3大イベントへの協力求め 3月5日に着任した在ブラジル日本国大使館特命全権大使の梅田邦夫氏(60、広島)夫妻が10日、サンパウロ市を公式訪問し、イビラプエラ公園内の開拓先亡者慰霊碑を参拝したほか、日系団体との懇談を行った。同日午後4時過ぎには本紙を訪れ、6月から開催されるサッカー・ワールドカップ(W杯)、来年の日伯修好120周年、再来年のリオ五輪などビッグイベントが続く中で、日本政府機関を代表する立場として各種行事の成功に最大限の力を注いでいくとし、日伯関係のさらなる強化に全力を尽くす考えを表した。 前任地の外務省国際協力局でODA(政府開発援助)関連事業に携わっていた梅田大使は、中国をはじめとするアジア諸国での勤務のほか、北朝鮮の拉致問題などにもかかわった。中南米では1998年から約1年間、ペルーの在リマ日本大使館公邸襲撃事件後の大使館立て直し業務などにも携わったという。 日本サッカー協会の国際委員でもある梅田大使は、6月から開催されるW杯で日本代表の試合が行われるレシフェ、ナタール、クイアバの3都市とサンパウロ市で地元が中心となった支援委員会及び組織が形成されていることについて、「日本政府もサッカー協会も本当に感謝している」と強調。W杯開催で基本となるのが邦人の安全対策だとし、「(邦人保護が)我々の責任だ」と述べ、各都市の日系団体と連携していく考えだ。 また、聖市では日本代表の応援をどのようにやるのかなども考慮しているという。そうした中で、約1万人前後が来伯すると見込まれている日本からのサポーターの問題として一番に「言葉の問題」を挙げ、「日本国内ではブラジルの印象が良いだけに、日本人サポーターがブラジルで強盗などの被害に遭わないように注意を喚起する必要がある」としている。 安倍普三首相のブラジル初訪問については、「現在、ブラジル政府と調整中」とし、「(安倍首相)本人は(日本の)夏に来たいと思っているようだ」と説明するにとどまった。 また、日本とブラジルのノービザ協定の実現についても日伯間で現在交渉中の状態だとし、「(日伯両国の)人々が行き来するためにも必要で、ブラジル側も同じ意見を持っている」と近い将来の実現を示唆した。 6月のW杯、来年の日伯修好120周年、再来年のリオ五輪とビッグイベントが続く中、「この3年間で日伯関係をいかに強くするか」を考慮しているという梅田大使。特に来年の日伯修好120周年に向けて「サッカーでの交流をはじめ、コスプレやNHKのど自慢などさまざまなアイデアはあるが、それらの企画案をいかに実現していくかが大切」とし、早急に実行委員会を立ち上げる必要性を強調。日本政府も一体となった「オールジャパン」での取り組みに、日系社会への積極的な協力を求めた。 2014年4月12日付
Dia: 14 de abril de 2014
日系34団体共催による梅田邦夫ブラジル特命全権大使夫妻の歓迎会が、10日午後7時半からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協貴賓室で開催された。会場には福嶌教輝在聖総領事、安部順二下議、羽藤ジョージ州議、野村アウレリオ、羽藤ジェオルジ両市議や各日系団体の代表者ら計85人が駆け付け、着任を祝った。 歓迎会でははじめに木多喜八郎文協会長があいさつし、「160万人といわれる日系社会を代表して歓迎する。ブラジルは日本から一番遠い国だがとても親日的。日系社会とのきずなを深めていただきたい」と激励した。 続いて安部下議は、「来年の修好120周年など大事な時期に来られた。日本を代表して日伯の友好を深めてほしい。サッカー好きと聞きうれしく思っており、日本に行ったコリンチャンスはご存じでしょうが、ぜひ(私が応援している)サンパウロFCを応援してほしい」と笑いを誘って歓迎の意を示した。 その後あいさつに立った梅田大使は、「以前からブラジルで働きたいと上司に頼んでいたので就任できてとてもうれしい」と述べた。さらに三つの感謝があるとして「これまで100年以上の歴史の中、尽力されてきた方々によって日本人が厚い信頼を得ていること」「W杯を控え日本からの観光客に向けた支援委員会の立ち上げ等の準備をしてくださっていること」「日本サッカーへ貢献してきてくれたブラジル人や日系人の存在」に対して感謝が述べられた。 閉式後の懇親会では、大使と名刺交換をするための長蛇の列ができていた。 本紙の取材に対し福嶌総領事は「今のブラジルにとって最高の人が来た。大使の人事としては異例の抜擢(ばってき)だが、それは彼の実力と熱意によるもの」と期待を寄せていた。 2014年4月12日付
