算出されたことを受け、出席者の中で第17回日本祭りの開催の是非を問う多数決が行われた。「サンパウロ州政府からの予算が出れば、多少の赤字覚悟で来年も開催する」が21票、「来年の開催を見合わせ、2015年に第17回を開催する」が15票で、執行部は数々の難題を抱えながらも来年の開催に向けて動き出している。  これまで会場使用料が30万レアルだったイミグランテス展示場の経営母体が変わり、90万レアルに値上げ。加えて時間外使用料を取る条件が提示され、莫大な赤字が懸念されることから来年は会場変更が避けられないとされていた県連日本祭り。  山田康夫同祭実行委員長によると、執行部が新しい会場を模索していたところ、イミグランテス側から70万レアルに値下げしてきたという。交渉の結果、58万レアルで会場を使用できることとなり、他の会場候補は地面に穴が開けられないためテント設営が簡単にできず、また駐車場が無いなどの問題を抱えていたことから、同地の利便性を考慮し、執行部は例年通りイミグランテス展示場での開催が望ましいと判断した。  しかし、来年10月に行われる統一選挙の影響で日系議員からの援助金がおりるか不透明であることから、入場者数、スポンサー数、バザリスタの数が今年と変わらないと仮定しても、50万レアル以上の赤字になる試算が算出された。加えて、開催日は7月4~6日でサッカー・ワールドカップの開催時期と重なり、入場者数ならびにスポンサー収入が大幅に減少することも懸念される。  「時間もないし、焦ってもうまくいかない。赤字が出たらどう補てんするのか。来年は開催を見送ったほうがいい」「コロニアでこれほど良いイベントはない。日伯の懸け橋の一つである同祭をやめるべきではない」などの意見が出たが、州政府から援助が出れば開催、出なければ来年は開催しないことが多数決で決定され、今後の交渉や最終的な判断が執行部に委ねられた。  なお、そのほかの議題では、尾西貞夫兵庫県人会長が県費留学制度への日本政府からの補助金廃止以降、若い世代の日伯交流が難しくなっていることを説明し、「県人会を盛り上げるためにも、県連で署名を集めて日本政府に嘆願するべき」と提案したほか、本橋幹久副会長が17~23日に行われた「移民のふるさと巡り」について報告した。  会議直後から開催に向けて動き出した執行部が日系議員に確認したところ、州政府からの援助金が出ることが確定したという。また、交渉によりイミグランテス展示場の時間外使用料が一部免除されることが決まった。これにより赤字は25万レアル程度まで抑えられるとし、30日の役員会で日本祭りの来年イミグランテス展示場での開催が最終的に決定した。開催自体が危ぶまれた第17回日本祭りはスポンサー集めや経費節約方法の検討といった第2段階へようやく踏み出した。 2013年10月31日付
 20日にサンパウロ(聖)市イビラプエラ区の聖州議事堂で開催されたブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)創立100周年記念式典に出席した県関係者と、県費留学・海外技術研修制度を利用したOBによる意見交換会が、式典後の午後3時から議事堂内会議室で行われた。  県側から布袋嘉之副知事、池畑憲一県議会議長をはじめ、川畑隆県海外移住家族会会長、鶴田志郎県議、吉留厚宏県議、禧久伸一郎(きく・しんいちろう)県議、吉田浩己前鹿児島大学学長らが出席。県人会側から山下譲二副会長と留学・研修生OB23人が参加した。  今回の意見交換会は、1970年から今までに100人以上が同制度を利用している留学・研修生たちの、ブラジル帰国後の様子を知ることが目的。23人はそれぞれ自己紹介と鹿児島での思い出や現在の仕事内容などを報告した。  92年度に鹿児島大学法文学部で県費留学生として留学した有村ヘンリー侑奘さん(44、3世)は現在、広告代理店の役員職の仕事に就き、日本からの顧客も多く「留学を通じて日本のシステムがすごく分かった」と今の仕事に役立っていることを伝えた。