06/03/2026

Dia: 10 de julho de 2015

ニッケイ新聞 2015年7月8日 「ブラジル移民の父」上塚周平(1876―1935、熊本県)は1935年7月6日、プロミッソン(当時、第一上塚植民地)の地に眠った。今月5日、同市で『上塚周平80回忌法要』が行われ、ノロエステ沿線から彼を慕う多くの人が集まった。また在聖日本国総領事館の中前隆博総領事にとっては今回が初の移住地訪問となり、市民から熱い歓迎を受けた。 上塚周平は東大法学部を卒業して移植民事業を志し、皇国植民会社に入って水野龍社長の下、笠戸丸で渡航した。農業労働者として搾取される日本移民の状態を見かねて、自作農による植民地建設を思い立ち、1918年に上塚植民地を創設した。質素な生活を貫き移民と共に生きた。 プロミッソン市役所(アミルトン・フォス市長)、同日伯文化体育協会(岡地建宣会長)、同日系運動連盟(吉田ダニエル会長)の3団体が共催した同法要は午前8時から共同墓地で行なわれた。肌寒い曇り空にも関わらず約60人が集まり、先人への思いを馳せた。 中前総領事、フォス市長、熊本県文化交流協会田呂丸哲次会長がプロミッソン日本語校生徒から手渡された大きな花束を墓前に添え、リンス西本願寺の岡山智浄住職による読経のもと、焼香が行われた。午前10時からは上塚周平記念公園に場所を移し、計120人で公園中央にある仏壇に向け、再び読経のもと焼香を行った。 あいさつで中前総領事は上塚周平の功績を読み上げ、「移民の歴史がこれからも永く受け継がれていくことを願っている」と語り、フォス市長は「正直で勤勉だった上塚さんのような日本人がいたからこそ、この町が作られた」と称えた。 ノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長は「日系社会のために今回のようなことは大変に重要である」とし、田呂丸会長は「上塚先生と墓を守るプロミッソンの方々にはいつも感謝している」と県人の声を代弁した。岡山住職は法話で「今日は多くの人が集まったが、子供が少ないのが残念。後に続くものにも歴史を伝えていこう」と説いた。 上塚と直接交流があった〃上塚周平の墓守〃安永忠邦さん(94、二世)に上塚との思い出を聞くと、「先生が亡くなる直前に私が日語校の生徒を代表して病室に呼ばれ、『頑張ってくれよ』と手を握られたのを覚えている。先生からは人のために何かすることを学んだよ」と懐かしんだ。 また「80年前の葬式の時は道路が渋滞になって、式に間に合わなかった人が大勢いたほどだったよ。今日も沢山人が集まって先生も喜んでいると思う」と喜んだ。 法要後は文協婦人部が手作りした炊き込みご飯や煮物、漬物に舌鼓を打った。今回が初の移住地訪問になった中前総領事に感想を聞くと「温かく歓迎してくださり、大変感激した。総領事としての役割を改めて確認し、これからもできる限り訪問を続けたい」と決意を新たに語った。   □関連コラム「大耳小耳」□ 初の移住地訪問となった中前隆博在聖総領事。上塚周平記念公園で熱心に市民の声に耳を傾け、法要後も人知れず仏壇に近づき静かに手を合わせる姿が印象的だった。急きょ予定になかったプロミッソン市にある日系最初の一つ、クリスト・レイ教会への視察も行い、関係者からは喜びの声が上がった。8月には平野植民地、9月にはアグア・リンパでも100周年が行なわれる。コロニアからは前任者同様の〃活躍〃が期待されているようだが…。
ニッケイ新聞 2015年7月9日 宮崎県小林市在住の坂上正子さん(78)が、叔父に当たる坂上孫次郎さん(故人)の子どもや孫を探している。孫次郎さんは1893年、鹿児島県川辺郡笠沙町生まれ。 鹿児島県庁の資料によれば、1913年にミナスジェライス州に向かう鉱夫移民を乗せた三島丸で移住した。時期は不明だが聖市内で自動車営業に携わり、42年に死亡している。 鹿児島県人会の名簿には記載されておらず、同県人会の松村滋樹会長によれば、「サカウエ」姪は鹿児島や宮崎の限られた地域の出身者が多いという。 心当たりのある人は松村会長(電話=11・97221・1867、メール=kagoshimabr@gmail.com)まで。