今週末は日系歌手らのショーも開催 今回で29回目となるサンパウロ(聖)州モジ・ダス・クルーゼス市の秋祭り(5、6、12、13日の4日間)が開幕し、会場となった同市内ポルテイラ・プレッタ区の文協スポーツセンター(Av.Japao, 5919)には、5、6日の両日を合わせ約4万人(主催者発表)もの人が詰めかけた。 今年の秋祭りのテーマは間もなく開催されるサッカー・ワールドカップ(W杯)に向け「頑張れブラジル」となっており、会場には同市の特産品である野菜、果物、花などの農産展や自動車をはじめとする日本企業の展示ブースや日本食屋台が数多く出展された。 初日の5日、福島県人会モジ太鼓部「龍鼓太鼓」の演奏と日伯両国歌の斉唱で幕を開けた今年の開会式には約300人が参加し、初めにモジ文協の幸村ペドロ会長から「今年も開催できるのはさまざまな方たちのお陰」と感謝の意が述べられた。 在聖総領事館からは飯田茂領事部長が出席し、「秋祭りは今年で29回目を迎えるサンパウロ州を代表するイベント。日本文化の一端に触れて日本をより身近に知る機会となり、ひいては日伯の友好のきずなを深めてほしい」と述べた。 来賓にはほかに、安部順二、飯星ワルテル両連邦下議、羽藤ジョージ、西本エリオ両州議、ブラジル日本文化福祉協会の木多喜八郎会長らから祝辞が述べられた。 続いて行われた農産展会場のセレモニーでは法被姿になった来賓たちによって鏡割りが行われ、来賓たちは品評会を勝ち抜いた見事な出来栄えのオレンジ、花、レタスなどの各種農産品をじっくりと見て回った。 品評会の柿部門で1~3位を独占した細谷武雄さん(67)は「今年は生まれて初めての雨の少なさで作物への影響を心配したが、水分が少なくなったために甘い柿になった」とし、例年よりも早い段階で糖度が高くなっていると説明。良い柿作りのコツは「病気や害虫予防、剪定(せんてい)や肥料作りをしっかり行うことだ」と話していた。 12日には、2010年のNHKのど自慢大会で優勝した日本在住のロベルト・カザノバさんによるショーや、最終日の13日には盆踊りや平田ジョーさんらのコンサートが特設ステージ上で行われる予定となっている。 開催時間は12日=午前11~午後8時、13日=午前11~午後9時半までとなっており、入場料は14レアル。子供、学生、60歳以上、団体(20人以上)は半額。7歳未満は無料。駐車場代は20レアルとなっている。 問い合わせは、モジ文協(電話11・4791・2022)または同祭りウェブサイト(www. akimatsuri.com.br/)で確認を。 2014年4月11日付
地元の藤本氏と花嫁移民の福元さん タウバテのヘリコプター基地で最新モデルの輸送機を見学している途中、ふいに興奮気味の2人の元に呼び寄せられた。そこに居たのは参加者の福元美代子さん(82、宮崎)とタウバテ日伯文化協会の藤本隆男さん(74・熊本)。何かと尋ねれば、2人が同じ移民船仲間だったことが分かったのだという。 1959年9月28日に「あめりか丸」に乗ってサントス港に到着して以来、約半世紀を超えた邂逅(かいこう)であった。陽気な藤本さんは初めは誰か思い出せなかったというが、一人で船に乗っていたという彼女のことを「べっぴんさんだったけど他人の女性だったから」とほろ苦い笑い話と共に回想した。 だが、なぜ一人だったのか見当がつかない若い記者に「私は写真結婚だったのよ」と福元さん。「コチア青年だった夫に写真を送り、夫不在の結婚式を日本でやった」というから驚いた。 渡伯からの人生を「いい結婚ではなかったかな」と冗談交じりで振り返ったが、ふるさと巡りの醍醐味(だいごみ)の一つである思いがけない再会は、思い出話に花が咲くだけでなく、それぞれの人生を報告し合い、苦労をねぎらい合うそんな瞬間なのだろう。 