06/03/2026

Ano: 2014

ニッケイ新聞 2014年8月26日 元県連会長の羽田宗義さんが23日午後7時ごろ、急性肺炎のため聖市モッカ区のサントマギオレ病院(プレヴェント・セニョール)で亡くなった。享年88。26年1月、愛知県半田市生まれ。58年10月に移住した。愛知県人会の3代目会長を84年から16年間務め、現在は愛知県人会名誉会長。その時代に県連会長も務めた。それ以外に日伯音楽文化協会顧問、文協評議員なども歴任した。今月17日の『第14回日本人の心の歌チャリティーショー』(文協)にも出演予定だったが、体調不調のため見送り。18日から入院し、葬儀は24日に行なわれた。初七日法要は30日午後3時から曹洞宗南米別院仏心寺(Rua Sao Joaquim, 285, Liberdade)で行われる。
ニッケイ新聞 2014年8月26日 鹿児島県人会の元スザノ支部長で、ニッケイ新聞編集部の制作部責任者の馬場典昭さんが、25日午前9時頃、入院先のモジ市のサンターナ病院で亡くなった。享年66。葬儀は26日午後2時からスザノ本願寺(Av.Tiradentes, 411)、その後、同市サンセバスチャン墓地に埋葬される。18日朝、スザノ市の自宅で脳動脈瘤により倒れ、同市のサンタカーザ病院に運ばれたが、脳外科の専門家のいる現在の病院に移され、UTIで治療を受けていた。馬場さんは1947年10月に鹿児島で生まれ、1978年に機械設計技師として工業移住し、日立マクセル、NSKなどで勤務した後、ニッケイ新聞で働いていた。その傍ら鹿児島県人会で一時期、監査やスザノ支部長を務めていた。
崇高な舞で500人の観客を魅了 ブラジル宮崎県人会(高橋久子会長)主催の「高千穂の夜神楽・モジ公演」が、25日午後7時半からサンパウロ(聖)州モジ・ダス・クルーゼス市の市立劇場「Cemforpe」で開催され、約500人の来場者があった。同公演は、ブラジル宮崎県人会創立65周年・県人移住100周年を迎えたことを記念して開催。夜神楽の本場宮崎県高千穂町から来伯した公演団の崇高な舞に、集まった観客は魅了されていた。 高千穂の夜神楽は宮崎県高千穂町に伝承されている伝統芸能。同地では秋の実りへの感謝と次の年の豊穣を祈願するために、毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて町内各地で33番の神楽を夜を徹して行われている。1978年に日本の重要無形民俗文化財に指定。80年には欧州で開催された国際伝統芸能祭へ招かれる等、海外での公演も多数行っている。 今回、ブラジルで初めて披露された公演は、昨年10月に交通事故で不慮の死を遂げた宮崎県人会前会長の谷広海氏が昨年8月に訪日した際に、県側に強く要望して実現したもの。一般を対象にしたモジ公演は、同県人会記念式典実行委員長の山元治彦氏が「夜神楽公演団がブラジルに来るので、どこかで公演をやらなければもったいない」と公演場所を探していたところモジ市が快諾。市は劇場の無料貸し出しに応じたほか、モジ文化協会も支援を行い公演実施の運びとなった。 同公演では、当日用に約1時間の短縮版としてまとめた五番の神楽が披露された。 開幕の「岩潜(いわくぐ)りの舞」は激流を4人の舞手が表現。後半には刀を使用した場面もあるなど、一瞬の気の緩みも許されない緊迫した舞を観客は固唾(かたず)をのんで見守っていた。 「戸取(とと)りの舞」では腕力を象徴する神である手力雄(たぢからお)が力強い舞を披露。日本神話に由来する岩戸を持ち上げる場面では来場者から盛大な拍手が送られた。 最後の「ご神体(しんたい)の舞」は神々の先祖とされるイザナギ、イザナミの男女二神が酒に酔って抱擁し合う内容。人間味溢れるコミカルな舞に観客席は笑顔に包まれた。 その後は宮崎県出身のソプラノ歌手・黒木あすかさんによる歌のショーや、舞踊団体「優美」や「西川陽輔会」による日本舞踊が披露された。 公演終了後には公演団や県人会のメンバーが出口前で列になり待機。観客と握手を交わすなど感謝の気持ちを伝えていた。 今回の神楽舞手代表を務めた甲斐晃一郎氏(79、宮崎)は「ただただ感激。(客席の)皆さんに熱心にご覧いただいて、また拍手もいただいて本当にありがたい」と感慨深げに同公演を振り返った。 モジ市在住で、70年以上も前に宮崎からブラジルに移住したという田久見富子さん(81、宮崎)は「とっても感動しました。懐かしい気持ちになった。また来てほしい」と笑顔を見せていた。 2014年8月28日付
