Dia: 15 de julho de 2014
ニッケイ新聞 2014年7月11日 日本でも人気の男性アカペラボーカルグループ『INSPi』が来伯し、日本祭り期間中の5、6日に国際交流基金主催でワークショップ、中央舞台で公演を行った。ワークショップ用に特設された舞台にINSPiメンバーが現れると大きな歓声が響いた。挨拶代わりに美空ひばりの『お祭りマンボ』を威勢良く歌いだすと、場内は一気に熱を帯びた。 アカペラとは無伴奏で合唱する形態の事。曲中に各メンバーが声で太鼓の音を模写すると、場内からはどよめきが起き、観客はみるみる惹きこまれていった。 昼はワークショップとして、研ぎ澄まされた和音を堪能するだけでなく、観客を舞台に上げてボイスパーカッション(楽器の音を声帯模写すること)を聞かせた。『みかんの花』を歌いながらの手遊び、皆で『七夕さま』を歌うなど家族的なひと時を演出した。 最後には同じ事務所の先輩で、去年の日本祭りで凱旋公演をしたマルシアが一部ポ語訳した曲『ココロの根っこ』を歌い、観客の笑顔と拍手に包まれて盛況のまま終わった。メンバーの奥村伸二さんは「先輩のマルシアさんも伯国出身だし、とても親しみがあった。遠い国だが最初から身近に感じていた」と思い入れを語った。 INSPiは日本全都道府県や各県の小学校、そして世界7カ国で公演の経験があり、持ち歌も各国版があるなど海外公演に対して積極的に取り組んでいる。メンバーの北剛彦さんはその理由を「歌は歌い継がれないと消えていく。日本語を大切にしたいし、後世にも伝えていきたい。外国の人は言葉こそ違うが人間としての根っこは一緒だと分かるので、海外公演は大切な機会。遠い国に来て生活している人と出会い、素敵だなと言える感性を受け取る事で、異文化交流をしているのだと思う」と答える。 伯国公演では「日本を身近に感じて欲しくて、昔から歌い継がれている曲を選んだ。一緒に口ずさんでくれて嬉しかった。苦労をされた方が大勢ここで頑張っているのだと思うと自分達も力が湧く」と語り、充分に手応えを感じた様だった。 夜の部は中央舞台で公演が行われ、INSPiが熱のこもった美しい和音を次々に響かせ、最後にMPBの名曲『トリステーザ』を歌い上げた直後、客席からアンコールの声がとどろいた。再登壇すると坂本九の『上を向いて歩こう』を歌い出し、一緒に立って歌ったり踊りだす観客もいて、熱気が最高潮に盛り上がったまま幕を閉じた。 公演後、大倉智之さんは「アンコールが来るとは思っていなかったので、とても嬉しかった。凄く盛り上っていてパワーが凄かった」と興奮冷めやらぬ様子。「自分達の伝えたい事を受け取ってもらえた様で感動した、また公演できたら嬉しい」と満足そうに語った。
ニッケイ新聞 2014年7月11日 ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)が主催する「第17回日本祭り」に、元サッカー日本代表の中田英寿氏(37、山梨)がプロデュースする「nakata.net Cafe2014@サンパウロ」の日本酒バー「N―Bar」が出展した。同事業は日本酒など本場の日本文化を発信するため同氏が立案したもので、先月12日から約2週間、聖市内のカフェの一角で期間限定営業していた。今回の〃イミグランテス出張所〃にも多くの人々が訪れ、日本酒を堪能。初めて口にするという来場者もおり、奥深さや味わいに舌鼓を打っている様子が見られた。中田氏本人は5日午後に訪れ会場内を見て回り、地元の山梨県人会ブースにも足を伸ばした。広報資料を通し、「こんなにも多くの人が集まる日本祭りに出展出来て良かった。日本酒をより多く人に知ってもらい、飲んでもらえる非常にいい機会になった」とコメントした。
今年県人会創立65周年と県民移住100周年を迎える宮崎県人会(高橋久子会長)は、記念式典を8月24日午前9時からサンパウロ市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館(Rua Joaquim T・vora, 605)で開催する。式典には母県から河野俊嗣県知事、福田作弥同県議会議長ら総勢約50人の慶祝訪問団が来伯するほか、宮崎県西臼杵郡高千穂町の民俗芸能「高千穂の夜神楽」の舞い手14人も慶祝団の中に含まれ演技を披露。節目の年を盛り上げる。 7日に本紙を訪れた高橋会長(83)と山元治彦同式典実行委員長(77)が式典の内容について説明した。 式典には400人ほどの来場を予定しており、午前9時から神式による先亡者慰霊法要を南米神宮が担当して開始される。その後、夜神楽の披露、来賓あいさつをはじめ、高齢者表彰などが正午まで行われる。