基地を後にした一行は、タウバテ生まれの有名な童話作家モンテイロ・ロバットの旧実家で、現在は彼の代表作「シチュー・ド・ピカパウ・アマレーロ」の名前を取った記念公園を訪れた。 同作品に登場するキャラクターのモニュメントや、樹齢200年以上のジャッカの木などさまざまな植物に囲まれた建物の中に入ると、そこは小さな劇場になっていた。所狭しと一行が席に着くと有名なエミリア、ドナベンタ、アナサーセの3人によるにぎやかな寸劇が披露され、会場は同作品の世界観に包まれた。 再びタウバテ文協会館へ戻った一行は、午後7時過ぎから交流会を行い、初めに東日本大震災で亡くなった人々、移住し歴史を築いてきた先輩「先亡者」に対し1分間の黙とうが行われた。 あいさつに立ったタウバテ文協会長の漆畑オスカル氏(62・2世)によると、タウバテに住む日系人は約500家族おり、会員は約200家族。日ごろは週4回のゲートボールや毎日手芸を行うなどして活動しているという。 続いて本橋団長が「この移民ふるさと巡りも今回で41回目。1世にとってふるさととは日本だが、親と来た人やここで生まれた人など背景はさまざまでも、植民地には皆の心に響くものがある。それが(ふるさと巡りが)長く続く理由だろう」と述べた。 サンパウロ民謡協会の理事を務め、タウバテ市で民謡教室を開いている海藤司氏の息子夫婦らによって日本舞踊や太鼓などの本格的な日本の伝統芸能がステージ上で披露され、締めの一曲には出身地山形県の民謡「花笠音頭」が選ばれた。 山形県とタウバテ市には実は深いつながりがある。山形県米沢市とタウバテ市は74年より姉妹都市の提携を結んでおり、会場に設けられたタウバテ市紹介コーナーには、ある人形の写真が載った本紙の過去の記事コピーが紹介されていた。 その時の団員で元タウバテ文協会長の田尻清隆さん(85、鹿児島)に聞いてみると、「両市の友好のシンボルとしてもらった人形だが、初めは古くて気持ち悪 い人形だなと思っていた」という。けれども「この人形は、1927年にアメリカから日本に贈られた『青い目の人形』のお礼として同年日本からアメリカに送 られ、2003年に山形に里帰りしたもの」であり、「日米の友好のシンボルをいただいたということをタウバテに戻ってから知って驚いた」そうだ。 終盤にはタウバテ文協関係者と一緒に大きな輪になって「炭坑節」が始まり、皆の一糸乱れぬ完璧な踊りに驚いていた記者に「お年寄りはみんな遊んでいるか ら」の一言。最後に「ふるさと」の歌を合唱し、本橋団長は「別れは再会の始まり。次のふるさと巡りにでもまた一緒にどこかへ行こう」と締めくくった。...
ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)は3月16日、サンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会会館で2014年度の定期総会を開催し、会員など約40人が出席した。 元留学生で監査補の山本アナ・パウラ美代子さんによって開会され、参加者全員へ感謝を述べた後、昨年亡くなった会員の冥福を祈り1分間の黙とうを捧げた。 尾西会長はあいさつで、会長としては次の総会まで継続したいとの意向を表明。「20年の間会長を務め、創立式典も40周年、45周年、50周年を行い、記念誌も発行できたことは皆様のお陰」と感謝を表した。また、県人会の運営は県庁からの補助金のお陰と強調、兵庫県パラナ州事務所所長の山下亮氏にも特別に感謝を述べた。 議長の松下大谷マルリ瞳監査がポルトガル語、酒井芳樹副会長が日本語で昨年度の事業報告。7月の日本祭りでは恒例の前田房徳氏のたこ焼きのほか、元留学生たちが兵庫海苔を販売。9月には45人が参加して恒例の親睦ピクニックを行った。11月には兵庫県農業海外研修生13人が来伯。尾西会長、尾崎俊彦副会長が出迎えたほか、奥地での各農場案内を斉藤修三監査が務めたことなどが報告された。 天野右郷会計による昨年度会計報告では、補助金を含む収入が約6万1000レアル、支出が約5万8000レアルと発表され、斉藤監査によって承認。今年度は収入約5万1000レアル、支出約5万レアルの予算を計上した。 