06/03/2026

Dia: 29 de janeiro de 2015

一般の若手参加も呼び掛け 昨年10月に長崎市を訪問し、2013年の創立50周年を記念して長崎伝統芸能の「龍(じゃ)踊り」の龍を寄贈された長崎県人会(栗崎邦彦会長)は10日、練習用の龍体を完成させた。県人会は同時期の訪日時に、長崎女子高校のメンバーから龍踊りの手ほどきを受けており、今年6月の文協コロニア芸能祭での初舞台に向けて、2月から本格的な稽古を行う。 長崎県人会では「龍踊り委員会」(川添博委員長)を創設し、婦人部(和田佐代子部長)、青年部(宗像アレシャンドレ部長)の協力を得てサンパウロ市ジャバクアラ区の旧会館で練習用龍体の制作を行い、10日に完成させた。 龍踊りは元々、「五穀豊穣」を願う中国の神事に始まったもの。雷雨を呼ぶと信じられている龍を巧みに舞わせる踊りで、中国からの渡来人が多かった長崎にも伝わり、唐人屋敷に住む唐人から手ほどきを受けた日本人によって独自の発展を遂げ、300年以上の歴史を持つという。 実際の龍踊りは、龍が追う玉を持つ「玉使い」1人と、龍体を操る「龍衆(じゃしゅう)」10人と、銅鑼(どら)やラッパなどを奏でる楽隊十数人で構成される。 川添委員長は練習用龍体の制作について、昨年8月から準備を進め、同12月から組み付け作業を行ってきたと説明。「どんな作り方か分からず手探りで作ったので、まだこれから実際に(練習用龍体を)使ってみて不都合なところを修正していきたい」と話している。 龍踊りの龍は長さ20メートル、重さが120キロもある。オリジナルの「龍頭(じゃがしら)」は15キロの重さだが、「最初から15キロの重さの龍頭では、とても振り回せない」(川添委員長)とし、練習用の龍頭は約10キロと軽くしている。 2月から始まる稽古では最初に10人の龍衆が持つ「棒」の使い方や足の運び方などを練習し、その後、実際の龍体を使って少しずつ重さに慣れるようにしていくという。 現在の旧会館では天井が低いため思うように動きにくく、人数的にも県人子弟だけでは十分とは言えない状況だ。川添委員長は今後、セイネン文協や ASEBEX(留学生OB会)など県人子弟以外の若手メンバーにも広く参加してもらい、6月の文協コロニア芸能祭での初舞台に向けて、練習用の場所提供を 文協側に求めていく考えを示している。 なお、昨年10月に「龍」とともに長崎市から寄贈された路面電車が、いつブラジル に到着するかは現在のところ未定。路面電車の寄贈は、中井貞夫サントス市議(元同市議会議長)の発案で実現し、サントス側ではルイス・ギマランエス観光局 長が中心となって受け入れ準備を進めている。 龍踊りに関する問い合わせは、長崎県人会(電話11・3203・0949)か、川添委員長(11・4828・3611)まで。 2015年1月28日付
ブラジル岩手県人会の2015年度定期総会が18日午前、サンパウロ市リベルダーデ区の同県人会館で開かれた。役員改選では新たな会長立候補者が現れず、千田曠暁会長(73)の続投が出席者により承認された。 開始時点で19人が出席。多田マウロ副会長が議長を務めた。千田会長は「昨年は日本との交流もでき、役員会で提案のあった新事業もできるだけ取り組んできた。会員がいてこそ活動ができる。お陰で何とか一年を切り抜けることができた」と振り返った。 2014年は、わんこそば祭りなど例年の行事のほか、母県岩手日報社へのサッカー・ワールドカップ関連の記事寄稿、同社の記事を転載した「ふるさと岩手だより」発行など新たな交流も生まれた。多田副会長による、青年を対象にした日本語会話教室も再開した。 昨年の収支は約14万レアル。会費、母県補助金のほか、カラオケダンスが始まるなど会館賃貸も順調だった。今年は定例行事のほか、8月にパラグア イ・ピラポ移住地55周年式典への参加を予定。予算は14万レアルを計上、新規事業も行いたいとして会員からの提案を呼び掛けた。各種報告・計画案ともに 承認された。 役員改選には事前の会長立候補者がなかったが、千田会長は改めて新会長への引継ぎを要望。仕事等で会長職を 引き受けられない事情があることに理解を示しながらも、「若い人たちに受け継いでいただきたい。留学・研修OBであれば、日本語も分かり、県との関係もあ る。そういう人に入ってもらい、会を盛り上げてほしい」と希望を語った。 最終的に立候補者はなく、千田会長の続投が決 まった。9期目となる千田会長は、「次の会長を育てる責任があり、無責任なことはできない。今までやってきた人、新しい人と相談しながら新しい理事会を作 り、その中で色々な人が出てくるのを待ちたい。元気なうちは皆さんと支えあいながら2年間やっていきたい」と述べた。 総会終了後は新年会に移り、出席者一同で乾杯。ミナス・ジェライス州から訪れた会員もおり、約50人で今年最初の行事を楽しんだ。 2015年1月23日付