同じく11年度、鹿児島大学医学部保健学科に留学した梶原幸さん(26、3世)は「帰って来てから今まで、またいつ鹿児島に行こうか考えている。桜島と豚骨ラーメンが恋しい」と思いを日本語で伝えた。  そのほか、「チャンスがあればまた鹿児島に行きたいと思っている人たちのために、もう一度留学できる制度を考えてほしい」「アニメブームで非日系人のほうが日本に興味を持ち、日本語が上手な人が多い」などOBらは積極的に意見を述べ、県側は状況を把握していた。  布袋副知事は最後に「帰国後、ブラジルで活躍していることを知ることができて良かった。目的は果たされていると感じ、今回の意見を県側でも考慮したい」と述べ、会を終えた。 2013年10月31日付
 ブラジル沖縄県人会、ブラジル沖縄文化センター(田場ジョルジ会長)は、11月3日午後1時から同6時ごろまでサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の同会館ホール(Rua Dr. Tomas de Lima, 72)で県人会資金カンパ芸能祭(ウチナー芝居)を開催する。  舞踊劇「浦島」や喜劇「トックイ小一」のほか、古武道、民謡、太鼓など20の演目が披露される。また、今回は母県から若手琉球民謡歌手の具志めぐみさんが特別友情出演し、見応えあるショーが来場者たちを楽しませる。  また、当日は同県人会に所属する97歳以上の会員7人を招待して感謝状と記念品を授与し、童心に帰って食事や催し物を楽しんでもらいたいとしている。なお、97歳は「カジマヤー」と呼ばれる沖縄独特の長寿の祝い年。  案内のため具志堅シゲ子実行委員長、島袋安雄同副委員長、池原あき子書記が本紙を訪れ、「おいしい沖縄そばも販売しますので、ぜひお越しください」と来場を呼び掛けた。入場券は15レアル。問い合わせは、同県人会(電話11・3106・8823)まで。 2013年10月31日付
 20日に行われたブラジル鹿児島県人会100周年記念式典を取材するため、母県の南日本新聞社から運動部の西青木亨さん(45、鹿児島市)が18日に来伯し、25日、本紙を訪れた。  「100周年は節目の年だから、何かやってこい」との命で始動した同紙のブラジル特集は、普段インターハイや高校野球を担当している西青木さんにとってゼロからのスタートだったという。東京オリンピック開催決定などの影響もあり、実際に取材を始めたのは9月に入ってからのことだった。  多くのブラジル移民を送った枕崎市、南さつま市をはじめ、移民によって作られた「伯国橋」を擁し、ブラジル人比率が県内で突出して多い大島郡宇検村などを取材して来伯までに5本の連載を掲載した。「知れば知るほど1世の苦労や日伯のつながりが見え、ブラジル社会で日本人が築いてきたものに興味が沸いた」と振り返る。  西青木さんは19日に南さつま市の使節団とともに同市出身者が多く移住しているサンパウロ(聖)州イタペセリカ・ダ・セーラ市訪問を取材。移住家族の再会に興味を持ち、自ら同行取材を志願したという。  式典当日は取材しながら記事を書き、数時間後の日本時間21日付同紙への掲載に間に合わせた。翌22日付には20日午後に行われた2部式典やイタペセリカ訪問、移民の歴史を含めた大きな記事を掲載し、同県のブラジル移民理解に一役買った。  西青木さんは同式典の取材を通じて「これからの100年、鹿児島のアイデンティティーをどうつないでいくかが課題」とし、2世以降の若い世代にも注目している。  サッカーが大好きだという西青木さんはイビウナ市で農業を営む遠縁の親戚を持ち、幼少期に同家族と鹿児島で会った際に蝶の標本をもらって「牛肉がたくさん食える」という話を聞かされていたため、ブラジルが長年「あこがれの国」だったそうだ。  運動部として来年のサッカー・ワールドカップや2016年リオ五輪につながる取材も並行して行っており、「世界中から注目が集まる中、少しでも本場ブラジルからの情報を伝えたい」と意気込みを見せた。  なお、西青木さんは31日まで聖市やリオ市などで取材を続け、帰国する予定。 2013年10月30日付