昼食を挟み、日本舞踊団「優美」やサンバの各ショー、同県人会員による芸能舞踊、民謡の披露などが午後4時ごろまで続く。 来伯する高千穂の夜神楽は1978年に国の重要無形民俗文化財に指定された高千穂町に伝わる民俗芸能で、ブラジルでの舞い披露は初めて。来伯に至っては昨年10月に死去した谷広海前会長が日本に赴いた際、県側に要請して初来伯する運びになったという。 今回の式典について高橋会長は「谷さんの功績は大きい」と語り、慶祝訪問団のため母県と積極的なコンタクトを取った谷氏を称えたほか、高橋実行委委員長も谷氏の気持ちを酌み、「何とか式典を成功させという気持ちがある」と意気込んでいる。 なお、夜神楽の舞い披露は式典翌日の25日午後7時30分から同9時30分までモジ・ダス・クルーゼス市の市立劇場「Cemforpe」(Rua Antenor Leite da Cunha, 55)でも行われる。当日の入場は無料だが、来場者に保存食1キロの持ち寄りを呼び掛けている。 詳細は同県人会(電話11・3208・4689)まで。 2014年7月12日付
今年も大盛況となった「第17回フェスティバル・ド・ジャポン」の郷土食コーナー。その1ブース、秋田県人会で働いていた三船広志さん(73)は、日本の俳優だった三船敏郎氏が母親のいとこに当たり、1932年に農業移民で渡伯した同県出身の両親のもと、サンパウロ州オンダベルデ市で生まれた日系2世だ。ブラジルで歩んだ人生をはじめ、初めて両親の母県を訪れた今から7年前のこと、そして日本祭りでのエピソードなど、同氏が涙を流しながら語ってくれた。(倉茂孝明記者) 広志さんはサンパウロ州奥地で牛とカフェのファゼンダを営んでいた三船一家の11人兄弟の7番目の子どもとして生まれ、中学生のころに「子どもにちゃんと勉強させよう」という両親の思いにより、土地や家をすべて売り払ってスザノ市へと移り住んだ。 その後、「もっと勉強すればよかったが、自分には向いていなかった。(敏郎氏と同じ)俳優の道には進むチャンスはなかった」と振り返る広志さんは、スザノ市の高校を卒業後は両親と共に養鶏をしながらしばらく過ごした。 だが、「このままでは将来がない」と思い立った広志さんは鶏肉と卵を販売する店を始め、繁盛して稼いだ金で67年に友人と共に鍋工場を始めた。 これもまた繁盛したというが、「飽きっぽかったから」と今度は90年にぬいぐるみ工場を設立。当時は珍しかった「音楽が鳴るぬいぐるみ」を製作して販売し、2004年まで働き続けた。そんな広志さんは07年、秋田県で開催された国民体育大会に招待を受け、生まれて初めての日本、そして両親が生まれ育った秋田県への訪問が実現した。 飛行機が秋田空港に着いた時のことを広志さんは、「初めてだったのにどうしてか分からないが『帰って来ました』という気持ちになって」と涙を浮かべて言葉を詰まらせ、「両親から働いて苦労した話や懐かしむ話をよく聞いていたから気持ちが入りこんでいた」とさまざまな感情が込み上げて来た当時の気持ちを振り返る。 さらに、「墓参りがしたい」という広志さんのために両親の出身村の副村長が車で墓まで連れて行ってくれたといい、「花束も買ってくれ、雨が降る中で傘を差して待ってくれていた。本当にありがたかった。日本人の心はやっぱり違うと感じた」とうれしそうに思い返す。 その日本人の心が受け継がれている日本祭り。「色々な県がそれぞれ力を合わせてやっていて素晴らしい」と広志さんが参加するようになったのは、今から6年前のこと。同年に秋田県人会のブースを初めて訪れると、「働いている人数は多いが、売る物が少なそうに見えた」という。その日の帰りにスーパーで鶏肉を買って妻と一緒に串カツを約180本作って翌日持っていったところ、どんどんと売れたそうだ。 それを機に翌年からメニューとして串カツが採用され、広志さんはメンバーとして働き始めた。串カツは今では3日で1500本売れる人気メニューになっている。 今年の同祭では、秋田の名酒「高清水」の法被姿で働いていた広志さん。その風貌(ふうぼう)はどこか敏郎氏の面影が漂っており、笑顔で温かく接客する様子が印象的だった。 2014年7月11日付
