06/03/2026

Dia: 24 de abril de 2015

大使訪問、州と日系企業の懇談も リオ・グランデ・ド・スル(南大河)州における日本ブラジル外交樹立120周年と滋賀県との姉妹提携35周年を祝う開幕式典が、7日夕方に同州都ポルト・アレグレ市の州政庁ピラチニ宮で開催された。同州政府サイトによれば、ジョゼ・イボ・サルトリ知事はじめ州政府関係者、梅田邦夫在ブラジル日本国大使、池田敏雄在クリチバ総領事、後藤猛ポルト・アレグレ出張駐在官事務所長など日本政府代表、地域・日系社会の招待者や企業関係者など多数が出席した。 サルトリ知事はあいさつで、同州の多様性に日本文化が果たした貢献を確認するとともに、経済面における連携の重要性を強調。文化面にとどまらない他分野での協力関係構築、さらに新たな投資にも期待を表した。 滋賀県との姉妹州県提携は1980年に結ばれ、環境、産業、農業、教育、スポーツなど様々な分野で交流関係が続いてきた。同県の三日月大造知事のメッセージを持参した梅田大使は、知事はじめ同式典開催への関係者の協力に感謝。大使館サイトによれば、日本と同州の経済関係強化、同地で開催される日本祭りなど文化面の交流強化に期待を表すとともに、農業から始まり日系社会の各分野で同州の発展に貢献してきた1世、日系人の尽力に感謝した。同州と滋賀県に加え、姉妹都市(ポルト・アレグレと石川県金沢市、ペロッタスと同県珠洲市)の交流促進にも期待を表した。 和楽器を中心としたサンパウロの音楽グループ神楽坂トリオの演奏なども式典に花を添え、最後に来賓による鏡開き。一同で乾杯し、節目の年を祝った。 大使の同地訪問には恵子夫人も同行し、州知事夫人で特別補佐官のマリア・エレナ・サルトリ氏と懇談。知事夫人から大使夫人に南大河州の風物を紹介する写真集が贈られた。 ◎   ◎ 開幕式典にあたり、サンパウロ市から日系企業関係者がポルト・アレグレを訪れた。一行は13社の代表とブラジル日本商工会議所の平田藤義事務局長。式典に 先立ち7日午後、白川安弘会頭など南日伯商工会議所代表とともに、州経済開発・科学技術局(ファビオ・ブランコ局長)との懇談会が開催された。梅田大使、 サルトリ知事も出席した。 懇談会では同州における造船、石油・天然ガス生産や石炭のガス化事業の可能性などについて意見が交わされた。三菱商事や東洋エンジニアリングなどの各企業代表による会社紹介、新規の投資分野に関する説明等も行われ、知事は日伯経済関係のさらなる拡大に期待を表した。 ブランコ局長は、同州の石炭埋蔵量がブラジル全体の90%を占めることに触れ、環境に配慮した日本の技術によるガス化事業はビジネスの機会と説明。造船分野についても、同州には労働力があり、技術研究センターを有している点などをアピールした。ポルト・アレグレでは今年8月末、日本経団連とブラジル全国工業連盟による第18回日伯経済合同委員会の開催が予定されている。 2015年4月21日付
【一部既報、吉永拓哉福岡支局長】今年3月1日から1週間にわたりブラジルに滞在したグローバルステージin BRAZIL(武田誠一団長)の体験報告会が3月28日、福岡市内のアクロス福岡で行われた。『グローバルステージ』は、福岡県の青年たちをブラジルやハワイに短期派遣し、現地の福岡県人会や青年部と交流を深めることで、次世代のパイプ役となる人材を育成することを目的としており、今回、海外県人会人材育成・活用推進事業実行委員会が初めて企画したもの。 第1期生として参加したのはブラジル5人、ハワイ5人の計10人で、それぞれが自己のテーマに沿って報告した。 最初に平野梓さん(西南学院大)が登壇し、『日系社会について』と題して移民船・笠戸丸のことや「ガランチード」と呼ばれる日本移民について説明した。 