 ブラジル山形県人会(押切フラビオ会長)は27日、『創立60周年記念式典』及び『山形県人移住106周年式典』を宮城県人会で行った。母県から吉村美栄子知事、県議会の鈴木正法議長、農業協同組合中央会の長沢豊会長ら慶祝団46人と、在サンパウロ日本国総領事の福嶌教輝氏、安部順二連邦下議、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議らが訪れ、250人以上の出席者で埋め尽くされた。また同県大石田町からは民謡使節団も祝福に駆けつけ、山形花笠音頭、民謡「最上川舟唄」などを披露、伝統芸能で〃還暦〃を祝った。  篠原俊巳副会長が開会の辞を述べ、日伯両国の国歌斉唱、先没者への黙とうが行われた。 押切会長は「創立以来、県人らはあらゆる分野で伯国発展に貢献した。1907年、鈴木貞次郎から始まった県民移住106年の歴史も合わせ祝うことができ光栄。今回の訪問団来伯を機に日伯、県との交流が拡大することを願う」とあいさつ。 吉村知事は「友好、親善など多大なる活動に敬意を表する。皆さんの心温まる歓迎にも感謝する」と祝辞を述べた。 功労者表彰および感謝状贈呈では計7人が表彰を受けた。同知事から日系三団体への寄付、山形県との記念品交換、技術研修生代表謝辞、県民歌斉唱の後、斎藤保副会長が閉会の辞を述べ式典を締めくくった。 ロンドリーナから夜行バスに乗り、当日朝に到着した菊池由二さん(89)、万里子さん(80、二世)夫妻は「汎ロンドリーナ山形県人会から25人で駆けつけた。素晴らしい式典に参でき、古里の人とも会えた」と喜んだ。 式典後はアトラクションの時間が設けられ、同県大石田町民謡研究会の木村里美さん(34)、芳賀清さん(65)らが花笠音頭、最上川舟唄などを披露、伯国側からも日本舞踊グループ「優美」、太鼓集団「喜楽」が迫力のステージで会場を盛り上げた。 その後の祝賀会では、鏡割り、乾杯の音頭、ケーキカット、サンバショーが行われ、リズムに乗って参加者一同がダンス。最高潮の盛り上がりを見せ、記念の一日が終了した。
人材交流と経済的結び付き強化も  ブラジル山形県人会(押切フラビオ壮会長)は、27日午前9時半から同県人会創立60周年及び県人移住106周年記念式典をサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催した。母県から吉村美栄子県知事、鈴木正法県議会議長をはじめとする46人の慶祝団が駆け付け、250人以上の出席者で節目の年を盛大に祝った。  午前9時半に始まった記念式典には安部順二連邦下議、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議、福嶌教輝在聖総領事、吉村知事、鈴木議長、JA山形中央会の長沢豊会長、日系3団体代表らが来賓として出席した。  歌人・南樹としても知られる同県出身の鈴木貞次郎氏が1907年、笠戸丸移民より1年先立ちブラジルに移住したことが記録に残っていることから、当日は県人移住106年も合わせて祝われ、押切会長はあいさつの中で「山形県人は長い歴史の中で苦労に耐えながらも努力を惜しまず、遠く離れたブラジルで現在のような豊かな暮らしと信用を手に入れた。このような晴れの日を迎えることができてうれしい。関係者の皆さんに心から感謝する」と述べた。  吉村知事は式典前日に開拓先亡者慰霊碑や移民史料館を訪れて感銘を受けたと話し、古里と全く異なる環境での同県人会員らの苦労をねぎらい、活躍をたたえた。また、東日本大震災の「応援県」として、がれきをいち早く受け入れ、ボランティア率が全国1位になるなど復興のために尽力している母県の様子を伝えた上で、ブラジルからの援助に感謝の意を示した。  鈴木議長、福嶌総領事の祝辞に続き祝辞を述べた長沢JA山形会長は、「1989年から6年間、国際農業体験実習制度を通じて受け入れた26人の研修生は現在、地域農業で主導的に活躍している。県人会の開拓精神に学び、今後も農業や国際交流を通じた豊かな地域社会作りに貢献していきたい」と意気込みを語った。  