ニッケイ新聞 2014年9月19日 埼玉県とブラジルの交流を模索するために、埼玉県議会議員の諸井真英さん(45、埼玉)が3日に来伯した。これまで計10回以上、県議当選後の8年間だけで5回目の来伯となる。諸井さんは「埼玉県は他県と比べてあまりこちらに目を向けない県。もっとブラジルに目を向けるよう何かできないだろうかと常々考えている。まず埼玉県人会が何を求めているかを理解した上で、今後の交流の方法を模索していきたい」と意欲を見せた。同伴した同県人会の森田泰司さんは、「来年の県連日本祭りにおいて、埼玉県の支援をいただけるように取り組んでいければ」との可能性に期待を寄せた。また、諸井さんは大学生時代の91年にサッカー留学のためブラジルに渡伯、96年から2年間はサンパウロ新聞記者として経験を積んだことに触れ、来伯中の留学生について「いろんな経験をして視野を広げてほしい。外から見た日本の姿を意識できる貴重な機会、これを生涯の財産にしてほしい」と述べた。諸井さんは98年に帰国後、中川昭一国会議員秘書を経て埼玉県議会議員に当選し、現在2期目を務める。12日まで滞伯した。
Dia: 25 de setembro de 2014
埼玉県議会議員で同県議会日伯友好議員連盟の事務局長を務める諸井真英氏(自民党、45、埼玉)が3日に単独で来伯し、10日間の予定で滞在した。5日、ブラジル埼玉県人会(飯島秀昭会長)の尾崎眞司、森田泰司両副会長とあいさつに来社した。 県議に就任して2期8年目の諸井氏は大学生時代にブラジルへサッカー留学、1996年から2年間弊紙記者として働いた経歴の持ち主。2008年にはブラジル県人会50周年記念式典へ参加し、12年には同議員連盟で伯国各地を訪問するなど、伯国と深い関係を持っている。 2年振りの来伯となった今回はサンパウロとリオを訪問。東京オリンピックのサッカー会場に埼玉県のスタジアムが決定しているため、そこへ向けブラジルのサッカースタジアムなどを視察した。 また、尾崎、森田各氏らは諸井県議に対し、フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)への同県や企業の参加・支援をはじめ、04年に廃止された県費留学制度の復活やそれに代わる留学制度の新設を同県議会に提言してもらえるように要請した。 それに対し諸井県議は、「県知事は日本祭りの存在すら知らないし、伝えていかなくてはいけない。まずは来年4月の選挙に勝てるように頑張ります」と話した。 2014年9月20日付
8月26~29日にかけて愛知県弁護士会の国際委員会に所属する10人が来伯し、期間中、各日系団体を訪問した。委員はブラジル人に関連した事件や相談を日頃から多く扱っており、日系社会を知り今後の弁護士業務に活かすのが来伯の目的。29日にサンパウロ市リベルダーデ区の愛知県人会館を訪問し、応対した沢田功会長、小松清香ジェニー、林アンドレ両元会長と懇談を行った。 滞在約1時間の間に県人会の歴史について沢田会長と小松氏が、弁護士の林氏がブラジルの弁護士事情についてそれぞれ説明した。最後は一行から県人会に対して記念品が渡され、参加者全員で写真を撮り、交流を深めていた。 2014年9月20日付
将来を担う世代への贈り物 ブラジル沖縄県人会(田場ジョルジ会長)が移民100周年事業の一つとして編集を続けてきた記念誌「写真で見るブラジル沖縄県人移民の歴史」と、別冊「笠戸丸県人移民325名の名簿及び簡単な足跡」がこのほど完成した。5年余りの時間をかけて出版の日を迎えた同書は、第1回笠戸丸移民から現在まで、ブラジルにおける県系人社会の歴史を伝える写真1500枚を収録。日ポ両語で説明文を付け、将来の世代に残す記念誌となっている。24日の出版祝賀会に先立ち、16日、編集委員会(宮城あきら委員長)、関係者が会見した。 第1回ブラジル移民の約4割を占めた沖縄県人。現在、サンパウロ(聖)市・州内、南マット・グロッソ州カンポ・グランデをはじめ、パラナ、ブラジリアなど国内各地に暮らす県系人口は全日系人口の1割を占めると言われる。 同事業の始まりは、100周年の数年前。当時、県人会には多くの過去の写真が保管されていたが、何の説明もないものが多かった。そこで山城勇元会長が、「先輩が元気なうちにこうした写真をまとめて1冊の本に」と理事会で提案、100周年事業として動き始めた。 11人からなる編集委員会が資料収集を開始。県人会内の写真に加え、笠戸丸移民の子孫など会員家族の所蔵資料、委員が各地に足を運んで調査発掘したものなど3000枚以上の写真から整理、選考して編集された。 資金不足で出版が危ぶまれた時期もあったが、同事業の趣旨に賛同した西本エリオ聖州議の協力で州文化局が13万レアルを支援。ページ数の都合で別冊となった「笠戸丸―」は県人会・会員の協力により出版された。 「写真―」は計384ページ。農場労働から、聖州サントス・ジュキア線やノロエステ鉄道建設後のカンポ・グランデに移って集団地を形成した移民初期。球陽 協会の設立。聖州奥地、北パラナへ広がった戦前から、戦中の移民空白期、戦場となった戦後の母県救援活動とそこから生まれた現県人会・支部。県人社会を助 けたブラジル人。母県からの来訪者。移民50周年から100周年までの式典。初期移民のころから受け継がれてきた音楽・舞踊などの文化活動など、県人、県 系人1世紀の足跡を伝える写真を、日ポ両語の説明とともに掲載した。 「笠戸丸―」には、第1回県人移民325人の氏名や足跡などを再調査、記録したほか、90人の写真が掲載されている。 委員の中には完成を前に亡くなった人や、大きな病気を患った人もいた。宮城委員長は会見で、県人会や写真の提供者、支部、各編集委員など協力者へ感謝。 「(同書の中に)赤い糸のように貫かれているウチナーンチュの心を、ブラジルに生まれた新しい世代に視覚的、実感的に伝えることを目指した。この2冊は1 世から21世紀を担う若き世代への贈り物。本日発表することができてうれしく思う」と喜びを表した。 100周年祭典実行 委員長を務めた与儀昭雄元会長は、編集委員の尽力をねぎらうとともに、「写真が多くあっても、若い人には意味が分からない。箱に入れたまま忘れてしまう可 能性があった」と同事業が始まったころを回顧。「その時の約束を果たすことができ、安心し、喜んでいる」と語った。...