ニッケイ新聞 2015年1月27日 ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会など日系35団体共催による『日系議員の当選祝賀会』が2月6日午後7時半から、文協ビル貴賓室(Rua Sao Joaquim, 381)で開かれる。会費80レアル。聖州選出の下院議員及び州議員の当選を祝う。申し込みは2月3日までに文協(11・3208・1755、event@bunkyo.org.br)まで。
ニッケイ新聞 2015年1月27日 ブラジル東京都友会(坂和三郎会長)が25日昼、聖市ニッケイパラセ・ホテルで『創立50周年記念祝賀新年会』を行ない、約100人が集った。東京サンパウロの姉妹州都締結25周年と日伯外交関係樹立120周年もあわせて祝った。今回は舛添要一都知事の参加は叶わなかったが、来年のリオ五輪の次が2020年東京五輪であり、同知事の来伯に期待が高まっている。 先没者への黙祷、両国国歌斉唱の後、坂和会長があいさつに立った。「東京五輪のためのリオ下見などを目的に、舛添都知事のブラジル訪問も実現するのでは。将来への飛躍を願いお祝いしましょう」と幕開けを告げた。舛添都知事の祝辞も「三つの節目に加え来年はリオ五輪も行なわれる。これらを契機に、更なる交流活発化に期待」と代読された。野村アウレリオ、羽藤ジェオルジの両聖市議、安部順二・元連邦下議も祝辞を送った。福嶌教輝・在聖総領事は「リオ五輪に向けて都知事が何度か来られるよう調整中。都友会からもぜひ歓迎の声を挙げて」と来伯実現にも言及した。89年に都立大法学部で学んだ大沼潤さん(50、二世)が、留学生OB代表として04年に途絶えた制度復活を願い、藤間流による祝賀の舞、ケーキカット、鏡割りが行なわれ会食に移った。乾杯の発声に立った多羅間俊彦名誉会長は「25年前の鈴木俊一都知事来伯時は会も活性化した。舛添さんにも五輪関連で来伯して頂きたい」と強い期待感を込め、「我々の役目は終わろうとしている。次世代に引っ張ってもらいたい」と若者の台頭を願った。モジ在住の興津正治さん(80、東京)は45年3月の東京大空襲で浅草の家を失った。「東京で小学3年生まで過ごし宮城に疎開した。その時代の話をできる人がいないね」と時代の移り変わりを惜しんだ。同会は記念誌を編纂中で、元パ紙記者の赤木一成さん(78、熊本)が執筆中だ。援協50周年誌にも携わった同氏は、「都民の先祖を辿れば多くは地方出身者だが、(初代文協会長の)山本喜誉司など優秀な人材を多く輩出している」と称えた。今式典の項目を書き加え、すぐに刊行することを目指している。都友会は65年11月3日の創立総会をもって結成された。本格的な組織作りは同年10月ごろ、戦後初の海上自衛隊の練習艦隊4隻を歓迎する県別組織が母体となった。都出身者の先駆けは笠戸丸移民の茨木友次郎(本門仏立宗日水上人)、妻・チヨ、弟・信太郎の3氏という。会員は現在約150人。90年6月13日にはサンパウロ州政庁(バンデイランテス宮殿)で、オレステス・ケルシアと鈴木俊一両知事による姉妹友好提携が結ばれた。以来25年間、都知事来伯はない。