県人移住100周年も祝って 「日伯両国の交流、懸け橋となる留学生・研修制度をこれからも続けていただきたい」―。ブラジル宮崎県人会創立65周年・県人移住100周年記念式典が24日、サンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、高橋久子会長はあいさつの中で冒頭の言葉を県側に依頼、強調した。式典には、母県から稲用(いなもち)博美副知事、福田作弥県議会議長をはじめとする74人の大型慶祝団が来伯し、県人会関係者を合わせて約400人が出席した。式典前の県人物故者慰霊法要に続き、ブラジルで初公演となった「高千穂の夜神楽(よかぐら)」も奉納。県人移住100周年を節目に、宮崎県とブラジルとの交流が改めて深められた。 ブラジルへの県人移住は、川南町出身の故・甲斐長蔵(かい・ちょうぞう)氏が1914年、27歳の時にサントス港に上陸したことに始まる。同氏は12年に25歳でペルーのカニエテに入植後、チリを経由してアンデス山脈を越え、アルゼンチンから船で渡伯。南マット・グロッソ州などで牧場経営を行い、97年に90歳で亡くなったという。 24日午前9時から県人物故者慰霊法要が南米大神宮による神式で執り行われ、高橋会長、福嶌教輝在サンパウロ総領事、稲用副知事、福田県会議長らが一人一人玉串奉納を行った。 引き続き、「高千穂の夜神楽」公演が実施。「手力雄(たぢからお)の舞」「鈿女(うずめ)の舞」「戸取(とと)りの舞」の3演目が奉納された。同公演は昨年8月に母県を訪問した県人会の故・谷広海前会長夫妻の強い思いで実現したもので、同10月に交通事故で不慮の死を遂げた谷氏への思いがしのばれた。 予定時刻通り、午前10時半から行われた式典には、日本側から稲用副知事、福田県会議長、田村俊彦宮崎市副市長、椎葉晃充町村会団長、伯側から福 嶌総領事、松尾治文協副会長、尾西貞夫援協副会長、木原好規県連副会長、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議など来賓が出席。日伯両国歌斉唱に続い て高橋会長があいさつし、100年前に甲斐氏がブラジルへの第一歩を踏みしめたこと、49年に創立した県人会が24人の会員から始まり、現在では県人子弟 が約1万5000人存在することなどを説明。その上で、80年に開始された技術研修生制度や県費留学生、農業研修生制度などを通じて学んだことを子弟たち が伯国社会の発展に役立てているとし、「両国の懸け橋となるこれらの制度をこれからも続けていただきたい」と強く願った。 河野俊嗣県知事の祝辞を代読した稲用副知事は、宮崎県からブラジルに計約4000人が移住し、母国とは異なる環境の中でたゆまぬ努力を続け、現在のブラジ ルに貢献していることに敬意を表した。また、今回の「高千穂の夜神楽」公演について「今後のブラジルと宮崎の新しい交流のきっかけになる」とし、県費留学 生・技術研修生制度による息の長い交流を実現させてきた中、「未来を担う若者たちの意見も反映しながらより一層強固な関係を作っていきたい」と述べた。 日伯両国代表者の祝辞に続き、第1回県人先駆者移住100周年記念表彰として、亡き甲斐氏の出身地である川南町の日高昭彦町長に記念プレートが手渡された。 その後、県人会から母県への感謝状、県からの記念表彰として県人会発展功労者(歴代会長ら4人)、県事業功労者(18人)、80歳以上の高齢者60人に表彰状と記念品が寄贈された。 吉加江ネルソン氏、大浦洋人氏、中鶴フジ氏がそれぞれ代表して謝辞を述べ、その後、県費留学生・農業研修生を代表して中村さゆりさんと土田オスカルさんもそれぞれ県への謝辞と思いを語った。 記念品交換、日系福祉団体への寄付の後、山元治彦実行委員長が閉会の辞を述べ、式典は締めくくられた。...