その後、本橋県連副会長、羽藤州議、安部下議の祝辞、祝電披露に続いて功労者表彰が行われ、吉村知事から県人会役員、支部長らにそれぞれ表彰状と感謝状が贈呈された。また高齢者表彰は県人会から85歳以上の会員28人に贈られた。  記念品交換では県人会から吉村知事、鈴木議長、JA山形の長沢会長に県人会名誉顧問の画家・豊田豊氏の作品が、3氏から県人会へはそれぞれ「おしん」のこけし、打ち出の小槌、ひょっとこが贈られ、特に豊田氏の高校の後輩であるという鈴木議長は感激した様子だった。  引き続き県知事から日系3団体への寄付、技術研修生代表謝辞、県民歌斉唱が行われ、斉藤保県人会副会長の閉会の辞によって式典は時間通りに幕を閉じた。  式典後はアトラクションとして母県からの民謡使節団(佐々木英治団長)の民謡ジャパニーズ・ダンス・カンパニー「優美」による踊りや「喜楽」太鼓が披露さ れ、来場者たちから大きな拍手が沸き起こった。その後記念祝賀会が開かれ、食事や懇談を楽しんだ来場者たちは、サンバショーで知事一行を含め皆が一緒に なって踊り、大きな盛り上がりを見せた。  今回初めてブラジルを訪れたという吉村知事は、「県人会の皆さんが温かく迎えてくれて感激。人材交流はもちろんのこと、これからは日本酒などの産業で経済的結び付きも強めていきたい」と抱負を語った。 2013年10月29日付
 ブラジル山形県人会(押切フラビオ壮会長)創立60周年を記念した第10回山形民謡コンクールが26日、予定より30分遅れた午前9時半からサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催され、グランプリには、高年の部で「新庄節」を歌ったサンパウロ州バストス市在住の藪田満知子さん(69、三重)が輝いた。  大会は、参加者全員で「花笠音頭」を歌って開幕。コンクールには90歳以上の寿の部をはじめ、金寿の部A(85~89歳)金寿の部B(80~84歳)、銀寿の部A(75~79歳)、銀寿の部(70~74歳)、高年の部(50~69歳)、青年の部(25~49歳)、優勝者の部に総勢約60人が出場し、日ごろの練習の成果が競われた。  午後2時からは、山形県からの民謡使節団(佐々木英治団長)一行10人も特別出演。同県北村山郡大石田町観光協会の芳賀清会長が司会役を務め、自ら「相撲甚句」「こっけい安来節」などを歌って会場を盛り上げた。  また、生まれつきの脳髄膜瘤(のうずいまくりゅう)の影響で右目の視力を失い、知的障害も残ったが優れた聴覚と記憶力の才能を生かして民謡の道に入り、内閣総理大臣争奪杯準優勝など数々の賞を受賞している木村里美さん(34)も「庄内おばこ」「あがらっしゃれ」の2曲を披露した。  大石田町議会議員前副議長だった芳賀会長は、2008年の移民100周年にブラジルを訪問する予定だったが、当時日本の衆議院選挙の影響で来れなかったことなどを説明し、今回の初来伯で「ブラジルの皆さんはとても楽しく民謡を歌っていらっしゃることに感動しました。(山形県人会創立)100周年目指してさらに活性化していただきたい」と激励した。  さらに、佐々木団長が「40年やっている芸」として升とうちわを手に持ち、「ますます繁盛このうちわ(家は)」と歌いながら会場内を回り、縁起を担いだ。  コンクールでは、各部門の選出者が改めて歌った結果、グランプリにはバストス市の藪田さんが栄冠に輝いた。松田国子氏の元で5~6年民謡を習って いるという藪田さんは、「三味線に(歌を)乗せるのが難しいですが、グランプリに選ばれてびっくりしました」と喜びを表していた。 各部の入賞者は次の通り(敬称略)。 【寿の部】1位=纐纈蹟二。 【金寿の部A】1位=池泉三郎、2位=八巻タツ、3位=田中キヨ、4位=浜本ふじえ。 【金寿の部B】1位=市来輝子、2位=浜田米伊、3位=吉田保子。 【銀寿の部A】1位=村中チエコ、2位=八木静代、3位=浜田良香、4位=会田清。 【銀寿の部B】1位=草野建寿、2位=石井良子。 【高年の部】1位=藪田満知子、2位=馬場アヤ子。 【青年の部】1位=中島幸雄。 【優勝者の部】1位=木村照子、2位=小泉正雄、3位=海藤晶子。...