ニッケイ新聞 2015年1月22日 日本政府が世界6都市で設立を進める広報文化施設「ジャパンハウス」(仮称)の現地調査のため、外務大臣政務官の薗浦健太郎・衆議院議員(42、香川)が来伯した。聖市文協で20日午後、現地報道陣の取材に応じ、設置候補地の視察、日系人らとの意見交換会を振り返って、「設立に向け関係者から運営協力を得られた」と滞在の成果を報告した。 「日系人からジャパンハウスに対する期待の高さを感じた。また外交樹立120周年という記念すべき年に、日伯関係の交流親睦の一躍を担えたことも光栄」とのべ、日系の議員、企業関係者らと懇談した結果、「運営に対する各所からの協力を得られることができ、有意義な出張となった」と総括した。イビラプエラ公園内の日本館を訪問、慰霊碑も参拝した。両国関係については「改めて日本とブラジルの関係の深さ、歴史の長さを認識。さらなる関係強化を図らなければならない」との実感を口にした。滞在は19、20日のみの2日間だったが、パウリスタ大通りで2、3カ所、聖市文協、ピニェイロス区のエルドラド・ショッピングセンターなど全部で5、6カ所を視察。開設地は帰国後に協議を進めるという。「東京の政治家や役人だけで決めてしまうと間違いなく失敗する」という理由から、「ロンドン、ロス同様、サンパウロにもアドバイザリーボード(顧問委員会)、運営会議のような機関を設ける」と明言した。「そこから出てくる意見を最大限に尊重させながら運営していく」と話し、第三機関として機能させたい意向だ。「日本政府側が広報したい部分と、現地側が知りたい日本をすり合わせる。日本から一方的に発信していくことは避けたい」と答えた。同会議の構成員は日本を良く知る人物や日系人らになるという。今回の訪伯で「ロベルト・ロドリゲス元農務大臣、USP前学長のジョアン・グランジーノ・ローダス氏などにご快諾を頂いた」と明かし、「日系企業、商工会議所の方々にも入って頂く」との見通しを語ったが、文協などいわゆる日系団体御三家の名前は、今の段階では挙がらなかった。16年内の開設を目指しているが、予算が確定していないため、運営団体を決める公示・入札時期は現在未定。「時期が来たら在聖総領事館から広報していただく」と話し、具体的な開設時期に関しても「いつになるかは確約できない」と答えるにとどまった。■   ■この日は文協で飯星ワルテル連邦下議、元連邦下議の安部順二氏、連邦下議に繰り上げ濃厚なウィリアン・ウー氏、羽藤ジョージ聖州議らと意見交換を行なった。文協の木多喜八郎会長、呉屋春美、山下譲二両副会長も同席した。文協ビルも視察し、史料館、消防法に準ずる屋根の改修工事を行なう大講堂、4階の裏千家教場「伯栄庵」を訪れた。案内した木多会長によれば「政務官は深く感心していた」という。意見交換会の内容は明かさなかったが、「東京に持ち帰り日系社会の存在感を伝えてほしい。建設60年を誇る日本館に負けない立派な文化施設を期待している」と願った。
ニッケイ新聞 2015年1月22日 日本文化庁の「文化交流使」として来伯中の薩摩琵琶演奏家・櫻井亜木子さん(38、東京)が19日昼、聖市リベルダーデ区の熟年クラブ連合会会館で演奏会を行なった。熟連の五十嵐司会長が歓迎のあいさつに立ち、「日伯外交樹立120周年の幕開けをお祝いする行事です。三味線、琴以外の極めて珍しい演奏会。素晴らしい音色を拝聴し勇気を頂きましょう」と、約80人の聴衆に呼び掛けた。櫻井さんは琵琶の起源や種類、同楽器の伴奏に合わせて語る平曲「平家物語」との関係性を説明し、「白虎隊」、自身の楽曲「桜島」、童歌「とうりゃんせ」「かごめ かごめ」で観客を楽しませた。「平家物語」も披露し、有名な冒頭「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり―」という一節も披露した。事前の要望で鹿児島県生まれの関係者から「西郷隆盛」もリクエストされ、「出身者が目の前で聞いて下さるとあって、気持ちが引き締まった。でもちょっと緊張した」と胸をなでおろした。父が鹿児島生まれという松島節子さん(77、二世)は「プロによる演奏を初めて聴けて感動的だった。聴き慣れた童謡まで弾いてもらえて良かった」。筝曲宮城会の長瀬玲子会長は「琴とは違って音色に幅がある。生の演奏を聴いて胸にビンビン響いた」と感激した様子を見せた。開催に協力した鹿児島県人会の松村滋樹副会長は「薩摩琵琶を聴ける機会なんてめったにない」としみじみ語り、「熟連は一世ばかりだから多くの人に喜ばれた」と盛況ぶりに一安心した様子だった。◎   ◎聖市での公演はこの日が最終日。商議所の新年会、サンパウロ日本人学校、モジ文協、憩の園など計10公演で約千人を動員した。9日間の滞在を終え、「移民にとって日本は遠い記憶の存在かと思ったが、そうではなかった」と語り、コロニアに根付く日本文化に感激した様子を見せた。「日系の子ども達の前で演奏を始めたら、スッと姿勢を正して黙って聴く姿が印象的だった。浴衣を着て邦楽器を弾くという、いかにも日本らしい姿を見て、何か感じるものがあったのだと思う」との喜びを口にした。