ニッケイ新聞 2014年8月26日 兵庫県人会(尾西貞夫会長)が9月21日、モジ・ダス・クルーゼス市に親睦ピクニックを挙行する。参加費は会員50レアル、非会員70レ(バス代、食費込み)、5歳以下と75歳以上は無料。申込み締切り同月16日。50年間枇杷、アテモイア、ゴイアバなどの果物を栽培し数々の賞を得ている細谷武雄さんの農場、お茶屋敷「カザロン・ド・シャ」、蘭園オリエンタルなどを訪れる。当日午前8時に同県人会前(Rua da Gloria, 332, Liberdade)からバスが出る。申し込みは同県人会(電話=11・3207・0025、Eメール=brhyogoken@gmail.com)まで。
ニッケイ新聞 2014年8月25日 沖縄県系人の大集団地、南麻州カンポ・グランデ市で沖縄県移民入植百周年が盛大に祝われた。1914年に完成したノロエステ線の敷設工事に携わった県民の一部が住み着いたのが始まり。市の日系人1万5千人のおよそ7割が県系人と言われる。14日は母県から高良倉吉副知事はじめ約80人の慶祝団を迎え、同市沖縄県人会が盛大に記念式典を開催した。ハワイ、ボリビア、聖市からも多数の慶祝団が出席。約600人が一堂に会し、先人の労苦に感謝を捧げるとともに、カンポ・グランデと沖縄県、南麻州との末永い友好を誓った。 志良堂ニウトン沖縄県人会会長は「われわれ子孫は先祖の努力の賜物。先駆者の精神をしのび、これからも家族を大切にしよう」と話し、「にふぇーでーびる」(ありがとうございます)とうちなーぐちで挨拶を締めくくった。聖市沖縄県人会の島袋栄喜副会長は「カンポ・グランデは一番早く県人会を創設し、苦労を乗り越えてコロニアを築いた。我々もその心意気を受け継ぐ」と話した。稲嶺名護市長は「『ちむぐくる』『ゆいまーる』(助け合い、相互扶助の意)の精神がこの町にも根付いてほしい」と、うちなーぐちで挨拶し、拍手喝采を浴びた。続いて県人会から慶祝団に記念プレートが手渡され、母県からは功労者5人および80歳以上の高齢者110人に表彰状が贈られた。芸能発表の後、夜更けまで晩餐会が開かれた。与那原町議会の識名盛紀議長(62、与那原、しきな・せいき)は、「最高だった! 沖縄ではもううちなーぐちを使わないのに、こちらでは皆が話すので、まるで沖縄全体がブラジルに移った感じ。ここには本物のウチナー文化が残っている。僕の小さい頃のようで、涙が出た」と感極まった様子で話した。 【続きはこちら】
サンパウロ・大阪姉妹都市提携45周年を記念して大阪ジュニアバンドが来伯し、17日に聖市のブラジル日本文化福祉協会の小講堂で演奏会を行い、約200席が満席になった。同バンドは10歳から15歳までの約150人の小、中学生で編成され、5、6年に一度の割合で海外公演を行っている。今回はその中から楽器、バトン(ダンス)合わせて26人が来伯し、創価学会女子部ノーバエラ鼓笛隊、青年部太陽音楽隊と共演した。まず日伯両国歌がジュニアバンドによって演奏され、続いてノーバエラ鼓笛隊、太陽音楽隊がそれぞれ演奏を行い、最後にジュニアバンドが再登場した。緊張の面持ちで「ルパン三世」の演奏から始まり、軽快な音楽に合わせて5人の少女達がダンスを踊ると客席から手拍子が起こった。一曲終わるごとに立ち上がって拍手を送る観客もおり、〃小さな親善大使〃を温かく歓迎した。音楽、ダンス合わせて計5曲を演奏し本編を終了したが、すぐさまアンコールが起こり、伯国の国歌を演奏すると皆立ち上がって斉唱し、最後には観客からの大歓声が沸き起こっていた。アンコールの最後には創価学会音楽隊と一緒に「ふるさと」を演奏し、口ずさむ人や声援を送る人もいて、観客の熱い反響に子供らも感動、興奮した様子だった。リーダーであり、トランペットの独奏も行った嶋村星哉さん(15)は、「みんなのまとめ役と自分の独奏もあって両立が大変だったが、全員が徐々に良くなってきたので上手く行ったと思う。大きな声援を貰えて本当に感動した。今日の事は発表会の度に思い出すと思う」と異国での歓声に感激していた。同バンドの指導者の上垣康則(51)、副指導者の小田剛史(たけし)(27)さんは「観客の反応が日本と違っていて本当に感動、鳥肌が立った。『日本もこんな風になればいいのに』と子供達と話していた。距離も時差もあり子供達は大変だったと思うが、それぞれが持つ力に感動させられた。私達も楽しかったし上手く行ったと思う」と満足した様子だった。閉演後は、同バンドと創価学会の両音楽隊員との交流会も行われた。日本から持参した団扇や子供達手書きの書など贈り、ポ語で挨拶した後、けん玉を披露、ここでも歓声を浴びていた。その遊び方を指導しながら、短時間だったが充実したひと時を楽しんでいた。交流を終えて同バンドの豊田紫裕(とよたしゆ)さん(12)は「ブラジル人は陽気で楽しい。演奏も交流会もとても上手く行ったと思う」と満足そうに話した。同バンドの山内武治副会長は、「一日毎に上達している子供達に驚いた。海外演奏旅行は非日常なので、出来るだけ多くの体験をして、充実した気持ちで今回の旅程を終えて欲しい」とのべ、日伯関係について「今は2年後に伯国で五輪が開催され、その4年後に日本で開催されるという好機にある。今回の演奏会でお互いの国に興味を持って、その時に繋げて行ければいい。音楽は素晴らしい世界の共通語なので、それを身に付けている子供達にぜひ頑張って欲しい」と語った。同バンドは45周年記念式典にも参加し、過密日程の中、イグアスの滝観光などを終え、20日、日本に帰国した。
