ブラジル東京都友会の2014年度定期総会が、3月21日午後6時からサンパウロ(聖)市パウリスタ大通りの東京都友会館で行われ、役員改選では坂和三郎氏の6期(1期2年)連続となる会長就任が承認された。続投にあたり坂和会長は「来年は都友会創設50周年の節目の年。そこへ向けさまざまな準備をしていきたい」などと目標を掲げた。 14年度の主な活動予定は、新年会、日本祭りのブース出展、ピクニック、留学生や研修生のOB会とその活性化、今後の都友会のあり方の検討など。既に創立50周年記念史の制作にも取り掛かっており、この半世紀のブラジルの政治や経済の変遷をたどりながら、ブラジル社会と都友会とのかかわりを分かりやすく説明した内容となる予定だという。 7月に開催される日本祭りでは、東京の観光名所である浅草寺の雷門にあやかった「雷どんぶり、雷焼きそば、雷天ぷら」などといった日本食を販売する予定。 また、聖市と東京都の間では1990年より姉妹都市提携が結ばれており、留学生制度・研修生制度ではこれまでに合計約70人がブラジルから東京都に派遣されてきた。これについて坂和会長は「3世、4世といった若い世代が日本や世界のことを知り、日系社会やブラジルのリーダーとなってほしいとの思いから制度の復活に向けて積極的に働きかけていきたい」としている。 今月には坂和会長自ら東京都庁を訪れ、舛添要一都知事に制度の復活や来年の創立50周年イベントへの参加を呼び掛ける予定で、16年に控えるリオ五輪の準備期間の視察も兼ねた来伯にもなるということで期待が高まっている。 1世会員が減少する中、都友会は「東京を愛する人の会」として、東京都出身者以外でも「東京を愛する人」なら誰でも参加できるのが特徴。会費などはなく相互の親睦を深めることを第一に活動しており、20年の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、ツアーなども計画している。 13年度の会計報告によると、一般会計収入9万2791・84レアル、支出6万7588・07レアルで、次年度繰越金は20万7975・66レアル。14年度予算案は7万7673レアルが承認された。 新役員は次の通り。(敬称略) 【役員】名誉会長=多羅間俊彦、会長=坂和三郎、第1副会長=鈴木壽、第2副会長=山下リジア、第1書記=林慎太郎、第2書記=神田アントニオ、第1会計=右近昭夫、第2会計=岩崎リカルド、監査=岡田本子、佐々木佳子、早川えいじ。 【監事】監査役=大沼博、本田さちえ、森原クリスチーナ。監査補=鈴木サユリ、坂和ユカリ、高木まゆみ。 2014年4月18日付
Dia: 22 de abril de 2014
大型船も着くサンセバスチャン よく晴れた3月16日の日曜、朝日に輝く水面は美しく午前10時のホテル出発前には早起きしてビーチを散歩する参加者も大勢いた。この日は海岸沿いの道路を30分ほど走った先にあるサンセバスチャンに向かうということで、記者はどうも海の街と聞くと男のロマンがそそられてしまう。 海水浴場がひしめくカラグアタツーバの海とは違い、ここサンセバスチャンの海は水深が深いため、世界各国からタンカーなどの大型船が出入りできる港があることで有名だ。 「こんなに大勢の人が来るのは初めてで今日は大忙しだ」とサンセバスチャン日本人会の人が口をそろえながら我々一行を歓迎してくれた。それもそのはずで、126人という大所帯で訪問したらどこであっても大変なはずだが、同日本人会の現在の会員は30家族と多くない。 森孝子会長(70、2世)は、「いつものイベントなどでは小さい鍋を使っているが、今日は大きな鍋を用意して気持ちを込めて作った」といい、さらには「トイレが1960年に会館が造られた当時のままだったのでこれを機に新しくすることを決めた」そうで、何とその工事は前日に終わったばかり。我々一行を迎えるためにわざわざ行われた。 サンセバスチャンは84年に青森県鯵ヶ沢(あじがさわ)町と姉妹提携を結んだそうで、会館には同町出身の舞の海(元相撲力士)の手形色紙や結成5周年の記念プレートが飾られていた。 鯵(あじ)という地名からも海とのかかわりを想像できるが、日本海に面した鯵ヶ沢町の内陸には世界遺産となっている白神山地があり、海と山に囲まれた町としての類似性もあるようだ。 またその隣のプレートに書かれた「16・3・1636」の文字が気になった記者。そう、その日はちょうど3月16日だったからだ。会場にいた同市 役員のオズワルドさんによると「今日は町の誕生日。元の町から分かれて街ができた日」だそうで、中心街では祭りも行われているということだった。 40年前にこの町に移り住んできたという藤田倭文子さん(80、2世)は、大きな港の近くに海が見えるレストランを夫と一緒に経営している。コーヒーや野 菜を作る農家の長女としてリンスで生まれた藤田さんは家族で各地を転々とした後、モジ・ダス・クルーゼスで結婚してサンパウロへ移ったが、空気が悪く子ど もがぜんそくになったためにサンセバスチャンに移り住んできたそうだ。 現在店の仕事は別の人に任せているというが、昔を振り返っ て「世界中からやってくる船の乗組員たちが来店しては、色々な国の食べ物や魚をくれたり、船に乗せてくれたりするのが楽しかった」といい、「世界一大きな 船がやって来たこともあって近くまで見に行った。本当に大きくてびっくりした」と話す明るい表情の藤田さんが印象的だった。 最近 は日本船がやって来ることはほとんどないというが、20年ほど前までは日本からやってきた船員がよくレストランに来てくれていたそうだ。藤田さんは日本で...