また、ブラジルでは国際空港に降り立った際、現地の福岡県人会が『歓迎』と書かれた横断幕を手にして迎えてくれ、帰国の時は県人会の一人一人から土産を受け取り、「スーツケースに入らないほどだった」という。 そのような県人会の温かいもてなしを受けた平野さんは「これからブラジル日系社会の魅力を福岡で伝えていきたい」と語った。 続いて『ブラジル福岡県人会について』をテーマに報告した米村淳平さん(九州海外協力協会職員)は、「ブラジルには本当にもう一つの日本があり、嬉しかった」と感想を述べながらも、県人会の継承の難しさなど、これからの課題についても話した。 『日系人の農業改革』がテーマだった東雲雄馬さん(西南学院大)は、福岡県出身者の農家で360度の広大な畑を目の当たりにした。その際、移民が考案した炭素循環型農法の説明を聞き、畑に植わっていた大根をもらってその場でかぶりついたという。 「とても瑞々しくて美味しかった」とその時の感動を述べ、「こういった福岡にルーツのある人たちが頑張っているからこそ、ブラジル人は日本に良いイメージを抱くのだと思う」と誇らしく語った。 なお、企画した同委員会ではグローバルステージを継続し、今後はブラジルやハワイ以外の海外福岡県人会にも広げていきたいという。 2015年4月18日付
ニッケイ新聞 2015年4月17日 「多羅間殿下」とコロニアで親しまれていた明治天皇の孫、多羅間俊彦さんが15日午後3時ごろ、自宅で心臓発作のために亡くなった。享年86。16日正午時点で初七日は21日を考えているが、場所等は未定。 多羅間さんは、東久邇宮稔彦王と同妃聡子内親王(明治天皇の九女)の第四王子として生まれ、学習院で学んだ。父の東久邇宮稔彦王は終戦後初の第43代内閣総理大臣(1945年8月17日―同10月9日)。1947年に皇籍離脱。 在聖総領事館に勤務して平野植民地やアリアンサ移住地建設に尽力した多羅間鉄輔領事は、退官後に一移民として渡伯し、リンスでコーヒー耕地を経営した。開戦直後に交換船で帰国を勧められたが「移民と残る」と決断、42年に当地でなくなった。多羅間さんはそのキヌ未亡人の養子となり、51年4月にブラジル移住した。 当時コロニアでは「昭和の天孫降臨」と呼ばれ大騒ぎになった。多羅間耕地の経営を10年間ほど引き継ぎ、その後は聖市に移転してプロドゥトーレス・コーヒー倉庫会社監査役や経営審議会副会長を30年間も務めた。 渡伯10年ほどで資産家の花城清安さんの娘と結婚し、「ブラジルに住むならここで選挙権を取ったほうが良い」と考え、70年頃に帰化した。 ブラジル東京都友会会長、県連副会長、文協副会長、学術振興会ブラジル協会副理事長などを歴任した。1985年に東京都で世界大都市サミットが開催された際、マリオ・コーバス市長(当時)の特別補佐官として出席し、1990年に東京都と聖州の友好協定の実現にも尽力するなど、日伯をつなぐ懸け橋的な人材として常に交流に参加していた。
ニッケイ新聞 2015年4月17日 長野県人会元会長の矢崎逸郎さんが14日午後7時半ごろ、聖市モルンビー区のサンルイス病院で心臓発作のため逝去した。享年85。15日に同区パース墓地で葬儀が執り行われた。遺体はイタペセリカ・ダ・セーラ市オルト・ダ・パース火葬場で荼毘に付され、同墓地に埋葬された。長野県岡谷市生まれ。1954年に渡伯し、米国のエレクトロニクス企業「RCA」に10年ほど勤務した。その後、独立してテレビの電子部品メーカー「KINETRON」を創業、73歳まで同社経営に携わった。1997年~2000年まで長野県人会会長を務め、創立35周年時は刊行委員長として記念誌制作に、99年は実行委員長として40周年記念式典の実施に尽力した。県連の県費留学生・海外技術研修員委員長ほか、島崎藤村をしのぶ「藤村会」会長も担った。初七日ミサは21日午後3時、ピニェイロス区の聖ヨハネ教会(Rua dos Coropes, 108)執り行われる。