福井県大野市の還暦軟式野球チーム「G.C大野」と、ソフトボールチーム「大野クラブ」などのメンバー16人が21日に交流試合のため来伯し、同日本紙を訪れ意気込みを語った。女子ソフトボールの指導者で主将の近森聖功さん(64、高知)は「子どもたちとの指導講習会も予定しているので、経験を生かして技術向上に努めたい」、監督の杉山敏雄さん(67、福井)は「初めての海外交流。中々ない機会なので、楽しくプレーできれば」と話した。2007年パン・アメリカン大会で、伯国女子ソフトボール代表の臨時コーチを務めた水上健次郎代表(72、高知)は、「より強固な交流を継続するため、2、3年おきにでもチーム往来を実践したい。両国の架け橋になりたい」と期待に胸を膨らませた。一団は23日にコーペルコチアの野球チーム、24日にオザスコのソフトボールチームと親善試合や指導会を行なう。会場はコーペルコチア・アトレチコ・クラブ(Rua Valentim Nicolai, s/ n – Parque Ipe)で、開始はそれぞれ午前9時を予定。問い合わせは同クラブ(11・8105・9731)まで。
静岡県立磐田農業高校による「第3回ブラジル生徒派遣交流事業」が実施され、生徒2人と教員2人が16日に来伯した。一行は着伯したその足で静岡県人会による歓迎昼食会に参加、約40人の会員らの歓迎を受けた。同県人会の杉本教雄会長は、「県人をお迎えでき、うれしい。手を取り合って交流の輪を広げましょう」と挨拶した。引率者として2度目の来伯となった滝井徹校長は、「いつも協力して下さる方々に感謝。花卉や水耕栽培、関連機関を回って学んだことを持ち帰り、600人の生徒、70人の教諭に伝えたい」と意欲を示した。来年迎える同校の120周年式典でも、事業の大切さをアピールしたいと話した。生産科学科3年の石川ヴィトリア翠霞(すいか、日本生まれの四世)さんは、曽祖父母が約70年前にブラジルに移住した。「ブラジルにルーツがあるのに文化や習慣を知らないから」と参加を希望。「何かしらの形で日伯をつなげる役目を果たしたい」と意気込んだ。食品科学科3年の杉山美月さんは「海外を体験したくて応募した。治安の悪さに両親はすごく反対しましたけど」と笑い、「いろんな人と交流して見聞を広めたい」と話した。一行はイビウナやモジの農家視察や、聖州立ピラシカーバ農大を訪問し、23日に離伯する。
サンパウロ市議会で19日夜、「大阪・サンパウロ姉妹都市45周年記念式典」が行われ、参加した約150人が両市の友好を祝った。大阪市からは木下吉伸、新田孝両市議が、聖市からは野村アウレリオ市議、ブラジル日本文化福祉協会の木多喜八郎会長、在聖総領事館の佐野浩明首席領事ら11人が出席した。15日に来伯し、聖市内の日系団体施設を巡った「大阪ジュニアバンド」のメンバー約30人も列席し、ここでも見事な演奏を披露した。主催はサンパウロ大阪姉妹都市協会(高木ラウル会長)。 大阪ジュニアバンドの日伯両国歌、大阪市歌演奏で、午後7時半に始まった。高木会長は関係者に感謝を述べた後、大阪ジュニアバンドの子供たちに「長旅の疲れは、休めば無くなりますが、当地での経験は残り続けるでしょう。あなた達の将来を応援しています」と挨拶した。野村市議は「先日の安倍晋三首相来伯で、日伯関係は新たな段階に入った。大阪市と聖市もこれから益々関係が深まっていくだろう」と喜びを語り、木下市議は「これから先、姉妹都市の交流が強固になっていくことを疑わない。次の世代へ交流が受け継がれていくように努めていきます」との意気込みを話した。大阪ジュニアバンドを代表して登壇した寺田和哉くん(13、大阪)は「一番に感じたことは、この国の人の優しさです。初対面の私たちにどの人も友達のように笑顔で接してくれました。日本に帰ったら『人に優しくする』という大事なことを実行していきたいと思います」と話した。その後、同バンドの子供らは、日本文化紹介として剣玉について説明したポ語文を懸命に読み上げ、実物を聖市へ寄付した。17日に聖市文協で同バンドと共演し、同式典でも「マスケナーダ」など2曲を披露したブラジル創価学会太陽音楽隊のヒカルド中曽根さん(32、二世)は、「皆まだ子供なのに楽器が上手で驚いた。また共演したい」と話した。19日に同バンドが訪問して交流した聖市立オオサカ小学校のルシアナ・ニナ校長は、「生徒にとって、とても有意義な経験になった。あまりに時間が短くて残念だった。子供たちのこの交流が長く続いてほしい」と話した。