今年度も日本祭りでのたこ焼き販売、恒例のピクニックを行うことが尾西会長から発表された。 自由発言では、松下マルリ監査が元留学生・ 研修生たちの県人会への参加の少なさについて触れ、親睦を図るため昼食会を開いたが92人中20人の参加にとどまったため、今後はもっと参加の場を増やしていきたいと述べた。 このほか、県庁が誇れるように県人会を運営し継続していくこと、留学生制度もアルゼンチン、パラグアイ3カ国から受付を開始しているが、応募者が減少していることなどを報告した。 閉会の辞で上野聖二監査(元留学生)は、県人会の参加者を増やそうと決意を発表。その後親睦昼食会では各参加者の寄付による賞品でビンゴも楽しみ、和気あいあいの中に解散となった。 2014年4月10日付
日系軍人輩出の街、タウバテへ ブラジル日本都道府県人会連合会主催の第41回移民のふるさと巡り(本橋幹久団長=鳥取県人会長)が3月14日から17日まで行われ、スタッフを合わせた126人がバス3台に分かれてサンパウロ(聖)州東部の5都市を訪れた。一行が向かったのは、聖市から97キロ離れたサンジョゼ・ドス・カンポスの東部に位置するタウバテとピンダモニャンガーバ、南部で沿岸に位置するカラグアタツーバ、サンセバスチャン、そしてイーリャ・ベーラだ。(倉茂孝明記者) 14日午前9時半にリベルダーデ広場を出発した一行はリオ市へと続くヅトラ街道(BR―116)に乗り、約130キロ離れたタウバテの日伯文化協会の会館に正午ごろ到着した。 ここタウバテの街は17世紀前半に探検隊バンデイランテスによって興され、ミナス・ジェライス州で取れた金を運ぶ道の宿場町として栄えた。現在、人口は伯国では23番目の約27万人と多い。一行はまず昼食を取った後、市内にあるブラジル陸軍のヘリコプター基地の見学へと向かった。 日系人にとってタウバテの街は、日系2世で初めて将官となったブラジル陸軍の小原彰少将、同参謀長となった木原義一大佐、タウバテ陸軍飛行基地司令官となった清田一大佐らが活躍した地として有名。 1988年に建てられたブラジル陸軍航空基地とパイロット養成学校があり、ここで日系2世の3人の軍人たちが5カ所の基地を統括し、ブラジル全土の防衛と指揮責任のある任務に就いていた。 軍人の街らしく整然とした道を通り抜けて約170万平方メートルある広大な基地へ入った一行は、まず初めにブラジル陸軍航空隊の先駆者で士官学校の校長ともなったリカルド・カーク中尉を祀った記念碑の前にバスを止め、一行を代表して本橋団長と玉城道子氏(青森県人会長)が献花を行った。 当日説明を担当したロナウド・ロペス中佐によると、「カーク中尉はブラジル軍初めての飛行士となり守護的な存在。このモニュメントは96年に造られた」ということだ。 次にヘリコプターが管理されている大きなガレージへと案内された一行は、目の前に現れた多くの機体を前に目を輝かせた。この施設では陸海空軍すべてのヘリ コプターの整備、パイロットの養成、伯国全土を管轄した救急救難活動などを行っているそうで、現在80機のヘリコプターを整備しており、今後はより大型の ものを70機ほど整備する予定だという。 続いて30人乗りで4000馬力以上の力を持つ巨大な最新モデルの輸送機(EC725機)に案内された一行は、その大きさに息をのんだ。 機体などについて説明するロペス氏を囲む一行の一番前に立ち、ひときわ熱心に話を聞いていたのはヘリコプターを愛してやまない浜口洋さん(61、三重)。 20代で通信技術生として伯国に渡り、今では「自分で作ったヘリコプターやグライダーのラジコンを持って毎週日曜に仲間と飛ばして遊んでいる」というなか なかのマニアだ。一行がEC725の機内にも入らせてもらえる段になると先陣を切って機内に乗り込んだ浜口さんは、他の参加者同様、普段目にすることので きない操縦席などを背景に写真を撮り、生き生きとした表情で楽しんだ様子だった。 ヘリコプターから降り、ふいに「早くこっちへ来い」とある人に呼び掛けられた。「何かしてしまったか」と一瞬不安になったが、その後まさかの感動的な再会に遭遇するとは思ってもいなかった。(つづく)...