第17回日本祭りのメーンステージで、男性6人組アカペラグループのINSPi(インスピ)が初来伯公演を行った。 同グループは、声だけでドラムやベースの音を作り出し、ハーモニーを奏でるアカペラグループとして2001年にデビュー。近年は「日本のココロ歌」を提唱しており、童謡、唱歌、歌謡をアカペラで取り組んでいる。また、日本国内にとどまらず、アジア諸国やメキシコなど世界を舞台に公演を行っている。 5日、6日両日にわたった公演では「東京ブギウギ」や「東北メドレー」など、日本の古き良き名曲を中心に歌い上げた。さらに、日本で活躍する日系3世歌手のマルシア氏から教わったポルトガル語でオリジナル曲の「ココロの根っこ」や、自己紹介を披露すると会場からは拍手が送られた。 公演の最後に歌ったボサノバの名曲「トリステーザ」では、席を立って踊りだす観客も見られ、アンコールも沸き起こるなど約2500人の観客を魅了した。 同グループリーダーの杉田篤史氏は「ブラジルでの公演は夢だった。まさかのアンコールがもらえてうれしい。インスピを呼んでくれた人たちの思いを背負って歌った」と公演終了後の感想を述べた。 日本祭りに関しては、「本当に良い祭り。(日系人の)思いが溢れ、かかわれて幸せ。現地スタッフにもお世話になりました」と感謝を示した。 当日会場に訪れていた岡本綾子さん(66、3世)は「(メンバー)みんな良かった。ポルトガル語も難しかったと思うが、上手でした」と満足した様子だった。 今回、同グループを招聘した国際交流基金サンパウロ日本文化センターの杉田尚央氏は「日本文化を発信している点と海外活動実績から出演を交渉することとなった。公演終了後には反響があった」と公演成功を喜んだ。 2014年7月11日付
W杯で勝つには歴史が必要 サッカー元日本代表の中田英寿氏(37、山梨)が中心となり、サンパウロ(聖)市に期間限定でオープンした「nakata.net cafe(ナカタドットネットカフェ)」(現在は終了)。内装はカフェというより、スタイリッシュなバー。木目を生かしたカウンターには、和食の創作料理が美しく盛り付けられ、日本各地の日本酒が並ぶ。いかにも和風な空間を選ばないところにも中田氏のこだわりが見てとれる。同カフェオープンに先駆けて行われたレセプション開会直前、本紙のインタビューに応じた中田氏に、同氏の価値観やサッカーについて話を聞いた。(夏目祐介記者) 今回で来伯は10回ほどになるという中田氏。ブラジルへの印象を聞くと、「地方によって全く異なるため、一括りにはできない。サンパウロは急成長している大都市で洗練されているイメージがありますね」と語る。 その聖市でオープンした同カフェ。日本の食や文化の発信が主な目的だったが、中田氏が伝えたい日本らしさとは何か。「僕は『らしさ』という言葉が好きではありません。なぜならそれは発信側が定義することではなく、受け取る側が決めることだからです」。そう前置きして同氏は続ける。「なので今回(のnakata. net cafe)も、僕が良いと信じた『日本』をブラジルに紹介していますが、正しいかどうかは分からない。足を運んでくれた人それぞれに判断してもらいたいです」 話題をサッカー・ワールドカップ(W杯)に移す。まずはデモについて。W杯ブラジル大会も閉幕が近づき、幸い際立った惨事はまだないが、同氏は「デモは世界中どの都市でも行われるものだけれど、W杯でその話題が先行するのは残念。ブラジルの良いものを見せるチャンスなのに、外国人としては不安で、マイナス材料になるわけですから」と考えを述べた。 中田氏は現役時代3度のW杯に出場。ずばりW杯で勝つためには何が必要だと思うか。「歴史ですね。過去の大会でも新興国が好成績を残すケースは多くない。W杯で上位を目指すには、経験を積み重ねて、自分たちの勝つスタイルを確立しなければならない」 同氏を取材したのはW杯開幕前。日本代表の選手たちが大会敗退後、「自分たちのサッカー」ができなかったと反省を口にしたが、同氏は戦う前からそれを実行する難しさを語っていた。 そして今大会の優勝国予想は、希望も込めてブラジルだ。「64年ぶりの自国開催での優勝は、ブラジルサッカーの歴史的にもふさわしいでしょう」 最後に、中田氏のサッカー界復帰の可能性を尋ねた。「今でもチャリティマッチなどで、サッカーとかかわっていますよ。でも根本的にサッカーは自分にとってプレーして楽しいもの。サッカーで金もうけは考えていないです。監督やコーチも含めてね」 日本祭りにも来場文化知らせる活動に共感 7月4〜6日まで聖市で開催された第17回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)。主催の県連が目玉の一つと語っていたのが、nakata.net cafeの日本酒ブース出展だった。そして5日には、同祭りに中田英寿氏が参加。郷土食ブースにも足を運んだ。 中田氏はまず、同カフェブースに来場。日本酒「作(ざく)」を注文し、ブラジル人女性のスタッフにブースの様子を確認した。 両氏は互いに日本酒ソムリエの資格を有し、話題は専門的に。女性が「(同カフェに)参加して教えてもらうまで、冷蔵せずに日本酒を保存していました」と打...