震災経験語り継ぐことの大切さ 死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人を出した阪神淡路大震災から17日で20年となり、ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)は、同日午前10時から物故者追悼法要をサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館で執り行った。法要には兵庫県出身者をはじめ、福嶌教輝在聖総領事館総領事、日系3団体代表ら約80人が訪れ、犠牲者の冥福を祈った。 1995年1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震元とするマグニチュード7.3の大震災が発生し、兵庫県を中心に近畿地方一帯で大きな被害がもたらされた。 それから20年が立った17日、ブラジル兵庫県人会は物故者追悼法要を菊池顕正ブラジル仏教連合会会長(東本願寺南米開教監督)を導師に執り行った。 はじめにあいさつに立った尾西会長は、「ブラジル兵庫県人会が主催する法要は今回で2回目ですが、改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。被害に遭われた方のご心労をお察し申し上げ、また、昨年亡くなられた当時の県知事でご苦労なされた貝原俊民氏のご冥福をお祈りいたします」と述べ、続いて1分間の黙とうが捧げられた。 追悼の辞では、井戸敏三兵庫県知事からのメッセージが山下亮ブラジル兵庫県事務所(パラナ州クリチバ市)所長によって代読され、「内外からのご支 援や励ましを頂きながら懸命の努力を重ねて兵庫は不死鳥フェニックスのように蘇ることができました。今後とも私たちの経験と教訓が世代や国境を超え、安全 安心な社会の実現につながっていくことを願います」と伝えられた。 また、兵庫県出身で震災時には同県に祖父母や両親、親 戚が住んでいたという福嶌総領事は、「(当時のメキシコ駐在から)帰国後は近所の風景が相当に変わっていて、震災のすさまじさを極めて身近に感じました。 今我々の使命は、その経験を語り伝え、日本を含め世界各地で頻発する自然災害での多くの悲しみや困難をこれらの知恵を集め、技術を向上させ、力を合わせて 乗り越えていくこと」と、追悼の辞を述べた。 その後は、読経の中、参列者たちが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。 震災当日、兵庫県尼崎市の自宅で被災し、一時部屋に閉じ込められたという曽我部威さん(80、山形)は、「テレビが床に落ちてきて目が覚め、何十秒かの揺 れが何分にも感じられました。潰れたビルや倒れた高速道路を見た時は終戦を思い出すほどゾッとした」と被災時の様子を振り返り、神妙な面持ちで焼香してい た。 神戸高校出身で1959年にブラジルへ移民してきた八木静代さん(78、大阪)は、「震災の7年後に母校を訪れた際...
リンス熊本県人会(安永和教会長)主催の忘年会が12月21日、サンパウロ州プロミッソン市ボンスセッソ区の安永会長の自宅で開かれ、会員や一般など約180人が出席した。 当日は午前9時に集合し、同11時に開会。安永会長のあいさつに続き、「移民の父」上塚周平氏の七十九回忌及び先亡者の御霊(みたま)に対して1分間の黙とうを行った。 また、81歳を迎えられた今上天皇陛下の誕生日を祝し、伯日両国国歌を斉唱。引き続き、80歳以上の高齢者に対して蒲島(かばしま)郁夫熊本県知事からの感謝状と記念品が授与された。 記念撮影の後、正午から忘年会が開かれ、安永会長の父親の忠邦さん(93、2世)が乾杯の音頭を取った。 さらに午後1時からは第2回紅白歌合戦も開催され、約40人が出場。今回は紅組が勝利した。 最後は全員が輪になって「蛍の光」を合唱。2015年に向けたさらなる健勝を誓い合った。 2015年1月17日付