半世紀前には土砂崩れも発生 セーラ・ド・マール(海岸山脈)をバスで駆け上がり山頂を越えると、下界には青く輝くカラグアタツーバの海と街が広がっていた。山を下り海抜2メートルの街に入ったふるさと巡り一行は海沿いの街独特の暑さに包まれ、いよいよここまでやって来たのだなという雰囲気に変わっていた。 午後5時にカラグアタツーバ日本人会館に到着した一行を、1時間少々の短い時間の訪問予定にもかかわらず温かく出迎えてくれた多くの人々がいて、自然と握手も固くなった。 2年後に50周年を迎えるという同日本人会の由井誠吉会長(71、福島)によれば、一行が越えてきた海岸山脈で1967年3月に土砂崩れが起こり、400人強の人々が亡くなるという歴史的大事件があった。その日は由井会長の誕生日だったこともあり、忘れることはないという。集中豪雨により赤い土が見えるほど山一面がはだけていたといい、この土砂崩れによってバナナ園などの農家は打撃を受け、町に住む家族も減ってしまった。 現在日系では約300の家族が住んでおり、そのうち約80家族が日本人会に加盟している。同会で週4回行われているというゲートボールでは練習の成果もあり、数々の大会でもらった多くのトロフィーが会館に飾られていた。 一行を迎えてくれた中には、カラグアタツーバ婦人会の初代会長と2代目会長もいた。2歳の時にブラジルに渡り、ブラジルには何と90年間も住んでいるという初代婦人会長の三木スミエさん(92、岐阜)は、ビリグイやバストスに住んだ後、56年からカラグアタツーバに住んでいるという。婦人会長となった約50年前を振り返り、「当時は50家族ほどがいて、よくバザーや日本舞踊などを行っていた」と教えてくれた。 2代目の婦人会長だった河田律子さん(91、北海道)は9歳の時に来伯し、63年にカラグアタツーバに来てこの町で初めて日系人が経営するホテルを始めた。現在91歳と高齢だが、とても元気な河田さんに長生きの秘訣を尋ねると「腹を立てないことと、心配しないこと」だといい、「歌うことが大好きだから毎日カラオケで歌っていると嫌なことも全部吹き飛んでしまう」と話していた。 ゲートボールにもよく参加しており、午前5時に起きてはカフェと軽食を作り、ゲートボールに持っていって皆で食べるのが楽しみなのだという。河田さんはかつて90年にアルゼンチンで行われたゲートボールの世界大会にも出場しており、「ゲートボールをしながら100歳まで生きたい」と笑顔で話してくれた。 時間はあっという間に過ぎ、会館を後にした一行。海岸の目の前に立ったホテルの周りは、一日中海を楽しみ真っ黒に日焼けした人々で溢れていた。 午後7時過ぎからホテルの隣のレストランで食事が始まり、カラグアタツーバ日本人会から参加した由井会長と黒澤公義さん(60、茨城)と海沿いの街らしく魚の話題で盛り上がった。 記者の出身地で水揚げ量が多いことで有名な千葉県の海を引き合いに、ここの海は潮流が荒くないために魚の餌となるプランクトンが少ないのだという。とはい うものの、かつてこの辺りではイカやイワシなどがよく捕れたのだそうで、サルジーニャ・サウ・モーラ(イワシの塩漬け)にしてごちそうとして食べていたそ うだ。 塩漬けにすることで品質を保てるので、山間部にも運べることができ、畑仕事などで汗をかいた身体の塩分補給にもちょうど良 かったのだと教えてもらった。先人の知恵というのはいつも素晴らしいものだ。残念ながらそのレストランにはイワシの料理はなかったが、いつか食べてみたい と思った。 ここカラグアタツーバの町には八つの海水浴場があり、増える観光客をターゲットにした商店やショッピングセンターも建設されるなど、観光面に力を入れているという。海岸線には別荘が並び週末などの休みには多くの人で海岸はにぎわっているようだ。...