南麻州カンポ・グランデ市と、ボリビアでの沖縄県民入植記念式典に合わせ来伯した稲嶺進名護市長ら5人の慶祝団を招き、ブラジル名護市親睦会(末吉業幸会長)が15日夜、ニッケイパラセホテルで歓迎会を行なった。名護市出身者やその子弟約50人が出席し、〃名護んちゅ〃の友好を深め合った。あいさつに立った稲峰市長は「温かい歓迎に感謝。これからも深く長く付き合いたい。故郷を忘れることなく見守って下さい」と話した。続いて、同市から80歳以上の高齢者約20人を対象に表彰が行われた。稲嶺市長は一人一人とがっちり握手を交わし、長寿の祝福と健康を祈った。宮城安子さん(89)は、「まさかこんな機会があるなんて夢のような気持ち。来た甲斐があった」と喜んだ。長田栄治さん(96)と、子弟研修制度を利用した前田みゆきさん(30、三世)から稲嶺市長に記念品が贈られた。長田さんは「長生きして良かった」と微笑んだ。末吉会長は「準備期間が短く、金曜開催で大人数とはいかなかったが、華やかな歓迎会を実施できた」と充実の表情を見せた。また、同会長は市長に対し、①文化、技術分野以外にスポーツ交流の実施、②研修制度に関し現行の2人から3人(伯国1、その他南米地域2)への増枠の2点を盛り込んだ要望書を手渡した。
南麻州カンポ・グランデ市が沖縄県移民入植百周年――。1914年、聖州と南麻州を結ぶノロエステ線の敷設工事終了とともに、工事に携わった県民の一部が住み着いたのが始まり。今では市の日系人1万5千人のおよそ7割が県系人と言われる。母県から高良倉吉副知事や喜納昌春県議会議長ら約70人の慶祝団が祝福に駆けつけ、14日夜、同地沖縄県人会主催で盛大に記念式典が開かれた。ノロエステ線の駅舎跡近くの公園には百周年記念碑も建立され、前日に除幕式もあった。一同は先人の労苦に感謝を捧げるとともに、同市と沖縄の交流活発化に向けて思いを新たにした。 アメリコ・カリェイロス州文化財団会長、ジョージ・タカハシ市議会議長、在聖総領事館の飯田茂領事ら多くの来賓をはじめ、約600人が会館に参集した。ハワイ、ボリビア、サンパウロからも多数の慶祝団が出席した。志良堂ニウトン会長は沖縄移民の歴史を紹介し、「移民がもたらした勤勉、正直などの伝統は、今も息づいている。困難にも負けず子弟を教育し、様々な分野で活躍している」と先人への感謝を込めて挨拶。喜納県議会議長は「県系人の政財、教育、法曹界などあらゆる面での活躍は、同胞の誇り、喜び。県議会としても友好のため最大限の努力をしたい」と力強く述べた。ジェオルジ・タキモト州議は「沖縄は移民を送り出したことを心から誇りに思うべき。移民たちは国の発展に役立ち、市民から尊敬されている」と話した。高良副知事は仲井眞弘多県知事の挨拶を代読し、「先人が長い年月を通じて継承したウチナーンチュ文化が開花していることは、大きな誇り」と述べた。続いて県人会から慶祝団の代表者に記念プレートが手渡され、母県からは功労者5人および80歳以上の高齢者110人に表彰状が贈られた。ダンスや太鼓など余興の後、会場を移して晩餐会に。翁長雄志那覇市長の「カリー」の威勢のよい音頭で乾杯後、和やかに歓談しながら夜更けまで食事を楽しんだ。宮城久和・国頭村長(71、国頭村)は「どこにいても助け合いながら生きていく沖縄の『ちむぐくる』の精神を感じた。異郷の地でも伝統を根付かせ、ブラジルの人といい国を作っている。県民を受け入れてくれた市の皆さんにも感謝」と同胞の発展を喜んだ。
ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)の2014年度親睦ピクニックが9月21日、行われる。 今年はモジ・ダス・クルーゼス市の「シチオ細谷」「カザロン・ド・シャー」「蘭園オリエンタル」を訪問し、当日は午前8時にサンパウロ市リベルダーデ区の兵庫県人会前(Rua da Gloria, 332)を出発する。 参加費は会員が1人50レアルで、非会員は70レアル。バス、昼食、軽食代が含まれる(飲み物は別)。5歳以下と75歳以上は無料。 申し込み締め切りは9月16日まで。 申し込み、問い合わせは同県人会事務局(電話11・3207・0025)。Eメール(brhyo goken@gmail.com) 2014年8月23日付