「埋もれた歴史発掘したい」 「ウチナーンチュの心を引き継ぎ、埋もれた歴史を発掘していきたい」―。ブラジル沖縄県人移民研究塾(宮城あきら代表)はこのほど、同人誌「群星(むりぶし)」を創刊し、宮城代表は同人誌発刊の目的を冒頭の言葉で強調した。2013年から2年がかりで完成させた「群星」は、2万レアルに及ぶ経費を5人の委員が積み立てて自費でまかなったもの。このたび700部を印刷し、今後1年に1回の割合で発行していく考えだ。 「群星」創刊に中心的に携わったのは、宮城代表をはじめ、上原武夫氏、嶺井由規氏、高安宏治氏、与那嶺恵子氏の運営委員。2013年4月、移民105周年を迎えた当時、宮城代表らはブラジルの沖縄県人移民が社会的にも大きく成長した反面、「1世のウチナーンチュの心という精神的な遺産が次世代に十分に継承できていない」ことに危機感を持ち、「特に戦後移民としての社会的な流れを書いたものが少なく、埋もれた歴史を発掘していく」ことを目的に同人誌の発行を決めたという。 創刊された「群星」は日ポ両語で書かれた178ページにも及ぶ大作。「沖縄の伝統文化と県人会の活性化」(山城勇氏)、「埋もれた歴史の発見」 (宮城氏、前田徳英氏)、「ブラジル沖縄県人会の宝」(宮城氏、与那嶺ルーベンス氏)、「移民群像」(上原氏、知花真勲氏)、「思い出の記」(高安氏、上 原氏)、「琉歌 嘉陽カマト作歌」(嶺井氏)、「沖縄芝居『丘の一本松』の公演を終えて」(高安氏)、「書評」(崎間達雄氏)と、熊本大学教育学部准教授 の山城千秋氏が「ボリビアのオキナワ移住地における琉球芸能の伝承」と題した寄稿で構成されている。 特に「埋もれた歴史 の発見」の中で、第1回笠戸丸移民の知念亀氏が戦前に沖縄に戻っていたこと、「移民群像」で執筆者の上原氏が世話になった金城郁太郎氏の移民物語やカッペ ン移民の知花氏(ともに故人)を取り上げている。また、ボリビア移民の高安氏が少年時代にオキナワ移住地で過ごした体験や、2世たちへのウチナーグチ(沖 縄方言)の指導による「ウチナー芝居」公演への思いなども綴られている。 さらに、若い世代にも興味を持たせるために、嶺井氏が「琉歌 嘉陽カマト作歌」の「戦後移民の船出の歌」など音声映像を収録したものを付録DVDとして製作。文章、音声、映像の「三位一体」の同人誌となっている。 今後、各方面からの協力を仰ぎながら1年に1回の割合で刊行していく予定だという宮城代表は「今までのような特定の県人移民だけでなく、歴史に登場していない無名の人たちに光を当てていきたい」と意欲を見せていた。 なお、創刊号の合評会が、11日午後2時からサンパウロ市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会議室(Rua Dr. Tomas de...
ニッケイ新聞 2015年7月8日 美容室チェーン「SOHO(蒼鳳)」創業者の飯島秀昭さん(65、埼玉)が、4月13日から1カ月かけて東日本を完全走破した。道のりは東京・日本橋から北海道・札幌までの1088・2キロ。聖市内の事務所で3日、飯島さんが取材に応じた。 これまで九州走破や四国の八十八カ所霊場を巡拝するお遍路などを敢行してきた。「なんとなく生きるのではなく、あえて高い山を登る」という気持ちが、そうした挑戦のきっかけだという。 総歩数は167万5977歩にも達したが、苦しさを感じることはなかったよう。むしろ「自然豊かな日本を感じた。サンパウロと違い澄んだ川が多く、海や山など環境がとにかく素晴らしかった」と歩いた人間ならではの感想をとめどなく語った。 ゴールの札幌駅前には5月14日に到着。知人が祝福の横断幕を用意し、修学旅行中の学生に持たせ記念撮影した。「気が向いた時にまた挑戦します」と語り、次なる「西日本編」にも意欲を見せた。 15日には今回の体験談などを語る講演会「なぜ歩く?」を行なう。午後2時から聖市文協ビル5階の県連会議室(Rua Sao Joaquim, 381)にて。入場無料。問い合わせは埼玉県人会の尾崎会長(11・3253・8554)まで。   □関連コラム「大耳小耳」□ 東日本を走破したSOHOの飯島秀昭さんには「日本の自然を感じたい」という思いが強かったようで、あえて田舎道を選んだという。東京から東北に向かう場合、国道4号線が最も分かりやすいが、岩手県盛岡市からは国道282号へ。青森県までの道中では、熊に遭遇しかける出来事もあったとか。そんな体験談や〃飯島哲学〃を聞いてみたい人は、ぜひ15日の講演会に足を運んでみては。