母県から56人の大型使節団も 【南マット・グロッソ州カンポ・グランデ市発・川口裕貴記者】南マット・グロッソ(南マ)州カンポ・グランデ沖縄県人入植100周年記念式典(同沖縄県人会主催、志良堂ニルトン・キヨシ会長)が、14日午後7時30分から同会館で開催された。式には母県から高良倉吉副知事をはじめ19の市町村長、議長ら56人の大型使節団や、サンパウロ(聖)、ボリビア、遠くはハワイの県人会代表者らも駆け付け、一般を合わせて約500人が出席する中、盛大に執り行われた。志良堂会長はあいさつで、「苦難、苦労の中でブラジル社会に溶け込み、この地に根を張り、今日の信頼を築き上げて来た先人の日本人移民に対して深く感謝する」と言葉を述べた。式では来賓祝辞、表彰、夕食会と続き、亡き先人に対して敬意を表するとともに、新たな一世紀に向けた飛躍を誓った。 同市における沖縄県人入植の歴史は1900年初頭、聖州ノロエステ線鉄道計画によりポルト・エスペランサ、バウルー両方面から建設が進んでいた線路が14年にカンポ・グランデに連結したことから始まる。鉄道建設には130人ほどの日本人が従事していたとされ、そのまま同市に定住。定住した日本人のほとんどが沖縄移民で、生活が安定すると同県民を次々と呼び寄せ、同市近郊に多くの沖縄植民地を築いた。現在同市には約1万5000人の子弟がいるとされ、その大半が沖縄移民にルーツを持つ。 式典会場の前列に用意された来賓席には、志良堂会長、玉城ジョルジ同評議員長、高良副知事、喜納昌春同県議会議長、飯田茂在聖総領事館領事、アメリコ・カルエイロス同州文化財団会長、翁長雄志那覇市長、稲嶺進名護市長、島袋栄喜ブラジル沖縄県人会副会長らが並んだ。 あいさつで志良堂会長は日本人移民を快く受け入れてくれたブラジルに対する感謝の言葉を捧げ、さらに「100周年を記念して、この地で信頼をつかんできた先駆者の方たちを思い浮かべながら、子孫繁栄に今後とも尽くしていきたい」と、沖縄移民を代表して思いを述べた。 仲井真弘多知事の祝辞を代読した高良副知事は、先駆者に敬意を示すとともに、ブラジル沖縄系子弟に対して「先人たちが長い年月を通じて継承して根付かせた ウチナーンチュの生活は文化が大きく開花し、ブラジルにおいて政治、経済、教育、文化等の分野で活躍し発展に寄与されていることは我々沖縄に暮らすウチ ナーンチュにとっても誇り」と称えた。 また南マ州を代表してカルエイロス氏は「カンポ・グランデの歴史は日本人移民とともに刻まれてきた。100年が過ぎ次世代の日系人が日本人の心を引き継いで価値を見出せばブラジル全体の発展に大きく貢献するでしょう」とあいさつした。 来賓のあいさつ後は、母県から高齢者と功労者に感謝状が高良副知事から手渡され、代表者が受け取ったほか、記念品交換、先亡者に対する黙とうが捧げられた。その後、夕食の部へと移り食事を取りながら、使節団と県民移住者との交流が日付けが変わるころまで続いた。 式に参加した同県人会員の崎浜秀彦さん(70、沖縄)は、61年にボリビアから同市に再移住した。当時について「移住した時は既に戦前移住者が町の基礎を 作っていた。それに乗りかかっただけで、先人には感謝の気持ちでいっぱい。ボリビアでは苦労したからね」とコメントした。 また、親戚の呼び寄せで60年に入植した仲宗根康則さん(79、本部町)に入植100年を迎えた気持ちを聞くと「長いようで、あっという間だったね。1世の人が教育熱心だったから100年たった今でも2世、3世が沖縄人の魂を引き継いでいる」と答えた。 なお、式典前日には100周年を記念して建てられた石碑の除幕が行われたほか、沖縄県、及び同議会代表者が南マ州政庁を公式訪問するなど姉妹都市提携を結ぶ南マ州と沖縄県との今後の交流促進を確認する場にもなった。 2014年8月19日付
【既報関連】県人会創立65周年と県民移住100周年を迎える宮崎県人会(高橋久子会長)の記念行事の一環として、宮崎県西臼杵郡高千穂町の民俗芸能「高千穂の夜神楽(よかぐら)」公演が、25日午後7時30分からモジ・ダス・クルーゼス市の市立劇場「Cemforpe」(Rua Antenor Leite da Cunha, 55)で開催される。 夜神楽のブラジル公演は今回が初めてとなり、渡邊道徳団長をはじめとする14人の団員が来伯する。公演は24日の県人会創立65周年記念式典でも行われるが県人会員が対象となり、一般向けは25日のモジ公演のみ。 「高千穂の夜神楽」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れた折に、岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめ)が調子面白く舞ったのが始まりとされ、同地方の先祖が長年高千穂宮を中心に神楽を伝承してきたもの。 1978年に日本国の重要無形民俗文化財の指定を受け、80年にはヨーロッパで開催された「国際伝統芸能祭」に招待を受けるなど、全国各地で公演を行っている。毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて町内各地区で33番の神楽を夜を徹して奉納し、秋の実りに対する感謝と翌年の豊穣を祈願しているという。 また高千穂神楽では、71年から40年間にわたって代表的な舞を毎夜奉納していることから、2011年には、「高円宮殿下記念地域伝統芸能賞」を受賞している。 モジ公演では夜神楽をはじめ、ジャパニーズ・ダンスカンパニー「優美」による舞踊、宮崎県出身のソプラノ歌手・黒木(くろぎ)あずささんのショーや日本舞踊など約2時間にわたって披露される。 当日の入場は無料だが、来場者に保存食1キロの持ち寄りを呼び掛けている。 詳細は同県人会(電話11・3208・4689)まで。 なお、24日の記念式典には当初、河野俊嗣県知事が出席する予定だったが、諸事情により稲用(いなもち)博美副知事、福田作弥県議会議長をはじめとする74人の慶祝団が来伯することになった。 2014年8月19日付
ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)は14日、臨時代表者会議を文協ビルの県連会議室で開き、各県人会代表者約45人出席のもと、満場の支持を得て「第18回日本祭り」の開催を決定した。高騰した会場費の問題から開催が危ぶまれていたが、先日来伯した安倍晋三首相の日本祭り支援発言が開催決定に勢いをつけたようだ。木原好規氏(和歌山)は「日伯外交樹立120周年記念の目玉事業になる」と話し、小渕民雄氏(群馬)は「W杯と日程が重なっても成功した。来年も上手くいく」と開催決定を喜んだ。  最初に山田康夫(滋賀)、市川利雄(富山)両暫定実行委員が第18回日本祭りの概要について説明を行った。会場は来年もイミグランテ展示場で、会場費は開催準備期間を含め、12日間で67万3千レ。山田委員は「管理会社が第17回日本祭りの実績を評価し、45%の割引きに応じてくれた」と報告した。 さらに、10月に行なわれる統一選挙を「不安要素」として挙げた。第17回日本祭りでは市、州、国あわせて43万レの支援を受けたが、連邦、州議員の改選が行なわれる今回、日系候補が敗れた場合、市からのみの援助となる可能性がある。山田、市川両委員は援助を市からのみと見込んだ上で予算を組み、約17万レの赤字と報告した。山田暫定委員は「昨年より良いスタートをきれたが、まだまだ皆さんの助けが必要です」と実行委員会への参加を呼びかけた。 早々と来年開催を決定したことに関し、元県連会長の園田昭憲氏(鹿児島)は、「今年の苦境を乗り越え、みんなの為の県連としてしっかり機能している。全会が一致団結した姿を見る事ができて感動した」と感慨深げに語った。 川合昭氏(秋田)も全会一致の賛成を喜びつつ「日本祭りをどう発展させていくかが大事」と次回開催に意気込んだ。
長崎市と姉妹都市提携を結ぶサントス市の日本人会(関谷忠機アルシーデス会長)による『第5回平和記念式典』が、小雨の降る9日午前9時、ロベルト・マーリオ・サンチーニ公園の日本移民上陸記念碑前で執り行われた。サントス市は長崎原爆投下日の8月9日を『核兵器廃絶運動の日』と定めている。日本人会会員を始め、市関係者や日本語学校の生徒など約150人が参加。原爆の投下された午前11時には、参加者らが記念碑を囲んで手を取りあい、原爆の犠牲者に黙祷を捧げた。 来賓として同市のエスタジオ・アルベス・ペレイラ・フィリョ副市長やブラジル被爆者平和協会の盆小原国彦副会長、ブラジル長崎県人会の栗崎邦彦会長ら各氏が訪れた。 エスタジオ副市長は「世界中で戦争の緊張感が増している。サントスから世界へ平和への思いを発信することに深い意義を感じる」と話し、関谷会長は「若い人たちへ核兵器の恐ろしさを知ってもらう為に活動していきたい」と挨拶した。 栗崎会長は「サントス市の取り組みはとても有難い。原爆の悲惨さを忘れないよう伝えていきたい」と述べ、盆小原副会長も同市に感謝を述べた後、「若い世代に広島、長崎の悲劇を伝えていかなければ」と訴えた。 『核兵器廃絶運動の日』の制定、同式典開催提案者の中井貞夫市会議長は、「伯国は戦争経験が少なく、若者は原爆の悲惨さを知らない。核兵器廃絶は全世界が関心を持って進めていく必要がある」とのべた。 式典では生長の家のコーラス隊や同市日本語学校の生徒が歌を披露し、サントス厚生ホームの安次富ジョルジ委員長(72、二世)が剣舞を行った。ブラジル健康表現体操協会員らは、長崎名物の皿踊りと健康体操を披露した。 同市日本語学校生徒のブルーノ・エイゾさん(29、四世)は、「若い人たちは当時を知らない。式典は知る良い機会だ」と式典の意義を再確認し、ハファエル・マルチンスさん(21)も、「長崎のことは歴史の授業で知っていたけど、式典に参加するまで忘れていた。二度と起こらないようにしなければと強く感じた」との感想を語った。 式典後には、サントス日本人会館で被爆体験を描いた長編アニメーション『NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘』の上映会が行われ地元住民ら40人が観賞した。
ブラジル都道府県人会連合会(本橋幹久会長)は14日、来年の「日本祭り(フェスティバル・ド・ジャポン)」開催の賛否を問う臨時代表者会議を開き、賛成多数で来年の開催が決定した。 44の各県人会の代表者が集まった同会では、評決に先立ち山田康夫暫定実行委員長、市川利雄暫定実行委員から、来年の開催に予想される予算等の説明が行われた。 はじめに、会場は例年通りイミグランテス展示場を使い、費用は計67万3000レアルになることが伝えられた。会場側は今年の同祭に対し「よくこれだけの人が来るな」との「別格の反応」があったという。提示された費用は45%引きの値段で、他会場と比較しても最適と判断された。 また、同祭全体の収支目標はマイナス約17万レアルとなり、山田氏は「今年は25万レアルの赤字目標で黒字になったが、来年はそれより楽だと安心してはいけない」と念を押した。今年は選挙があるため不確かとなる州議からの助成金を、今年の3分の1の額で計算したことも説明。協力してくれる当選者が多ければ黒字になる可能性も示唆した。 各県人会の負担額が今年の2000レアル(電気代込み)から3500レアル(電気・ガス代別)に値上がりすることも再確認され、山田氏は「各県人会に実際にかかっている費用は1万6500レアル。これまでは差額を県連が負担していたが、負担が大きかった」と理由を説明し、理解を求めた。 さらに、「来年は日伯修好120周年のため、同祭が行われればサンパウロでの関連記念行事の目玉になるだろう。その年に中止という判断は避けたい」との実情も伝えられた。 そして行われた評決では、開催賛成者は挙手をして意思表示することとなり、その結果、目算でほぼ満場一致、賛成多数で来年の開催を可決した。 会終了後、群馬県人会の小渕民雄会長は取材に対し、「大切なのは今日やるということが決まったこと。今年は(サッカー)ワールドカップがあったのにあれだけ多くの人が来たのだから、今後何があっても怖くない」と力強く述べ、市川氏も、「この勢いで120周年に向かっていきたい」と意気込み、「今後黒字にするためには今年の選挙が重要。協力してくれる日系議員を選ぶことも大切」との考えを示した。 山田氏は開催決定を受け、「去年は約3分の1が開催に反対だったが、今年は各県人会の負担が大きくなることを承知の上でほとんどの人が賛成してくれた」と喜び、「来年は120周年をテーマにするつもり。まずは企業に協力してもらえるように働きかけていきたい」と来年に向けて意気込んだ。 2014年8月16日付
【一部既報】このたびの安倍晋三首相夫妻の来伯に際して、日系団体から要望書が首相あてに提出された。慣例では文協、援協、県連など「御三家」から提出されるはずだが、今回実際に要望書を提出したのは県連(本橋幹久会長)とブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)の2団体のみだった。 両団体の要望書の内容を紹介する。 県連は、(1)「県受入れ留学生、研修員制度の強化」事業(2)「第18回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)=日伯120年の絆」での「ジャパン・プレゼンテーションと日本地域産業文化紹介展」事業への協力の2点を要望。 (1)では、1959年に岡山県での留学受け入れから始まって以来、昨年までの各県での県費留学生・技術研修生での訪日者数が5900人にも達している中、現在は両制度を実施している県は7県で、留学生か研修生のどちらかの受け入れを行っている県は16県である現状などを説明。今後の同制度の展開として、県が発信する観光情報の広報、地域の特産物の紹介や「日本祭り」などでの物産展、県内企業へのブラジル事情の発信及び視察などの人物交流の世話、輸入手続きなど日本の地域(県)活性化にかかわる業務により、母県と県人会のきずなを深める考えだ。 (2)は、来年の日伯修好120周年を交流深化の年として、日本祭り(フェスティバル・ド・ジャポン)の効果的利用を提案。「移民と故郷」「もの造りの日本」「夢とアニメ、コスプレ」「平和と暮らし」「日本地域産業文化紹介展」を副題に、日本祭りでの県の特産品のアンテナショップの設置など日本と各県の紹介をより積極的に行っていく効果を提案し、これらのための協力を要望している。 一方、今年7月に創立30周年を迎えた被爆者平和協会からは、安倍首相と昭恵夫人にそれぞれ要望書が提出された。 安倍首相に対しては、首相の父親で1985年の来伯当時外務大臣だった安倍晋太郎氏が同協会からの要請で健康診断を目的にした2年に1回の医師団派遣を約束実施したものの、いまだに在外被爆者の現地治療が実施されていない点を訴えている。 また、同協会が「核と人間は共存できない」ことをモットーに活動していることを強調。「日本の原発技術をブラジルに押し付けないでほしい」と要望している。 さらに、昭恵夫人に対しても現在のブラジルでは医療費が高く、高齢化する在外被爆者にとって日本での治療は難しい現状をつづっている。その上で、旧日本病院だったサンタ・クルス病院での診察・治療の実現への協力と理解を求め、「人間として人権問題、核問題など話し合って解決できる時代を願って止みません」と締めくくっている。 2014年8月13日付